なぜSalesforceは創業直後からイベントに賭けたのか
今回は前回に続き、Salesforce創業者マーク・ベニオフを描いた「クラウド誕生」を取り上げます。前回がゼロからカテゴリーを立ち上げる話だったのに対し、今回は事業を1から10へ広げる局面に焦点を当てています。
その鍵として二人が挙げるのが、イベントの話です。「クラウド誕生」はマーケティングや営業などのテーマをプレイブック ── 成功のための手順やノウハウをまとめた実践的な手引きのこと。スポーツの作戦帳が語源で、ビジネスでは再現性のある型として使われます形式でまとめていますが、その中でもイベントの章がかなり手前に、しかも分厚く置かれていると浜田さんは指摘します。
マーケティングにおいてイベントって、いろいろやり尽くして最後にたどり着くみたいな感じあるじゃないですか。Salesforceめっちゃ早くからやってんなっていうのがあって。
Salesforceは1999年創業、2000年にプロダクトを出し、2001年には各州をまわるシティツアーを始めています。まだアーリーな会社が、これほど早くイベントに投資していた点が特徴だと二人は話します。
当時、ソフトウェアやIT業界でカンファレンス自体は珍しいものではありませんでした。Salesforceのローンチイベント自体、競合のSiebel ── 当時CRM市場で大きなシェアを持っていた企業。SalesforceはSiebelのカンファレンス会場に乗り込む形で挑発的なローンチイベントを仕掛けたと語られていますが開く大きなカンファレンスに殴り込む形だったといいます。
シティツアーみたいに、いろんな場所に行ってミニイベントを開くこと自体はそんなに新しくなかった。ただ、まだアーリーなSalesforceがそれをすごく早くやってたのが一つのポイントかなと。
15人しか来なかったフィラデルフィアが起点になった理由
最初のシティツアーは6か所からのスタートでした。清沢さんによると、最初の開催地はフィラデルフィアで、実際に来場したのは15人ほどだったといいます。マーク・ベニオフの名前ならもっと呼べそうにも思えますが、初期はこじんまりとした規模だったようです。
この少人数開催は、失敗というより意図に近かったと二人はみています。とにかく人を集める今のウェビナーやセミナーとは違い、半分ユーザー会のような場として、既存ユーザーと新規顧客を混ぜて実施していたと浜田さんは読み解きます。
当時のSalesforceは、ウェブから簡単に申し込めて1人・1か月から使える、今で言うPLG ── Product-Led Growthの略。製品そのものを起点にユーザーを獲得・拡大していく成長モデルで、無料や少人数から手軽に使い始められる設計が特徴ですに近い形でした。マーク・ベニオフには集客だけでなく、使っている顧客に直接会いたいという狙いがあったのではないかと浜田さんは推測します。
最初の5社くらいはほんと無償でやってて、どんどんフィードバックをもらってた。多分それは地元の人たちだったんですよ。
サンフランシスコからフィラデルフィアまでは10時間ほどかかります。それでも15人でペイすると判断できた理由を、浜田さんは2つに整理します。1つは顧客の生の声が聞こえること、もう1つは顧客が他の顧客に売ってくれる価値です。
顧客が顧客に売る場をイベントにした発想
イベントを開くと、マーク・ベニオフがプレゼンしなくても、参加者同士が勝手にSalesforceの良さを語り出したといいます。既存ユーザーが未導入の人に価値を伝える場になり、これがマーク・ベニオフには大きなサプライズであり学びになりました。
まだ使ってない人がいると、他のお客さんが「これすげえいいよ」って喋ってくれる。だから少人数でもどんどんやった方がいいってなったと。
この発想は前回の話ともつながります。顧客が物を買うときに参考にするのは基本的に2つ、エディトリアル ── メディアが編集して出す記事コンテンツのこと。広告と対比され、第三者による客観的な評価として読者の購買判断に影響します、つまり記事と、テスティモニーと呼ばれる顧客の声です。
顧客の声を使って新しい顧客に売る、それを最も効率的に、簡単にできる場がイベントだったと浜田さんは整理します。顧客が顧客に売ってくれる場をつくるという発想が、後のDreamforceにつながっていきます。
顧客に会う
使っているユーザーからニーズや価値を直接聞ける
顧客の声が生まれる
参加者同士が勝手に製品の良さを語り出す
顧客が顧客に売る
既存ユーザーが未導入の人に価値を伝えてくれる
MCハマーから学んだ地域コミュニティの作り方
各都市をまわる価値を確信させた出来事として、二人はある人物とのやり取りを挙げます。当時一世を風靡したラッパー、MCハマーです。
MCハマーは自分のファンを地域ごとにコミュニティ化し、それをストリートチームスと呼んでいたといいます。マーク・ベニオフはこのコンセプトに強く合点がいき、Salesforceのフィラデルフィア支部やニューヨーク支部のように、一箇所ずつ濃いコミュニティを作る発想につなげました。
友達同士の方がどう考えても伝染力が強いじゃないですか。そういう小さいコミュニティをたくさん作っていくのが、まずすごくペイするっていう。
この考え方は、今で言うユーザーコミュニティ戦略の先駆けとも言えます。当時はFacebookもなく、Eメールがようやくみんなに使われ始めた時代でした。ネット上で簡単にユーザーグループを作れないからこそ、リアルに集まる場が強いコミュニティを生んだと二人はみています。
ネットで簡単にユーザーグループが作れないからこそリアルにやる。逆にリアルだからこそめっちゃ強いコミュニティができてるみたいな。
現地5万人・オンライン20万人のDreamforceに至るまで
ワールドシティツアーを数年続けたあと、Dreamforceは2003年に始まっています。初回は1000人規模でしたが、清沢さんによると2024年には現地だけで5万人弱、浜田さんによればオンラインでは20万人が集まる規模に成長しました。
1000人規模から世界的カンファレンスへと成長させ、20年以上続けていること自体が、Salesforceがイベントマーケティングを経営の中でいかに重視しているかを表していると清沢さんは話します。
浜田さんは2017年から19年ごろまでサンフランシスコに住んでいた頃の体験を語ります。同僚の間では、年に2回ほど「この日は市内に行ってはいけない」という日があり、それがOracleとSalesforceのカンファレンスだったといいます。
いろんなところから人が来て、街中イベントだらけで渋滞するから、この日はあんまり市内に行ってもいいことないよみたいな。
Dreamforceは街全体がSalesforce一色に染まり、作り込みも徹底しています。最終日にはサンフランシスコ・ジャイアンツの球場を貸し切り、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのようなアーティストのライブを開くこともあると二人は語ります。
スーパーボウルのハーフタイムショーと似たレベル感ですよね。何億使うんやと思って。
GainSightにも共通する「職種と紐づくコミュニティ」
Dreamforceのようなカンファレンスは、Salesforceだけのものではありません。先行するSiebelもやっていましたが、その中でもSalesforceは特に力を入れ、最も有名なカンファレンスになったと浜田さんは話します。
清沢さんは、カスタマーサクセス界隈の例としてGainSight ── カスタマーサクセス向けのソフトウェアを提供する米国企業。Pulseというカンファレンスを主催し、カスタマーサクセスという職種そのものを盛り上げる場として知られていますのPulseを挙げます。アメリカではこうしたビジネスカンファレンスが強い印象があるといいます。
浜田さんは、うまくいっているカンファレンスの共通点を説明します。GainSightのPulseは、GainSightの宣伝というより、カスタマーサクセスマネージャーという職種をフィーチャーし、その人たちがノウハウを共有する場になっているという点です。
Salesforceも同様に、Trailblazer ── Salesforceのユーザーや管理者などを指す呼称。開拓者を意味し、コミュニティやイベント、学習の場を通じて職種としての活躍を後押しする仕掛けになっていますと呼ばれる管理者やSalesOps、DevOpsの人たちが情報交換する場になっています。企業イベントなのに、職種と紐づいたコミュニティになっている点が、強いカンファレンスの条件だと浜田さんは整理します。
ユーザーが主役になるDreamforceの設計
Dreamforceでは新製品やAIも紹介されますが、主役はユーザー、つまり実際に利用する企業だと清沢さんは指摘します。顧客が自分の言葉で価値を語るからこそ説得力があり、これはマーク・ベニオフの出発点とも重なります。
浜田さんは、Appleのような製品発表と対比します。Salesforceでは、マーク・ベニオフやCTOのパーカー・ハリスが話すのは本当に1セッションほどで、あとは顧客中心で進んでいる印象だといいます。
ユーザーが主役というより、メインコンテンツを担うぐらいの形で、日本に目を向けてもそういうカンファレンスはあんまりないのかなと。
浜田さんは、ユーザーが登壇する背景にアメリカならではの事情があると付け加えます。転職市場が活発なため、Dreamforceで自分の取り組みをピッチしたこと自体がレジュメに書ける実績になり、次のポジションにつながるという構造です。
「私はこのSalesforceを活用した新しいオペレーションをピッチした」ってこと自体が自分のレジュメに書けて、次もっといい会社に行けるかもしれない。
自己ブランディングやLinkedInでのアピールにつながる点も、登壇の動機を後押ししていると清沢さんは補足します。この構造はアメリカならではだと二人はみています。
日本のイベントマーケティングが直面する壁
日本で成功しているイベントマーケティングの例として、二人は自分たちの古巣であるSansanを挙げます。Sansan Innovation Projectはかなり早い時期から取り組み、清沢さんによれば最初は10年ほど前の規模だったといいます。
出会いにフォーカスする事業だからこそイベントに力を入れているのではないかと浜田さんは話します。一方で、日本で大きく盛り上がるのは外資系、たとえばSalesforceのワールドツアーだとも指摘します。
海外だとイベントマーケティングは基本のキだけど、日本だと本当に超冷淡で、企業だけが頑張ってるみたいなところが結構ありますよね。
その背景として、イベントには相応の予算が必要だという難しさがあります。中途半端な予算ではしょぼくなり、迫力も出ません。回収のためにスポンサーマーケティングをする必要があり、営業も含めてかなりの体力がいると二人は話します。
B2B SaaSでネットワーク効果を生む仕掛け
話はイベントからコミュニティへと展開します。コミュニティやイベントがこれほど注目される理由を、浜田さんはB2Bソフトウェアの成長構造から説明します。
SaaSが加速度的に伸びるにはネットワーク効果 ── 利用者が増えるほどサービスの価値が高まる仕組み。FacebookやLINEのように、人がいるから人が集まる形で爆発的な成長を生みますが、B2B SaaSでは働きにくいとされますが欠かせません。しかしB2B SaaSでは、ある会社がSalesforceを使っても、他の会社が使う必要が生まれるわけではないため、この効果が働きにくいといいます。
ある会社がSalesforce使うってなった時に、他の会社がSalesforce使う必要ってあんまりなくて。
そこで重要になるのがコミュニティです。使っている人が「これすごくいいよ」と言って、他のユーザーを自主的に呼んでくれる。コミュニティが、B2B SaaSに疑似的なネットワーク効果をもたらすという点に、各社が投資しているのだと浜田さんは整理します。
清沢さんは営業時代の体験を語ります。顧客のシステム部門を訪ねると、パソコンにTrailblazerのシールを貼り、通称パーカーと呼ばれる公式パーカーを着たSalesforceの運用担当者がいたといいます。管理者としてイベントに登壇する人もおり、ロイヤリティの高さに驚いたと振り返ります。
パーカー着るレベルの、やってすごいなっていう。国内SaaSでそこまでの仕掛けや仕組みはなかなか見ない。
大胆さと細部の詰めを両立するマーク・ベニオフ
Trailblazer、つまり開拓者というネーミングや、クマをモチーフにした可愛いキャラクター、ハワイの花を思わせるリラックスした雰囲気も、コミュニティに入りたいと思わせる仕掛けだと二人は評価します。プロフェッショナルすぎない設計が効いているといいます。
その根底にあるのはauthenticity、つまり嘘のなさだと浜田さんは言います。マーク・ベニオフはハワイが本当に好きで、Dreamforceをサンフランシスコで続け本社も動かさないのも、彼がサンフランシスコを心から愛しているからだと語ります。
すごい大きいんだけど、社長の信念とか好みがにじみ出ていて、だからこそ逆に共感できるみたいな。
一方でマーク・ベニオフは非常に細部にこだわる人物でもあると浜田さんは指摘します。ポッドキャストに出た際、細かく聞かれてもいないのに直近の売上や利益率の数字をすらすらと挙げるほどで、全部覚えているのだろうといいます。
大きなビジョンを描く経営者という印象が強い一方で、やるべきことを地道にサボらず続けている。清沢さんは、この大胆さと細部へのこだわりのバランスこそがSalesforceの強さだとまとめます。
「クラウド誕生」には10章あって100個くらいTipsがあるんですけど、イベントのチェックリストもめちゃくちゃ細かく書いてあって。多分本人が書いてるんじゃないかと。
最後に二人は、次回のテーマを予告します。前回のゼロから1、今回の1から10に続き、次回は10から100を支えたグローバル戦略を取り上げるといいます。Salesforce Japanの立ち上げは非常に早く、今や日本最大のSaaS企業だと浜田さんは話します。
まとめ
Salesforceは創業直後から少人数のシティツアーを重ね、顧客が顧客に価値を伝える場としてイベントを設計しました。それはやがてDreamforceやTrailblazerコミュニティへと育ち、B2B SaaSで働きにくいネットワーク効果を疑似的に生み出す仕掛けになっています。
- Salesforceは2001年のシティツアーから早期にイベントへ投資し、顧客が顧客に売る場をつくった
- MCハマーの地域コミュニティに着想を得て、都市ごとに濃いユーザーコミュニティを築いた
- Dreamforceはユーザーが主役の場として設計され、登壇が転職市場での実績にもなる構造がある
- コミュニティは、ネットワーク効果が働きにくいB2B SaaSにレバレッジをもたらす鍵になる
- マーク・ベニオフの嘘のない信念と、細部まで詰める姿勢の両立がSalesforceの強さを支えている







