番組初のゲストは「文具と当事者デザインの研究家」
Re:Normal Radioは、言語学研究者で大学教員のけいさんと、元上場企業の管理職で車椅子ユーザーのしんぺーさんが、世の中の「普通」を問い直す雑談番組です。今回はその番組に、初めてゲストが登場しました。
ゲストは、文具と当事者デザインの研究家として活動するやまめさんです。テーマは「インクルーシブ」という言葉の使われ方で、収録は1時間半を超える長さになりました。
えー、文具と当事者デザインの研究家、ヤマメと申します。よろしくお願いします。
やまめさんは自身でもポッドキャスト「波子とやまめの水辺でおしゃべり」を配信しています。相方の波子さんは簡易電動車椅子を使う車椅子ライターで、番組は文具と当事者デザイン、インクルーシブデザイン ── 高齢者や障害のある人など、従来の設計から取り残されがちな人を最初からデザインの過程に巻き込み、その気づきから製品やサービスをつくる考え方を中心にしています。
番組名の由来は、波子さんの「波」とやまめさんの「ヤマメ」がどちらも水に関わる名前だったことです。番組は休みを挟みつつも、週1回の配信を目指して続けられています。
なぜ「ヤマメ」?名前の由来とマ行の親近感
海釣りをするけいさんは、まず「なぜヤマメという名前なのか」が気になっていたと切り出します。やまめさんによると、この名前は最初、メルカリのハンドルネームのように何気なく使い始めたものだそうです。
なんか文字の形がそもそも丸くて好きだったんですよね。
やまめさんは、本名の下の名前もMから始まるので、丸っこいマ行の文字に親近感があるのかもしれないと話します。ここでけいさんの言語学者としての顔がのぞきます。
けいさんの説明では、生まれたばかりの子どもは歯がないため、サ行のような音は出しにくい一方、唇を合わせて出すマ行の音は出しやすいといいます。「ママ」のように、母親や食べ物など生きるのに必要なものを呼ぶ言葉にマ行が多いのはそのためかもしれない、という話でした。
noteの書評から始まった出会いと、3つの視点
やまめさんとこの番組をつないだのは、しんぺーさんがnoteに書いたインクルーシブデザイン関連の本の書評でした。そこにやまめさんがコメントを寄せ、話してみるとインクルーシブデザインに非常に詳しい人だとわかったといいます。
やまめさんは、約2年分の配信をまとめたハイライト本を同人誌として作りました。この同人誌ができたことで、声をかける理由ができたと振り返ります。
「ちょっとお話しませんか?」の、まあやっぱ手土産があった方が話しやすいじゃないですか。
けいさんは、やまめさんたちのポッドキャストを「親戚の家の居間で、親戚の会話を聞きながらゴザの上で昼寝するイメージ」で心地よく聞いていると話します。しんぺーさんも、元気いっぱいの波子さんと冷静なやまめさんの掛け合いを魅力に挙げました。
やまめさんと波子さんは、もともと文房具マニアのコミュニティで知り合った仲です。やまめさんはデザインを学ぶ中でインクルーシブデザインを知りました。
やまめさんは、しんぺーさんはビジネスマネジメント、けいさんは言語やアカデミアから、自身は形あるもののデザインからアプローチしていると整理します。アプローチは違っても、大事にしている部分は似ていると感じていたそうです。
「インクルーシブ」は言葉だけが独り歩きしている?
この回のテーマは「インクルーシブってなんだっけ?」です。しんぺーさんは以前のトークイベントで「インクルーシブデザインわかります?」と聞いたとき、手が挙がったのは1人か2人だったと振り返ります。
一方で、しんぺーさんは「インクルーシブ」という言葉自体は、ビジネスの世界である程度独り歩きしていると感じています。特にDEI ── Diversity, Equity and Inclusionの略。多様性・公平性・包摂性を掲げ、企業の人事やマネジメントの施策として語られることが多い考え方の名目で語られる場面が増えているといいます。
どっちかっていうと、こう、なんか、弱者救済っぽいニュアンスがまかり通ってるかなって感覚はあるかなって感じですね。
しんぺーさんは、インクルーシブであることのメリットには特に日本企業があまり目を向けず、言葉だけが広まっている印象だと話します。ただし、ビジネス畑の立場からの感覚的な話だと断っています。
「仲間に入れてやるよ」という語感への違和感
けいさんは「インクルーシブ」という言葉に、「仲間外れにしていたけれど、入れてやるよ」という響きを感じると話します。やまめさんも「入れてやんよ的な感じありますよね」とすぐに同意しました。
自分たちが歩み寄っていくでもなく、なんかその、自分側に入れますよっていうのはすごい、おおへんなって思うけど。
それでもけいさんは、勤務先の大学で始めた1年生向けの教養授業で、インクルーシブデザインを中心的なテーマとして扱っています。英語の先生でもあるけいさんは語感の違いに違和感を持ちつつも、社会でその名前で知られている以上、使わざるを得ないのが現状だといいます。
しんぺーさんは、インクルーシブデザインとユニバーサルデザイン ── 年齢や能力にかかわらず、できるだけ多くの人が使えることを目指す設計の考え方。インクルーシブデザインより広く知られた言葉は根本的な思想が違うと指摘します。それでも検索に引っかけるにはユニバーサルデザインという言葉を使わないといけない場面もあります。
しんぺーさんによると、その違いがわからないままDEIの名目で入ってきた人が実践を始めると、「なんか違う」という現象が起きているように見えるといいます。
言葉の出自と「神視点」、そして当事者という言葉へ
やまめさんは、ウェブの世界のアクセシビリティなども含めて言葉が乱立していると感じています。そのうえで、インクルーシブデザインという言葉の出自が、この違和感の形にもつながっているのではないかと話します。
やまめさんによると、インクルーシブデザインという言葉はやまめさんと同い年で、32年前にできたものです。イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アート ── ロンドンにある美術・デザイン系の大学院大学。デザイン教育の名門として知られるの教授が、排除されている人を仲間に入れていこうという文脈で使ったのが最初だといいます。
日本でインクルーシブデザインを広めてきた中心的な人たちも、この大学に留学した人や提唱者と直接関わった人たちだそうです。そうした背景を踏まえ、やまめさんは「仲間に入れてあげる」という立場そのものに疑問を投げかけます。
なんか仲間に入れてあげるよみたいなのって、私、神視点だと思ってて。
やまめさんは、ゲーム配信で試合に参加せず解説だけする人や、テレビの「天の声」のように、中には入らないのに「あなたはこっち、あなたはあちら」と決める存在を「神のポジション」と表現します。
やまめさんは同人誌を書きながらこの違和感が募り、本を出した後に肩書きを「インクルーシブデザインの作家」から「文具と当事者デザインの研究家」に変えたそうです。
で、やっぱ使いたかったのが当事者だな。当事者っていう言葉だなと思って。
けいさんも、インクルーシブにはどこかに中心があり「そこに入れてあげる」という自己中心的な響きがあるのに対し、当事者という言葉なら全員が同じ目線に立てると、しっくりきたと話します。
やまめさんが問題視するのは、当事者の意識をとても大事にする手法なのに、提唱する側に当事者意識がないというちぐはぐさです。
どこかに中心があり、その外にいる人を「入れてあげる」という神視点の響きがある
参加している全員が当事者を名乗れ、同じ目線から物事を考えられる
車のドアは誰を排除しているのか
けいさんは授業で、学生に少し「ビビってほしい」と考えています。あるデザインやプロダクトから排除される瞬間は誰にでも訪れうる、ということを実感してもらうためです。
けいさんが使う例は車のドアの取っ手です。健常者の多い学生も普段は普通に乗れますが、荷物が多いときや、子どもを抱っこしたときはどうか、と問いかけます。
地べたに置きたくないな。でも車のドアは開けなきゃみたいなシーンって訪れるよねってなった時に、その状況においては、その車のドアのノブをガチャって引いて開けるっていうデザインは僕らを結構排除してるじゃんって。
この話をすると、学生たちは「確かにそうやな」という顔をしてくれるそうです。けいさんは、気づかないうちに誰もが神視点に立ってしまうことはよくあり、それを意識させることを重視して教えていると話します。
大量生産とカテゴライズが引いてきた「線」
しんぺーさんは、インクルーシブデザインの30年余りの歴史が、資本主義や民主主義の全盛期で、マーケティングが確立された時代と重なると指摘します。市場をセグメントし、カテゴリーに分けて商品を当てる考え方が行き過ぎた面があるといいます。
なんかその、「障害者をインクルードするんだ」とか、なんか別にそういう話じゃないんだよなみたいな。
やまめさんは、自分事として考えるとは「明日障害者になるかもしれない」という話ではなく、すでに何かの当事者であると意識することだと話します。子どもを抱えて荷物を持ち、さらに雨で傘をさしていれば片手もふさがる、という具合です。
やまめさんによると、インクルーシブデザインという言葉がデザインの側から生まれたのは、当時が大量生産の時代だったからです。設計図には必ず線が引かれていて、分解すれば設計者が誰を考え、誰を考えていなかったかが読み取れるといいます。
大量生産の時代
大量生産でないと物が作れず、多い・少ないという数で設計が決まった
設計で線を引く
設計図には線が引かれ、考えられている人と考えられていない人が分かれる
外側への気づき
「考えられてない人がいるよね」という気づきが生まれる
言葉の誕生
その気づきからインクルーシブデザインという言葉ができた
やまめさんは、それから30年余りで、ものづくりやマーケティングのあり方も変わってきたと話します。だからこそ「次のフェーズに行ってもいいんじゃない?」と考えているそうです。
けいさんは、物やサービスがあふれる飽和状態では、同じものを入れても社会に溶けないと話します。同時に、上からの視点を批判しつつも、排除に気づく視点そのものは大事なので無下に叩けない難しさもある、と付け加えました。
リードユーザーという語り口は誰のためのもの?
しんぺーさんは、ビジネスや市場のよくない面が、今のインクルーシブデザインにも表れていると話します。その象徴として挙げるのがリードユーザー ── 市場の多くの人より先に課題やニーズに直面し、新しい製品やサービスのヒントを持つとされるユーザーのことという概念です。
しんぺーさんの説明では、インクルーシブデザインは今排除されている人から始め、見つかっていなかったインサイトを市場に広げる考え方です。その中で「排除されている人とは誰か」と考えると、障害者が多いという文脈になります。
超高齢化社会
日本や韓国などの経済大国がこれから経験していく
先に困る人
障害者は、市場で困ることをいち早く経験しているとされる
リードユーザー
だから彼らの声から商品を作るべきだと語られる
市場競争の論理
そうしないと10年後、20年後の競争に勝てない、という語り口になる
しんぺーさんは、ビジネスはお金になる物語を作らないといけないので、どうしてもこの方向にバイアスがかかると話します。これはインクルーシブデザインに限らず気をつけてほしい点だといいます。
なんかね、なんかその言われてる側からすれば、どの口が言うとんじゃいになりますよね。
障害者でもあるしんぺーさんは「本当にそう」と応じます。インクルーシブデザインに触れていないビジネス層に受け入れてもらうための物語だと理解はしつつも、当事者を無視していると感じるそうです。
任天堂Wiiに見る「ニッチ+マジョリティ」
しんぺーさんは、もっと刺さる伝え方がないかと調べる中で、ニッチ戦略 ── 大企業が規模で押さえる大きな市場ではなく、小さな需要に絞って商品を当てていくマーケティングの考え方の側から事例を探したほうが早いと考えました。
けいさんは、インクルーシブデザインの面白さはニッチ戦略そのものではなく、ニッチに加えてマジョリティにも訴えかけられる点にあると話します。だから売り文句が「ニッチ産業です」になるのはやめてほしい、というのがけいさんの思いです。
小さな需要に絞って商品を当てる、ビジネスマンの多くが知る考え方
ニッチから始めつつ、マジョリティにも訴えかけられるところが面白い
しんぺーさんが見つけた事例は任天堂のWiiでした。細かい操作ができない子どもや、ゲームに慣れていない高齢の人がどうしたらゲームに触れられるかを考え、「体を動かしてゲームをやればいい」という発想に至ったものです。
要はゲーム市場っていうものをぶわって広げたわけ、あの人たちあれで。
けいさんも、WiiのCMがおじいちゃんやおばあちゃんを誘う内容だったと思い出します。しんぺーさんは、Wiiがインクルーシブデザインと同じかは別で、踏むべきプロセスは違うだろうとしつつ、ビジネスに刺さるのはこうした「今まで使っていなかったユーザーから市場を広げる」考え方だと話しました。
困っていない人に「困っている感覚」は伝わるか
やまめさんは、ビジネスの文脈の人にインクルーシブデザインの面白さを話すとき、一番伝わらないのは当事者の感覚だと話します。誰にでもある状況で不便を感じるはずなのに、困っていない、自信のある人が多いという印象です。
やまめさんはこれを「ビジネス陽キャ」とも表現し、偏見も含まれているかもしれないと断っています。困っていない人に、困っている感覚を字面だけでなく感覚として持ってもらうことの難しさを感じているそうです。
やまめさんによると、物を作るときに「今回は含めていない人」が外側にいると知っているかどうかで、一緒に作るときの感覚が違うといいます。それが鍵ではないかと模索しているところだと話します。
しんぺーさんは、インクルーシブデザインでも普通のマーケティングでも、インタビューや市場調査の対人コミュニケーションが成熟しきっていないと感じています。やまめさんは、町工場のような現場には、テキスト化されていないノウハウが多くあると補います。
なんかそこってすごくこう、あの、共通言語を持ってない人が話聞きに行っても何もわかんないんですよね。
やまめさんは例として、重い機械が動く工場に「ロングヘアでヒールを履いてきたら怒られる」ことを知っているかどうかを挙げます。共通認識を持ち、同じスタンスに立てるかどうかがインタビューの質を左右するという話です。
「Aと聞かれたらB」という、感情の乗らない準備された回答しか出てこない
回答者が自分自身として答え、いいインサイトにつながる
しんぺーさんは、前者の答えしか出てこない状態では、いくらインクルーシブデザインのフレームを当てはめても破綻してしまうと考えています。
テーラーメイドと、サッカーで爪が剥がれた経験
けいさんとしんぺーさんはよく、インクルーシブデザインは一種のテーラーメイドだと話しています。1人ひとりに合わせて仕立てたものが、結果的に多くの人にとっていいデザインになる、という考え方です。
想像力もしくは実体験のどちらかが絶対必要だと思うんですよ。
けいさんは、サッカーのワールドカップで選手を激しく批判する人たちに「本気で一回サッカーやったことある?」と言いたいそうです。けいさん自身は息子がサッカーを始めたことをきっかけにフットサルに通い、経験者にボコボコにされ、爪も剥がれたといいます。
けいさんは、2006年に柳沢選手がシュートを外して「急にボールが来たから」と答え、からかわれた件を挙げます。実際にやってみると急に来たボールは蹴れないとわかり、それ以来「下手くそ」とは言わないと決めたそうです。
やまめさんは、すべてを経験しろという話ではなく、その人にしかわからない感覚があると知っておくことが大切だと話します。けいさんは、障害の疑似体験のような簡単な体験ではなく、「そう簡単じゃないぜ」と身をもって知ってほしいと続けました。
ここでしんぺーさんとけいさんが、寄り添うことと理解することの違いを口にします。
寄り添った気には、いくらでもなれる
時間と手数がかかり、手や体を動かして初めて得られる
やまめさんは、突き詰めると「理解できないと理解する」ところに落ち着くと話し、けいさんも「わからないがわかる」も大事だと応じます。けいさんは、手を動かし体を動かす体験を怠らないことが、インクルーシブデザインを一過性の流行で終わらせないために必要だと話しました。
フレームだけが広まったとき、何が起きるか
しんぺーさんは、インクルーシブデザインという言葉の良し悪しは置いておき、方法論としてはとても有用だと考えています。一番危惧しているのは、インサイトを掘るインタビューの部分を業務委託先ができないことです。
全然いいもん出てこないじゃん、インクルーシブデザインってってなるじゃん。
けいさんは、ChatGPT以前のディープラーニングのブームを例に挙げます。研究者はそのすごさがわかったものの、ビジネス側には「AIと言っていれば儲かる」「AIに任せておけば全部OK」と考える人も多かったといいます。
しんぺーさんは、デザイン思考も最初のAIブームも同じ構造の問題だと話します。インクルーシブデザインがビジネスに受け入れられたとしても、インタビューが深掘りされなければ同じ現象が起きる、と危惧しています。
本当に危ういのは「人を巻き込む」こと
やまめさんは、インクルーシブデザインには意見を聞かれる人、インタビューする人、形にする人、導入を決める人など、いくつものレイヤーがあると整理します。それぞれに求められる条件をクリアしないと魅力が崩れる、条件の厳しさがあるといいます。
やまめさんによると、ブレインストーミング ── 複数人で批判をせず自由にアイデアを出し合う発想法やKJ法のようなフレームは、質が低くても「お金にならなかったね」で済み、誰も不幸にはしません。
その、実際に人を巻き込むので、まあ、その、それこそ神視点で、「あなたたちを仲間に入れますよ」っていう立て付けで呼んでいる方々を、なんか、使うだけ使って、なんかこう。
「あれ、私が言ったこと何も聞かれ、聞かれてなかったのかな」みたいな。
やまめさんは、呼ばれた人に「結局役に立てないんだね」と思わせることが、掲げている建前と真逆のことであり、一番危惧している点だと話します。そしてそれは「起こり得るし、すでに起こっている」といいます。
しんぺーさんも、結果が出ないとき、リードユーザーとして呼ばれた障害者の側がスケープゴート ── 問題の責任を押しつけられる身代わりのことにされることは十分起こり得ると指摘しました。インタビューの大切さを理解せずにフレームだけを当てはめると、回答者が悪いという話になりかねないという懸念です。
50人の教室なら、同じ疑問を持つ人は7人いる
やまめさんは、極端にニッチな商品でも、同じ不便を抱えて便利だと思ってくれる人が案外いる、というのが理想形だと話します。そこで思い出したのが、大学時代のある先生の言葉でした。
あの五十人教室に学生がいたら、あの、一人が思ってることって七人ぐらい同じことを同じ疑問を持ってるっていう、なんかあの統計的なというか、確率の話があるんですって。
その先生は、勇気を出して1人が質問すれば7人を救うことになるから、手を挙げて質問しよう、と学生に伝えていたそうです。
やまめさんは、大勢に向けて何かを言うとき「案外いるもんですよ」と伝えてもらえることに安心感があると話します。それはビジネスにつなげる感覚としても、自分の自信になるといいます。けいさんも、授業で1人が質問すると頷く学生が結構いると実感を語りました。
人間の順応力という壁と、「工夫を聞く」インタビュー
けいさんは、自分がインクルーシブデザインのワークショップを実践するとしたら、壁になるのは人間の順応力の高さだと考えています。障害のある人も今の状況に順応していて、ちょっとした不便を不便と思わなくなっている可能性があるからです。
しんぺーさんは、少しわがままでも言ったほうがいいラインを越えてもらうことが大事だとしつつ、それを引き出すインタビュアーの能力も必要だと話します。そこでやまめさんが紹介したのが、実際のワークショップやインタビューで使っている方法でした。
あ、こう言えばいいんだなって1個私が持ってるのは、あの、工夫を聞く。
やまめさんによると、ネガティブなことを聞くと、相手は申し訳なさや「わがままじゃないか」という気持ちを抱きがちです。そこで「今こうやって頑張っている」という工夫の側から聞き始めると、話し始めてもらえるそうです。
「ここが不便なのでは」と想像で聞く。想像できる範囲の不便は、相手がすでに乗り越えていることが多い
「どうやって乗り越えているのか」と工夫を聞く。積み重なった工夫から、十分に得られるものがある
けいさんは「やっぱ実際やってる人違うね」と感心します。やまめさんは、サッカーと同じでインクルーシブデザインのワークショップもやってみたらいい、とけいさんに勧めました。
伊藤亜紗さんの「聞く力」
しんぺーさんは、体験と聞き方が「べらぼうにうまい」人として伊藤亜紗さんの名前を挙げます。インタビューを受けた人たちが、なぜここまで心の内の感情を言葉にできているのかが不思議だったそうです。
だってその身体感覚を言語化するってやっぱ超むずいから、自分の体験してきたこととか、そういう時どういう感情だったかみたいな話って、
しんぺーさんがその理由に納得したのは、初めてメールでやり取りしたときでした。あらかじめ10項目ほどの質問にフリーテキストで答える形式で、その質問の仕方がとてもうまかったといいます。
しんぺーさんによると、伊藤亜紗さんはあえて間違ったことを聞き、「違います」と言わせてから本当は何なのかを語ってもらう、といったテクニックも持っているそうです。やまめさんはこれを、柔らかいところに滑り込んでいくのが上手、と表現しました。
共感と当事者感は違う、そして「間主観性」へ
やまめさんは、インタビューをする中で自分でも危ないと感じる点があると切り出します。
やまめさんが例に挙げたのは、うつ病などを経験した人が「その人の気持ちがわかるから」と医療系の道に進むケースです。うまく働く人も、飲み込まれてしまう人もいて、ケースバイケースだといいます。
「病院に来た人は治したいのであって、共感してほしいわけじゃない」みたいな話とかよくあるんですよね。
けいさんは、ここまで当事者の視点がないことを問題にしてきたのに、違う視点も必要だというのは「必要な矛盾、心地よい矛盾」だと話します。しんぺーさんは、それを「当事者の意識を持った他者」と言い表しました。
やまめさんは、デザイナーも同じだと話します。イマーシブアート ── 空間全体に映像を投影するなどして、鑑賞者が作品の中に包み込まれるように体験する展示に「うわ、すげえ」と感動しながら、同時に「あそこにプロジェクターを置いているのか」と考える二面性が必要だといいます。
けいさんはこれを間主観性 ── 英語ではIntersubjectivity。主観でも客観でもなく、複数の主観が交わり共有される領域を指す哲学や言語学などの概念ではないかと提案します。相手の主観をそのまま内側から感じ取ることで、視点を並べられるようになる、という考え方です。
しんぺーさんは、内側から理解することは問題を把握し解決するための手段であり、ケアには共感も必要だが、デザインに必要なのは間主観性のほうだと整理しました。やまめさんは、相手の側に行っても「帰ってこれること」が大事だと付け加えます。
| 視点 | どういうものか | 向いている場面 |
|---|---|---|
| 共感 | 相手の気持ちがわかると寄っていく | 仲間づくりやケア |
| 客観 | 外から「こういうものだ」と捉える | 全体を把握する |
| 間主観性 | 相手の主観を内側から感じ、こちらに帰ってくる | 問題を把握し解決するデザイン |
インタークルーシブ、グラデーション、そして距離感
けいさんは、インクルーシブとエクスクルーシブの間に言葉があるとしたら「インタークルーシブ」のようなものだと話します。自分でも相手でもない別の場所に中心を置き、そこにみんなを巻き込んでいくイメージです。しんぺーさんは、ビジネス的にはそれは新しい市場を作る話だと応じました。
なんかあの、そこには線なんて本当はないっていうことが私は言いたいんですね。
やまめさんは、ベクトルとフィールドの話が混ざっているとしたうえで、本来はただのグラデーションで、県境のような線はないと話します。そこに線を設けようとすること自体がずれているというのが、やまめさんの原点です。
座標の点として捉えていたけいさんは、この連続体の見方に面白さを感じたと話します。やまめさんは、目の前の人との距離感にも触れ、よく知っている人には5センチで済む調整が、よく知らない人には1メートルずれてしまうこともあると表現しました。
やまめさんは例として、友達として接していた人がLGBTQだとカミングアウトした途端、距離を置いてしまう人がいることを挙げます。できる人とできない人がいて、パターン化しにくいといいます。
けいさんは、イギリス留学中のクリスマスの夜に男性の友人からカミングアウトと告白を受けた経験を語ります。まず「好きと言ってくれてありがとう」と伝え、自分は女性が恋愛対象だと答えたうえで、友人へのスタンスは何も変わらず、今も連絡を取り合っているそうです。
やまめさんも性転換をした友人について「そいつだな」と感じていると話し、しんぺーさんも変わらないと応じます。ただけいさんは、たまたまこの3人がそうなだけで、自分たちが少数派の可能性もあると問いかけました。やまめさんは、地域差や環境の影響が大きいだろうと話します。
未知への怖さと、「正しさ」と「残ること」の両立
しんぺーさんは、文化として触れたことがあるかどうかで、未知のものへの怖さは変わると話します。新型コロナの初期や、接触感染しないのに隔離されたエイズの例を挙げ、タッチポイントを多く持つことが重要だといいます。
そのうえでしんぺーさんは、そこにビジネスとのバランスがうまく取れていないもどかしさをずっと感じているそうです。ただし、話を聞いてくれる体制さえあれば「めっちゃ有用じゃん」と思わせる自信はある、とも話しました。
続いて、正しいことと、形が残っていくことは同時には起こりにくい、という話が出ます。完璧な正しさを求めると崩れて理想論になるので、人やお金のコストも考えながら、手法のエッセンスを残して広げることが次のフェーズではないか、という指摘です。
何が外せず、どこまでなら許せるか。さまざまな論に触れて「ここは嫌だ」「ここは譲れる」を揃えていく作業が今は必要で、それが研修や教育に入っていくことが望ましい、という見方が示されました。
建設的な議論の前提にある「心理的安全性」
しんぺーさんは、建設的に議論できる協会のような場が欲しいと話します。どの分野にも派閥はあるとしつつ、弁証法的に良くなるなら議論はぶつければいい、という立場です。
なんか素をさらけ出すというか、その正直になるってめっちゃ大事という感覚がすごくあって。
やまめさんは、かっこつけると人は少しの我慢を口にしなくなり、本質的なボトルネックが見えなくなると話します。しんぺーさんはこれを心理的安全性 ── チームの中で、否定や罰を恐れずに意見や弱みを率直に出せる状態のことの確保と言い換えました。
けいさんは、知ったかぶりや仲間外れへの恐怖も、正直さを妨げると話します。物知りな息子が化学式の模型を見せてくるやり取りを例に、知ったかぶりがばれるとポジションを守ろうとして屁理屈をこねてしまう、と振り返りました。
けいさんは、それがインクルーシブデザインの場で起きるともったいないと話します。欲しいのはポジショントークではないからです。しんぺーさんは、理想は議論だが、学び合いや情報交換、哲学対話のようなゆるい形で進めるのもいいと提案しました。
しんぺーさんは、この話に関心のある人がいればいつでも連絡してほしいと呼びかけます。番組にはコメントがあまり来ないという流れで、やまめさんの「7人」の話が「あなたのコメントは、他の7人のリスナーも言いたいことかもしれない」と早速使われ、笑いが起きました。
言い残したこと:同人誌と「口の悪さ」の心地よさ
締めくくりに、やまめさんは波子さんとのポッドキャストのハイライトと活動記録をまとめた同人誌を紹介しました。BASE上にある、文具王という人のウェブショップ「文具王工作室」に間借りする形で販売しているそうです。
同人誌では、文具を深く語る回や、インクルーシブについて真面目に話した回が取り上げられています。特殊なペン先のおかげで、力が弱くなっても万年筆をもう一度使おうと思えた、という話など、デザインや道具が障害とどう関わるかを文具を通して見る内容です。
けいさんはこの本を「マジで面白かった」と推します。手に力が入りづらくなってきた母親へのプレゼントとしてありだと思った、という気づきもあったと話しました。
しんぺーさんは、インクルーシブデザインに取り組む人から「違うと思う」という意見があれば、ブラッシュアップしたいのでDMでも連絡がほしいと呼びかけます。そのうえで、3人とも口が悪くて面白かったと笑います。
あの批判、批判をちゃんとしていて面白いなと思います。
批判をさらけ出せる3人だったことがうれしかった、事実として話したことを事実として受け取ってもらえて心地よかった、という声も上がります。最後は、やまめさんとのつながりを喜び、今後の交流を約束して収録が終わりました。
まとめ
この回では、「インクルーシブ」という言葉に潜む「入れてあげる」という神視点への違和感から出発し、リードユーザーという語り口やフレームだけが広まることの危うさ、そして当事者として向き合うためのインタビューや間主観性の視点までが語られました。線を引かず、相手の感覚を内側から捉えようとする姿勢が、全体を通したテーマになっています。
- インクルーシブには「仲間に入れてあげる」という神視点の響きがあり、やまめさんは肩書きを「当事者デザイン」に変えた
- 車のドアの例のように、状況次第で誰もが排除されうるという意識が、自分事として考える出発点になる
- フレームだけを当てはめると、呼ばれた当事者を使うだけ使い、責任まで押しつける危険がある
- 不便を想像で聞くより、乗り越えてきた工夫を聞くほうが、相手から多くのことが引き出せる
- 共感と当事者感は違い、相手の内側を感じつつ戻ってこられる間主観性がデザインには必要とされる





