話すスキルは、結局のところ場数だと思う
もう一つ、「話すスキルはどうやって身につけたんですか」という問いももらっていました。
これは半分身も蓋もない答えなんですが、頑張って喋ってきた、それに尽きるんじゃないかなと思います。
私は2005年に廃業しましたが、それまで声のお仕事をしていて、養成所時代から数えると8年9年は喋ることをやっていました。
その頃に身につけたものを、今もどこかで使っているのかもしれません。
でもそれ以上に大きいのは、この番組を丸4年、100回以上続けてきたことだと思うんですよね。
一定期間、収録して何かを喋り続ける。これはもう完全に訓練であり、場数です。
だから私が20年以上やっているディレクター育成講座でも、最後に必ずプレゼンテーションをしてもらうようにしています。一回でもいいから、誰かの前で緊張しながら喋る経験をしてほしいからなんです。
喋りって、理屈だけでは上手くならないと思うんですよ。
日本語が喋れることと、意図を持って話せることは別物
日本人が日本語で喋るのは、みんな普通にできますよね。友達や家族と話すのに困る人はいません。
ただ、プレゼンの場って全然違うんです。目の前に資料があって、その内容を読みながら、書いてあること以上の何かを足したいわけですよね。
補足だったり、その人ならではの部分だったり。そこにリアルなら相手の顔を見て、反応まで拾いながら喋る。
これは友達との飲み会で喋るのとは、使っている頭がまったく違うはずなんです。
乱暴に言えば、友達と喋っている時は半分くらい脊髄反射で、大して頭を使っていないはずなんですよね。
英語三文字の略語をつい使ってしまって、「あ、今日の人たちにこれ言ったらポカーンとするぞ、やべえ」と気づいて、その場で言い直す。
そういうことを喋りながら同時に考えて、しかも言葉にできるか。ここはやっぱり練習がいるんじゃないかなと思います。
年を取ると頭が硬くなるのは、答えを知ってしまうから
別の方からは、上の世代(50代から60代)が古臭くて困っている、という怒り心頭のおハガキももらいました。
私も来年で50歳なので、なんだか自分が言われているようで、ちょっと心が痛かったんですけどね。
ただ、じゃあ若い世代が柔軟かというと、私はそれも違うんじゃないかと思っているんです。
今の20代、30代前半の人たちを見ていると、むしろ「なんでそんなにやらないの?」と思うくらい引っ込み思案な人も多い。失敗を恐れているんだと思います。
だから年齢で一概には言えないんですよね。大事なのは年ではなくて、頭が柔らかい状態でいられるかどうかかなと。
もちろん相対的に見れば、年を取ると思考は保守的になりやすいのは間違いないと思います。
でもその理由の一つって、いろんな経験をするうちに「これをやったらこうなる」「どうせうまくいかない」って答えを知ってしまうからなんですよね。
答えを知っているからチャレンジしない。誰かがやって失敗したら「ほらな」と言う。だから手を挙げなくなる。
だからこそ私は、めんどくさいと指をさされようが、新しいおもちゃはとりあえず買うようにしています。それをやめ始めたら、自分の鮮度がなくなっちゃう気がするので。
25歳で気づいた「尊大な自分」のこと
さて、本題です。「どういう経験をしてきて今があるのか」という問いですね。
正直に言うと、大きな挫折を若い頃にしたことが、私にとって全部だった気がします。
22か23で大阪から東京に出てきて、声優の養成所に入ったんですが、その時の私はだいぶ天狗でした。
大阪でもすでに養成所に通っていたので、未経験の人が多い中に、経験者として入ってしまったんですよね。スタートダッシュだけは、多少他の人より上手かったかもしれません。
でも東京に来て3年目くらいの時に、大きな挫折をしたんです。
お芝居や発声って肉体的なものなので、頭で「できていない」とわかっても、明日からすぐできるわけじゃない。
「できてないよ」と言われても「わかってます」としか思えなくて、でも稽古に行くのが怖い。手を挙げてもダメ、挙げなければ先はない。そんな袋小路に3ヶ月ほど追い詰められました。
その時にね、自分がなんて尊大な人間なんだろうって、すごく思っちゃったんですよ。
なんでこうなったんだろうと考えたら、大学時代も同じことをしていた。高校の時からずっとそうだった。「俺、今まで何をやってきたんだ」と。10年くらいの自分を振り返って、これは良くないなと気づいたんです。
才能がないから、愚直にコツコツやるしかない
この経験があるから、私は今も言葉遣いにすごく気をつけています。
特に「自分がすごい」とか「仕事ができる」といったことは、極力自分では言葉にしないようにしているんです。
なぜなら、これを自分で言ってしまうと、また天狗になっちゃうから。自己承認してしまうんですよね。
すごいかどうかは第三者が判断すること。そう思ってもらえたら嬉しいですけど、私がどうこう言うことじゃない。だから遠回しな言い方になる時があるんですが、それはそういう理由です。
結局、役者になりたかった道は閉ざされて、この仕事を本業にしようと思ったんですが、正直に言うと、私は才能があるタイプではないんですよ。
デザインもマークアップもサーバーサイドも、それぞれになれなかった結果として、ディレクターをやっているというところも正直あるんです。もちろん今の仕事には誇りを持っていますけどね。
芝居をしていた頃、師匠にはずっと「お前は才能が全くない、下手くそだ」とボロクソ言われていました。
ただ一つだけ、「お前は愚直だ」と言われたんです。愚かなほどまっすぐだ、と。褒められているのか馬鹿にされているのか、当時はわからなかったんですけどね。
だから私は、やれることをコツコツやるしかないと思っています。変なショートカットや一足飛びをやろうとすると、多分ダメなんですよ。
若くて元気で、日々に追われていない時期に、自分の生き方を振り返れたのは本当に良かったと思います。今の年でこの経験をしていたら、立ち直れなかったかもしれません。
まとめ
すごい経験をしてきたわけじゃなくて、ただ若い頃に一度自分の尊大さに気づけた、それだけなんですよね。でもその気づきが、話すことにしても仕事にしても、今の私の土台になっている気がしています。あなたにも、そういう振り返りのきっかけがどこかにあるといいなと思います。
- 話すスキルは理屈より場数。一定期間喋り続ける訓練で身につく
- 日本語が喋れることと、意図を持って伝えることはまったく別の頭を使う
- 頭が硬くなるのは年齢のせいではなく、答えを知ってしまうから。だから新しいものに手を出し続けたい
- 才能がないと気づいたからこそ、愚直にコツコツやるしかないと決めた







