ティエラで一番の重機ファンを名乗った社長
番組冒頭の挨拶に続き、猿山さんが日立建機グループの一村社長を紹介します。今回ゲストに呼んだ理由には、ある一言のきっかけがありました。
さて、2回目となる今回も、重機愛を語るにふさわしいゲストに来ていただきました。なんと今回は日立建機グループの中の人がゲストです。日立建機執行役コンパクトビジネスユニット長兼、日立建機ティエラ代表取締役、取締役社長であり、重機ファンでもある一村和弘さんです。よろしくお願いします。
こんにちは、一村です。よろしくお願いします。
昔、私が経営企画にいる時に、戦略会議の後の懇親会あったじゃないですか。その時、重機ファンコミュニティやりたいって言って、社内に重機ファンっていますかね?って聞き回ってたんですよ。いろんな役員に聞き回った後に、(一村社長のいる)ティエラで重機ファンいないですか?って言ったら、ティエラで一番の重機ファンは自分かなって言ったんです。
言いそう。
で、(一村社長を今回ゲストに)呼びました。
はい。忘れてました。
推し重機ザクシス125Wの前身、EX125WDの開発秘話
番組の冒頭で流れたエンジン音は、一村社長が手がけてきたホイールショベルのものでした。ここからその開発の物語が始まります。
これはね、(先ほど流れたエンジン音は)ホイールショベルのザクシス125Wの1型のエンジンですね。
だからあのさっきの公道を走っているショベル。本社上野なんで、上野の会社の前、結構大きい道路あるんですけど、夕方走ってるんですよ。どえらい音を立ててかっこよく。
ギーンって言いながら(走ってますよね)。
そのザクシス125Wの前身であるEX125WDっていうのを開発させていただいたんですね。
それ多分あのブロマイドにこの間させていただいたやつですよね。(ファミリーマートで発売中のブロマイドに)重機ファンの方に、ブロマイドにしたいんだけど推し重機はありますか?とやって出てきたのの一つがEX125WD。
会社の主力はクローラータイプで、タイヤ式のホイールショベルは少しマイナーな存在です。ただ、雪国やスクラップ現場など、自走できる強みが活きる場面があります。
なんか会社の中だとやっぱりクローラータイプがメイン商材で、タイヤ式って少しマイナーな機械。
レアに近い。
展示会で見てなるほどなって思ったのが、スクラップとかの会社は辺りをぐるぐる走る必要があるからタイヤ式だったり、あと回送がいらないですよね。自分で走れるんで。トレーラーに乗せて移動じゃなくて、ショベルに乗って現場にすぐ行けるから、緊急車両としてもすごく優秀なホイール式が。
ただ日本でなかなか見ないのも事実で、流行ってる地域があるんですよ。北からいうと札幌、関東圏は多くは横浜、で西に行って名古屋、さらに西に行って広島がメイン市場。
生息してる地域があるんですね。
不思議と大阪が入ってない。比較的都市型土木機械なんだけど、大阪はちょっと流行らなかった。
設計者ひとりから始まった開発と、ファンが支えた復活
EX125WDの開発は、一村社長がまだ新人だった頃、自ら手を挙げたことから始まりました。しかも当時、ホイールショベルの設計者は社長ひとりだったといいます。
これはね、このEX125WDを開発させてくれっていうところから始まったんだよね。
じゃあ作らせてくれって。もうすごい立場の低い(時代に)。
当時いろんなことがあって、その設計部内でカレント設計としてホイールショベルになってたのが僕1人になっちゃって。
1人ってやばいですね。
今後開発できないのかなとか思いながらも、ファンが多いんですよ。土浦工場内も、さっき言った地域性があるところの営業さんとか、サービスの方とか、お客さん、そういったファンが次を作ってくれと。
当時部長さんに相談して、ちょっと外の声を聞いてくださいと。横浜営業所に行って営業の方の声を聞いたり、川崎のお客さんのところに行ってお客さんの声を部長に生に聞かせて。結果的にやろうかと。
ナイス行動力。
行動力よりファンが支えてくれたからね。
だって普通のショベル1台って、エンジンやってる人、キャブやってる人、なんならこのブラケット自分担当しましたみたいな感じで、パーツパーツで分かれてるじゃないですか。(それを)1人。
(当初は)1人。その時はカレント設計だったんでね。ただ開発やろうって決まってからは、全部で7人ぐらいのチームさせてもらって、やったんですよ。それがEX125WD。ダッシュファイブの時のね。
もうあのブロマイド、涙なしには見られないですね。だってそれ(EX125WD)がいなかったら、当然その後のZX125Wとか生まれてないですよね。
じゃあなんで推し重機がZX125Wかっていうと、やっぱりザクシスの称号を得たいっていうのもあったし、いろんな改良して洗練された機械なんで、今かなり日本にも残ってると思うんだけど、推しはザクシス125Wかな。
筑波山で坂を登る、公道を走る重機の試験
公道を走れるホイールショベルは、大型特殊免許があれば運転できます。かつては工場の外に出て、実際の坂道を使った試験も行われていました。
運転したいなって思いますもんね。
まあ、大型特殊免許があれば乗れますよ。
(公道を)走ったことありますか?
もちろん。昔は近くに筑波山につながるパープルラインとかあって、そこの山を登るのが一つの性能を測るとかね。上り坂をずっと登っていって、オーバーヒートするかしないかっていう試験を、よくやってたんですよ。
外でやるんですね。
今はシャーシーダイナモっていう試験設備があって、いろんな斜面を再現できるから、外に出ることは少ないんだろうけどね。
じゃあその当時、一村社長自身が乗って試験してたんですか?
試験する前の設計チューニング。いや、ドライブかな。はたから見ればドライブじゃねえか、あれはってね。
(上りは)本当にオーバーヒートするかしないかを判断するには坂を登るしかないので。平地の100メートル加速とか最高速試験は場内でできるんで。とにかく上り坂の性能。
逆に下り坂はあるんですか?
あるんです。油圧で走らせてるんで、上りはエンジンのオーバーヒートが心配なんだけど、下りは油圧のオーバーヒートが心配で。下っていくブレーキをかけてるのが全部作動油、油圧のね、温度に変えてるの。上りも下りも試験する。
赤紫の巨大なお化け、幻の重機ポクレンとの出会い
一村社長の重機愛の原点は、小学生の頃に見た「幻の重機」でした。柔道の道場へ向かう途中に見たその正体を、猿山さんが掘り下げます。
昔、市村社長に自分が一番ティエラで重機ファンだよって言われた後、小さい頃に見た幻の重機みたいなのがあって、どこから見たかは覚えてないんですけど、教室の窓かどっからかそれを見て、ずっとそれ何だろうって思ってたっておっしゃってたんですよね。あれってもうちょっとお話聞いてもいいですか?
小学校4年生、3年生かもしれないけど、あの頃に僕、柔道やってたんだよね。その道場に歩いて向かってる時に、方向的には錦帯橋に向かうんだけど、後ろからものすごい轟音が聞こえてきて。振り向いたら赤紫の巨大なお化けがボカーンって通り過ぎてって。何なんだあれはと。ものすごく大きく感じて。
その話されてたなってすごい覚えてて。公道を走ってる重機だったってことですよね。
そうなんですよね。結果的にはその日立建機に入社して、運良く設計部に入れて、さらに運良くホイールショベルみたいに触って。配属先の先輩に、昔こんなの見たんですけどって(聞いたら)、それは多分湯谷のマシンじゃないかなとか。昔湯谷さんってあってね、広島にね。ポクレンと確か技術提携して作ってたらしいんだけど。
そこ広島でしょ。さっきホイールショベルの流行ってる地域も広島って言ったじゃん。僕が住んでた岩国市って隣町なんだよね、広島と。だから岩国まで走ってきたんだろうね。
ごく稀に重機ファンダムで、いろんな重機ファンが日本全国のレアな重機の写真を上げてくださるんですけど、何回か(ポクレンが)。
(写真に)出てきた?ポクレンくん?
出てきました。それで覚えました。昔、一村社長から聞いた時はポクレン知らなかったんですよ。湯谷っていう単語も。コミュニティサイトが2024年の11月に立ち上がって1年ぐらい経ったんですけど、ちょいちょいポクレンの目撃写真がポンポンって。伏線回収しましたね。
アルバイトで見た大道芸のような回送、そして運命の入社
学生時代、一村社長は近所の土木業者でアルバイトをしていました。そこでショベルを目の前で見た体験が、後の人生につながっていきます。
舗装の補修が多かったんだけどね。山道とか農道もそうなんだけど、ポコンって穴が空いてる時があるんだよね。そういうのにアスファルト詰めて、ビーンってプレートでならし固めて、はい次行こうっていうような。さすらいのアスファルトフィニッシャーみたいな感じ。
かっこいい。やりたい。
トラックの荷台に積まれてるアスファルト合材をスコップで下ろして、温めて、ならして、トンボで。プレートで締め固める。っていうのを3人ぐらいでね。
初めてショベルを目の前で見たのもこの時で。アルバイト先の先輩が、今の言葉で言うとショベル回送するから一緒に行く?っていう感じでね。その錦帯橋の近くの河原のところにデーンってオレンジ色の機械があって。回送車をバックでつけて。
今では当たり前だけど、アクロバットな動きでね、道板を登っていくんじゃなくて、いきなり平ボディにショベルをデーン、ぐるっと回ってダンってね。
あれすごい技ですよね。それ学生の時に見たらハマりますね。
そのオレンジ色のやつは何ていう機械?
確かEX200の1型だと思うよ。
それを見て、それが学生の時だから、その後に日立建機に入社。
です。運命。EX200がありました。生産してました。
マドンナと結婚したら、実家はEX200を持つ土建屋だった
話題は一転、奥様との出会いへ。社内恋愛だったという結婚相手のご実家もまた、重機とつながっていました。
全然話変わって、奥様との出会いは?
奥様は、社内恋愛です。同じホイールショベルグループの庶務の女の子だったんですね。
みんなマドンナじゃないですか、そんなの。それを捕まえまして。奥様のご実家は?
土建業なんですね。
で、EX200を持ってました。
うわぁすごい。持ってた。自家用車になりました。おめでとうございます。
主な重機活動で乗り重機って。乗りますって答える日立建機の従業員ってまあいないと思うんですけど。
乗ってましたね。今も時々乗りますけど。当時ね、景気も良かったのかな。土曜とか日曜にね、手伝ってくんない?って言われ、わかりましたつって。
お婿さんだから。
お婿さんじゃないな。マスオさん。
(作業は)お金をもらうような作業じゃなくて。ちょっとそこの土管をどかす、もしくは砕石場があって、トラックにいっぱい積んで持ってくるとか、そういうのをやってた。いろいろやってた。
平日は重機の設計とか開発、場合によっては試験のために走ったりしていて、週末は奥様のご実家でオペレーターをすると。素晴らしい重機三昧ですね。
これって私だけ?ラフターの音がしたら振り向く
後半のコーナー「これって私だけ?重機あるある」では、一村社長がラフテレーンクレーンへの偏愛を明かします。
多分僕だけだと思うけど、僕、ラフター好きなんだよね。ラフテレーンクレーン。公道を走る結構大きいやつ。あれが走ってる音が聞こえるとまず立ち止まる。振り向く。いなかったら探す。
これがやっぱり、さっき話した小学校時代の思い出がずっとつながってるのかなと思って。ぜひ後ろからこう来てくれって思いながら。
すげえわかる。
公道を走る重機って最強だと思うんですよね。
ね。絶対負けないよね。
絶対負けない。強いじゃないですか。何か災害あったら助けに行けるじゃないですか。しかも自分1人で。
私はいつかやってほしいって思ってるのが、125Wとかが公道でパレードする。ラフターも一緒に、みんなで道路を走る重機たちがただ連なって走ってもらうだけでいいんで。いつか見たいな、その光景って思ってますね。
そうだね。先頭は札幌消防署に収めた真っ赤な125W10Dがいいかもしれない。公道を走る自動車っていうのは全部名前があって、ホイールショベルはショベルローダっていう分類になるのね。消防署に収めたやつはちょっとフロントを変えちゃったんで、破壊工作車っていうカテゴリーの自動車になった。
強そう。じゃあいつか一村社長が歩いている後ろを、走る働く車たちが駆け抜けていくと。いいですね。やりたい。
人生まるごとホイールショベル、そしてエンディング
あっという間にエンディングです。一村社長の人生を振り返り、ホイールショベルの世界的な広がりにも話が及びます。
というわけであっという間にエンディングです。市村社長いかがでしたか?
いや、楽しかったですね。いろいろ昔を思い出しながら、いろいろあったんだなと思いながらね。
意外と人生がホイールショベルで埋まっていました。ありがとうございます。今、日本の随所随所にホイールショベルが群生しているっていう素敵な日本になっています。欧州だと多いんですよね。
欧州多いです。
日本がまだ局所的な傾向があるだけで、欧州だと結構メインどころ。
ですね。お隣の韓国も多いですよ。
では市村社長、今日はどうもありがとうございました。とっても楽しかったです。またお話しましょう。
まとめ
日立建機ティエラの一村社長は、小学生の頃に見た赤紫の「幻の重機」ポクレンとの出会いから、公道を走るホイールショベルに惹かれ続けてきました。新人時代にファンの声を支えに開発を勝ち取ったEX125WDは、後のザクシス125Wへとつながっています。学生時代のアルバイトや奥様のご実家の重機まで、人生のあちこちにホイールショベルが登場する回でした。
- 一村社長の原点は、小学生の頃に見た公道を走る「幻の重機」ポクレンとの出会い
- 新人時代、設計者が1人になったホイールショベルを、ファンの声を支えにEX125WDとして開発した
- 公道を走れるホイールショベルは、大型特殊免許で運転でき、筑波山の坂で試験も行われていた
- 学生時代のアルバイトや奥様のご実家の重機まで、人生のあちこちにホイールショベルが登場した





