ブランディングという言葉はいつ生まれたのか
番組は今回から映像付きのビデオポッドキャストとして収録されています。MCの中島静香が大阪に来られたことをきっかけに、実験的に試すことになったと説明されています。
保呂田直行は、新規のポッドキャストリスナーの一定数がビデオポッドキャストで視聴しているというデータに触れつつ、この回のテーマとして「昔の日本にもブランディングっぽいことがあったのでは」という話を持ち込みます。
まず前提として、ブランディングという概念がいつ確立されたのかが確認されます。片山光祐は、ブランディングの第一人者であるアーカーが著書を紹介したのがバブル期にあたる時期だと話します。
ブランドエクイティ戦略っていう本を紹介したのが(1990年代の)前半で、それが大体バブルの時。日本でいうとバブルの時。
つまり、ブランディングは比較的新しい言葉だという確認です。それを踏まえたうえで、保呂田は「もっと昔から日本人はブランディングをやっていた」と切り出し、歴史上の人物を例に話を進めていきます。
平賀源内が仕掛けた「土用の丑の日」とは
最初に取り上げられたのは平賀源内です。エレキテルの発明家というイメージが強いものの、実際には本草学者、蘭学者、戯曲の作者でもあった人物だと紹介されます。
今でいうと完全にハイパーマルチクリエイターですよね。
その源内がブランディングにつながる仕事として挙げられたのが「土用の丑の日」です。夏にうなぎが売れないと困っていた友人のうなぎ屋に頼まれ、丑の日にうなぎを食べる習慣を提唱したと説明されます。
保呂田は、これを単なる宣伝文句ではなく、売る側と客の橋渡しをした翻訳のような役割だと位置づけます。丑の日という言葉の力で「食べたい」という気持ちに変えた、というわけです。
この習慣は江戸時代から現代まで、およそ300年続いています。中島静香は、その長さそのものがブランディングとしてハマった証拠だと受け止めます。
(源内の)やってきたことがブランディングとしてビタっとハマったいい例なんじゃないのかなっていうふうに思うわけなんです。
思い出させる仕掛け「カテゴリーエントリーポイント」
片山は、土用の丑の日を「売るための戦略」ではなく「思い出すための仕掛け作り」だと整理します。友人のうなぎ屋だけでなく、うなぎ業界全体が得する構造を作った点を評価します。
身近な例として、クリスマスやバレンタイン、ハロウィンといった、業界全体を巻き込むブランディングが挙げられます。ただしバレンタインは源内が作ったわけではない、という冗談も交わされました。
この仕組みを理論で整理すると、研究者マーク・リトソンが提唱したカテゴリーエントリーポイント、CEPという概念に重なると片山は説明します。
人が何かを思い出すためのスイッチのことですね。
例として、ゴールデンウィークにスーパーの精肉コーナーを見て「バーベキューをするか」となる流れが挙げられました。保呂田は、雨の日に家族の反対を受けながら実際にやってしまったと明かします。
(バーベキューを)雨の日なのに家族にブーイングされながら(やった)。
さらに、彼女の誕生日やクリスマスにプレゼントを選ぶ場面も、CEPが働く例として語られます。オケージョン、つまり機会がブランドを思い出す入り口になる、という整理です。
プライミング効果とCEPは何が違うのか
保呂田は、過去の収録で扱ったスノボのゴーグルブランド「ドラゴン」の話を持ち出し、その時に説明した「プライミング効果」と今回のCEPの違いを片山に尋ねます。
中島は、片山がドラゴンのロゴを見て学生時代のスノボの熱い気持ちを思い出し、思わず買ってしまったという例を、プライミング効果として振り返ります。
片山は、プライミング効果を「見て脳が反応すること」だと説明します。ロゴを見て記憶が浮き上がってくる反応です。
一方でCEPは「入り口の話」だと片山は区別します。源内がやったのは、丑の日や夏バテといった特定のシチュエーションになった瞬間に、真っ先にうなぎという選択肢が出るように設計したことです。
ロゴなどの刺激を見て、記憶や感情が呼び起こされる「反応」。ドラゴンのロゴを見て昔を思い出す例。
特定の状況になったとき、真っ先に思い浮かぶように設計された「入り口」。丑の日といえばうなぎ、という例。
保呂田は、雪が降って「スノボに行きたい」となるのがCEP、ギアを買いに行ってドラゴンのロゴに昔を重ねて熱くなるのがプライミング効果、とまとめます。反応か入り口か、という違いです。
千利休が茶の湯で作った「クローズドなコミュニティ」
2人目に登場するのは千利休です。保呂田は、利休がお茶の世界で「侘び」「寂び」という2つのキーワードを発明した点に注目します。
それ以前の茶の世界は煌びやかで、太閤秀吉の金色の茶室に象徴される時代だったと語られます。利休はそこに侘び寂びを持ち込み、空間やおもてなしまでを含めて茶の湯の世界を表現しました。
それまではあくまでも一つの文化だったものを、千利休の中のブランディングによって、彼は一世代を完全に作りましたよね。
保呂田は、当時の茶器が戦争の功労者へのご褒美として与えられるものだった点を挙げます。そこにクローズドなコミュニティが存在し、所属すること自体がステータスになっていたと説明します。
茶器の機能はお茶を点てて飲むことでしかありません。しかし利休は、様々な儀式やしきたりによって情緒的な価値を高めていった、というのが評価される点です。
片山は、これを現代のブランドコミュニティ理論に重ねます。研究者ムニズとオグウィンが挙げた、強いブランドコミュニティの3要素と近いという整理です。
片山は、この儀式や伝統がインナーブランディングにも通じると話します。朝礼で社訓を唱和するような行為も、共通の動作を繰り返すことで一体感を刷り込む仕組みだと説明します。
一方で中島は、儀式が形骸化している企業も多そうだと指摘します。保呂田も、本気でそう思っているかどうかが分かれ目だと応じます。スポーツチームの円陣なども同じ構造だと語られました。
片山は、効率だけを求めて一見無駄な儀式をそぎ落とすと、看板を背負っているからこそ中途半端な仕事はできないという誇り、つまり道徳的責任感まで消えてしまう危険があると補足します。
蔦屋重三郎は江戸のタレントエージェントだった?
3人目は、大河ドラマ「べらぼう」の主人公にもなった蔦屋重三郎です。なお、この蔦屋は現代のビデオレンタル店の創業者とは無関係だと確認されます。
保呂田は、蔦屋重三郎のイメージを、現代のYouTuberが所属するようなタレントマネジメント会社に重ねます。当時の刊行物は、旧来の枠にとらわれない新しいメディアだったという見立てです。
新しくできたメディアのマネージメント会社っていうイメージが、蔦屋重三郎さんのブランディングイメージに近いなって思ったんです。
保呂田は、蔦屋が東洲斎写楽や歌麿といった絵師の作品を版画にして出版し、それまで手軽に絵を持てなかった人々の手に渡した点を強調します。テレビの映像がスマホの中にあるような、画期的なメディアだったという例えです。
片山は、蔦屋が絵師のキャラクターを際立たせるように発注していった点を、彼のすごいところだと説明します。従来の版元は絵師や作家に発注して本を作るだけでしたが、蔦屋はタレントを立てる発想を持っていました。
その象徴が写楽です。片山によると、写楽は10ヶ月の間に150点以上の作品を出し、正体が謎に包まれたまま姿を消したと語られます。1ヶ月に15点ほどという計算で、収録陣も驚きます。
俺たちでも1ヶ月に4回しか発信できてない。このポジティブランディングラボ。
片山は、蔦屋が流通も押さえていた点にも触れます。江戸の本屋が並ぶ通りに出店し、自分で作って自分で売る垂直統合型のビジネスをしていたと説明します。保呂田は、その姿がインターネット時代の働き方に近いと重ねます。
個別も版元も立てる「エンドースドブランド戦略」
蔦屋の仕事を整理する理論として、片山はブランドアーキテクチャという考え方を挙げます。複数のブランドをどう組み合わせて設計するかという話で、大きく2つに分かれると説明されます。
個別のブランドをそれぞれ独立して育てる戦略。会社名より個々の商品やタレントを前面に出す。
会社名を前面に出して全体をまとめる戦略。すべてを一つの看板の下に束ねる。
中島は、KPOPを例に挙げます。SMエンターテインメントに所属する各グループが個別ブランドで、練習生として育てた点を会社名で売り出すのがブランデッドハウスにあたるのか、と問いかけます。
これに対し片山は、蔦屋はどちらかではなく、その中間にあたる「エンドースドブランド戦略」を取っていたと切り出します。
写楽と歌麿っていう個別のブランドを表に立てて育てながら、蔦屋っていうのが版元ブランドって後ろから支える構造。
つまり、写楽や歌麿という個別の絵師を立てながら、蔦屋という版元ブランドも同時に育っていく構造です。中島は、本来2つに分かれる型のどちらも成立させている点に驚きます。
保呂田は、この構造を自分たちの事業にも当てはめます。番組がバズれば個別ブランドが立ち、サービスも、運営会社も同時にブランド化されていくという見立てです。
片山は、そこにタレントや専門家の唯一無二の才能も同時に上げていくのが自分たちのサービスのイメージだと話します。個人も、番組も、会社もすべてが上がる構造を目指していると明かしました。
3人の偉人が共通して作った「新しいルール」
中島は「中島ノート」として、この回で学んだことを整理します。ブランディングとは、新しいルールを作ることが大きな戦略になっているのではないか、という気づきです。
ブランディングってこう、新しいルールを作るっていうのが一つ大きな戦略になってるのかなと感じました。
平賀源内は「うなぎは土用の丑の日に食べるものだ」という新しいルールを作り、千利休は今までにない茶道の世界観を作ってステータスにまで高めました。蔦屋重三郎は、今までにないメディアを新しいやり方で広めました。
片山は3人の仕事を、源内はCEPを作り、利休はコミュニティを作り、蔦屋はブランド構造を発明した、とまとめます。日本国内で本質的な発明をした人たちだと評価します。
同時に片山は、これらを体系化してくれた現代のブランディング理論への感謝も口にします。理論という虫眼鏡を通して歴史を見ると、また違う見え方があって面白いというアプローチだったと締めくくります。
次回は、ブランディングという言葉が生まれたアメリカを扱う海外編になると予告されています。今回は日本編、という位置づけです。
まとめ
ブランディングという言葉が確立する前の日本にも、その本質を先取りした仕事があったことを、3人の偉人を通して読み解く回でした。共通点は、いずれも「新しいルール」を作った点にあります。
- 平賀源内の土用の丑の日は、特定の状況で真っ先に商品を思い出させるCEP(カテゴリーエントリーポイント)の先取りだった
- CEPは「思い出す入り口の設計」、プライミング効果は「刺激を見た瞬間の反応」で、役割が異なる
- 千利休の茶の湯は、共有意識・儀式と伝統・道徳的責任感というブランドコミュニティの3要素を体現していた
- 蔦屋重三郎は、個別の絵師と版元ブランドを同時に育てるエンドースドブランド戦略を実践していた
- 3人に共通するのは、既存の枠に乗るのではなく新しいルールそのものを作った点である





