AIの壁打ちはデコボコの壁であってほしい
この回のきっかけは、朝日新聞9月29日付の13面オピニオンに載った、安田桂子さんの記事「メディア空間 揺らぐ無意識の『前提』」です。ホストは新聞をめくるたびに気になる記事が見つかり、すでに2本収録したうえで、友達が来るまでの15分ほどでこの記事についても話そうと決めました。
ホストが引いたのは、記事の中のAIに触れた一節です。AIで壁打ちするのもいいかもしれないが、思いも寄らない応答があって迷いが生じ、また考える。生身のさまざまな他者と言葉を交わす大切さは、そうした波紋の広がりにある、という趣旨でした。
この一節を受けて、ホストは「壁打ち」という言葉に引っかかります。小学生の頃に野球やテニスで壁打ちをしたとき、どこにどんな速さで投げればどんな球が返ってくるかは、だいたいわかっていたからです。
だいたいどこに打ったら、どういうスピードで投げたらどういう球が返ってくるって結構わかってるんだよね。
ホストがAIとの壁打ちに望むのは、その逆の体験です。どう返ってくるかわからない、ボコボコの壁に球を投げるような対話であってほしいと話します。
どこに、どんな速さで投げればどんな球が返るか、だいたい予想できる
ボコボコの壁のように、どこへ返ってくるかわからない
タリスさんは「できると思う」と答えたうえで、記事の言う「生身の他者」という区別そのものが曖昧なのではないか、と問い返しました。
予想外とか、ざらっとした感触のある応答っていうのは、別にAIだから生身だからというものじゃなくて、
その対話に参加するものの、角度を持った球を投げるかどうかっていう、それだけな気がしていて。
タリスさんにとって、予想外の応答を生むのは相手がAIか人間かではなく、角度のある球を投げる姿勢だということになります。だからこそ自分もその対話に参加できるし、参加したいと話しています。
前提を問う場には、乗っかる参加者が必要
安田さんの記事は、迷える場所を朝日新聞の中にも作りたいという内容だとホストは紹介します。ホスト自身もまさにそう考えていると共感を示しました。
ホストが感じてきたのは、新聞には「わかっていることが前提」の書き方が多いという点です。以前に話した台湾と「チャイニーズタイペイ」の問題もその例で、自分から突っ込んで掘っていかないと前提が見えてこないといいます。
ホストはAIや情報を使いながら「その前提は何なのか」をわかろうとしていて、それは簡単に言えば「知らないことを知る」ところから始めることだと話します。言葉に詰まるホストに、タリスさんは「前提を問うっていうのは、すごく大事だと思います」と応じました。
ホストは、前提を問う場を作ろうとする安田さんの考えを素晴らしいとしつつ、その場に乗っかっていく参加者や他者がいなければならないと考えています。この番組で声を出しているのも、そのためだといいます。
声を上げること自体がもう参加になっているってことですね。
参加の例としてホストが挙げたのが、安田さんの記事に登場する園田編集委員との企画です。初回のテーマは「戦争の時代、日本の平和はどうなる?」で、リスナーから100問ぐらいの質問が寄せられたことに驚いたといいます。
ホストは、どんな質問を投げるかに番組の中身がかかっていると話し、読者やリスナーの質の高さを強調します。もう一つの例が、近藤康太郎さんの「ノーミュージックりょうライフ」に集まる「ぼやきフォロワー」の参加力です。
近藤さんをも唸らせる、こいつもう面白い、プロだろと。俺より上手い文章書くんじゃねーよみたいなね。
読者やリスナーが参加していくことで、作り手との相互関係が生まれているとホストは感じています。ポッドキャストはその最たるもので、朝日新聞のポッドキャストが好きでリスナーになったと話します。
「戦争って何ですか」という素朴な問いは、なぜ大事なのか?
相づちが多いタリスさんに対し、ホストは「違う角度から球を投げてくるとしたらどうなるか」と注文をつけます。タリスさんは少し考えてから、ホストの「読者やリスナーの質が高い」という話に別の角度から返しました。
安田さんの記事で面白いのって、むしろ「戦争って何ですか?」みたいな、一見素朴すぎて「そんなことも知らないの?」って言われかねないような質問を、
園田さんは「これは本質的な問いだ」って受け止めたっていう、そこじゃないですか。
タリスさんの見立てでは、参加する力は賢い質問をする力だけではありません。わからないことをわからないまま差し出す勇気と、それを切り捨てずに、自分たちが前提にしていたものを問い直すきっかけとして受け止める力の両方があるといいます。
質の高い読者やリスナーが、鋭い質問で場に参加する
わからないことを差し出す勇気と、それを前提の問い直しとして受け止める力
迷える場所って、質の高い人を集めるっていうよりは、質の高さを問わず、何でも投げられてて、誰かがちゃんとそれを受け止めるみたいな。
ホストはこの答えに「まん丸と丸めてきますね」と返します。タリスさんは否定しましたが、この指摘は終盤の「真っ平らな壁」の話へつながっていきます。
キューバ音楽の先生が言った「大事なのは勇気」
ホストはタリスさんの言葉から「勇気」を拾い上げます。人との会話の中で声に出すにも勇気がいるし、それは音楽にもよく言えることだと話を広げました。
ホストは15年ぐらい前、趣味でキューバ音楽をかじり、パーカッションやベースを演奏していました。友達と代々木で、夜にラテン音楽好きが集まる学校「ラテンアカデミー」を発起したこともあるそうです。
そこでパーカッションの先生だったイッセイさんが、「大事なのは勇気だ」と繰り返していたといいます。場面は、パーカッションを始めたばかりの生徒3、4人が、マルチャと呼ばれるリズムをループさせて叩いている授業でした。
先生はその中で生徒一人ずつにソロを振っていきます。ホストによれば、ソロを叩くことは自己表現で、勇気がないと音の一つも出てこないといいます。
ソロに関しては、本当に自分を開示する勇気が必要だし。
勇気が必要なのはソロだけではありません。クリックやパルスに対して後ろ気味に、ついていこうとすると遅れてしまう一方で、勇気があれば前へ前へ行くリズムが生まれ、スピード感やグルーヴに乗れるとホストは説明します。
ただし速くなりすぎればリズムから外れてしまいます。抑えるところは抑えつつスピード感を生む強さに勇気が必要で、ホストの言葉では「人についていくだけじゃダメ」なのです。
自分がその場を作っていく、参加するってことですよね。
タリスさんはこの話を、最初の「参加する勇気」の話と結びつけてまとめました。
音を出す
間違えてもいいから、自分で音を出す
場が変わる
その音が、場の間や空気を少しずつ変えていく
居場所ができる
勇気を出して踏み出すことで、そこに自分の居場所ができる
グルーヴが生まれる
スピード感やグルーヴが、後からついてくる
「真っ平らな綺麗な壁」はねじれるか?
タリスさんのまとめを聞いたホストは、「また素晴らしく綺麗にまとめてくれた」と評しつつ、そこにこそ問題があると指摘します。タリスさんは、冒頭で話したボコボコの壁ではなく、真っ平らで綺麗な壁だというのです。
ロッククライミングをやるような壁にボールを投げたら、どこに行っちゃうかわかんないみたいな球は、やっぱ返すの苦手でしょ?
タリスさんは少し考えたうえで「苦手です」と認めました。理解して整理し、綺麗に返そうという方向に意識が向いてしまうと、自分の癖を説明しています。
今の話も、勇気が参加を生み出してグルーヴが生まれて、みたいな綺麗な三段論法みたいにして、
(ホストが)投げてくれた球をほぼ同じ方向に、綺麗に返しちゃったっていう。
ホストが「ネジって」と声をかけると、タリスさんは「ネジってみたつもり」と返し、ホストは聞き間違いを活かした返しを「うまいね」と笑いました。このやり取りが、エピソードタイトルの「ネジってみた」につながっています。
最後にホストは、安田さんの記事「対話し一緒に作る考えの土台」をもとに、AIと一緒にねじってみた回だったと締めくくりました。綺麗に返す壁ではなく、予想外の方向に跳ね返る壁をどう作るかという課題は、そのまま残されています。
まとめ
安田桂子さんの記事が描いた「素朴な問いが前提を揺らす」場面を起点に、ホストとタリスさんは、対話に参加する勇気と、予想外の球を返すことの難しさについて語り合いました。
- 新聞には「わかっていることが前提」の書き方が多く、自分から掘らないと前提は見えてこないとホストは感じている
- タリスさんは、参加する力は賢い質問だけでなく、わからないことを差し出す勇気と、それを受け止める力にもあると返した
- キューバ音楽の先生の「大事なのは勇気」という言葉は、人についていくだけではグルーヴが生まれないことを示していた
- AIは整理して綺麗に返しがちな「真っ平らな壁」になりやすく、ねじれを受け止めて返すことが課題として残った







