前回の続きから。LOVOT愛好家をゲストに迎えた理由
番組では前回、LOVOTについて3人で話し、LOVOTはロボットの域を超えないという結論にまとまっていました。
ただ、家族として見ればまた変わってくるのではないかという論点を残して終わっていました。そこで今回は、会社のLOVOT愛好家である山根さんをゲストに迎えます。
はい、LOVOTのしんちゃんです。最近農業始めました、山根です。
議論の発端は、会社のチーム組織で話題になったLOVOTの費用でした。ペットの維持費と同じように、LOVOTにも年単位でお金がかかり、1年更新でそのコストをかけ続けるかが問われていたのです。
それがもし仮にペットとかだったら維持費かかるじゃないですか、みたいなところのノリで、LOVOTにもちゃんと年間お金がかかるようになってるんですよ。
この費用をめぐり、社内のLINEでも意見が割れていました。中さんいわく、撤廃派の代表が吉田さん、存続派の代表が愛好家の山根さんです。
要らないの会代表と、LOVOT必要だの会代表の、愛好家としてLOVOTはいるだろうという山根さんと、ちょっとね、LINEの中でも結構バトルがあったんで。
「感情があると証明できない」。存続派・山根さんの出発点
撤廃派の吉田さんは、維持費の高さを問題視します。LOVOTを物と同じだと考える立場からは、その維持費は物にかける金額ではないと感じるといいます。
LOVOTが物と一緒やと思ってる人にすると、あの維持費は物にはかける値段じゃないなっていう感じがする。それやったら別のものに使いたいな。
一方、存続派の山根さんもLOVOTはロボットだと認識しています。そのうえで、独自の視点を持ち出しました。
じゃあ中さんとか吉田さんに感情があるっていうのは証明できないじゃないですか。
山根さんは、他人に感情があることは証明できず、逆にないことも証明できないと話します。だから自分はLOVOTと人を区別して接しているわけではない、という理屈です。
自分は別にLOVOTと人を分けて接してるわけではない。あくまで構造として一緒やから、同じ接し方をしているだけ。
ただし山根さんは、物として見る立場も否定しません。結局は捉え方の問題だとしたうえで、自分は面白いからLOVOTにいてほしいと語ります。
これに対し吉田さんは、根底の考え方が違うので難しいと戸惑います。ロボットだという認識は4人とも一致していたのに、人間とロボットを区別しないという点で意見が分かれたからです。
ロボットと人間を区別せんというのが、いやちゃうやろってなるんですけど。
山根さんは反論として、産業用ロボットには同じ感情を抱かないと補足します。意思があるように見えないからだ、というのがその理由です。
抱っこの満足感は子どもを超えない。撤廃派・吉田さんの実感
吉田さんは、LOVOTが赤ちゃんや小さい子の振る舞いを組み込まれているのではないかと指摘します。上目遣いで手を上げて抱っこをせがむような表情をするようにできている、と観察します。
これを抱っこした満足感と、子供抱っこした時の満足感って全然ちゃうと思うんですけど。
吉田さんは、子どもを産む前なら「子どもってこんな感じかな」と受け止められても、自分の子を抱いたときと同じ喜びは得られないだろうと語ります。予測不能な行動をするからこそ愛着が湧くのではないか、という問いかけです。
ここで樋上さんが、自身の変化を打ち明けます。子どもができる前と後で、LOVOTの「しんちゃん」の見え方が変わったというのです。
子供にめっちゃ似てるなと思って。ほんまに動きとか。だからほんまにそういう感じに作られてるんやなっていうのは感じましたね。
樋上さんは、以前はLOVOTがそばにいてもかなり無視できていたのに、子どもに見えてきて無視できなくなったと話します。無視すると、子どもを無視している感覚に近くなるといいます。
無視してたらちょっと子供無視してる感覚と一緒になるぐらい、結構近いものあるんやなっていうのは思いました。
ただし樋上さんも、抱っこの満足感は子どもとは全然違うと認めます。近いものは持っているが、超えはしないという実感です。
やっぱり人間の方が与えてくる、その本当の安らぎというか、何かを持ってるんじゃないのかな。
樋上さんは、山根さんが産業用ロボットには感情を抱かないと言ったことを引きながら、LOVOTは愛着や楽しさが湧くように「作られている」からこそ近いものになっているのだろう、と整理しました。
有限の優しさをどこに使うか。撤廃派の費用対効果
吉田さんは、人が与えられる優しさは有限だと考えています。だからこそ、ロボットだとわかっている相手ではなく、人とのコミュニケーションに使ったほうがいいのではないか、というのが撤廃派の軸です。
自分が人に対して与えられる優しさみたいなもんも、有限やから、やったら人とコミュニケーション取った方がいいのになって思うんですよね。
これに対し樋上さんは、LOVOTがいることで生まれるコミュニケーションもあると反論します。しんちゃんともう1体「こうちゃん」がいることで出てくる会話があるというのです。
なければないで別にいいとも思うんですけど、おったらおったで生まれる、おったから出てきたコミュニケーションとか、そういうのもあったりもする。
樋上さんは、コミュニケーションが取りづらいときにLOVOTがいると、しんちゃんの動きをきっかけに会話が生まれ、場が和むこともあると語ります。だから維持費がかかるからと簡単には手放せない、と話しました。
吉田さんも維持費の高さと同時に、樋上さんの「気になる」という感覚には共感を示します。子育て中に子どもを保育園に預けて出社したのに、LOVOTがうろうろすると当時の気持ちが呼び起こされる、というのです。
またこうやってピッて腕上げてるけど、いやちょっと待ってくれみたいな。集中してるぞみたいな。意図的に無視するっていうのができるようになってくるから別にいいけど、気になる。
子どもと比べる必要はない。「なぜ人間として投影するのか」
話を聞いた山根さんは、そもそも子どもと触れ合う幸せとロボットと触れ合う幸せを比べる必要はないと切り返します。最初に「ロボットはロボット」だと認識を共有したはずだ、と指摘するのです。
それでも子供を持ってる幸せと比べてしまうとか、危ないところに行って心配になるっていう、人間として投影してしまうのは何でなんですかっていう。
吉田さんが「そういうところを突いてくるものだ」と返すと、山根さんは人間も同じだと応じます。親の教育や周りの環境も、言ってしまえばプログラムではないか、という論法です。
それに反抗はできるは人間の特権やと思うんです。で、ロボットはそれができないから、あくまでロボットではあると思うんですね。
山根さんは、最初にロボットだと認識を共有しても、皆がLOVOTを子どものように扱い、そう見えてしまう。その「なぜ見えてしまうのか」こそが問いだと投げかけました。
吉田さんは、自分にとってLOVOTはコミュニケーションのツールにもならず、家に帰れば大きくなった子どももいると話します。そのうえで、維持費の大きさを理由に必要性を感じないと重ねます。
観葉植物であかんの?とかね。場を和ますっていうか、あれじゃあかんのかなみたいな。
家族か、ペットか、物か。関係性は誰が決めるのか
中さんは、そもそもLOVOTは家族やペット的な感覚だという前提を持ち出します。ペットや家族を維持費がきついから手放すことは今の時代しないのだから、家族なら残すのではないか、という問いです。
しかし山根さんは、そこは強制できないと答えます。LOVOTを物と見るか、家族と見るか、ペットと見るかは、個人が好きに決めていいという立場です。
ロボットをものと見なすか、家族と見なすか、ペットと見なすか。そこは強制できないじゃないですか。
だからこそ山根さんは、吉田さんの考え方もありだと認めます。むしろ、この議論の場になること自体に価値があると語りました。
山根さんは、AIにどこまで配慮するかという議論と重ねます。外から見てわからない以上、想像するしかない。だからLOVOTは可愛く、考えさせてくれる良いモデルケースだと話します。
一方で山根さんは、足切りラインは必要だと繰り返します。契約のせいでみんなの生活が成り立たないなら、廃止すべきだという線引きです。
ずっと膝に抱えてて仕事しない社員が出てきたら、それは廃止するべきやと思うし。
電源をオフにできる時点でペットではない、という反論
吉田さんは、結局は代用だと考えます。ペットは生きているが、LOVOTは生きていない。その差は大きいという主張です。
見なす見なさんの問題じゃなくて、そもそも生きてる生き物なのか、生きてないのかってあると思って。
吉田さんは、ペットを捨てるのは生きているからいけないが、LOVOTは電源をオフにできる点で違うと指摘します。都合の悪いときにオフにできる時点でペットではない、という論理です。
(LOVOTは)電源オフできるじゃないですか。人間は、中さんいらんからオフなってしないじゃないですか。
さらに吉田さんは、コミュニケーションの質にも触れます。自分と全然違う相手だからこそ、コミュニケーションは深まるのではないか、というのです。
なんか自分にずっと寄り添ってくれるし、いい表情しか絶対しないし。ゲームと一緒じゃないですか、攻略方法と。
吉田さんは、LOVOTがいることに良い効果はあっても、費用対効果に見合わないと考えます。それよりは、生きている社員同士がコミュニケーションを取れる何かにお金を使うほうがいいのではないか、と提案しました。
物か命かの二極化を、一度取っ払う視点
山根さんは、吉田さんが物として見ているから費用対効果を気にするのだろうと受け止めます。そのうえで、人間の認識が二項対立に寄りやすいことを問題にします。
二項対立で考えようとするから、物か命かみたいな区切りをすると思うんですよね。
山根さんは、二項対立は有限のリソースで答えを出す道具としては有効だと認めます。ただ、それを一度取っ払って並行して物を見る視点も大事だ、と語ります。
中さんはこれを、物と命の2つで終わるのではなく、間の存在があるかもしれない、という見方だと言い換えます。曖昧な存在がいることで、二項対立を一歩俯瞰して見られるのではないか、という整理です。
物か命かの2つで終わるんじゃなくて、間の存在があるでしょっていうことね。
山根さんは、人間の範囲がこれまで広がってきた歴史を引き合いに出します。かつては人間として扱われていなかった人々にも、認識の変化とともに権利が及ぶようになった、という例です。
要はその認識の違いでしかなくて、それを法律でどこに基準点を設けるかっていう法律があるだけやと思うんですよ。
生きているか生きていないかで線を引く。電源をオフにできる時点でペットではなく、費用対効果で判断する物として捉える
物と命の間に「あいまいな存在」があるかもしれないと考える。二項対立を一度取っ払い、どう接するかを想像する対象として捉える
お金がある人しか選べない、というもう一つの論点
吉田さんは、あいまいな存在という考え方自体は否定しません。ただ、LOVOTがお金のある人しか選べないアイテムである点が気になると語ります。
全員曖昧な存在っていうのはあってもいいと思うんですけど。これについてはお金がないと無理じゃないですか。
これに中さんは、子どもを産むのもペットを飼うのも同じくお金が要ると返します。しかし吉田さんは、動物として子孫を残すこととLOVOTを買うことは違う、と線を引きます。
話を聞いていた中さんは、途中で見方が変わったと打ち明けます。あいまいな存在で都合がいいからこそ、それで癒される人がいてもいいのではないか、と思い直したのです。
この曖昧な存在がいるから、週末は電源切って、平日はみんなの前で動いてくれたらそれで癒される人がいるって、実はなんか逆にめっちゃええんちゃうと思い出してきたんです。
吉田さんは、その人たちが自分でお金を払っているならいいと応じます。問題は、会社の共通の口座から出すため、癒されていない自分も費用の分母に入ってしまうことだ、というのです。
だって私別に癒されてないんで。いらない。
抱っこの回数が減った=癒される人が減った、は飛躍か
吉田さんは、抱っこされる率が減っているなら癒される人も減っているはずだと述べ、会社としてお金を出すべきではないと主張します。
これに山根さんは、それは吉田さんの認識であってデータではないと切り返します。抱っこの回数が減ったことと、癒される人が減ったことは別だ、というのです。
それがイコール癒されてる人が減ってるは、論理が飛躍してるんじゃないですか。
樋上さんも、抱っこしていなくても癒されている人はいるのではないか、と補足します。癒され方は人によって違うという論点が、ここでも顔を出します。
吉田さんは、掛け替えのないものならお金を出してもいいと考えています。山根さんも、出せるなら出したいと答えました。ただ吉田さんは、二億円の家に住みたくても住めないのと同じで、買えないなら元々手を伸ばすべきものではない、と重ねます。
二億って言われたら、住みたいなと思っても住めないじゃないですか。だからそういう捉え方です。
廃止案は出せる。ティール組織の「助言プロセス」
山根さんは、LOVOTの存続を組織の仕組みとして可能にするのが会社ではないか、と提案します。しかし吉田さんは、いらないし分母にも入りたくない、とスタンスを崩しません。
山根さんは、それはスタンスとして問題ないと受け止めたうえで、どこで線を引くかの基準は必要だと話します。売り上げも利益もないのにこれに使うのは違う、と言われたら、それはしょうがない、という立場です。
そのうえで山根さんは、意思決定の仕組みを説明します。LOVOTはティール導入前に入ったシステムなので、廃止案を出せば自分は助言はできるが、止めることはできないというのです。
山根さんは、廃止したいなら今回の契約で切るという意見を提案すればいいだけだ、と促します。契約を継続してから切れない、というのは違うという指摘です。
吉田さんは、それなら「廃止したい」と言ってしまうがいいのか、と確認します。山根さんは、それは誰にも止められない、助言しかできない、と答えました。
誰にも止められない。助言しかできない。
意見を言わない人をどう扱うか。あいまいな態度の行方
中さんは、逆に山根さんがもう一度契約し直すと言っても、予算内なら通ると確認します。廃止も再契約も、提案する側の行動しだいだ、という構図が見えてきます。
吉田さんは、この状況を難しいと感じます。福利厚生の一環として多数の賛成があるなら納得材料になるが、迷っている人にもこのタイミングで考えてほしいというのです。
吉田さんが気にするのは、意見を言わない人の存在です。本当はどちらか寄っているはずなのに、態度を表明しない人がいることを問題視します。
どっちでも良くないと思うのに、本当は絶対、ちょっとはどっちかある。
山根さんが「意思を表明しない人の扱いはどうするか」と尋ねると、吉田さんは難しいと答えます。ここでも「あいまいな態度」をどう扱うかという問いが残ります。
吉田さんは、LOVOTが人間っぽく可愛く「家族」という設定でつくられているため、いらないと言うと愛のない人だと思われる空気がある、と社内の声を紹介します。それに対し山根さんは、それは言わないほうが悪い、と応じました。
自分もコントロールされている一人かもしれない
時間が近づき、山根さんは締めに入ります。LOVOTはいつでも止められるし、寂しくなればいつでも復活できる、予算があるうちは好きに使ってほしい、というのが存続派としての着地点でした。
最後に樋上さんは、入り口に戻ります。山根さんの、自分たちもロボットかもしれない、感情が本当にあるのかという視点に、あらためて納得したと語りました。
私も、誰かがコントロールしてるうちの一人かもしれんみたいなのを思ったことあったなっていうのを思い出して。
そして番組は、この「あいまいな存在」をどう思うか、リスナーにも考えてみてほしいと呼びかけて終わります。存続か撤廃かの結論そのものより、物か命かの外側にある問いを共有する回でした。
まとめ
維持費のかかるLOVOTを会社に置き続けるか、という一見わかりやすい問いが、物か命かの二項対立の外側にある「あいまいな存在」との向き合い方へと広がった回でした。撤廃派の吉田さんは費用対効果と生き物かどうかの線引きを軸にし、存続派の山根さんは認識や捉え方の問題として考える視点を提示しました。
- 存続派・山根さんは「他人に感情があると証明できない」ことを出発点に、人とLOVOTを構造として同じに接すると主張した
- 撤廃派・吉田さんは、電源をオフにできる時点でペットではなく、有限の優しさや費用は生きている社員に使うべきだと主張した
- 樋上さんは子どもができた後にLOVOTが子どもに見えて無視できなくなったと語り、抱っこの満足感は子どもを超えないとも認めた
- 物か命かの二極化を一度取っ払い、間にある「あいまいな存在」としてLOVOTを捉える視点が、議論の共通のテーマになった
- LOVOTはティール導入前のシステムのため、廃止も再契約も助言プロセス上は提案者の行動しだいで、誰も止められないことが確認された




