ハンニバルに勝ったローマは、なぜ貧富の差を広げたのか
この回は、共和政へ移行して拡大を続けるローマの続きです。征服地が広がったことで社会にひずみが生まれ、貴族と平民の差が開いていった経緯が詳しく語られます。
きっかけは、カルタゴの名将ハンニバル ── 紀元前3世紀のカルタゴの将軍。象を連れてアルプスを越えイタリアに侵攻し、ローマを滅亡寸前まで追い込んだことで知られますの侵攻です。ローマは一度滅びかけながらも追い返し、カルタゴを倒して、イタリア半島だけでなく地中海全域を支配するようになります。
ハンニバルとの戦いは緊急事態だったため、ローマは外交権、人事権、司法権、財政権などを元老院 ── 古代ローマの貴族を中心とする議会。議員は終身制で、共和政ローマの政治の中心を担いましたに集中させました。番組では、この結果として元老院が「調子に乗る」と表現されています。
一回元老院の議員になれば終身制じゃないですか。これはメリットとしては経験値が溜まっていくのがメリットなんですけども、デメリットとしては既得権益化するデメリットがあるんですよね。
番組では、権力が一か所に集まり既得権益化する現象は、どの組織や王朝でも起こる再現性のあるものとして語られます。そしてその結果として、ローマでは貧富の差が拡大していきました。
貧富の差が拡大すると必ず社会不安になるんですよ。必ずおかしくなるんです。
ローマの貧富の差は、いくつもの要因が連鎖して広がりました。新しい領土から得た富の分配を元老院が握り、富は貴族へ流れます。一方で平民は、スペインのヒスパニアやフランスのガリアのような遠方へ何年も遠征し、その間に故郷の農業ができず貧しくなっていきました。
さらに貴族は、新しい領土から安く手に入れた奴隷に農業や小作の仕事をさせ、大農園を経営します。平民は仕事まで奪われ、ある日ついに「こんなにローマのために戦ったのに」とキレることになります。
領土拡大
地中海全域を支配し、新しい領土から富が入るようになる
元老院が分配を握る
増えた収入が貴族の側に流れていく
平民の長期遠征
何年も帰れず農業ができないため、実家が貧しくなる
奴隷による仕事の独占
貴族が安い奴隷で大農園を経営し、平民の仕事がなくなる
平民の怒り
ローマのために戦った平民が不満を爆発させる
グラックス兄弟の兄ティベリウスは何に火をつけたのか
平民の怒りを代弁し、先導する存在として現れたのがグラックス兄弟 ── 紀元前2世紀のローマの政治家兄弟。兄ティベリウスと弟ガイウスが護民官として土地改革などを進めましたが、どちらも非業の死を遂げましたです。楊さんは、世界史上では「バカ」とまで書かれるほど評価されていない兄弟を、すごい人たちだと考えています。
グラックス兄弟が登場した背景には、農地を失い都市に流れ込んだ市民の存在があります。仕事は奴隷に奪われていても、無産市民は選挙権を持っているため、元老院も無視できなくなっていました。
兄のティベリウス・グラックスは30歳で護民官 ── 平民を守るための役職。最高権力者である執政官(コンスル)に拒否権を発動でき、法案の提出もできましたに就任し、土地改革に着手します。貴族の大土地所有に上限を設け、余った土地を土地を持たない市民に渡そうとしました。
資産の再分配みたいな感じですね。
当然、特権を削られる元老院は反発します。ティベリウスは若く政治力もなく、バランスを取らずに突っ込んだため、元老院は彼を殺してしまいます。それまでローマ人同士が政争で殺し合うことはほとんどありませんでした。
番組では、この事件によって、ローマの政治で問題を解決する1つのルートとして暴力が登場したと語られます。楊さんはティベリウスに吉田松陰を重ね、彼が最初に突っ込んで前例を作ったからこそ、後の人がバランスを取れたのだと見ています。
弟ガイウスはなぜ兄と同じ道をたどったのか
ティベリウスの9歳下の弟ガイウス・グラックスも、30歳で護民官になります。ところが兄と同じことをして殺されてしまい、楊さんは「学ばない」ところがとても面白いと話しています。
ガイウスの政策は多岐にわたりました。農地改革の再実施、公共事業による雇用政策、失業者への安価な小麦の配給などで、樋口さんは「生活保護に近い」と受け止めています。
ガイウスはさらに、ローマ市民権をより広い範囲の人々に与えようとしました。周辺の人々もローマのために軍隊を送っているのに権利がない状態はおかしい、と見抜いていたというのが番組の説明です。この市民権の拡大は、最終的にカエサルが実現させることになります。
ガイウスは先立ってこれ(市民権の拡大)をやろうとするんですよ。お兄さんが殺されてるのを見てるのに。
ガイウスは元老院から嫌われすぎた結果、「元老院最終勧告」を出されます。番組では、国家反逆罪のような扱いで、法の保護の範囲外に置かれ、誰が殺しても罪に問われない状態になると説明されています。ガイウスはこの勧告を受けて自殺しました。
兄弟の母はシングルマザーで2人を育てていました。母は晩年、ガイウスに「頼むからやめて、死ぬから」という趣旨の手紙を送っていたといいます。それでも楊さんは、この兄弟がいたから歴史が変わったと語ります。
英雄マリウスの軍制改革は何を救ったのか
グラックス兄弟の改革は、本人たちが殺されて政策が実行されず、失敗に終わります。元老院は既得権益を守れましたが、その代わりにローマ自体が弱くなっていきました。
当時のローマ兵は装備を自腹で揃える必要がありましたが、平民が貧しくなり装備を買えなくなります。しかも戦争は防衛ではなく遠方での侵略戦争になり、行けば生活が悪くなるため、戦う意欲も湧きません。こうしてローマ軍は弱体化し、北からの侵入や北アフリカでの戦いで負け始めます。
元老院が賄賂などで腐敗していくなか登場したのが、ガイウス・マリウス将軍です。マリウスは地方都市の出身で、平民の中でも騎士階級 ── 馬を用意できる裕福な平民層。番組では「ナイト」というより、ビジネスマンや社長に近い存在と説明されていますの出身でした。
マリウスは有能な兵士として出世し、政略結婚でカエサルのおばと結婚します。カエサルのユリウス家は名家で、マリウスはカエサルのおじにあたる人物になりました。そして護民官から出世を重ね、ついにコンスルまで上り詰めます。
弱くなったローマで滅ぼされようとしてた、その滅ぼされようとするローマを守ってくれた人だから。もうなんかワールドカップで優勝したサッカーチームよりも英雄になれるわけですよ。
マリウスが行ったのは、兵士に給料を払う軍制改革でした。それまで兵役は税金のような義務でしたが、戦争がなくても給料で生きていける職業にしたのです。番組では、カエサルが世に出られたのは、このマリウスがおじだったことが大きいとも語られています。
土地を持たない市民に、大土地所有の上限で余った土地を渡そうとした。元老院の反発で殺され、実行されなかった
失業者を職業軍人にして給料を渡した。一定機能し、ローマは持ち直した
兵士が「将軍の私兵」になると何が起きるのか
マリウスの軍制改革でローマは持ち直しますが、番組では、これによってローマ共和政の質そのものが変わってしまったと説明されます。
その給料配分ってね、将軍がやってんだよね。だからみんな将軍の部下っていう気持ちがすごく強くなっていくんですよ。
それまでのローマ軍は、戦争のたびに招集され、終われば解散していました。再び徴兵されても、別の指揮官の下につくのが普通です。しかし職業軍人は志願兵として希望する指揮官の下で戦い、戦利品や退役後の土地の分配を受けるため、指揮官と個人的に結びつくようになりました。
番組では、兵士が将軍のクリエンテス ── 古代ローマの保護者(パトローヌス)と被保護者(クリエンテス)の関係における被保護者側。保護を受ける代わりに支持や奉仕を提供しました、つまり家来のような存在になったと表現されます。ローマの軍から将軍の軍へという変化は、のちにカエサルが元老院を倒す力になっていきます。
兵役は義務で装備は自腹。戦争ごとに招集・解散され、軍は特定の個人のものにならない
給料が出る職業軍人。志願兵が特定の将軍の下で戦い、将軍の私兵のようになる
さらに、この改革はローマの平民には良い制度でしたが、かつて敵でローマに組み込まれた同盟市の人々には適用されませんでした。その結果、今度はローマ市民と同盟市の対立が生まれ、イタリア半島の比較的貧しい人々が一斉に蜂起する同盟市戦争が起こります。
同盟市戦争はカエサルが10歳ぐらいのころの出来事です。ローマは抑え込めず、大幅に譲歩して同盟市の市民にもローマ市民権を与えました。楊さんは、これは30年前にグラックス兄弟が言っていたことで、彼らには先見の明があったと語ります。
元老院派スッラは、なぜ独裁権を握ってすぐ引退したのか
マリウスの平民寄りの政策に対して、今度は揺り戻しが起こります。由緒正しい貴族の生まれで元老院派のスッラが登場し、元老院に有利な方向へ制度を改め直しました。
スッラの考えは、ローマの混乱は元老院の力が弱かったからで、もう一度元老院に権力を集めるべきだ、というものでした。スッラはマリウスが生んだ私兵の仕組みを使い、元老院派でありながら元老院を脅して独裁権を手に入れます。
このとき使われたのが独裁官 ── ディクタトール。独裁者の語源となった役職で、緊急事態にコンスルが任命し、1人に一時的な絶対的権力を与えましたという制度です。番組では、非常事態に1人へ最長半年間の絶対的権力を渡す制度で、スッラはこれを軍の力で半ば脅し取ったと説明されています。
スッラは元老院の議席を増やし、護民官を弱体化させるなどの改革を一気に進めると、任期を残したままさらっと引退しました。楊さんは、スッラは独裁したかったのではなく、共和政を強化するために独裁を使った人物だと見ています。
楊さんによれば、彼らは自分の名誉という概念は強いものの、基本的にはローマのために動いていたといいます。楊さんはスッラのあっさりした引退について、独裁が嫌いなところがローマ人の所以だとも語っています。
振り子のように揺れたローマは、どうカエサルへ突入するのか
楊さんは、スッラ以後のローマについて、カエサルが再び平民の側へ揺り戻し、そのまま一気に突破していくと語ります。そして、その揺れの端緒を作ったのがグラックス兄弟だという見立てです。
こうやって揺れるんですよ。だからめっちゃ揺れて、ぐんぐんぐんって揺れて、パーンって突入するみたいな、そういうその端緒を作ったのがグラックス兄弟ね。
楊さんはこの揺れを「慣性の法則」のように感じるといい、極端な2つの勢力が拮抗する現在のアメリカにも同じことが起こるのではないかと話しています。ただし、どうなるかはわからないとも添えています。
番組では、独裁はカエサルの時代に一瞬で生まれたものではなく、権力が特定の個人に集中する先例が段階的に積み重なった流れだと整理されています。独裁は段階を踏んで生まれたという視点が、この回の大きな着地点です。
スッラとマリウスは軍隊を使ってローマ人同士で殺し合う内乱の前例も作り、最終的には何万人も亡くなったといわれます。カエサルは首がさらされる広場の近くで幼少期を過ごしており、楊さんは、カエサルが内乱の泥沼を嫌っていたのはこの経験の影響ではないかと見ています。
こうして共和政の揺れを追い終え、次回はいよいよカエサルの幼少期から人物像を掘り下げる回へ進みます。
まとめ
ハンニバル戦争後のローマでは元老院への権力集中が貧富の差を生み、グラックス兄弟、マリウス、スッラが次々と改革を試みました。改革のたびに共和政は平民寄りと元老院寄りに揺れ、暴力、私兵、独裁官という前例が積み重なって、カエサルが登場する土台ができていきました。
- ハンニバル戦争後の元老院への権力集中が、貴族と平民の貧富の差を広げた
- グラックス兄弟は殺されたが、政治に暴力を持ち込む前例と、のちに実現する市民権拡大の構想を残した
- マリウスの軍制改革はローマを立て直した一方、兵士を将軍の私兵に変え、同盟市戦争も招いた
- スッラは私兵の力で独裁官となり、元老院寄りに制度を戻してすぐ引退した
- 独裁は一瞬で生まれたのではなく、先例の積み重ねを経てカエサルの時代へつながった





