そもそも事業承継とは何を継ぐことなのか
番組は、京都と鹿児島の老舗企業を継ぐ後継ぎ経営者2人が、事業承継と経営の「綺麗事じゃない現実」を語るものです。
この回のテーマは事業承継です。まだ承継していない柳本さんと、すでに承継を終えた小平さんという立場の違いから話が進みます。
小平さんは、承継には3つの側面があると整理します。株式、社長という立場、そして「ソースの承継」です。
株式の承継
会社の所有権を引き継ぐ
役割(社長)の承継
社長という立場を引き継ぐ
ソースの承継
会社のパワーの源、中心としての存在感を引き継ぐ
社長にもなってるし、株式も取ったし、今誰の会社と言われたらみんな僕の会社と言えるので、基本ちゃんと終わったなと思ってます。大変でした。
28歳で呼び戻され、31歳で社長になった経緯
小平さんは28歳のとき、東京で農業の企業参入コンサルの会社をやっていました。父から「帰ってこないか」と言われた際に、農業事業部を作るなら帰ると答えたところ、翌日には父が本当に事業部を作ってしまったといいます。
完全に理由を作られたんですね。
帰るとすぐ副社長になり、2、3年後に中長期計画を発表すると、その場で「社長だ」と言われて社長に就任します。31歳ごろのことでした。
ただ、役員も社員も全員が父の「子分」だったため、社長になっても実際には動かせなかったといいます。会議も、みんなが立って父が「うん」「頑張れ」と応じるだけの形式的なものだったと振り返ります。
そのため小平さんは新規事業や海外事業、貿易部門の役員などに関わり、さらに自分で農業ITの会社を東京で立ち上げ、資金調達も行いながら、片足を家業に置く状態を約10年続けました。
その後、首のヘルニアの手術で1年ほどリタイアすることになります。復帰したら会社が「むちゃくちゃ」になっており、ここから本格的に立て直しに入りました。
株式を父から全て譲り受け、会社の改革を一気に進めたのが2022年ごろ。これが本当の意味での事業承継だったと話します。
早すぎる社長就任と、親子ゆえのコミュニケーションの壁
これから承継する立場の柳本さんが、「失敗したこと」や「こうしておけばよかったこと」を尋ねます。
小平さんがまず挙げたのは、親子のコミュニケーションの難しさです。上司である前に父親なので、感情的になってしまい、きちんと向き合って話すハードルが高いといいます。
すぐになんかすごい、腹立つじゃないですか、親って。
そこで小平さんが承継する人に勧めているのが、第三者を入れて話す時間を作ることです。コミュニケーションカウンセラーやコーチのような、関係のない人を交えて話すことが大事だと語ります。
本音を言えないまま、先代が銀行の支店長に文句を言い、それが子どもに伝わって傷つく、といったこともよくある話だといいます。
もう1つの反省が、社長になるのが早すぎたことです。能力はあったものの、老舗企業を率いるには31歳は早かったと振り返ります。
自分と同質性の高い社員ばかりならやれたが、そうでない多くの社員をどう束ねてコミュニケーションするかは、当時の自分には難しかったといいます。
第三者を入れる難しさと、家族という関係の複雑さ
柳本さんも、親子だからこそ会社の話に家族の話が混ざり、自分たちだけではコントロールできないと共感します。ただ、第三者を入れることを先代が嫌がる問題もあると指摘します。
後継ぎ側から第三者を呼ぶと、「こちらが仕掛けているのでは」と受け取られかねない難しさもあります。
小平さんは、来年グループ会社と合併する実例を挙げます。合併相手である太陽ガスの社長は父の弟にあたり、仕事の話をほとんどしたことがない関係です。
相手が知りたいのは戦略よりも「この人物が信頼できるか」だといいます。そこで、間に弟に入ってもらい、対話をファシリテーションしてもらう会を設ける予定だと話します。
理想は、お互いが知っていて信頼できる第三者に頼めることだと2人は確認します。事業承継系のコーチや後継ぎコンサルのような人が、組織論を理解した上でサポートしてくれることが大事だといいます。
家業への意識と、代々続く「承継の失敗」
話は「家を継ぐ」という感覚に移ります。柳本さんは、会社を継ぐと意識したのは小学生ごろだったと明かします。
7代目として「柳本家を継げ」「会社を守れ」というプレッシャーを、親からではなく親戚から向けられていたといいます。長男であることも大きかったと振り返ります。
一方、小平さんの家は継ぐ前提ではなく、本人は脳科学の研究者を目指していました。家族の仲がよく、家では仕事の話をしないことを徹底しているといいます。
誕生日ごとにプレゼントを送り合い、年に10回ほど飲み会があるほど関係は良好です。加えて、家族全員があまり仕事好きではなく、骨肉の争いが存在しないと語ります。
僕もお金さえくれたらいつでも辞めるって言ってるので、骨肉の争いが存在しないという。
柳本家は毎世代のように争いが起きているといいます。小平家も、2代目と3代目が喧嘩して会社が2つに分裂した歴史があり、来年の合併はそれが再び1つになる話でもあります。
柳本家も、かつて柳本製作所として800〜900人規模まで大きくなったものの、労働紛争などを経て会社が10個以上に分かれた歴史を持ちます。その1つが今の会社です。
小平さんは、承継がうまくいくパターンとして、後継ぎがその会社で働かなくても食べていける場合を挙げます。会社をATMのように考えて執着する人がいると面倒になるといいます。
覚悟が決まった「第四創業」と、先代が引いた瞬間
1つ目の質問として、柳本さんは「継ぐと決まったときの覚悟」を尋ねます。
小平さんは、覚悟が決まった局面は2回あったと答えます。社長にされた最初の時点では覚悟はなく、その後の10年間は「コンサル的な気分」で関わっていたといいます。
覚悟が決まったのは、会社が危機に陥り「第四創業」を始めた3年ほど前です。ついてこられないなら社員が全員辞めてもいい、というくらいの気持ちで臨んだと語ります。
背景には先代との関係があります。父は1985年から2005年ごろまで会社を100億円近くまで拡大した優秀な経営者でした。
しかし一段落した後は会社への関与が薄れ、月2回の会議に出る程度になります。その約15年で、社会の進化との乖離が生まれたといいます。
改革を進める中で、父の腹心の部下を退職に追い込むような場面もあり、父が泣きつかれて出てくることもありました。そして一番大きな衝突が起きます。
父にとって社員は「家族」でしたが、小平さんは会社を船、社員を船員ととらえ直しました。貢献できない人には降りてもらうという定義の変化を、父は「家族に対してひどい」と受け取ったのです。
30分ほど言い合った末に、小平さんが「全部自分が責任を取っているのだから全て任せろ」と言った瞬間から、父はぱったりと口を出さなくなりました。これがソースの承継のタイミングだったと振り返ります。
儀式が承継を完結させる|セレモニーとツールの役割
もう1つ、象徴的な出来事がありました。最初の全社集会で理念と方針を発表した際、役員にトークを振る場面で、小平さんはあえて父を飛ばしたのです。
その様子は社員に強く印象づけられ、感想アンケートには「今日がカンタ社長が社長になった日でしたね」と書いた社員もいたといいます。
口喧嘩も含め、何かのイベントを通じてソースの承継が完結すると小平さんは感じています。代替わりの挨拶のような機会が1つあるだけで、働く人も気持ちを切り替えられると2人は話します。
柳本さんは、小平さんが作っていたパンフレットや冊子、マップにも触れます。それらは「カンタ色」を強めるツールの一面もあったのかと尋ねます。
小平さんは、昔のコマンダー型(命令する将軍型)の経営から、大きな方向性を決めて自律的に動ける仕組みへ変える必要があると語ります。その方向性がミッション・ビジョン・バリューです。
ただ理念は作っただけでは全員が忘れてしまうため、持ち歩くパンフレットや小冊子にし、人事評価にもバリュー評価を反映して、方向性を意識づけているといいます。
親分が子分に命令するコマンダー型。社員は家族と定義され、指示待ちで動く
理念をベースに役割を分担し、自律的に動く。ツールや評価で方向性を意識づける
個人最適でなく全体最適|社長就任直後にやったこと
柳本さんは、行動指針を単なるお題目にせず「普段使い」できるようにする重要性に共感します。小平さんも、バリューは使い方次第で非常に使えるものだと応じます。
3つ目の質問として、社長になって最初にやってよかったことを尋ねます。
小平さんがまず手をつけたのは情報流通の改善でした。当時はメールアドレスもSlackもなく、疑心暗鬼から噂文化ができていたため、DXによる土壌づくりから始めたといいます。
発表すれば必ず不安が広がるため、その後に全社員面談を行い、出てきた不安に対して社長目線の正しい情報を流し続ける。このサイクルを月ごとに連続で回したのがよかったといいます。
その進め方は個人最適でなく全体最適だと柳本さんは指摘します。声の大きい人の意見だけを解決すると、他から不満が出るからです。
小平さんは、組織サーベイの数字をベースに、面談で定性的な裏付けを取ってから会社を変えると、うまく回り始めると説明します。
うるさい人には理屈でねじ伏せると小平さんは言います。行動規範があると「その言い方は自分のことしか考えていないのでは」と示せるのが、バリューの良いところだといいます。
さらに合併にあたっては、創業から113年分の歴史を読み返し、長い模造紙に付箋で貼り出したといいます。そこから生まれた言葉や、祖父や父が使っていた言葉をバリューに入れると、経営の連続性と安心感が増すと勧めます。
ソースの承継はどう設計するのか
最後に、序盤で出た「株・役割・ソース」の構造を、より具体的に掘り下げます。
小平さんは、事業承継を単一のステップで考えるのは難しいといいます。肩書きを変えても社長の自覚がない、株をもらっても社長の顔をしていない、といったことはよくあるからです。
その中心にあるのがソースの承継です。楽天が今も三木谷さんの会社、ソフトバンクが孫さんの会社と見られるように、渡すのが難しい「組織の中心の意向」だと説明します。
これは往々にしてセレモニー的な儀式を通じて行われますが、設計はケースバイケースで、まだ定型化されていないといいます。ただ「大体こういうことがある瞬間」は存在すると語ります。
ソースの承継をするにあたって、何か準備のようなものはあったのか
自分の場合は、会社の舵取りを誰がしているかという明確な変更が先にあった。ミッション・ビジョン・バリューの変更があったことで、ソースの承継もスムーズに行ったのではないかと考えている。
柳本さんは、人事制度やDXがソースの承継のきっかけになり得るのではと問います。小平さんも、誰が最終承認者か、誰が人事評価を行うか、誰が会議をファシリテーションするかで「誰を向くか」が変わると同意します。
意思決定に先代が入り続けたり、銀行借入に先代の連帯保証が必要だったりすると、ソースの承継は難しくなります。社長が会長に上がっても結局会長に聞かないと決まらないのは、役割は継げてもソースが継げていない状態だといいます。
小平さんは、次の承継先について、大きな会社のピンチを克服するプロジェクトを主導した人がなるのではと語ります。自分自身も、会社が危機に陥ったときに大きく変え、その中でプレゼンスが上がってソースを継いだと振り返ります。
これから承継する人へのアドバイス
最後に、これから承継する人へのアドバイスを尋ねます。
1つ目は、序盤にも出た通り、親と第三者を入れたコミュニケーションの時間を定期的に取ることです。
2つ目は、理念や理想を言語化し、先代を一対一の親子ではなく、理想を実現するための同志としてリポジションすることです。
よくあるのが「親父はこれもできていない」と否定してしまうことだといいます。しかし先代の会社を変えるのは、先代の否定ではありません。
人事制度や採用戦略がなかったのは、当時は人が採れ、人が余っていたからで、その時代には正しい選択だったと小平さんは語ります。会社が続いている以上、当時の選択はある程度正しかったのです。
だからこそ、変革は否定ではなく環境変化への対応だと定義づけ、リスペクトを持って古いやり方から卒業する。そうすると先代にも通じやすいといいます。
柳本さんも、先代と後継ぎは社長と後継ぎである前に家族でもあるとまとめ、そこをうまくやらないとうまくいくものもいかないと締めくくりました。
まとめ
事業承継は、株式・役割・ソースの3層で考えると全体像がつかみやすくなります。中でも「ソースの承継」は儀式や衝突といった印象的な瞬間を通じて完結し、その前提として理念や意思決定の仕組みを整えることが鍵になると語られました。
- 事業承継は株式・役割・ソースの3つを継ぐことであり、社長になってもソースは自動でついてこない
- 親子は感情的になりやすいため、信頼できる第三者を入れたコミュニケーションの時間を定期的に取るとよい
- 能力があっても老舗を率いるには早すぎる就任はリスクがあり、承継にはワンクッションがあってよい
- ソースの承継は、意思決定・人事・理念の主導権が移る「印象的な瞬間」やセレモニーを通じて完結する
- 先代を否定するのではなく、変革を環境変化への対応と定義し、同志としてリスペクトを持って古いやり方から卒業する





