「大バカになれ」
その言葉というのが
「大バカになれ」
というものです。
これは横田老師がまだ大学生だった頃、師匠だった小池心叟師によく聞かされていた話だそうです。
ある時、これを聞いた学生時代の横田老師が「大バカになるなら、勉強しなくていいですか」と聞いたところ、返ってきたのは次の言葉でした。
「桃栗三年柿八年、ゆずは九年で実を結ぶ。梅は遅いとて十三年。みかん大バカ二十年」
小池老師が言いたかったのは、勉強を続けて物知り顔をしたバカになるのではなく、それを超えた「大バカ」になれ、ということでした。
どうせ勉強するなら、20年かかるくらい思いっきりやって、大バカを目指そうと。そういう趣旨だったそうです。
夢中でやり続けないと、物事は変わらない
いろんなことをやりきるには、夢中になってずっと取り組んでいくことがすごく大切なんだと思います。
何事も一生懸命やるのは真面目でいいことだと言われますよね。でも、そこで終わりじゃない。
本当にこだわってこだわって、やり続けてやり続けて、周りから大バカだと言われるくらいやること。
それくらいやらないと、自分自身も、物事も変わらない。大きな成果は出ないんじゃないかと、私はこの言葉をそう理解したんですね。
どうせ何かに取り組むなら、大バカを目指さないと面白くないと、思わされました。
普通にやっていたら、難しい課題は解決しない
いま、いろいろ難しい世の中ですよね。
私が興味を持っているお寺のことも、そこから始まったまちのことも、そうです。
ものすごいスピードで人口が減っていく。地方から人が減る。檀家が減る。拡大しすぎたインフラをどうするのか。大きなお堂や境内の広い庭をどうするのか。縮退の時代に入った私たちにとって避けては通れない課題です。
そういう大きな話から身近なお寺のことまで、大きな困難をなんとかしようと思ったら、普通にやっていたんじゃどうしようもないように思えます。
普通にやって解決するなら、とっくに問題になっていないはずなんです。
だからこそ、大バカになるくらいやらないと、これからの難しい課題は解決できないんじゃないかと思います。
バカから大バカへ、どう突き抜けるか
ただ、大バカになるって大変なんですよね。
ちょっと勉強して物知り顔をしたバカには、簡単になれます。今の私はどちらかというと、こっちバカです。
ここを抜けて、どう大バカになれるか。それが問われているなと、久々にこの言葉を思い出しました。
発信活動を最近増やしているのも、バカからなんとか大バカにならなきゃいけないな、と思ってのことです。
音声配信も1000回続けましたが、まだまだです。ありがたい声やご縁もいただいて、私にはもったいないくらいの状況になっているんですが、それでも大バカを目指してやっていきたいという意欲が、私にはあります。
まとめ
バカと大バカの尺度は人それぞれかもしれません。でも、どうせやるなら大きなやる気を出して、大バカを目指していきたい。そう思っています。
- 「みかん大バカ二十年」は、物知り顔のただのバカを超えて夢中でやり続けろ、という励ましの言葉
- 普通にやっていて解決するなら、とっくに問題になっていない。だから大バカになるくらいやる必要がある。
- 物知り顔のバカから、どう大バカへ抜けるか。


