作れることは、もう価値にならない
まず前提として、AIができてからのこの2年半、いろんなことがものすごい勢いで変わってきています。
この変化が鈍化したりなくなったりすることは、まずないでしょう。
昔、電話交換手という仕事がありましたけど、電話の技術が発展したことで一瞬で消えて、数万人が路頭に迷うような状態になったと言われています。
それと同じようなことが、AIによってあちこちで起きると思います。
制作会社にとって厳しいのは、「作れる」という技術そのものを売ることが難しくなる、という点です。
価値がなくなることはたぶんないんですけど、単価はめちゃくちゃ下がってくると思います。
そもそも90年代に私が手でHTMLを書いていた頃、とんでもない単価で仕事をさせてもらっていました。
でもそれは私がすごかったからではなくて、作れる人が少なかったからというだけなんですよね。
作れる人が増えれば単価が下がるのは、市場原理の当然の話です。だからAIで作れる人が一気に増える今、同じことが起きるだけなんです。
企画も平均点は上がる、でも120点は出てこない
じゃあ作ること以外のどこに価値を置くかというと、私は企画の部分しかないんじゃないかと思っています。
ただ、その企画も生成AIに聞けば返ってきますよね。ChatGPTでもClaudeでもGeminiでも、「どんなサイトにしたらいいですか」と聞けばいい。
生成AIが進んでいくと、企画の発想の平均点はどんどん上がっていくと思います。
一方で、感覚的な話で言い方が難しいんですけど、みんな95点くらいに揃ってくるような気がするんですよね。
どれを見ても高水準だけど同じようなもの。決して120点は出てこないみたいな状態です。
そこで「この切り口でやってください」と方向を決めて、お客さんにより強く出すものを選ぶ判断は、まだ人間に求められると思います。
相場的に綺麗な企画は出てくるんですけど、エッジが効いた、ソリッドな企画にはならないだろうな、と。
もっとも、これは1年後には全く違うことを言ってるかもしれませんけどね。
「コミュニケーションに価値がある」を、もう一段分解する
おはがきには「コミュニケーションや調整、判断の部分に価値があると信じている」とありました。まさにその通りだと思います。
ただ、この「コミュニケーション」という言葉で一括りにしてしまうのは、ちょっと危険かなという気がしています。
いま生成AIを使ったテレアポの応対や、土地の査定みたいなものへの自動応答も、めちゃめちゃリアルになってきているんです。
だから、このコミュニケーションは誰とのコミュニケーションなのか、を分けて考えないといけません。
メールやチャットで連絡が来たら秒で打ち返す、議事録も資料もちゃんと出す。こういうのは正直、機械でもできるよねと言われかねない。
むしろ中身が全部AIじゃないのか、と疑われかねないわけです。
私が価値になると思っているのは、そこに人間味がどう入っているかという部分です。
喋りが上手ということではなくて、パッションや熱意が伝わるとか、「あなたと一緒に仕事したいね」と思ってもらえるとか。
トムとジェリーじゃないですけど、仲良く喧嘩ができる。潰しにかかるんじゃなくて、「そこまで言うならわかったよ」と言わせられるような。これはすごく難しいんですけどね。
調整や判断についても同じで、何の調整で、何の判断なのかまで自分の中で分解しておかないと、総花的にふわっとしたままになってしまうと思います。
調べた答えより、「あなたはどう思うか」を熱を持って言えるか
これからは、情報を統合して自分の意見として誰かに伝えられることが大事になると思っています。
調べればGoogleでもわかるし、生成AIに聞けばわっと返ってくる。でもお客さんに「これどう思いますか」と聞かれて、「今ちょっとAIに聞いてみますね」ではダメなんですよね。
それはお前が思ったんじゃなくてAIが調べた結果だろ、だったら俺がやるわ、とお客さんに言われてしまう。
だから、調べればわかる時代でも、自分の頭の中に残っている複数の情報を組み合わせて、「絶対こっちの方がいいだろうな」というところを紡ぎ出す。
そして、それをどれくらい自分が熱を持って言えるか。熱がなければ、それは単なる意見なので、価値はどんどんなくなっていくと思います。
だから私は、お客さんの前に立つしかないと思っている
最後に「自分の価値をお客様にどう伝えるか」ですが、私は「価値を伝える」より「価値を感じてもらう」方が大事だと思っています。
昔は大工の棟梁とかオーケストラの指揮者みたいに、これが私のいる価値です、と言えました。でもこれからは言葉で言いづらくなってくると思うんですよ。
じゃあどう感じてもらうか。私にとっては、リアルな生身の自分をわかってもらうことかなと思っています。
テレワークを良しとするかどうかで議論もありますけど、私は自分の主戦場は会議室だとずっと思っているタイプなんです。
お客さんの表情の変化を感じながら、膝つき合わせてかんかんがくがくやる中でこそ生まれるものがある、と思っている方なので。
ただ、現場に立つと自分の地金が全部見えてしまうんですよね。調べてないことは言えないし、知ったかぶりをすれば後でボロが出る。
正直、怖いですよ。ネタを仕込んでなかったなとか、お客さんに言われたのに何も返せなかったなとか、骨身に染みて悔しい思いをする。
でも、その悔しさを体験しないことには身につかないんじゃないか、と私は思っています。
だからこそ、恥をかくのも含めて、できるだけ若いうちに現場に立った方がいいんです。私の年になると、恥をかくのが怖くなっちゃいますからね。
まとめ
AIで作れるようになった今、私たちの価値は「作れること」から確実にずれていきます。まだ答えを出しきれてはいませんが、いまの私は、生身で現場に立ち、熱を持って自分の意見を言える人が残っていくんじゃないかと考えています。
- 作れる技術そのものの単価は下がる。価値は作ること以外に置くしかない
- 「コミュニケーション」は誰と何を、まで分解しないと総花的になる
- 調べた答えより、自分の頭で紡ぎ出した意見を熱を持って言えるかが問われる
- 価値は言葉で伝えるより感じてもらうもの。だから現場に立ち、若いうちに恥をかいておく






