自分を語らないパーソナリティが、今回は語り手になる
この回は前編を受けた後編にあたります。前編では、サマンサタバサやアバクロを例に、ブランドの意味は時代の文脈でずれるという話が語られました。
後編で題材になるのは、MCの平野聡自身のキャリアです。片山は「職業ブランドの意味の変遷を、平野聡というDJを通して深掘りしたい」と切り出します。
ただ平野は、この企画に少し身構えていました。ゲストを深掘りするのが仕事の側であって、自分が語られることには慣れていないからです。
普段のことは喋りますよ。ただ、その人生がどうとか、どういうことを考えてやってきたみたいなことは、あんまり喋ったことは多分ない。
パーソナリティやってる人って、ゲストの深掘りは結構やるけど、自分は語らないもん。
保呂田も「ラジオDJの仕事の話はなかなか聞けない」と、憧れの職業の裏側を楽しみにしていると話します。
二浪して入った大学で、ラジオだけがそばにあった
片山はまず、平野の経歴をリスナーに紹介します。関西を中心に活躍するベテランのラジオDJで、大阪大学外国語学部のスワヒリ語専攻という異色の経歴の持ち主です。
コミュニティラジオやAM局のアシスタントから始まり、10回の挑戦を経てFM802のオーディションに合格。その後は名古屋のFM愛知を経て、現在は京都のアルファステーションを主な拠点にしています。ラグビーリーグワンのスタジアムMCなども務める、声のプロです。
保呂田が、ラジオDJを目指したきっかけを尋ねます。平野の答えは、まず大学入学までの回り道から始まりました。
平野はもともと「外大に行きたい」という思いが先にあり、専攻する言語自体は何でもよかったと振り返ります。二浪の末、倍率が低そうだと統計的に見当をつけたスワヒリ語で受験し、合格しました。
ただただ外大に行きたかったんです。ぶっちゃけ言葉は何でもよかった。
ところが入学した途端、目標がなくなってしまったと平野は言います。必要最低限の授業以外は、学校のベンチで一日中ラジオを聴いて過ごすようになりました。もともと中学・高校の頃からAMの夜の放送やFMのチャート番組に親しんでいたことも背景にあります。
「声だけはいい」―友人の一言が始まりだった
転機は、大学の同級生「よりちゃん」の一言でした。ラジオ好きが高じてベンチで聴き込む平野に、彼女がFM802のオーディションを勧めたのです。
(よりちゃんに)そんだけラジオ好きなんやったら受けたら?声だけはいいねんから。
この一言が全てだったと平野は語ります。20歳でオーディション用のテープを出し始めますが、最初はまったく引っかかりませんでした。
大学卒業は26歳。そのタイミングで所属事務所のアカデミーに通い始め、愛知のDJコンテストでグランプリを取るなどしますが、キー局の仕事はなかなか決まりませんでした。実力が足りなかったのだろう、と平野は当時を振り返ります。
親からも「どうするのか」と言われる中、平野は自分に期限を設けます。新聞のラジオ欄に自分の名前が載るかどうかを、続けるかやめるかの基準にしたのです。
30(歳)までに、新聞のラテ欄に名前が出んかったらやめるわって言って。ギリギリ30歳の秋に802のオーディションに受かって名前が載ったから、まあギリギリセーフ。
そこからようやく、キー局で喋る日々が始まりました。以降16年ほど、本数はその時々で変わりながらも、生放送だけはずっと続けてきたと言います。
(生放送が)ないと逆にやっていけないみたいなところは、正直あります。
iPodからサブスクへ、音との出会い方が変わった
片山は、平野の喋りが2007年頃と今とでは客観的に違うと指摘します。かつての「モチャッとした感じ」から、今は「シャープなトーク」に変わってきた、という技術的な変化です。
話題は、DJに欠かせない音楽との関わり方へ移ります。平野は自身の実感を、世の中の変化とほぼ重ねて語ります。
学生時代のカセットテープやMDから、2001年頃のiPod登場でデータを持ち歩く時代になり、さらにiPhoneで電話とも一体化。近年はSpotifyやApple Music、Amazon Musicといった配信サービスが音楽を届けるようになりました。
便利になった一方で、平野はある危惧を口にします。アルゴリズムが「あなたはこれが好きそう」と勧めてくれる時代だからこそ、聴くものが狭くなっているのではないか、という指摘です。
すごい便利にはなってるなと思うけど、ただその一方で、皆さん(音楽の幅が)狭くなってることに気づいてますか?
片山は、80〜90年代にDJが新しい音楽を届けていた時代から、今はAIが新曲を紹介する時代になったと整理します。その中でも平野というDJが存在し続けている現実に、DJの価値がむしろ重要になってきているのではと投げかけます。
音楽を紹介する人から、日常に寄り添う人へ
片山は前編で触れた論点を持ち出します。ラジオDJは「音楽を紹介する人」から、それだけではない役割を付加されているのではないか、という問いです。
(片山からの問い)ラジオDJは「音楽を紹介する人」から、どんな役割を付加されてきたのか。
平野は、DJという職業を2つの側面に分けて答えます。1つは音を紹介し届ける「ディスクジョッキー」としての側面。これは今も変わらず必要とされていると言います。
もう1つが「パーソナリティ」としての側面です。自分のパーソナルな部分を出しながら、リスナーのパーソナルな部分を受け止めていく。ここに、日々の生活に寄り添う仕事としての意味があると平野は語ります。
ニュースを正確に読むのはAIもできるかもしれないけど、そうじゃない部分はやっぱ大事に守り続けながら鍛えていきたい。
音楽をかっこよく紹介し、面白さや楽しさを音に乗せて届ける。AIやアルゴリズムでも一部は代替されつつある
自分の個人的な部分を出し、リスナーの個人的な部分を受け止める。日常に寄り添い、人としての力で関わる
片山は、平野がリスナーと直接会うアナログなイベントに出演していたことに触れます。写真を撮ったりサインをしたりする、対面での接点です。
平野は、普段は人と会わない仕事だからこそ、そうした場は面白いと話します。リアルタイムで聴く人、ラジコで後から聴く人、一人の時間に聴く人など、リスナーの多様な聴き方を直接知れる貴重な機会だと言います。
平野は、対面の機会がコロナ禍で一度なくなったぶん、余計に貴重に感じると振り返ります。一方で、放送する側と聴く側の関係性そのものは、コロナ禍を通じても変わらなかったと語ります。むしろこの時期に新しい楽しみを求めてラジオと出会った人も多かった、というのが平野の体感です。
生放送へのこだわりと、災害時に選ぶ言葉
平野が個人的に強くこだわっているのが、生放送です。後から聴ける仕組みがある今、それは一見矛盾するとも言いますが、生だからこそリスナーの生活に並走できる感覚があると語ります。
生でお互いに喋り、聞き、メッセージを届け、それが読まれたり読まれなかったり。その緊張感、ドキドキ感が、もうやめられない体質になってます。
片山は、2024年の能登半島地震のとき、なぜかアルファステーションをつけ、平野がどう喋るのか気になったと明かします。ちょうど平野の生放送中の出来事でした。
平野は、番組の途中で地震が起きたときの姿勢を語ります。まず落ち着いて物事を届けること、そして必要以上に煽らないことを意識していたと言います。
その背景には、東日本大震災のときの経験がありました。当時、被災地に向けてラジコのエリアが一時的に解除され、平野が夜中に生放送で喋っていた場面です。
放送前、阪神・淡路大震災も経験していたベテランのディレクターから、平野はある言葉をかけられました。それが、災害時に言葉を選ぶ姿勢の原点になっています。
そう思って喋れば、選ぶ言葉もトーンも必然的に決まってくる。ディレクターのこの助言を、平野は今も大事にしていると言います。能登半島地震のときも、その気持ちがどこかにあったと振り返ります。
保呂田は、この時点ですっかり一リスナーとして話に引き込まれていたと漏らします。DJの仕事の裏側は、それほど聞く機会がないのです。
氷屋はなくならない―職業の意味が更新される
片山は、平野の話をブランドの意味更新という前編のテーマにつなげます。ラジオDJは、音楽を紹介する人であり、その場の空気や世界観を伝える人であり、コミュニティのリーダーであり、災害時に寄り添う存在でもある。80〜90年代のDJから、意味がずれて変わってきているという見方です。
保呂田は、前編のサマンサタバサの話と平野の話が最初はうまく結びつかなかったと正直に述べたうえで、聞くうちに同じ「意味の変遷」が起きていると気づいたと語ります。
保呂田は、オールドメディアからニューメディアへと環境が変わる中でも、脈々と続けてきた文脈を新しい場で活かせるのがプロだと話します。意味を変えていけることこそ専門性だ、という見方です。
片山は、職業の意味が時代とともに変わる例として、氷屋を挙げます。冷蔵庫がなかった時代に家庭へ氷を売っていた氷屋は、冷蔵庫の普及で消えたわけではありません。業務用の氷を作り、売る商売として、別の意味で発展しています。
冷蔵庫がなかった時代、家庭に氷を売り、食品を冷やすための日常必需品を担っていた
冷蔵庫の普及後は、業務用の氷を作り売る商売へ。日常品からハイエンドな用途へと意味を変えて存続している
保呂田は、この構図をDJに重ねます。デイリーな存在からハイエンドな存在へ移った氷屋のように、DJも音楽を紹介する存在から、生活に密着したパーソナリティや、技術を活かしたMCへと役割を変えてきた、というわかりやすい例だと整理します。
片山は、この激動の社会変化を終わりではなく更新のチャンスと捉えることが、一人ひとりに求められていると締めくくります。
たどり着いた答えは「日常のプロになる」
平野は、この回の収録前からどうなるか身構えていたと明かします。自分をブランディングする必要性は、フリーランスがコロナ禍を経て気づかされたことだが、ではどうすればいいかはわからない、というのが正直なところだと言います。
そのうえで、自分を語る時間をもらって考えたとき、変わらない核があると気づきます。喋りで人に寄り添っていきたいという思いは、ずっと変わっていないと語ります。
さらに平野は、最近意識していることを言葉にします。イベントやライブといった特別なことよりも、普段の日常にこそプロでありたい、という感覚です。
保呂田は、こうしたMCやパーソナリティを抱えるのがセイであり、企業のストーリーを翻訳してポッドキャストとして世に出そうとするのがショベリーというサービスだと紹介します。MCがいることで番組が回る価値を、あらためて認識したと語ります。
平野も、自分たちの取り組みにMCや喋り手が必要だと感じたら一報を、と呼びかけます。
収録の最後には、保呂田から次への実験のアイデアも飛び出します。平野以外のMCの声を聞いてみたい、AIで生成したラジオとプロがやる番組を聞き比べてみたい、という構想です。人間の力を信じる立場として証明したいところだと、笑いながら語り合いました。
(自分の喋りが)常に上に向いていけてるような、そういう自分でありたいなと思いました。
まとめ
ラジオDJ・平野聡のキャリアをたどると、職業の「意味」が時代とともに更新されてきたことが見えてきます。音楽を紹介する役割は残しつつ、生放送で日常に並走し、災害時には言葉を選ぶ。氷屋が意味を変えて存続したように、DJもパーソナリティやMCへと意味を広げてきました。
- ラジオDJは「音楽を紹介する人」から、日常に寄り添うパーソナリティへと意味を更新してきた
- アルゴリズムが音楽を勧める時代だからこそ、人の声が届ける「思わぬ出会い」に価値がある
- 平野の原点は「声だけはいい」という友人の一言と、新聞のラジオ欄に名前が載るまでという自らの期限だった
- 災害時に「自分の家族が亡くなっているかもしれない」と思って喋る姿勢が、言葉選びの基準になっている
- 職業の意味が変わる時代は終わりではなく、更新のチャンスとして捉えられる







