そもそも説明書とは何のためにあるのか
番組冒頭で、Manaさんはボードゲームの説明書を「重要なもの」と位置づけます。正しく楽しく遊ぶために、どんなルールで遊ぶべきか、遊び方を正確に伝える役割があるという整理です。
説明書がなければ、そもそもボードゲームを遊ぶこともできません。人それぞれに遊び方が異なってしまい、ちゃんと楽しむことができなくなる、という前提が語られます。
特にインディーズのボードゲーム作家にとって、説明書づくりは腕の見せどころだと話されます。いかにわかりやすく、正しく遊んでもらうかに、多くの人が切磋琢磨しているといいます。
その工夫は多岐にわたります。テクニカルライティング、誤字脱字のない文章構成、そしてレイアウトやデザインまで含めて、わかりやすさが追求されているとManaさんは言います。
世界観と専門用語のジレンマ
説明書づくりの議論の一つとして、ゲームの世界観の扱いが挙げられます。ボードゲームには「あなたは魔法使いです」といった、それぞれの世界観があるという例です。
ただし世界観を作り込みすぎると、そのゲームの中でしか使わない専門用語が増えていきます。Manaさんは、これが正しく遊ぶうえでの障害になりうると指摘します。
専門用語は世界観を演出できる一方で、正しく遊ぶためにはできるだけ減らしたほうがよい、という立場です。下手にカッコつけず、みんなが理解できる言葉で正しく伝えることが重要だと語られます。
こうしてわかりやすい説明書を作る努力は最大限になされている、とManaさんはまとめます。そのうえで、そもそも説明書自体はどうなのか、という別の視点へと話を移します。
なぜ説明書は読まれないのか
ここでManaさんは「説明書読まれない問題」を持ち出します。せっかく作っても全然読んでもらえない、そもそも読む気が失せる、という現実です。
その対策として、読んでもらえるように「わかりやすそう」に見せる、見た目も重要だ、という議論へ進んできたと整理されます。
では、なぜ読んでくれないのか。Manaさんも当初はわかりにくいからだと思っていたそうですが、行き着いた答えはもっと根本的でした。
そもそもめんどくさいんですよね、説明書。説明書自体がめんどくさいっていうところです。
さらに、頑張って読んだとしても、人によって説明書の解釈が異なるという問題も出てきます。だからこそ、噛み砕いて説明してくれる「インストしてくれる人」が重要になる、と話されます。
一方で、そうした人にいつも頼れるわけではありません。わかりやすい説明書を作り、読んでもらえたとしても、正しく遊んでもらえない、読んでもわからないという声も出るといいます。
「説明書を読む」が特殊スキルになった時代
この問題を突き詰めて、Manaさんは大胆な見方を提示します。説明書を読んで理解することは、もはや今や特殊スキルではないか、というものです。
理由はシンプルで、ボードゲームに限らず、そもそも説明書を読む機会がなくなっているからだと語られます。一昔前とは状況が違う、という指摘です。
Manaさんは具体例として、スーパーファミコンや携帯電話を挙げます。かつては説明書がパッケージに同梱され、それを読んで遊ぶのが当たり前でした。
ところが今、世の中を見渡すと説明書という存在自体がほとんどありません。「なんで読んでくれないんだ」と思う前に、最近ボードゲーム以外で説明書を読んだか、と問いかけます。
家電も簡単なものになり、家具も文字はほとんどなく絵で描かれています。世の中のプロダクトは全般的に、説明書を読まなくても使えることを目指しているとManaさんは言います。
だからこそ、読んだことがなければ読めるわけもない、という結論になります。特に説明書に触れてこなかった若い世代にとっては、ボードゲームの説明書を読むのは厳しいのではないかと考えられています。
文字を読む機会そのものが減っている
話は説明書から、さらに広い「文字を読む機会」へと広がります。Manaさんは、極論すれば文字を読む機会自体が減っていると感じると語ります。
読書が趣味の人以外を考えると、普段目にするのは短文が中心です。長文の中から文脈を読み解いたり、前後関係を整理したりする読み方は、普段されていないと指摘されます。
SNSでは、流れてくる投稿を短文としてパッと読み、反応していきます。インスタグラムに至っては画像がメインで、文字はほとんど読まれない、というのが現状だと語られます。
調べ方も変わってきています。ググって記事を読んで理解する動きは減り、SNSで調べたり、キーワードより画像検索を使ったりする動きが増えているといいます。
学び方も同様です。何かを学ぶとき、テキストの情報より、見た目があって口頭で説明してくれるYouTubeのほうがわかりやすい、という流れになっています。
情報知識の習得さえも、今は自分で勉強するっていうよりも、誰かに教えてもらうっていうのが結構当たり前になってます。
ボードゲームでいえば、それがインストしてもらうことに当たります。インストしてもらえるなら説明書を読む必要がない、という状態が今の世の中だとManaさんはまとめます。
説明書はいずれ消えていくのか
この流れは今後さらに加速する、とManaさんは見ています。そして、ボードゲームの説明書もいずれ消えていくのではないか、という予測を語ります。
理由は入り口の狭さです。説明書を読めないと遊べないという状態では、入り口が狭まりすぎてしまうからだと説明されます。
その一つの考え方として、Manaさんはチュートリアルという方式を挙げます。ソーシャルゲームやデジタルゲームでよく見られる形です。
デジタルゲームでは、遊ぼうとした瞬間に画面の説明がポンと出たり、一気に全部教えずに簡単なところから慣れさせたりします。プレイしながらルールが少しずつ追加されていく形です。
Manaさんはこれを「ハンズオン」と表現します。実際に手を動かしながら学んでいく、チュートリアル式が今のゲームでは一般的だという整理です。
この方式はゲームに限りません。ウェブサービスの管理画面でも、初めてログインしたときに「ここで編集できます」といったポップアップが出るのが主流になっている、と例示されます。
チュートリアル式はボードゲームでも成立するか
チュートリアル式が広がる背景には、注意事項も読まない、一度に全部教えても理解できない、という現実があるとManaさんは言います。
デジタルゲームなら、展開に応じてやるべきことやスキルが少しずつ増えていくので調整できます。しかしボードゲームには、ルールを理解していないと遊べない、という別の難しさがあります。
ボードゲームだとちゃんとルールを理解していないと遊べない問題とかも出てくるので、ここをどういう風にしたらいいのかなっていうのは私もちょっと悩んでおります。
ただし、チュートリアル式のボードゲームは既に出てきているとも語られます。ミッションをこなすタイプのゲームや、簡単なお試し版などが、その例に挙げられます。
理想は、最初はごく簡単な説明だけで始め、進めるうちに内容が理解できていく形です。到達したステージによって遊び方が変わり、同じステージまで進んだ人同士で遊べる、といったイメージが語られます。
具体例として、Manaさんはミクロマクロ:クライムシティを挙げます。大きなマップから特定のものを探して謎を解くゲームで、最初は「この絵を探せ」くらいの簡単さから始まると説明されます。
もう一つの例がボムバスターズです。世界的な賞を取った作品で、たくさんのミッションがあり、最初は簡単なところから少しずつ難易度が上がっていくスタイルだと語られます。
ただしManaさんは、ボムバスターズでさえ最初のチュートリアルである第1ステージをやるにも、説明書の素読みは大変だと補足します。ここがもっと簡単になっていく余地がある、という見立てです。
非言語依存という方向性
チュートリアルにもジレンマがあると指摘されます。文字を読まない人が増えているので、カードや指示書に文字がずらっと書いてあっても読まれず、読んでも理解されにくいという問題です。
そこでManaさんが志向するのが「非言語依存」の設計です。できる限りテキスト情報を排除し、感覚的にわかるゲームを作りたい、と自身の方針を語ります。
Manaさん自身も非言語依存のゲームを多く手がけてきたそうで、その経験からの考えだと述べられます。
非言語依存には、海外展開のメリットもあります。翻訳の手間がなく、海外に輸出しやすいという利点です。
翻訳が絡むと、国ごとの訳し方によって解釈が変わり、遊び方まで変わってしまう懸念があります。だからこそ、言葉ではなく絵で説明する方向が重要になる、と語られます。
例えばなんか危なそうだな、これ使っちゃまずそうだな、こうなってたらひどいこと起こるなみたいなものは、そういうふうに悪そうに見せる。
この観点から、Manaさんはよく議論される「ルールが主役かアートワークが主役か」という話に触れます。ユーザビリティやプレイアビリティの面で、アートワークはとても重要だという立場です。
ルールの「耐久度」と間口の広さ
ゲームルールについても、Manaさんは方針を示します。下手に難しくこねくり回すのではなく、「こうなったら当然こうなるよね」と推測できるゲーム作りが望ましいといいます。
さらに、ルールから逸脱したり間違ったりしても楽しく遊べる、いわばゲームルールの耐久度を意識すべきだと語られます。これがないと、この先のボードゲームは厳しくなるという見立てです。
その先には2つの未来があると示されます。同じ趣味の人だけがこぢんまり遊ぶ世界か、それとも世間一般に広く周知され、誰もが楽しく遊ぶ世界か、という分かれ道です。
限られた同じ趣味を持つ人たちだけが、小さくこぢんまりと遊ぶ世界
広く周知され、今日何しようかの選択肢としてボードゲームが入ってくる世界
どちらに行くかを分けるのが、新規ユーザーにとって間口が優しく開かれているかどうかだ、とManaさんは言います。その入り口の一つが説明書であり、遊ぶ前の準備だと位置づけられます。
面白そうだと思って買ったのに、説明書を読んで理解できず遊べなかった。そうなると、その人はもうボードゲームをやらなくなってしまう、という具体的な懸念が語られます。
説明書を読める人は誇っていい
この回のオチとして、Manaさんは2つのメッセージを示します。まず一つは、説明書を読める人へ向けたものです。
説明書を読める人は誇っていいです。もう私は説明書が読める、素読みができるっていったものは、もう特殊スキルです。
他の人ができないことができるのだから素晴らしい、そしてそれをどんどん人に伝えてほしい、とManaさんは呼びかけます。
もう一つのメッセージは、制作者やデザイナーへ向けたものです。説明書を読める人に甘えるのではなく、そういう人がいなくても正しく楽しく遊べる工夫を考える必要がある、と語られます。
最後にManaさんは、この話をボードゲームで天下を取るという番組テーマに接続します。今のボードゲーム市場だけでは規模が小さすぎ、何をやってもニッチで費用対効果が合わないという現状認識です。
だからこそ一般層を取り込み、市場をもっと大きく盛り上げる必要がある。その一つの課題として、今回は説明書というテーマを取り上げた、とManaさんはまとめます。
まとめ
Manaさんは、わかりやすい説明書づくりの努力を認めつつ、そもそも人が説明書や文字を読まなくなった現実を突きつけます。説明書を読めることが特殊スキル化した今、読める人を称えると同時に、作り手には読めなくても遊べる設計が求められる、という二段構えの提案でした。
- 説明書は正しく遊ぶために重要だが、そもそも読まれない・解釈がずれるという問題を抱えている
- 家電や家具の変化と同様、世の中は説明書を読まなくても使えることを目指しており、読む機会自体が激減している
- 文字や長文を読む習慣が減り、学びもYouTubeやインストなど「教えてもらう」形が当たり前になっている
- チュートリアル式や非言語依存の設計が、読まなくても遊べるボードゲームへの一つの道として提案された
- 間口を広げて一般層を取り込むことが市場拡大の鍵で、説明書はその入り口として重要だとまとめられた



