少数のエリートが率いる国、共和政ローマとは?
前回はローマの起こりを扱いました。今回のコテンラジオは、ローマの特徴や制度を掘り下げる回です。最初のテーマは、ローマの「共和政」とは何かという点です。
楊さんは、ローマの共和政を「少数のエリートによる集団指導体制」とまとめます。官僚が何十万人もいたはずの漢帝国とは逆で、ローマの政務官の数はとても少なく、小さな政府で運営されていたといいます。
(ローマの共和制は)一言で言うと、少数のエリートによる集団指導体制をとってて。漢帝国と全く逆だよね。
中心にある機関が元老院 ── ラテン語でセナトゥス。古代ローマで貴族や政務官経験者が議員を務めた会議体です。もとは王に助言する機関でしたです。元老院は政務官の経験者で構成される諮問機関で、王政の時代から貴族が王に意見を伝える場として置かれていました。王がいなくなったことで、元老院がローマの中枢を占めるようになります。
形のうえでの最高権力者はコンスル ── 日本語では執政官。共和政ローマで最も高い官職で、定員は2名、任期は1年でしたです。ただ、コンスルの2名は多くの場合元老院から出てきます。任期は1年で、独裁を防ぐために連続して務めることも原則できません。
一方、元老院の議員は終身です。そのため、1年で交代するコンスルは元老院に気を使うことになります。楊さんによると、実質上の最高権力は元老院にあるという点が共和政ローマの特徴です。
最高権力ではないんだけれども、実質上の最高権力は実は元老院っていうのが共和制ローマの特徴なんですよ。
変な感じ。
樋口さんは、元老院の議員が終身であるため経験が積み重なり、エリート集団と見られていたと補足します。民衆が民会で投票するときも、元老院がその案に賛成か反対かが大きな判断材料になっていたといいます。
元老院の力の源、パトローヌスとクリエンテス
元老院がなぜそこまで強いのか。楊さんはその理由として、パトローヌス ── 古代ローマで平民の面倒を見た有力者。英語のパトロンの語源ですとクリエンテス ── パトローヌスに庇護された平民。英語のクライアントの語源ですという関係を挙げます。
パトローヌスは基本的に貴族です。貴族が平民の面倒を見て、面倒を見てもらった平民はパトローヌスのために働きます。楊さんはこの関係を、主従関係とも師弟関係とも違い、「ヤクザの舎弟」に近いものだろうと説明します。
どっちかっていうとマフィアの舎弟みたいな、ヤクザの舎弟みたいなのに多分近いと思いますけど。
元老院の議員は大量のクリエンテスを抱えていて、票をどこに入れるかを指示できます。楊さんは、元老院の「権威」とは、具体的にはクリエンテスを多く持っていることだと言います。お金を持っているほど持っている票数が大きい制度だったとも説明しています。
楊さんは、今の民主主義との違いを「人権の概念がない」点に見ています。現代の民主主義では一票の重みが同じですが、ローマでは国家に貢献している貴族やお金持ちのほうが国を動かしてよい、と考えられていたといいます。
僕たちは人権が平等だという概念から今の民主主義ができていて、一票一票が全部同じ重みです。この人たちはそうじゃない。
楊さんによると、ローマには表に出る制度上の結びつきと、裏にあるパトローヌスとクリエンテスの関係という、2つの人脈のシステムが同時に走っていました。この関係は、後の話にも何度も出てくる重要な概念だとされています。
コンスル、政務官、護民官。権力はどう分かれていたのか
楊さんは、元老院以外の役職も整理します。元老院の定員は300人ほどで、任期は終身、基本的に貴族から選ばれます。元老院とは別に政務官がいて、コンスルを頂点とする序列がありました。
政務官の役職は次のように紹介されています。どの役職も任期は1年で、そのたびに選ばれ直します。
| 役職(ラテン語) | 日本語 | 担当 |
|---|---|---|
| コンスル | 執政官 | 最高位の政務官(2名) |
| プラエトル | 法務官 | 司法 |
| アエディリス | 造幣官 | 治安やお祭り |
| クアエストル | 財務官 | 国庫の管理、属州の財務 |
下の役職ほど、必ずしも元老院から出るわけではありません。クアエストルは元老院に入るための入り口のような役職だといいます。最初は貴族しかなれなかったものの、途中から平民もなれるようになりました。
もう1つ重要な役職が護民官 ── ラテン語でトリブヌス・プレビス。平民の権利を守るため、政務官の決定に拒否権を持った役職ですです。平民の権利を守るために、コンスルが決めたことに拒否権を発動できる人たちでした。
だからすごくない?二千何百年前の時点で、すごい制度だよね。
元老院、政務官、護民官、そして民会が絶妙なバランスを保っていました。ただし主導権を握っていたのは元老院です。政務官は元老院から出てきて、政務官を経た人は元老院に入り、民会の人々はクリエンテスとして元老院議員に握られていたからです。
楊さんは、これが王政が終わった初期のローマの状況だと話します。そして、元老院が握っていた構図が崩れ、最後にカエサルが覆すというのが今回のシリーズの流れだと予告しています。
ギリシャ民主制は50年、ローマ共和政は500年。差を生んだものは?
楊さんは、同じ時期のギリシャの民主制と比べます。ギリシャは市民が自分で投票に行く直接民主制で、アテネ市民同士などは比較的平等でした。一方のローマには貴族がいて、すごく身分の強い社会でした。
ギリシャの民主制とローマの共和政は、ほぼ同じ時期に始まったといいます。それでも、続いた長さが大きく違いました。
直接民主制で、市民同士は比較的平等。優秀な政治家が民衆に迎合しているうちは機能したが、およそ50年で機能しなくなる
貴族のいる身分社会。元老院が強く、民衆の言いなりにならないが独裁制でもない。およそ500年ほぼうまく機能する
楊さんは、ギリシャがうまくいっていた時期には優秀な政治家が民衆を説得していたと説明します。けれど、人気をとるために民衆の言いなりになり始めてから、ギリシャの民主制はダメになっていったといいます。
ちょっとコントロールされた民主制みたいな感じだよね。
樋口さんは、民主主義の矛盾にも触れます。たくさんの人が意見を言うことが民主主義の理想でも、意見が増えるほど、それを取りまとめる強い力を持った個人が必要になるというのです。
楊さんは、ギリシャがうまくいっていた時期の指導者としてテミストクレス ── 古代アテネの政治家・軍人。ペルシャ戦争のサラミスの海戦で知られますやクレイステネスを挙げます。彼らは国にとって中長期的に必要なことを、民衆が反対していても信頼関係の中で説得できました。
でもこれを見て僕は学んだことっていうのは、民主主義の特徴って政治家が民衆を説得できないと機能しないんだろうなとは思った。
ただし、説得できる人がいるかどうかは属人的な問題です。ギリシャには、人に頼ってうまくいった時期と、人に頼ってダメになった時期が訪れました。楊さんは、ローマはそれをシステムで防いでいたと話します。
樋口さんは、ローマはギリシャの状況を知っていたのではないかと推測します。優秀な一人の登場を待つのはリスクが大きいため、元老院を人材プールにして、その中から期間限定の強い権力者を出す現実的な仕組みを選んだのかもしれない、という見方です。
楊さんは、詳細な記録は残っていないものの、仕組みができるまでには試行錯誤があったはずだと話します。その後のギリシャは、スパルタとアテネの戦いを経て衰え、アレクサンドロスが統一し、やがてローマにつながっていきます。
領土が広がるほど平民が貧しくなる、共和政の初期欠陥
楊さんは、うまく機能していた共和政にも大きな課題があったと話します。それが、身分が分かれていることから生まれる平民と貴族の軋轢です。
ローマはとても多くの戦争をして大きくなりました。平民は兵士として戦争に参加しますが、普段は農業をしています。男手が戦争に出ると、女性や子ども、老人だけで畑を耕すことになり、硬い土地は耕せなくなってしまいます。
一方で貴族は、新しく獲得した土地から税金などの利益を得て、その配分にも関わるため、豊かになっていきます。こうしてローマが大きくなるほど、平民と貴族の格差が広がる構図が生まれました。
戦争で領土拡大
平民が兵士として参加し、畑の人手が足りなくなる
格差の拡大
平民は貧しくなり、貴族は新しい土地の利益で豊かになる
身分闘争
平民は兵士として行かないというストライキで対抗する
権利の獲得
護民官が生まれ、コンスルの1人を平民から出すなど重要ポストが開かれる
身分闘争で強かったのは平民の側でした。外敵に攻められているときに兵士にストライキをされたら、国が滅びてしまうからです。護民官も、この階級闘争の過程で生まれた役職だといいます。
その結果、平民からも優れた人物が出てくるようになります。楊さんは、ポンペイウスやクラッスス、グラックス兄弟が平民出身だと紹介しています。カエサルは貴族出身ですが、平民出身のキーパーソンも多く登場するといいます。
樋口さんは、平民に出世のルートが開かれたことで、軍功を立てれば戦利品や土地がもらえるようになり、社会の活力が高まった面もあると補足します。
楊さんは、国はできた時点で滅びる理由がすでに決まっていると話します。ローマの場合、それが平民と貴族の階級闘争でした。そして、この階級闘争を乗り越えさせたのがカエサルだといいます。
国ってその国ができた時に滅びる理由がもう決まってるんですよね。ローマの場合はまさにここだったわけですな。
法律と市民権、ローマの強さはどこから来たのか
本来はハンニバルやポエニ戦争、ケルト人の襲来も扱う予定でしたが、話が長くなるため別シリーズに回すことになりました。ここから楊さんは、ローマの強さの理由をいくつも挙げていきます。本によって7〜8割は一致するものの、少しずつ違うといいます。
1つ目は法律です。ローマ人は法律をとても大事にしていて、暗記もしていたといいます。代表的なのが十二表法 ── 紀元前5世紀に制定された古代ローマ最古の成文法。12枚の板に刻まれたことから、この名で呼ばれますです。
平民と貴族の権力闘争も、法律を出して制度を変えるという形で解決していきました。そのためローマはとても規律が整っていて、法律から外れることを基本的に避けたといいます。
樋口さんは、背景に軍事があるのではないかと考えます。大きな軍事組織を動かすにはマニュアルやルール作りが必要になるため、戦争を通じてルールで決める文化が育ったのかもしれない、という見方です。
楊さんはこの見方に一部同意しつつ、集団戦法はギリシャも同じだったと指摘します。集団戦法だけでなく、ローマ人が元から持っていた気質とうまく噛み合い、偶然にも非常に強い気質が育ったのではないかと話しています。
2つ目はローマ市民権を幅広く与えたことです。スパルタ人もアテネ人も、他の人に自国の市民になってよいとは絶対に言いませんでした。ところがローマ人は市民権を与えたのです。
要するに日本に一度も来たことがない、例えば中国人に日本国籍をやるようなもん。それと一緒です。
楊さんは、ローマ人の国家アイデンティティは柔軟で排他的ではなかったと話します。そこにローマが外部リソースを使うのがうまい理由があり、最もうまかったのがカエサルだといいます。違う文化の人々と共有できるフォーマットを作るという点で、今のEUと似た部分があるとも述べています。
ローマで内紛が少なかったのはなぜか
3つ目の強さは、内紛が比較的少なかったことです。階級闘争はあっても、ローマは他の国よりも一致団結していたといいます。会社経営の目線でも、内紛のない組織は強いと楊さんは話します。
楊さんは、パトローヌスとクリエンテスの関係が関わっていると考えます。内紛は決定的な断絶から生まれます。けれどローマでは、政治家と平民がプライベートな関係で複雑につながっているため、対立しても決定的な断絶になりにくかったといいます。
喧嘩はするけれども、相手を殺しきれないという。
楊さんはここから、まだ検証していない「精度の低い仮説」を語ります。人が1つのピラミッド型の権力構造ではなく、複数の権力構造に組み込まれていると、対立がシンプルになりにくいという考えです。
例として挙げられたのが、労働組合と会社、中世ヨーロッパの領主とローマ教皇です。自分も相手も複数の構造に属していれば、一方で分裂していてももう一方ではつながっているため、全体が分裂しにくくなるといいます。楊さんは、リスナー自身の実体験と照らした意見も求めています。
「ローマのために死ねる」帰属意識の強さ
4つ目は、国に対する強い帰属意識です。楊さんは、侍に近いかもしれないとしたうえで、ローマ人は平気でローマのために死ねたと話します。
背景として挙げられたのが、農耕民族として自分たちの土地を守るという意識です。楊さんは、ローマは国防を外注していなかったと説明します。外から攻められたら平民も貴族も一緒に武器を取って戦う、という意識が強かったと考えられています。
哲学が発達したギリシャ人は個人の感覚が強めでした。一方のローマ人は、公益にどれだけ貢献できるかを大切にしていたといいます。楊さんは、そこが日本人に近いと話しています。
その象徴が「父祖の遺風」です。祖父や父などの先祖の功績を丸暗記して語り継ぎ、食事中の家族の会話にもよく出てきたといいます。先祖の武勇伝がローマ人のアイデンティティの一部になっていて、互いにマウントを取り合うこともあったそうです。
最大の強みは問題抽出力と優先度付け
最後に楊さんが「一番大事」と挙げたのが、問題抽出力と課題の優先度付けです。世界史を学んだ中でトップだと評価するほどの強みだといいます。
ローマ人は負けた将軍を罰さず、人のせいにしませんでした。負けた人はもう十分にプライドが傷ついていて、ローマのために頑張ったのだから、それでよいと考えたといいます。そのうえで何がダメだったかを客観的に分析し、何十年かかっても改善しようとしました。
ローマは最初から強かったわけではなく、ケルト人に負けたりして何度か滅びかけています。楊さんは、盛り返したあとの反省する力と改革する力が立派だと話します。PDCAでいえば、特にチェックとアクションが強かったといいます。
楊さんは、人のせいにすることは因果関係として簡単で、間違ってもいないと話します。人のせいにせず要素に分けて考えることは難しいのに、ローマ人はそれが基本の姿勢だったというのです。
なぜそれができたのかについて、楊さんは感情的にならなかったからではないと話します。負けたのが悔しすぎて、逆に客観的になったのではないかという見方です。
自分が悔しくて、自分の名誉が傷つけられて、自分が回復したいじゃないんですよ、多分。
ローマ人の名誉が傷つけられたから、このローマをどうするかって考えた時に、客観的な方に突入していくんだと思います。
議論の中では、バスケットボールでシュートが外れたときに右手のせいにして切り落とすのではなく、チームとしてどう勝つかを考える、というたとえも出ました。自分ではなくローマを主語にして考えていたことが、ローマの反省力につながったと考えられます。
時間の都合で詳しくは語られませんでしたが、他の強みとして、信仰心が熱いこと、軍紀が厳格であること、ローマ連合が挙げられました。負けたときに神への祈りが足りなかったと考えるのも、自責の一つの向きだといいます。
まとめ
今回のコテンラジオでは、元老院が実権を握る共和政ローマの仕組みと、その強さの理由が整理されました。法律、柔軟な市民権、内紛の少なさ、帰属意識に加えて、最大の強みとされたのは、負けから学んで制度を変える力でした。
- 共和政ローマでは、形の上の最高権力者はコンスルでも、実権は終身の元老院が握っていた
- 元老院の力の源は、平民を票で動かせるパトローヌスとクリエンテスの関係だった
- ギリシャの民主制が属人的に崩れたのに対し、ローマの共和政は仕組みで約500年機能した
- 平民と貴族の階級闘争はローマの初期欠陥で、それを乗り越えさせたのがカエサルだとされる
- ローマの最大の強みは、人のせいにせず負けを分析し、制度レベルで改善する問題抽出力だった





