BGGで見かけた「これは代用できる」というコメント
Manaさんがこのテーマを取り上げたきっかけは、世界最大のボードゲーム評価サイトBGGを何気なく眺めていたことでした。
そこでちょくちょく目についたのが、「これはトランプでも代用できる」「別のゲームのコンポーネントで遊べる」といったコメントでした。
さらに、そうしたコメントがついている作品は、レーティングがあまり高くない傾向にあったといいます。
そこからManaさんは、代用できるかどうかがそこまで重視されるものなのか、という疑問を持ちました。
それで代用できるかどうかって、そんなに重要視されるものなのかなっていうような疑問が出たんですね。
そもそも代用できないゲームなんてない
Manaさんは、トランプで代用できる、他のゲームのコンポーネントで遊べる、といったことがあっても特に問題はないと考えています。
ゲームの一番の売りはルールであり、そのルールが面白ければ正当に評価すればいい、というのがManaさんの立場です。
その上で、代用できるかどうかという観点自体がナンセンスだと指摘します。理由は、代用できないゲームなんてないからです。
代用できないゲームってなくない?っていう話なんですよ。全てのゲームは何かしらで代用できると思っております。
その根拠としてManaさんが挙げるのが、制作者は誰もがテストプレイをしているという事実です。
モックの段階では、アートワークがなかったり、すでに持っているコンポーネントを流用したり、手書きやトランプで用意したりと、みんな何かで代用しながらゲームを作っていく、とManaさんは説明します。
つまり全てのゲームはそもそも代用ができるはずで、代用できるからといって評価が低くなるのは意味がわからない、というわけです。
代用できても、あえて製品化する意味はどこにあるのか
では代用できたとして、何が問題なのか。逆に、代用できるのにあえて製品化する意味は何か。Manaさんはここを、モックから製品版へどう進化させるかというポイントとして掘り下げます。
まず挙げるのは世界観です。面白いルールを最大限に生かし、没入感を高め、ルールの理解を助けるような世界観を作る作業があるといいます。
その世界観と連動したアートワークやデザインが、作品と呼ばれる所以であり、いわば芸術品へと昇華させていく工程だとManaさんは話します。
トランプや他のもので代用してしまうと、その世界観に没入できず、そもそも目指しているところがそこではなくなってしまう、と指摘します。
もう一つの強みが、そのゲーム専用にすることです。遊びやすさや、そのゲーム独特の表現の肝といったものが専用のコンポーネントには宿っている、とManaさんは考えています。
なぜこのデザインなのか、なぜこの種類のコンポーネントなのか。制作者はそれをしっかり考えて組み立てている、というのがManaさんの見方です。
遊びやすさが損なわれると、やっぱりノイズとかも入ってきますし、没入感も減ってくるので、楽しさといったものも半減すると思うんですよ。
将棋の駒も代用できる、という前提に立ってみる
Manaさんは、数字を使うカードゲームはほとんどトランプで代用できるし、盤面を使うアブストラクトもモックの段階ではコピー用紙とその辺のコマで作れる、と具体例を挙げます。
例として挙げるのが将棋の駒です。歩や王将といった漢字は覚えやすさや区別のために書かれているものの、チェスのようにバラバラの形の駒でも成立するはずだ、とManaさんは言います。
そもそも代用できないものはないよっていう前提に立ってコメントしてるのかっていったところが、結構気になったポイントですね。
実際のテストプレイの現場でも、必要なコンポーネントを代用できるもので揃えられないか探す場面はある、とManaさんは補足します。
たとえば1から100まで必要、4スートではなく6スート必要といった条件に対し、任務やUNO ── 数字と色が書かれたカードで遊ぶ、世界的に普及したカードゲーム。、囲碁の駒などで代用できないかと相談し合うことがあるといいます。
それでも、全ては代用できるという事実を評価軸にするのは違うのではないか、というのがManaさんの結論です。
レビューを入れた人は、なぜ低評価をつけたのか
Manaさんは、代用できるという指摘が制作者側の視点だからこその違和感かもしれない、とも認めます。
遊ぶ人にとっては、ボードゲームは安いものではないため、買わずに遊べるほうが需要が高い場合もあるかもしれない、と一定の理解を示します。
ただしManaさんが引っかかるのは、レビューを入れている人はその作品を買っているはずだ、という点です。
買わなくても遊べるじゃん、無駄なお金払ったみたいな意見なのかな。
それでもルールそのものに十分価値があるので、買って損だったということはないはずだ、とManaさんは考えています。
こうしたコメントは1つ2つではなく、英語を翻訳しながらいろいろな作品を無差別に見ていく中で、高評価と低評価の両方に散見されたといいます。
トランプと変わらないなら、ルールだけ配ればいい
Manaさんは、批判が当てはまるケースもあると認めます。トランプと同じ構成で数字しか意味がないなら、デザインの洗練されたトランプのほうがむしろ遊びやすい、というわけです。
その場合はわざわざ製品化せず、トランプで遊ぶ用のルールをPDFで配布したり、販売価格を下げたりするほうがいい、と建設的な代替案を挙げます。
むしろルールだけ、トランプで遊ぶ用のルールとしてPDFで配布するだとか、それだけを販売するとか、そういう方が全然いいじゃんみたいなものも中にはあるのかもしれないです。
普段ボードゲームで遊ばない人と話すと、Manaさん自身も「トランプでできるんじゃないの」と言われることが何度かあったといいます。
その答えは、もちろんトランプでもできるけれど、もっと遊びやすく楽しい、それ専用のものとしてやっていくんだ、というものです。
ただ、たくさん買うほどのボードゲーム好きでなければ、トランプ遊びの亜種を考えただけと捉えられてしまうこともある、とManaさんは実感を語ります。
「これじゃなきゃダメ」な理由を最後に考えられているか
最後にManaさんは、制作者自身への問いかけとしてこのテーマをまとめます。代用はできるとしても、他ではダメな理由を最後の設計段階でちゃんと考えているか、という点です。
ここにこれを配置するから遊びやすい、だからこれでなければダメだ。そうした理由をつけられるかどうかが、プロダクトアウトするための最後の設計で問われる、とManaさんは話します。
絶対その専用のやり方、仕方、それじゃなければダメなんだっていう要素は、絶対あるはずなんですね。
その理由が見つかれば、アートワークの方向性やカードのデザインレイアウト、必要なコンポーネントの確定まで進められる、とManaさんは説明します。
Manaさん自身、ルールを作るのはそれほど時間がかからず、その後にプロダクト化のための工夫を長く考えるといいます。テストプレイも、製品として何にするかを決める段階も、非常に時間がかかるそうです。
これじゃなきゃダメなんだっていうようなものとともに、アウトプットしていくっていうような形がいいのかなっていうふうに思っております。
面白いルールを作る
Manaさんの場合、ここは比較的短時間で済む
テストプレイで代用品を使い検証する
モックの段階では手持ちのコンポーネントやトランプで代用する
「これじゃなきゃダメ」な理由を考える
専用にする強みや遊びやすさの肝を突き詰める
コンポーネントとデザインを確定する
アートワーク、レイアウト、内容物まで決まる
まとめ
「トランプで代用できる」という指摘に対し、Manaさんは、そもそも代用できないゲームなどないという前提から、代用可能性を評価軸にすることへの違和感を語りました。その上で、世界観や遊びやすさ、そして「これでなければダメ」という理由こそが、あえて製品化する意味だと結論づけています。
- テストプレイでは誰もが代用品を使うため、全てのゲームはそもそも代用できる
- ゲームの一番の売りはルールであり、代用できることは低評価の理由にならないとManaさんは考える
- 世界観への没入感や専用ならではの遊びやすさが、製品化する価値になる
- トランプと変わらない構成なら、ルールをPDFで配布するほうがいい場合もある
- 制作者は最後の設計段階で「これじゃなきゃダメ」な理由を考えられているかが問われる



