三十周年を迎えるポケモンを、いま原点から語る理由
ポケットモンスターは1996年に最初のゲームが発売され、今年でめでたく三十周年を迎えます。
最初は151匹だったポケモンも、今では図鑑ナンバーだけで1026種類まで増えているそうです。
最初は百五十一匹だったポケモンも、今やね、単純な図鑑ナンバーだけで千二十六種類。
津田さんは本編ゲームをすべてプレイし、家にポケモンのぬいぐるみも飾っているほどのファンです。佐々木さんも赤や金銀クリスタルなどを遊んでいたと話します。
そんな二人が今回選んだのは、あえて三十年の原点に立ち返り、「ポケモンとは何なのか」を考えるという切り口でした。
鍵になるのは、プレミアの付いた絶版小説
話の鍵になるのは、スーパークエスト文庫から出た小説『ポケットモンスター・ジ・アニメーション』です。
著者は、初代アニメのシリーズ構成・脚本を担当し、映画も第一作『ミュウツーの逆襲』から第三作までの脚本を手がけた首藤剛志さんです。
内容は初代アニメの第1話から第14話、クチバジムまでを小説化したもので、全2巻です。
この本はすでに絶版で、中古市場ではプレミアが付いています。津田さんは今回のために第1巻を約6千円、第2巻を約1万円で買ったそうです。
え、何一万六千円で買ってきたの?やば、こいつ。
ただし、あくまで小説版の設定であり、これが絶対に正しい公式設定とは限らない、という前提で聞いてほしいと津田さんは念を押します。
小説だけが語る、ポケモン世界の細かな設定
小説には、アニメでは描かれなかった設定が二つのかたちで載っています。一つは本文の描写、もう一つは章と章の間の付録です。
たとえば主人公サトシは10歳で旅に出ますが、送り出す母親の心情が細かく描かれています。父も祖父も同じように旅に出たまま音信不通だという設定もあり、母親の心配は切実です。
この世界では10歳で一人前の大人と見なされます。「小学校卒業みんなが大人法」という法律があり、義務教育は小学校までで、中学は行きたい人だけが行くのだそうです。
10歳を過ぎるとポケモン捕獲の免許が取れ、モンスターボールを持つことが許可されます。犯罪も納税も大人同様で、少年法のような扱いはありません。
ジムリーダーは国から認可された施設で、4回連続で負けると次の代に交代しなければならないとされます。それを避けるため、お金を払って八百長で負けてもらう悪いジムリーダーもいる、という設定まで補完されています。
モンスターボールとパソコン転送の「怖い」理由
付録では、そもそもなぜポケモンがあの小さなモンスターボールに入るのか、という理由も語られます。
きっかけは、ある学者がオコリザルの怒りのエネルギーを研究していたときの出来事でした。薬物の量を誤ってオコリザルを衰弱させたところ、小さく丸まって老眼鏡のケースに入り込んで眠り出したのだそうです。
ここから、ポケモンには衰弱すると体を小さくして何かにこもる性質がある、とわかった。それを応用してモンスターボールが作られた、という筋書きです。
もう一つはパソコン転送の理由です。3歳の子どもが父親のポケモン入りモンスターボールをコピー機でコピーしようとし、誤ってFAX送信の操作をしたところ、ボールだけが父の会社に送られてしまったといいます。
ポケモンの入っていないボールでは再現されなかったことから、ポケモンは自分の体とボールを通信可能な電気信号に変える能力を共通で持つ、と結論づけられます。
どんな生態?それ。えー?なんて人間に都合のいい生態。嘘だろ。
転送の実験初期には、ボールだけ届いてポケモンが行方不明になる事故が多発した、という記述もあり、佐々木さんは何度も「怖い」とこぼしていました。
ポケモンの性質
衰弱すると体を小さくしてこもる/体を電気信号に変えられる
応用
その性質を利用してモンスターボールと転送技術が作られた
運用ルール
公認規格のボールと専用通信経路の使用が義務づけられている
結論、ポケモン以外の動物は「いなくなった」
そして冒頭からの本題、ポケモンと動物の関係です。結論から言うと、ポケモン以外の動物はいません。正確には、いなくなったのだといいます。
小説の冒頭は、ある日突然「ぽん」という音とともにポケモンたちが次々に生まれた、という描写から始まります。
現実の動物が長い年月をかけて進化して今の姿になったのに対し、ポケモンは図鑑に載っているそのままの形で突然この世界に現れた、とされます。
一方で、それ以前からいた他の生き物は現代になるにつれ絶滅していった、と書かれています。新発見があるのは細菌やウイルスの類だけだった、という記述もあります。
ここで津田さんは一つ訂正を加えます。ネット上では「ポケモンの新種が発見されるたびに既存の生き物が姿を消す」という設定が小説由来として広まっていますが、二度三度読んでもその描写は見当たらなかったといいます。
あくまで動物は絶滅しているだけで、ポケモンの発見と連動して消えるという記述はない。絶版で手に入りにくいため、誰も原典を確かめられず誤った情報が広まったのではないか、と話します。
「人間もポケモン」説と、幻の第三作
動物が人間とポケモンしかいない世界。ここから二人の想像はどんどん広がっていきます。
首藤さん自身もコラムで、放映当初に実在の動物がちらりと出たのは作画との意思疎通のずれのせいで、本来この世界にいる動物はポケモンと人間だけだ、と書いています。
記録や写真には過去の動物が残っているのに、人間はそれを記憶しておらず、疑問すら持っていない。そんな設定メモも紹介され、佐々木さんは「絶対に人間じゃない」と身を乗り出します。
人間だけが生き残ってる方が変だから。人間もポケモン説は結構筋通ってんじゃないかなって気がちょっとしてきた。
この流れで語られるのが、幻の第三作の映画プロットです。ポケモン世界でティラノサウルスの化石が発見され、それが突然動き出してすべてを壊しながら走り出す、という物語でした。
ポケモンも人間も、その存在が危うくなることを本能的に感じて化石を止めようとする。人語を話すニャースやロケット団が活躍し、最後は「一体あれは何だったのか、我々の世界とは何なのか」という問いで終わる構想だったといいます。
このプロットがボツになった理由は、世界観を壊すからではなく、無機質なものに意識が宿って動き出す話はヒットしないだろう、と判断されたためでした。すでにポケモンは巨大コンテンツになっており、失敗が許されなかったのです。
首藤剛志が最後まで描いた「存在と認識」
この動物とポケモンの関係に、種明かしはあるのか。結論はありません。首藤さんが2010年に亡くなり、明かされないままになりました。
小説の第3巻は、アニメが終わってからでないと書けない種明かし的な補足を入れる予定だったといいます。しかしポケモンは終わるどころか三十周年を迎え、続きは書かれませんでした。
首藤さんが一貫して大切にしたのは「存在」というテーマでした。映画一作目『ミュウツーの逆襲』は、コピーとして生まれたミュウツーが「私は誰だ、なぜここにいる」と問う、存在そのものの物語です。
二作目『ルギア爆誕』は、それぞれの自己存在の共存を描いたものだと首藤さんはコラムで語っていました。そして幻の三作目が、あのティラノサウルスの化石の物語でした。
首藤さんが最後に手がけたテレビスペシャルのタイトルは『ミュウツー 我はここにあり!』。存在を問い続けた脚本家が、最後に「我はここにあり」で締めくくったことに、津田さんはドラマを感じると話します。
まとめ
絶版小説と首藤剛志さんのコラムをたどると、ポケモンは進化論を離れてある日突然現れた存在であり、それ以前の動物は絶滅したという世界観が見えてきます。種明かしはされないまま残されましたが、そこにこそ「存在と認識」を問い続けた作り手のドラマがありました。
- 初代ポケモンの世界では、動物は人間とポケモンしかおらず、他の生き物は絶滅したとされる。
- モンスターボールや転送のしくみには、ポケモンの共通の性質を応用したという設定がある。
- 「新種発見で既存生物が消える」という広まった設定は、原典の小説には見当たらない。
- 幻の映画第三作はティラノサウルスの化石を軸に世界の謎に迫るはずだったが、ボツになった。
- 首藤剛志さんは「存在と認識」をテーマに描き続け、最後の作品を『我はここにあり!』で締めくくった。
