Xで届いた「勝利のないボードゲーム」という視点
この回のきっかけは、X(旧Twitter)でのやり取りだったとManaさんは話します。同点優勝のようなタイブレークの際に「みんなで勝利を分かち合いましょう」という表現はどうなのか、という投稿をしたところ、意見が寄せられたそうです。
その意見が、勝敗に関係なく、誰も勝ったり負けたりしないボードゲームがそのうち出てくるのではないか、というものでした。Manaさんはこれを聞いて「結構深い」と感じたと振り返ります。
Manaさん自身、ボードゲームを作る中で、勝利条件をほとんど何も考えずに設定していたと気づいたそうです。協力ゲームなら成功か失敗かで勝ち負けはないものの、その成功・失敗さえもなく、勝利条件・完了条件・終了条件が定義されていないボードゲームは実際にあるのか、今後需要があるのかを考えたと述べています。
そのうち、勝敗に関係のない、誰も勝ったり誰も負けたりしないようなボードゲームが出てくるんじゃないのか、という投稿をいただいたんですね。これを聞いて、結構深いなというふうに思いました。
一方で、ゲームである以上、目標や目的、何に向かって進むのかがあるのが当然だとも考えていると話します。ただ、よくよく考えると一概にそうとも言えない、とManaさんは切り出します。
積み木やお絵描きに見る「ゴールのない遊び」
Manaさんがまず振り返るのは、子供の頃から遊んでいる積み木です。四角や三角などいろいろなパーツを重ねて造形物を作る遊びで、お城を作る人もいれば道路や迷路を作る人もいます。
積み木の目的は「何か作ろう」というだけで、綺麗なお城を作ろうといったテーマを定めてやる人はそんなにいなかったはず、とManaさんは指摘します。それでも積み木は面白い、というのがポイントです。
何を作るかはルールや目的として縛られるのではなく、自分で目標を設定し、うまくいったかどうかも自分で判断する。Manaさんは、これもある意味ゲームに属するのではないかと考えます。
お絵描きも同じ構造だと言います。何を描こうか考え、実際に描いて、自分で評価する。当てっこや点数計算がなくても十分に楽しめる遊びだ、というのがManaさんの見方です。
当てたら勝ち、崩したら負けといった勝利条件やお題が外から与えられる
積み木やお絵描きのように、何を作るか・どこで完成かを自分で設定し評価する
点数はあっても、本気で目指しているとは限らない
お絵描きや積み木を使ったゲームには、描いたものを当てるとポイント、といった勝利条件が設定されているものもあります。ただManaさんが問うのは、それが必ずしも必要なのか、という点です。
仮にゴール設定や点数計算がなかったとしても十分楽しいはずだ、とManaさんは言います。点数は当ててもらおうという動機付けにはなるものの、当ててもらいましょうという遊び方だけでも、みんなちゃんとやると考えています。
点数のルールがあっても、実際にプレイすると本当にその点数をみんなが目指して頑張っているかというと、意外とそうでもない、というのがManaさんの実感です。特にエンジョイ勢に当てはまると話します。
(仲間内で遊ぶときは)勝利をガッツリ目指すというよりも、そんなの作ったのかだとか、これを作りたいだとか、そういうふうにプレイしていること自体がフランクで楽しいというところだと思うんですよ。
つまり勝利条件は定義されているけれども、必ずしも目指すわけではない。そこにこの回の核心があるとManaさんは示します。
ディクシットに見る「途中でやめても満足」する遊び
一人遊びに寄りがちな積み木やお絵描きに対し、Manaさんは複数人で遊ぶ例としてディクシットを挙げます。カードのお題にタイトルを付け、そのカードがどれかをみんなで当てるゲームです。
ディクシットは最後の勝利条件まで進むと長くなることもあり、Manaさんはゴールに行く前にやめてしまうパターンも多かったと話します。それでも満足度は高く、どこで切り取っても楽しめると言います。
タイトルを付ける人は、当てられやすく、かつ当てられすぎないよう絶妙なラインを狙う。その考えること自体が楽しい、とManaさんは説明します。投票する側も、なぜこのタイトルなのかと考え、他人と違う投票理由をめぐって会話が生まれます。
Manaさんは、プレイしていること自体が面白いと語ります。真の目的が楽しむことだと定義されているなら、必ずしも勝敗は必要ないのかもしれない、という考えです。
「はぁ」「シェイカートーク」「ZEN」——勝敗を主役にしないゲームたち
Manaさんは、勝敗が主役でないゲームの実例を次々に挙げていきます。まずは、お題に応じて「はぁ」というセリフを演じる「はぁ」というゲームです。
最近のものでは「シェイカートーク」も紹介します。カクテルを作るシェイカーの中にお題の書かれたサイコロが入っており、振って出たお題について喋るというゲームです。喋るだけでも楽しいと話します。
Manaさんは、サイコロを振ってお題について話すという形式を、テレビ番組のトークコーナーになぞらえます。得点を付けること自体が野暮に感じられる場合もあり、やっていること自体が楽しいゲームがある、という見方です。
一人で遊ぶ例としては、「もじぴったん」のエンドレスモードのように、ずっとプレイし続けるものを挙げます。さらに、海外で賞を取った日本のゲーム「ZEN」にも触れます。
「ZEN」は瞑想に近いゲームで、何かを勝ち取るのではなく、あった出来事を並べて考えを整理していくものだとManaさんは説明します。アートワークやデザイン性もかっこいいと勧めています。
勝利条件へのこだわりを手放して見えたもの
これまで自分は、勝利条件は何か、どう勝ちを決めるか、ゲームの終了をどう決めるかに固執していた、とManaさんは振り返ります。そして、それは必ずしも必要ではなさそうだと結論づけます。
特に自己表現を軸にしたゲームは勝利条件がなくても成立しやすい、とManaさんは言います。ディクシットのタイトル付けも、積み木もお絵描きも自己表現であり、それに対して評価や投票をするのは、人の考えを知ることに面白さがあるからです。
点数はその面白さを定量化しているだけで、そこが本質ではない、というのがManaさんの主張です。人とのコミュニケーションがメインのゲームは、勝利条件がなくてもいけるかもしれないと述べます。
もう一つの型として、一人で黙々とやる自分との戦いを挙げます。これは自己表現に近く、自分がどれだけ納得できるか、どこで完成とするかを自分で決めるため、やはり勝利条件がなくても成り立つと考えています。
勝利条件がないゲームの使い勝手とストレスフリーという価値
勝利条件も終了条件もないということは、いつやめてもいい、ということでもあるとManaさんは指摘します。状況に合わせて今日はこのくらいにしよう、誰かが来るまでの待ち時間にやろう、といった使い勝手の良さが生まれます。
一方で、勝利条件や終了条件があると、内容によってはストレスになることもあるそうです。Manaさん自身はあまり感じないものの、パーティーゲームでも負けて悔しいと感じる人はいる、と話します。
だからこそ、自己実現型のゲームはストレスフリーになりうる、とManaさんは考えます。ストレス社会の中では、こうしたゲームが今後受け入れられる余地があるのではないか、という見立てです。
(自己実現とかのゲームは)ストレスフリーですよね。そういったものも、今後、こういったストレス社会の中では結構受けるというのもあるんじゃないのかなとは思いますね。
そもそも「ボードゲーム」と呼んでいいのか
Manaさんは、自己実現型の遊びをボードゲームと呼んでいいのか、という疑問にも触れます。ここでいうボードは、チェス盤のような盤ではなく、テーブルの上を指す位置づけだと整理します。
リアルのテーブルの上で遊ぶものなら、自己実現であってもゲームと言えるし遊びだ、とManaさんは考えます。積み木が遊びと呼ばれるくらいなのだから、と付け加えます。何せ平和で楽しそうだ、という点も魅力に挙げています。
勝利条件を弱めることで開ける一般市場
ここからManaさんはビジネス的な側面に話を進めます。ボードゲームとして完全に売り出すと、ゲームをプレイして遊びたいゲーマーがメインターゲットになる、と分析します。
一方、勝利条件を弱めれば、ゲーマー以外にもアプローチできる、というのがManaさんの見立てです。小さな子供から、コミュニケーションや考えの整理・瞑想を求める大人まで、対象が広がると考えています。
販売や打ち出しの仕方も、ボードゲームですという形でなくてもできるとManaさんは言います。交流会や合コン、歓迎会、企業研修といった場では、勝った負けたよりも相手を知り仲良くなることが目的になるからです。
勝利条件を明確にし、ボードゲームとして売り出す。ターゲットはゲームで遊びたい層
勝利条件を弱め、コミュニケーションゲームなどとして売り出す。交流会・合コン・研修などに広がる
Manaさんは、コミュニケーションで相手を知り仲良くなることが目的になる場では、こうしたゲームのほうが意外とパイは大きそうだと述べます。積み木のようなものは知育玩具、ZENやもじぴったんは瞑想や集中というアプローチで顧客を囲い込めると話します。
人狼や「はぁ」に学ぶ、一般層へのアプローチ
Manaさんは、勝敗を主役にしないゲームの市場は、もはやゲームマーケットの中だけの話ではなくなると指摘します。普段ボードゲームで遊ばない一般市場にまでアプローチできる可能性がある、という見方です。
その根拠としてManaさんは人狼を挙げます。人狼はボードゲーム界隈だけで爆発したわけではなく、学校や合コンなど、いろいろな場所で手軽に遊べたことが起爆の大きな要因だったと分析します。
「はぁ」というゲームも、そうした一般層にアプローチできたことが強みだったのではないか、とManaさんは考えます。ドン・キホーテなどでシリーズが置かれ、コミュニケーションとして手軽に買える需要があるからだと述べています。
「なんじゃもんじゃ」も同様の要素が強いと言います。名前を付けて当ててカードを取るゲームですが、なぜそんな名前を付けたのか、覚えられないといったドタバタが面白く、勝った負けたはそこまで重視されていないという見立てです。
(なんじゃもんじゃは)あだ名を付ける、当てるという部分のプレイで楽しんでて、じゃあ結果、誰々が一番取ったね、優勝で、くらいな、最後はさらっと終える、というパターンが多いのかなと思います。
Manaさんは、勝利条件の重要性を少し抑えるだけで、一般層に受け入れられやすいコミュニケーションゲームに昇華する気がすると締めくくります。自分もどこかのタイミングでこの分野にチャレンジしてみたい、と語りました。
まとめ
勝敗のないボードゲームは成立するか、というテーマを、Manaさんは積み木やお絵描き、ディクシットやZENといった具体例から掘り下げました。勝利条件は必ずしも必要ではなく、それを弱めることでゲーマー以外の一般層にまで市場が広がる、というのがこの回の着地点です。
- 勝利条件がなくても、自己表現やコミュニケーション、瞑想を軸にしたゲームは成立しうる
- 点数はあっても本気で目指しているとは限らず、プレイしていること自体に面白さがある場合が多い
- 勝利条件・終了条件がないことは、いつやめてもいいという使い勝手やストレスフリーという価値につながる
- 勝利条件を弱めると、交流会・合コン・研修など、ゲーマー以外の一般市場にアプローチできる
- 人狼や「はぁ」の広がりのように、手軽さと一般層への浸透がヒットの起爆剤になりうる




