どちらかが死ぬまで続ける番組の始まり
番組冒頭で、2人は「シューケージダーイ」という新番組をスタートさせたことを報告します。ケージくんはシュウに、これが通算何本目のポッドキャストかを尋ねます。
シュウは終了した番組も数えながら、自分が配信しているものとしては7本目だと答えます。
六、七、七本目?僕が配信してるのでいうと七本目ですね。
番組名「シューケージダーイ」の「ダーイ」は、死ぬという意味の「DIE」だとケージくんは説明します。そこからケージくんは、この番組の目標を提案します。
二人のうちどっちかが死ぬまでやりませんか?これ。
わーいいですね。ぜひぜひ。
シュウは、ポッドキャストも含めて死なないものはないから、それまで続けようと応じます。番組タイトルの「死」というモチーフが、この回の後半にも関わってきます。
自己紹介はなぜ苦手なのか
2人はまず自己紹介から始めます。シュウは自己紹介が世の中で一番苦手だと前置きしつつ、いろんなポッドキャストを配信していて、ポッドキャストしかやっていないシュウですと名乗ります。
鳥取生まれギターポップ育ちのケージくんという長いポッドキャスター名でやってるケージです。
番組名が「シュウ」から始まっているため、自己紹介はシュウから始める形を今後も続けると決めます。
ケージくんは、シュウが多くのポッドキャスト仲間がいる中で自分に声をかけた理由を尋ねます。シュウは言語化が難しいと言いながらも、理由があることは間違いないと答えます。
ケージくんのことがめっちゃ好き。
シュウは、自分の中にある世の中への言いたいことをうまく出せない一方で、ケージくんはそれをくっきり区切って言語化するのが得意なタイプに見えていると話します。
なんか粗いかもしれないし、若干違うかもしれないけど、一旦言語化するみたいな、こう切り刻むじゃないですけど、そういうのをやってもらえたら面白いんじゃないかな。
一緒に収録したタイミングで、ケージくんがジングルを作りましょうと言ってくれたことが、番組開始のきっかけになったとシュウは振り返ります。
時間が経つのが早すぎる
話は、日々の時間があっという間に過ぎていくという実感に移ります。この回の収録日は8月13日です。
ついこの前八月に入ったと思ったら、もう十三日なのやべえなってめっちゃ思ってます。
ケージくんは、7月11日に塩尻のゲストハウス「KICHI」でのポッドキャスターの集まりに行ったことや、5月のゴールデンウィークにあったポッドキャストEXPOがもう3ヶ月前になっていることに驚きます。
シュウ哲学を解きほぐしたい
ケージくんは、シュウの生き方に好奇心を刺激されると語り、シュウのポッドキャストは配信日に全部聴くくらい追いかけていると話します。
好奇心を刺激されてしまうので。
ケージくんは、シュウの生き方の根底にある考え方を「シュウさん哲学」と呼び、それを直接対話しながら自分なりに理解し、咀嚼していきたいと述べます。
一方でシュウも、ケージくんの番組をその日のうちに聴いていると返し、掛け合いは相互の好意の確認になっています。
ケージくんは、この番組ではシュウの生き方や哲学の中のいくつかのキーワードを拾っていきたいと、この回の狙いを提示します。
肩書きがないから説明できない
自己紹介の話に戻り、シュウは自分が自己紹介を苦手とする理由を、肩書きがなく説明することが多すぎる上に大体理解してもらえないからだと説明します。
説明しないといけないことが多すぎる上に、大体理解してもらえないから。
シュウは具体的なエピソードとして、7月1日に財布をなくし、その中に入っていた信用金庫のキャッシュカードを止めるため、この日ようやく手続きに行った話を挟みます。
その手続きで「勤め先」の欄があり、仕事をしていないという切り口で始められず、その場でうまく答えられなかったとシュウは語ります。
勤め先っていうので、「僕仕事してないんですよ」っていう切り口で始められなくて。
結局その欄には「シュウの放すラジオ」と書く羽目になったとシュウは話します。
自営業でメディア運営、でいい
ケージくんは、自分は何でも自営業と書いていると伝え、シュウの活動も自営業で問題ないと助言します。
職種聞かれたら、「メディア運営」でいいと思いますよ。
ケージくんは、ポッドキャストの運営でスポンサー費を収入として得て確定申告もしているのだから、自営業でメディア運営で間違いないと後押しします。
うわぁ、次からもうそれで行きます。ありがとうございます。
この助言で、シュウは自己紹介のハードルが一つ下がったと喜びます。何をやっているのかと聞かれるたびに困っていた場面で、自信を持って答えられる言葉を得たからです。
相手ごとに自分を変えるのは卑怯か
今度はケージくん自身がなぜ自己紹介を苦手とするのかが話題になります。ケージくんは、それが自分の自意識の問題だと前置きします。
ケージくんは、シチュエーションや相手によって自分のどの部分を紹介するか見極め、飽きられない程度に短く肩書きを出すというゲームのルールが面倒だと感じていると話します。
そのゲームのルールがめんどくせえなっていつも思ってるっていう。
さらにケージくんは、平野啓一郎の「分人主義」に触れます。相手によって自分が規定され、それぞれの分人が存在するという考え方です。
ケージくんは、子どもの頃から相手によって態度や自分を変えることが卑怯なことのように感じてきたと語ります。これは分人主義の反対の感覚です。
誰に対しても同じ自分を見せないと卑怯だっていう思いがずっと。
その延長として、時と場合によって肩書きを分けることも卑怯に思えてきたとケージくんは話します。
例として、テレビ局の人が関わるプロジェクトごとに何種類も名刺を持ち、1人に何枚も名刺を渡してくることを挙げ、いくつも自分を持っているようで嫌だったと語ります。
こうした自意識をこじらせて、自己紹介が苦手だといつも思っているとケージくんは結びます。
長い名前がふるいになる
ケージくんは、ポッドキャストでは「鳥取生まれギターポップ育ちのケージくんです」と名乗っているが、最近これが長いと感じていると話します。
メインの番組名も「mike friends実験Radio Space Volcano!」と長く、一度聞いただけでは何の番組かわかりにくいと言い、短い番組名をうらやましがります。
一方でケージくんは、この長い名乗りには意味があるとも語ります。
「鳥取生まれギターポップ育ちのケージくん」ですって言って、それを何の抵抗もなく受け入れてくれる人とはきっと仲良くなれるんだろうな。
長い名乗りが、価値観の合う相手を選び分けるふるいのような役割を果たしているという捉え方です。
アウトプットが先、というキーワード
ケージくんは、シュウ哲学の中で一番大きなキーワードは何かと尋ねます。シュウが最初に挙げたのが「アウトプットが先」です。
いや、でもやっぱり一番わかりやすいかどうかは別として、僕の中で大きいのはアウトプットが先。
ただし、「アウトプットが先」だけを聞いても意味がわかりにくいと2人は確認します。せいぜいインプットが後なのかと推測できる程度だからです。
ケージくんは、この言葉がシュウ哲学の大きな柱でありながら、他に似た概念がなく、一言では伝わりにくいと整理します。
そこでケージくんは、この番組を通して「アウトプットが先」という巨大な概念の階段を、少しずつ上っていければいいと述べます。
無理やりやらない、が逆にわかりにくい
次のキーワードとしてシュウが挙げたのが「無理やりやらない」です。ケージくんはこれをわかりやすいと感じますが、シュウは含みのある反応を返します。
無理やりやらないはどんなシーンにでも当てはめられちゃうから、下手したら僕が言ってるのと逆の意味でも使えちゃう。
ケージくんは、「無理やりやらない」は幼稚園児でもわかる言葉だからこそ、逆にシュウの意図する意味がわからなくなると指摘します。
2人は「アウトプットが先」と「無理やりやらない」の関係をベン図に例えて考えます。シュウは、両者はめっちゃ被っていて、どちらかがもう一方をすべて含んでいる可能性もあると話します。
言語化するとスナップショットになる
ケージくんは、言葉としての「アウトプットが先」と、概念としての「アウトプットが先」は別物ではないかと問います。ここから、言語化とは何かという話に入ります。
シュウは自分を感覚で生きるタイプだと言い、心の中にモヤモヤとした思いがまずあって、「アウトプットが先」はその一部を切り取って言葉にしたものだと説明します。
ケージくんは、それは概念の言語化だと解釈します。しかしシュウは、そこが自分と感覚が違うと返します。
もうね、言語化ってした時点で概念とは違う形でしか絶対現れないと思ってて。
シュウは、言語化とは動き続けているものの一瞬のスナップショットに過ぎず、概念そのものをスナップショットとして固定して捉えることはできないと語ります。
ケージくんはここで、自分は言葉の定義をカチカチ決めていきたい理系寄りのタイプだと明かし、対照的な2人の感覚が対話の焦点になります。
感情は言語化すると変わってしまう
ケージくんは、自分もかつて感情の言語化について同じような感覚を持っていたと語ります。バンドで歌詞を書いていた頃の経験です。
好きな人への思いを言葉にして綴ると、その元の感情が変化してしまうと感じていたとケージくんは話します。
感情を言語化してしまうと、その元の感情が変化してしまうなってずっと思ってたんです。
ケージくんはこれを「恋の不確定性原理」と呼んでいたと明かします。感情は言語化した時点で変化してしまうという考え方です。
一方でシュウは、そのモヤモヤはずっと変化し続けているから、言語化による変化はあまり意識してこなかったと返します。
変化させるのではなく、固定できない
ケージくんは、シュウのモヤモヤが常に変化しているのか、それとも固定化できないだけなのかを確かめようとします。
ケージくんは、「常に変化している」は変化させようとしているイメージがあり、「固定できない」は変化しないものとして存在できないから変化せざるを得ないイメージだと区別します。
そっちに近い気がしますね。ちゃんと区別つけられてないかもしれないけど。
シュウの感覚は、能動的に変化させているのではなく、固定できないから変化せざるを得ないという後者に近いことが確認されます。
そのうえでシュウは、同じ概念でも切り取る角度が違えば「アウトプットが先」にも「無理やりやらない」にもなると説明します。
切り取り方の違いが言葉の違いになる
ケージくんは、シュウの中にある哲学の塊がまずあって、そのスナップショットの撮り方の違いが、言葉の違いとして現れているだけだと整理します。
それはあくまで切り取り方の違いがコンセプトの名称の違い、言葉の違いにただなってるだけみたいな感じ。
はい、そんな感じで。
ケージくんは、常に少しずつ形を変えながらもシュウの生き方のコアにある「シュウさん哲学」があり、それを言語化すると「アウトプットが先」や「無理やりやらない」が出てきやすい、とまとめます。
この整理がこの回の一つの到達点です。ケージくんは、ここまでの理解はわかりやすかったと確認します。
コアにあるモヤモヤ
常に形を変え続ける、シュウの生き方の核になる思い
角度を決めて切り取る
その一瞬をスナップショットのように言葉にする
キーワードとして現れる
「アウトプットが先」「無理やりやらない」などの表現になる
人のことは変えられない、変えられるのは自分だけ
ケージくんは、他によく出てくる言葉があるかを尋ねます。シュウは自分で作った言葉ではないと断りつつ、「人のことは変えられない、変えられるのは自分だけ」を挙げます。
人のことは変えられない、変えられるのは自分だけ。
シュウは、これも「アウトプットが先」の中に入っている気がすると話します。オリジナルの言葉ではないものの、よく口にし、番組でもよく表現する考え方です。
不退転、なってしまう生き方
シュウは最近気にしている言葉として、古典ラジオのゲスト回で聞いた「不退転」を挙げます。松波龍源のゲスト回を繰り返し聴いているそうです。
シュウは、不退転は決意して引かないのではなく、引くに引けない、もうそうなってしまうものだという説明にとても共感したと語ります。
僕の生き方って、決意を持って強くそうあろうとしてやってるっていうよりは、もうこの生き方しかできませんみたいな。
自分の生き方を語るには、この「不退転」が一番しっくりくるとシュウは話します。
繊細さが生き方の起点になっている
ケージくんは、不退転はシュウの哲学というより性質ではないかと問います。シュウは、性質だけではこの生き方にはならないと応じます。
シュウは、自分をHSPだと自認し、繊細でビビリだと思っていると明かします。
そのうえでシュウは、繊細さを起点に、「アウトプットが先」「無理やりやらない」「人のことは変えられない」といった考え方が折り重なり、結果としての不退転になっていると説明します。
結果としての不退転になっちゃってるから、すごいあの龍源ゲスト回で言ってた仏教の考え方の帰結としての不退転みたいなものにめっちゃ近い。
ケージくんは、シュウの性質を起点にシュウ哲学が組み上がっていくイメージだと確認し、シュウも同意します。
手放すことと、番組タイトルの「死」
ケージくんは、この回の発見として、大きな概念をいろんな角度から言語化すると複数の言葉が見えてくることを挙げます。そこから「手放す」という別のキーワードにも話が及びます。
シュウは、なるべくお金を使わない生き方の中で、いろいろなものを手放してきたと語ります。ケージくんは、何を手放しているかだけでも多くの話ができると応じます。
ここでシュウは、番組タイトルの「死」に絡む自分の状況を打ち明けます。母親の認知症が進み、いつあちらに行ってもおかしくない状態になっているという話です。
さらに、山田五郎が亡くなり、その最後の動画「メメントモリ」を見たことで、普段から意識したいことを再認識させられたとシュウは語ります。
母親の状況とこの動画が相まって、本当に大切にしたかったものを意識したとき、手放した方がよかったと思うものがいろいろありそうだと感じたとシュウは話します。
シュウは、自分個人が生き続けることにそこまで重きを置いてもしょうがないところまで感覚がいっていると語り、番組タイトルがとてもいいと感じ直したと述べます。
大切なのは、あの世に持っていけないもの
ケージくんは、シュウが手放したくない、本当に大切なものは何かを尋ねます。シュウは、それはお金でも物質でもないと答えます。
シュウは、山田五郎の動画で語られた「あの世には持っていけない」という表現を引き、自分が大事だと思うのはあの世に持っていけないものではないと話します。
その代表として、シュウは「今を味わうこと」を挙げます。しかもそれは楽しいことに限らないと言います。
楽しいことであっても、悲しいことであっても、ちゃんとそれを自分の感覚としてしっかり味わうこと。
悲しいことなら、そこから逃げずにちゃんと悲しむことも、シュウの言う「味わう」には含まれます。
ドパガキと、意識的に選ぶこと
ケージくんは、「今を味わう」という状態を、そうでない人がいるのかと問い、いま流行っている「ドパガキ」という言葉を持ち出します。
シュウは、ドパガキ状態は自分の言う「味わえていない状態」とほぼ同じだと話します。行動をハックされて振り回されている状態だからです。
そのうえでシュウは、自分の言う「味わう」には、意識的に冷静に選択するという要素が重なっていると説明します。
僕が言ってる味わうっていうのは、自分で意識的に冷静に選択するみたいなのが多分重なってる。
意識的に選んでいるからこそ、翌日後悔するようなものにはなりづらいとシュウは付け加えます。
財布をなくした一日を、味わうということ
ケージくんは、シュウが7月1日に財布をなくした出来事を例に出します。普通の人ならネガティブな感情しか残らないような出来事です。
ケージくんは、シュウがその出来事をネガティブ一色にせず、一連の流れとして覚えていることが、シュウの言う「味わう」に近いのではないかと問います。
シュウは、財布を落としたこと自体は慌てながらいろいろ味わったと認めつつ、そこに要素が加わると返します。
シュウは、もっと意識的に行動していれば落とした瞬間に気づいたはずだと振り返ります。おしっこの動作にもう少し意識的であれば、という具体的な反省です。
さらにシュウは、財布を落としたことが結果的に良かったと今振り返っていること自体が、意図して選択している味わい方になっていると語ります。
ケージくんは、出来事に対して気持ちの持っていき方を意識的に選択できていることが、その出来事を味わうことになるのだと整理します。
そこでもう選択できずに財布を落としたということでもうネガティブな感情に支配されてしまって、自分で感情の整理を意識的にできてないから、それは味わえていない。
近いし、ほぼほぼ合ってると思ってますね。
ケージくんは、こうやってシュウの一言一言を言語化することこそ、この番組でやりたいことだと述べます。
選択するという共通のキーワード
ケージくんは、この回で見えてきたことを整理します。ドパガキがハックされて選択できない状態であるのに対し、シュウの哲学は自分で選択できているという共通点があると気づきます。
ケージくんは、「無理やりやらない」も「人のことは変えられない、変えられるのは自分だけ」も、ある意味で自分で選択していることだと指摘します。無理やりやらないことを選び、左右する対象を自分に絞るという選択だからです。
なんとなくその選択するっていうのも一つのキーワードというか。
こうして「選択する」という言葉が、この回のもう一つのキーワードとして浮かび上がります。
締めの挨拶を決める
番組の最後に、2人は締めの挨拶を決めることにします。この初回で、番組の終わり方を固定しようという相談です。
ケージくんは、終わり方を固定しておくと、聴いている人にとって馴染みになり、なくなると寂しいものになると話します。
シュウは、最近見た1955年公開あたりの古い映画で、みんなが「さいなら」と言っていたことから、締めに「さいなら」を提案します。
ケージくんは、同世代という話にちなんで、アラレちゃんの「バイちゃ」を思い出します。2人の世代らしい別れの言葉です。
話し合いの結果、シュウが「さいなら」、ケージくんが「バイちゃ」と言って締める形に決まります。
はい。さいなら。
バイちゃ。
まとめ
新番組「シューケイ時代」の初回は、聞き手のケージくんが、シュウの生き方の核にある「シュウさん哲学」を対話で少しずつ言葉にしていく回でした。同じ核から角度を変えて切り取ると「アウトプットが先」「無理やりやらない」「人のことは変えられない」といった言葉が現れ、その根底には「意識的に選択して今を味わう」という感覚があることが見えてきました。
- 番組名「シューケージダーイ」の「ダーイ」は死(Die)を意味し、どちらかが死ぬまで続けることを目標に始まった
- シュウ哲学のコアは形を変え続けるモヤモヤで、言語化すると「アウトプットが先」などのキーワードになる
- シュウはHSPで繊細な性質を起点に、結果として引き返せない「不退転」の生き方になっていると語る
- 大切なのはあの世に持っていけないもの、なかでも楽しいことも悲しいことも意識的に味わうこと
- ドパガキのようにハックされて選べない状態と対比され、「選択する」がこの回のキーワードとして浮かび上がった






