表現物の善し悪しは、結局「好み」の問題?
この回でサエキタカフミさんが取り上げるのは、自分の作った表現物を100人や1000人にちゃんと届けたいと思ったときにどうすればいいか、というマーケティング的な話です。
なんかこういう風に考えているんですけど、多分間違ってないと思うんですよね、みたいな話をしたいと思います。
サエキタカフミさんは、音楽やイラスト、テキストといったクリエイティビティの詰まったものの善し悪しは、結局のところ誰にも正解の評価ができないと話します。
一方で、ある意味では誰でも評価できてしまうものでもあると言います。平たく言えば「結局好みだよね」という話です。
作者の好みと受け取り手の好みがピタッとマッチングしたときに、その表現物はその人に刺さる、という構造です。
作者目線で言うと、結局その受け取り手の好みなんて予想できないし、変な話、受け取り手自身であっても、自分の好みを言語化できてる人もいない。
だからこそマーケティングのノウハウはSNS上に無限に流れてくる、とサエキタカフミさんは見ています。ただし構造自体はシンプルなものだと考えています。
表現を届ける構造は「打席数・分母・品質」の3つだけ
サエキタカフミさんがこの話をしようと思った理由は、自分自身がまさに、これから挙げる3つのうちどこに時間を投下していこうか迷っているからだと明かします。
表現を届ける要素は3つしかないとサエキタカフミさんは言います。1つ目が打席に立つ数、2つ目がそれを届ける分母の大きさ、3つ目が品質です。
打席数
バットを振った回数の分だけホームランを打てる確率が上がる
分母
作品を届ける先の集団が大きいほど、必要な満足割合は下がる
品質
戦略が成立するための入場条件となる最低基準
打席数を増やすほど打率は下がる、それでも振り続ける理由
1つ目の打席数について、サエキタカフミさんは「ホームランを打ちたいならバットを振るしかない」と表現します。打席に立った回数の分だけ、ホームランを打てる確率は上がるという考え方です。
ただし理屈上、打席に立つ回数が増えると打率は下がると言います。凡打が増えるからです。
でもこれは一本出ればいいゲームなので、打率は全然でいいんですよね。割分一厘でいいんです。一本打てていれば。
サエキタカフミさんは例として、ピカソが同時代の表現者と比べて作品点数が桁違いに多かったこと、その結果としてゲルニカのような有名作が生まれたという話を挙げます。ゲルニカ ── パブロ・ピカソが1937年に制作した大作絵画。スペイン内戦での都市ゲルニカへの爆撃をモチーフにしたとされる、20世紀を代表する作品の一つ。
作詞家の秋元康さんについても、作詞した曲の数が非常に多く、それゆえに「川の流れのように」のような代表作に巡り合えている、という話にも触れています。
100人に届けたいなら、分母は大きいほどいい
2つ目は、作品を届ける先の分母の話です。サエキタカフミさんはここを割合の問題として説明します。
例えば100人に好きになってほしいのに150人の集団に届けてしまうと、3分の2を好きにさせないといけないことになり、無理ゲーになると言います。
一方で1億人の分母に届ければ、1億分の100を満足させればよいので、同じ成果でも必要な割合がまったく違ってきます。
一億人いたとしても百人満足させられたらいいゲームなので、分母は大きいに越したことはないよねっていう話です。
つまり無限回バットを振り、無限に分母がいる状況なら、接触確率的には必ず届く、という理屈になります。ここまでの話だと品質はいらないように思えてしまう、とサエキタカフミさんは言います。
品質が「戦略が成立する入場条件」になる理由
それでも品質はやっぱり大事だと、サエキタカフミさんは考えを転じます。好みは定義できないと言った以上、理屈上は質が関係ないことになりますが、実際は違うと言います。
数と分母という理屈の土俵に乗るためには、最低基準が存在し、しかもそれは低くないとサエキタカフミさんは話します。ある程度の品質がないと、刺さるはずの人にすら刺さらないからです。
例として、歌が得意でない人がスマホに向かってカラオケを1番だけ歌った動画を挙げます。そういうものをどれだけ大きな分母に配っても意味がないと言います。
変な話、ゼロはゼロみたいな話ですね。ゼロに何かけてもゼロにしかならないみたいな話で。
サエキタカフミさんはこれを「戦略が成立するための入場条件が品質」だと整理します。
一方で、品質は上げれば上げるほどいいわけでもなく、過剰品質という世界観もあるとも述べています。だからこそ一定程度のこだわりは持つべきで、品質に手を抜いてはいけないと話します。
打席数はAI、分母はSNS、品質はAIとお金
続いてサエキタカフミさんは、打席数・分母・品質の3つを向上させる手段の話に移ります。
打席数を稼ぐ手段は、もうAI一択だと言います。テキストも動画も音声も無限に量産でき、エージェンティック機能を使えば投稿まで自動化できるからです。エージェンティック機能 ── AIが人の細かい指示を待たず、目標に向けて一連の作業を自律的に進めていく仕組みを指す言葉。ここでは投稿までの自動化の文脈で使われている。
分母については、歴史上最強のSNSというコミュニティがすでにあるので、そこに置きに行くだけだと表現します。
打席数を稼ぐのはもうAI一択かなって思ってます。やらない理由ないですよね。
手段が難しいのは品質だとサエキタカフミさんは言います。ここもまずAI、もう1つはお金、つまり人に任せる・お願いすることだと挙げます。
「自分と向き合う」より、AIや他人の力を借りる
品質を上げる方法として、徹底的に自分と向き合うという選択を取る人もいるとサエキタカフミさんは言います。それを完全に否定はしないものの、正直意味がないと考えていると話します。
自分って大したことないと思ってるから。自分が何を好きかって、自分がしっかり認識しているとも思えない。
だからこそ、AIや他人の力を借りないといけないというのがサエキタカフミさんの立場です。
具体例として、最近ある方に楽曲提供した際、AIと壁打ちしながら曲を作った経験を挙げます。曲がカノン進行になりつつあり、それが嫌だとAIに相談した場面です。カノン進行 ── 多くの名曲に使われるとされる定番のコード進行。ありふれた響きにもなりやすいため、ここでは避けたい進行として語られている。
AIは違うエッセンスを提案してくれて、そのままは採用しなかったものの、その発想がトリガーになってブレイクスルーが生まれた、とサエキタカフミさんは振り返ります。
なぜ会社員を辞めずに表現活動を続けるのか
もう1つの手段であるお金について、サエキタカフミさんは、お金をかければ品質は少なからず上がると話します。機材でも人でも時間でも、それは否定できないと言います。
それは事実なのに、お金がないから手段を取れない人が一定数いる、というのがサエキタカフミさんの見方です。
この点を知っているからこそ、ミュージシャン活動を続けたい一方で会社員を辞めないという、一見矛盾した決断を取っていると明かします。経済基盤を担保し、そこで得た余剰資金を表現物の品質に注ぐという考え方です。
金が尽きると夢が止まるっていう夢と金の関係ですね。
その前提に立つなら、今もっとも合理的な姿は、サラリーマンをしながら表現活動をすることだとサエキタカフミさんは考えています。
ただし気をつけないといけないのが、本来は基盤でしかないサラリーマン業が、表現物を作る時間を食ってしまう現象です。サエキタカフミさん自身、今まさにその状況に陥っていると認めています。
3つのどこにリソースを注ぐか、答えはまだない
最後にサエキタカフミさんは、打席数・分母・品質の3つのうち、自分の時間やお金、リソースをどこに投入するかは、まだ答えがないと率直に語ります。
ただし打席に立つことはやらない理由がないと考えているので、それはやっておこうと思ってこのポッドキャストを録っている、という側面もあると明かします。
そんなことを僕思ってんだねっていうのを認識してもらえれば、それだけで十分でございます。
まとめ
サエキタカフミさんは、表現物を多くの人に届ける構造を「打席数・分母・品質」の3つに整理し、それぞれをAIやSNS、お金でどう補うかを語りました。どこにリソースを注ぐかの結論はまだ出ていないものの、まず打席に立ち続けることを選んでいる回でした。
- 表現物の善し悪しは結局「好み」であり、作者と受け取り手のマッチングで刺さる
- 届ける構造は「打席数・分母・品質」の3つだけで、1本出ればいいゲームだと考える
- 品質は最低基準として「戦略が成立する入場条件」であり、手を抜いてはいけない
- 打席数はAI、分母はSNS、品質はAIとお金で補うのが手段になる
- 経済基盤のために会社員を続けつつ、余剰資金を表現の品質に注ぐという合理的な選択を取っている






