そもそも「面白さ」はなぜ言葉にしにくいのか
この回のテーマは「面白さって何だろう」です。番組「ボドゲの天下取り」で、ボードゲーム制作者のManaさんが取り上げています。
Manaさんは自身もボードゲームを作る立場から、日々「ボードゲームを通じて面白いと思ってもらいたい」と考えながら創作していると話します。
ただ、面白さはふんわりしていて言葉にしにくいテーマだといいます。どう伝えればいいのか、みんなが何を面白いと感じるのか、答えを出すのは簡単ではないという前提から話は始まります。
作者ごとに「こういうものが面白い」という感覚は違います。それでも紐解けば共通項はあるのではないか、というのがManaさんの見立てです。
今日話すのは、ちょっと私なりのっていうところなので、みんながみんなにフィット、該当しない可能性もあります。
面白さの一段目は「ちゃんと考えられる」こと
Manaさんがまず挙げる面白さの要素は「ちゃんと考えられる」ことです。
ここでいう「考えられる」とは、自分のできるアクションが複数あり、それをもとに推測を立てて予測できる状態を指します。これが面白さの一段目だといいます。
そのうえで、考えた結果が裏切られるところに面白さが生まれる、というのがManaさんの説明です。
こうなるだろうっていうものと違う動きをする、違う結果が出る。この意外性が、やっぱり面白さの原点なのかなと思います。
Manaさんはこの構図をボードゲームに限らず、お笑いにも当てはめます。漫才やコントも、楽しげというより意外性や普段思っていない感性の部分が入ると面白い、と話します。
ツッコミのように「その通りだ」という共感の面白さもあります。一方で「そこに着眼点があるのか」という意外性の面白さもある、とManaさんは整理します。
予測が裏切られる前に「予測する価値」があるか
Manaさんは、予測が裏切られる面白さの前提として「そもそも予測する価値があるか」という点を重視します。
例に挙げるのがじゃんけんです。グーを出すぞ、グーが来たからチョキだ、といろいろ考えても、何も考えなかった場合と勝率がほとんど変わらないといいます。
さらに、完全に運任せのものも挙げます。1から6のダイスを振って出目を当てるだけのゲームは面白いのか、という問いです。
もう祈るとか願うしかないと思うんですよ。1が出ろ、1が出ろ、振った、2だった、うわーとか、そうはならないわけです。
ただし、その出目が他の要因につながり、確率によって立ち回りが変わるところまでいけばゲームになる、とManaさんは補足します。予測や努力が反映されず、ただの運だけになると面白くない、という線引きです。
「作業」になったゲームはなぜつまらないのか
Manaさんは、面白さのもう1つのポイントとして「自分の選択で未来を変えられるか」という選択肢の幅を挙げます。
これはテストプレイでよく起きる問題だといいます。つまらないゲームは「作業になる」と、Manaさん自身も口にするそうです。
具体的には、自分の選択肢が明らかに少ない、あるいは展開が読めすぎて勝つための手がわかりやすすぎる、といった状態です。
それってゲームを終わらせるための手順を、みんなで踏んでいるっていうだけなんですよ。
ターンを回して手札を出すだけの単調な進行になると、裏切りもなく、自分のアクションで未来も変わりません。Manaさんは、こうしたゲームは面白くないと感じられると考えています。
ここまでの話をManaさんはこう整理します。自分によって未来がコントロールできる。さんざん読んだにも関わらず裏切られる。そこに「わー」という面白さが得られる、というものです。
選択肢がある
自分のアクションが複数あり、未来を変えられる
予測する
推測を立てて先を読む。予測する価値があること
裏切られる
予測と違う結果が出る意外性が生まれる
面白い
そこで「わー」という面白さが得られる
パーティーゲームの面白さも「意外性」から
Manaさんは、この面白さの構図は考える系のゲームだけでなく、パーティーゲームにも当てはまると話します。
全く同じ感性の人同士だと「そうだよね」という楽しみ方になります。一方で爆笑や面白さが生まれるのは「なんでそうなんだよ」「まさか」といった意外性からだといいます。
大喜利系や、意図への共感を扱うものもそうだとManaさんは挙げます。自分ならこうだという答えがあるのに、人の答えが違う。その差や違いが面白さになる、という説明です。
普通に考えたらこうだよねっていう予測のもと、他の人が違う当たり前を出してきた、そういう時にやっぱり面白いって感じるんだと思います。
日常のトラブルは苦しいのに、ゲームでは楽しい理由
Manaさんは、意外性の捉え方の難しさにも触れます。日常生活での意外性、つまりトラブルや裏切りは、普通に生きているとなかなか楽しめないといいます。
例に挙げるのが仕事です。予想外のことが起こってトラブルが発生したら、普通に考えてつらいはずだと話します。
ところが同じ意外性でも、ゲームの中では「楽しい展開が生まれた」となります。この違いは何なのか、というのがこのパートの問いです。
だけどゲームで考えると、そういったものは、あ、楽しいゲームの展開が生まれたっていう風になると思います。その違いって何なんだろう。
Manaさんは、その違いを「失敗やトラブルが起こったときに実害があるかどうか」だと考えます。ゲームの中なら楽しいのに、リアルだと楽しめないのはそこにある、という見立てです。
キーワードは「心理的安全性」
Manaさんは、この「実害があるかどうか」を心理的安全性という言葉で表現します。
自分は守られている、安全だっていう立ち位置だからこそ、それが保証されているからこそ、その意外性や裏切りが楽しめるっていうところになるのかなと思います。
例として大富豪の革命を挙げます。日常で天変地異のような出来事があったらたまったものではありませんが、ゲームの中でのルールチェンジは楽しさに通じるといいます。
Manaさんは、それは安全な上で遊びに乗っかっているからだと整理します。遊びの上で成り立つ意外性こそが、面白さのポイントになるという考えです。
お金を賭けても、ボードゲームは面白くならない
Manaさんは、心理的安全性の話をギャンブルとの違いに広げます。ポーカーや麻雀も、ある意味ボードゲームだと捉えたうえで、お金がかかっていなかったらどうか、と考えるそうです。
普通のボードゲームにお金を賭けたら楽しさは増すのか。真剣になるのではないか、という発想もあります。しかしManaさんは、それでは面白くないだろうと結論づけます。
大会の賞金や賞品なら優勝を目指して真摯に向き合えます。一方で実際のお金がかかると、損をしないように、最終的に勝ち越せるか、収支はどうか、といった点にばかり頭が向くといいます。
そうなると、想定外のことはできる限り起こってほしくなくなります。意外性が起きても「最悪だ」という感情にしかならない、というのがManaさんの見立てです。
うわぁ、こうなったか、次どうしよう。楽しいにはならないと思います。
Manaさんは、その理由もやはり心理的安全性の不足だと説明します。負けたら損害を食らう、借金をするとなると、遊びの上に成り立たないため面白さは発生しない、というわけです。
さらにデスゲームものの漫画にも触れます。読んでいると心理描写や人間関係が複雑で面白い。しかし同じルールをリアルでやっても、命がかかっても面白くない、と話します。
制作者としてどこを意識し、これからどこへ向かうか
Manaさんは、ここまでの考察を制作者としての実践に結びつけます。遊びという前提の上で、自分で未来をどれくらいコントロールできるか、予測できるレベルか、十分な裏切りポイントがあるか。ここを押さえたゲームが面白いと言われるはずだ、と話します。
そのコントロールは難しく、作者ごとの得意分野もあるといいます。特に大喜利系やパーティー系は予測が難しいとManaさんは感じています。
プレイする人によって展開や盛り上がりが大きく変わるためです。そこまで予測して演出できるボードゲーム作家はすごい、とManaさんは評します。
Manaさん自身は考える系のゲームが多く、その中で裏切りが起きる仕掛けを意識しているといいます。今後はパーティーゲーム系にも手を出したいと展望を語ります。
いろんな側面から、さらに面白さって何なんだろうっていう風に多面的に見えていくので、今私が思っている答えからも今後変わっていくのかもしれない。
Manaさんは現段階の答えをこう締めくくります。心理的安全性の上に成り立つ意外性、これが1つの答えだといいます。
最後にManaさんは、聴いているボードゲーム作家や普段遊ぶ人に向けて、どんなときに面白いと感じるかをXなどで発信してほしいと呼びかけています。集まった声は今後の考察の参考になるといいます。
まとめ
Manaさんは「面白さって何だろう」というテーマを、予測・意外性・心理的安全性という視点で分解し、現段階の答えとして「心理的安全性の上に成り立つ意外性」を提示しました。
- 面白さの一段目は、選択肢があり、予測する価値がある状態で「ちゃんと考えられる」こと
- その予測が裏切られる意外性こそが、面白さの原点になる
- 選択肢が少なく展開が読めすぎるゲームは「作業」になり、面白くない
- 同じ意外性でも、実害のある日常やギャンブルでは楽しめない
- 意外性を歓迎できる心理的安全性があってこそ、遊びの上で面白さが成立する



