なぜ『インサイドビジョン』は届いたのか
番組の最初に、高木新平さんが箕輪厚介さんとの因縁を振り返ります。もともと知り合いだった2人ですが、高木さんが力を抜いてYouTubeをやっていた時期に、箕輪さんからX上で厳しい言葉が飛んできたといいます。
突然なんか、X上で箕輪くんから「高木新平がサイコだ、やってんじゃねえよ」と。「YouTuberはYouTuberで本気でやってんだよ」と。
あの時ね、YouTuberをなんか尊敬してた時期なの。みんなやたらYouTuberの人と飲む機会とかが増えて。
(YouTuberが)それぞれみんな必死に特集を考えて、流行りもリサーチして、今一番才能とか勢いある人たちが集まって業界盛り上げてるみたいな。
その言葉をきっかけに、高木さんは中途半端なやり方を見直します。ちょうど箕輪さんから「幻冬舎ならぬ幻歌舎を立ち上げるから相談したい」とXで連絡が来たため、それを収録するかたちでこの番組の企画が生まれたと振り返ります。
高木さんは、経営者の人間性を雑談で深掘りするという届きにくい入り口ながら、番組が着実に回っている手応えを語ります。登録者は2万人に近づき、毎回1〜2万回はコンスタントに再生されるようになったといいます。
届くべき人にしっかり届いた上に再生回数も悪くないっていう、一番ベストだなって。
箕輪さんは、居酒屋で飲みながら喋る自身のリハックの企画を例に、緩く見える企画こそ自分の本質だと語ります。
(居酒屋企画は)緩い企画のように見せて、緩くは喋ってんだけど、あれは俺の一番の本質で、俺は世の中のことは「こうやってみたら面白いよ」とか言うのが仕事じゃん。編集も。
そのうえで箕輪さんは、コアなコンテンツをそのまま出すのではなく、見せ方を少し世間と接続する形にすることが大事だと話します。コアなコンテンツを、見せ方をちょっと世間と接続する形にしつつやれば、それなりに響くという視点は、2人に共通する感覚として語られました。
言語化ポルノと、教養が香る時代
箕輪さんは、この番組が受けている背景を「時代状況」として分析します。ただし、これを言うと自分たちも含めて冷めてしまうかもしれない、と前置きしたうえで切り出しました。
今、言語化と、この分析と考察が本当にポルノのように流行っていて。言語化ポルノ、考察ポルノ。
箕輪さんは、言語化や考察がポッドキャストやYouTubeの中で「脳障りがいい」ものとして今受けているのだと語ります。ふざけているように見えて分析がすごい、という切り抜きが回る現象を、自身のリハックの配信を例に挙げました。
高木新平さんが、言語化を求める感覚の異常さについて問うと、箕輪さんは「頭良くなった気がするんじゃない?」と答えます。ただしこれは、かつてのNewsPicks Book時代の直接的な自己啓発とは違うと整理します。
(今は)自己啓発的な言葉が今すごい嫌われてて、どっちかっていったらちょっと教養か香る、教養香る哲学的批評みたいなのが、すごく気持ちよくなって。
高木さんは、この流れの背景としてAIの存在を挙げます。AIによってHow(やり方)が陳腐化したことが大きいという見立てです。
AIによってHowが陳腐化しちゃってるのがめっちゃでかいよね。
箕輪さんは、ビジネススキルを語る人が「量産型コンテンツのモブ」として消費されてしまい、本をたくさん読んでいる人のほうが本質っぽく見える時代になっていると話します。2人は、暇になった現代人を平安貴族にたとえ、無駄な短歌を読み合っていた文化に近い知的遊びが流行っていると笑い合いました。
「意味すらないもの」を求める人々
箕輪さんは、山口周さんの「役に立つより意味がある」という言葉を引きつつ、時代がさらにその先へ進んでいるという見立てを示します。
役に立つより意味がある。意味があるから意味すらないみたいな。で、意味すらないに行ってる気がする。
その象徴として箕輪さんが挙げるのが、リハックで石丸伸二さんの恋愛リアリティショーを男だけで見守る生配信です。3〜4時間で同時接続2万人、最終的には50〜60万回再生に達するといいます。
箕輪さんは、この配信が半年〜1年前なら大炎上していたはずだと語ります。それでも今受けているのは、主義主張やイデオロギー、べき論に人々が疲れているからだと分析します。
(今、視聴者は)主義主張、イデオロギー、べき論、全員もううるさいってなる。
さらに箕輪さんは、かつて「アップデートせよ」と説いていた人たちが、酒を飲んでくだらないことをしている姿に、視聴者が救いを感じているのではないかと話します。
(視聴者は)「この人たちが言うことに従わないと遅れてんのかも」とか思ってたけど、「この人たち超くだらないじゃん」みたいな。
高木さんは、こうした需要と、自身のコアが重なる交差点にこの番組があるのではないかという箕輪さんの見立てに耳を傾けます。コンテンツが盛り上がるのは、時代性と自分のコアが交差する時だという整理が示されました。
AIが人文知に追い風を吹かせている
高木新平さんは、AIによってHowやWhatが自動的に作られる時代に、「どう見立てるか」そのものに価値が移っていると語ります。それはまさに人文知の話だと2人は捉えます。
箕輪さんは、少し前まで理系のエンジニアから「人文なんてオワコン」「文学部出身なんていらない」と言われていた状況が、AIによって逆転したと語ります。
嬉しいよAI。AIのおかげでなんか俺、なんか需要来てんなって。
箕輪さんは、講演や対談の依頼が「一番売れてた時より来ている」と実感を語ります。求められているのは、ビジネスを語る人ではなく、教養を匂わせる人だと分析します。
俺の言語化とたまに出る、はっきり言って大したことないんだけど、なんか教養匂わせるみたいな人が欲しいんじゃない?
高木さんは、Pivotの佐々木さんのようなビジネス寄りの人が「BOT的」「AIっぽい」と思われてしまう時代だと補足します。人間味が求められているという整理です。
箕輪さんは、専門家の中に一人「そもそもこれって何なんですか?」と問える存在を入れたいという依頼が増えていると語ります。業界では、それを「裏回し」と呼ぶことを最近知ったといいます。
俺も「なんだよ、別に俺芸人じゃねえのに」って言うんだけど、俺だからChatGPTで調べたもん。(裏回しって)なんだよって思って。
都会育ちが地方の気持ちを橋渡しできる理由
高木新平さんは、富山出身の自分と、若新雄純さんの福井出身を例に挙げ、地方から東京に出てきた人が意外と地方の人の気持ちをわからないという説を持ち出します。
高木さんは、地方で髪を染めていた自分たちは、そもそも地方の中では異端だったと振り返ります。だからこそ地方の標準的な感覚とはズレていたのかもしれないという見立てです。
一方で高木さんは、港区育ちの箕輪さんが、YouTubeなどで地方と都会の橋渡しになっていることに関心を示します。箕輪さんはその理由を、人のコンプレックスを突く自分の意地悪さにあると語ります。
人のコンプレックスをつくのが、俺意地悪だから、根は。「お前田舎出身だからそういうこと言ってんのね」って、ちゃんと突っ込むだけじゃん。
箕輪さんは、みんなが心の中で思っていても口にできないことを言うと、いじられた本人が素直になり、見ている人には可愛く映ると説明します。音喜多駿さんを「蚊みたいな人」と評した切り抜きを例に、いじられた側の好感度がむしろ上がった経験を語りました。
要はみんな思ってんのよ。その、そこまで言語化してなくても、「(音喜多さんは)蚊だな」と。
箕輪さんは、こうしたスクールカースト上位のいじりは半年前ならYouTubeで叩かれていたはずだと語ります。今一定の支持を得ているのは、イデオロギーやべき論への疲れがあり、かつてニコ生が流行っていた頃の空気感に近いからだと分析します。
炎上しなくなった箕輪厚介という無敵さ
高木新平さんは、島田紳助や細木数子、有吉弘行、マツコ・デラックスといった存在を例に、「言ってもよさそうなポジション」が状況によって変わってきたと整理します。タブーっぽい人ほど言えるという構造の話です。
その流れで箕輪さんは、自分がなかなか炎上しなくなったと語ります。過去に何度か炎上を経験したことで、ある種の段階を超えたという見立てです。
もう箕輪が言ってんだからいいよ、うるさいよってなってる。今はもう、泉谷しげる的な感じ。
高木さんは、箕輪さんが「これもまた炎上すると思うけど」と予防線を張ることを、ずるいと指摘します。炎上しても自分の予言が当たるだけになるからです。それに対し箕輪さんは、酔うと完全に主観の自分になり、客観の自分は本当に危ういと思っていると答えます。
箕輪さんは、ホリエモンや溝口雄児を「無敵な人」と評しつつ、彼らとの違いを語ります。彼らには目標やビジョンがあり、べきを語る。だからこそ攻めどころが生まれると分析します。
俺、無敵な上にやりたいことないのよ。
高木さんは、目標があるとベクトルが決まってしまい、そこを外されると弱くなると応じます。やりたいことがないからこそ攻めどころがない、という箕輪さんの立ち位置が、この回の一つの軸として浮かび上がりました。
生き様ビジネスは「汚れ」ではない
高木新平さんは、以前ポッドキャストのみだった頃に、箕輪さんがミッドエイジクライシス的な悩みを相談していたことを振り返ります。当時はコミュニティを作ってはやめる、といった移行期間の混乱があったといいます。
箕輪さんは、かつて「生き様ビジネス」を外道であり汚れだと思っていたと明かします。作品を作ること、本を何冊出してどれだけ売れたかがすべてだと考えていたのです。
本を出すとか作品を作ること以外のこういう発信とかって逃げだと思ってたんだけど、それを含めて広義な意味での表現活動だって本当に思ってから楽になったかも。
高木さんは、箕輪さんの変化を、本の出版時に「プロモーター」として出るスタイルから、自分自身が前に出てファンを溜め、人生とリンクしたコンテンツを作るスタイルへの移行として言語化します。
箕輪さんは、文春の連載者から相談を受けた際のアドバイスを紹介します。「プロモーションのため」と言い訳している限り、いずれつじつまが合わなくなるという指摘です。
(発信を)本のプロモーションって最初は言ってたよと。だから今多分すごいそう言わないと自分が汚れをやってるように思っちゃうと思うけど、広げないとつじつまが合わなくなるよと。
箕輪さんは、本をベストアルバムのような「アーカイブ作品」だと捉え直します。今やYouTubeの影響力が本を逆転しており、「あのふざけてる箕輪さんが編集した本を読みたい」という順序になっていると語りました。
メディア出演は本のプロモーションの付随物であり、目立つのは「汚れ」だと考えていた
発信も含めた全部が広義の表現活動であり、本のほうがYouTubeの付随物に逆転したと捉える
ジャングリアに足りなかったプロセスエコノミー
高木新平さんは、打ち合わせや企画会議そのものが一番楽しいという実感を語ります。広告代理店時代に夜12時から朝5時まで企画会議をしていた頃を振り返り、生産性は低くても会話自体が最高に面白かったと話します。
高木さんは、メイキングの裏側やアイドルのオーディションこそがコンテンツになる逆転現象を指摘します。一番熱を入れてやっていることそのものがコンテンツになる、という見立てです。
この流れで箕輪さんは、テーマパーク「ジャングリア」が滑った理由を語ります。プロセスエコノミーをやっていないから、というのが箕輪さんの分析です。
ジャングリアが滑った理由、プロセスエコノミーやってないからだからね。誰も共感できないじゃん。
箕輪さんは、ジャングリアウォッチャーとして現地に何度も足を運ぶほど愛していると語りつつ、森岡毅さんが完璧なプロダクトを出すアウトプット至上主義であるがゆえに、緩さと共感を生むプロセスエコノミーと相性が悪かったと指摘します。
2人は、もし10年かけて名前に迷う様子までドキュメンタリーとして見せていたら、みんなが応援できたはずだと語り合います。高木さんは、この番組『インサイドビジョン』が一部で強く支持されるのも、上場して上がりきったと思われた経営者が、もう一度プロセスに戻って悩みを見せるからだと整理します。
思い出と原体験こそが固有性になる
箕輪さんは、ガイアの夜明けならぬ「思い出散歩」という企画を例に、挑戦や新規事業はビジネス合理で考えるため似通うが、思い出だけは固有だと語ります。
挑戦とかって(みんな)似るよねと。(でも)思い出だけは、固有でオリジナリティーだから、「思い出の方が実は新しいよね」って。
箕輪さんは、AIの時代には新商品こそコモディティ化し、自分の原体験のほうが貴重になると語ります。思い出は選べないからこそ珍しく、痛い思い出のほうが面白いという見立てです。
高木さんは、AIが合理的な正解やオプションをくれる一方で、家族や地域といった自分では選べなかった非合理の塊こそが独自性を作ると応じます。
家族とか地域とか自分で選ぶことができなかった非合理の塊みたいなものが、なんか独自性を作るし。結局そこでしか(固有性がない)。
2人は、家入一真さんが今軽井沢に住んでいることよりも、福岡の端っこ出身であることこそが「家入さんたらしめている」と語り合います。誰もが合理的に軽井沢に行き着いてしまうと、固有性が消えてしまうという話です。
打ち上げ花火のように、意味なく残る景色
箕輪さんは、明日打ち合わせだという細木数子さんの孫の勢いに触れつつ、自分の死に方への願望を語ります。
「こいつむちゃくちゃだったな」って思われて死にたい。でっかい音したけど、なんだったんだろうって思って、5秒後全員忘れてるみたいな生き方したい。
これに対し高木新平さんは、熊本で竹あかりをやっているアーティストの友人の話を紹介します。竹あかりは1日2日で消えてしまいますが、その景色は忘れないのだといいます。
たった1日の出来事が、残り364日の景色を変えちゃうんだと。
箕輪さんは、この話に強く反応します。一度見たものは、正確に記憶には残らなくても「こんな生き方があるんだ」「こんな景色だったな」と残る、という感覚が2人で共有されました。
角度に介入したい人と、意味をなくしたい人
箕輪厚介さんが、高木新平さんに対して「顧客や視聴者から何と言われるのが一番嬉しいか」と問いかけます。感想の種類には、その人がやってよかったと思える手応えが表れるという問いです。
なんて言われるのが、シンペイは一番嬉しい?顧客でも視聴者でも。やってよかったなって思う感想。
高木さんは、経営者と仕事をしていて一番嬉しいのは、ビジョンを書き換えていくうちに、相手が元々悩んでいたことを忘れ、新しい設定で生き始めている瞬間だと答えます。
(相手が)もう自分、なんかその新しい設定で生き始めてる時があるわけ。「そんな相談したっけ?」みたいな。
高木さんは、この感覚を「人生の角度に介入したい」という言葉でまとめます。相手の人生の方向性を少しだけ変えたいという欲望です。
一方で箕輪さんは、自分が嬉しい感想はまったく逆だと語ります。
(嬉しい感想は)「なんかいろいろ考えてたんですけど、全部どうでもよくなりました」。
高木さんは、それが箕輪さんらしいと笑います。相手の人生を変えたい高木さんと、相手が悩みをどうでもよくすることを喜ぶ箕輪さん。2人の欲望の違いが対照的に浮かび上がりました。
相手が悩みを忘れ、新しい自分として生き始める。人生の「角度」が変わる瞬間
相手が「いろいろ考えてたけど全部どうでもよくなった」と、意味を手放す瞬間
水を差したい――くだらなさへの原点
箕輪厚介さんは、リハックの高橋弘樹さんから「箕輪さんは水を差したいんですよね」と言われたエピソードを紹介します。一生懸命やっていることや、行き過ぎるイデオロギーに水を差したいというのです。
高木新平さんは、これを山本七平の『空気の研究』の議論に重ねます。空気を読むことの反対が、水を差すことだという整理です。
空気を読むの反対が水を差す。みんながこうだって空気で思ってることに対して、「あれ?でもそれってそもそも?」っていうと、水を差すのよ。そしたら終わんのよ、空気が。
箕輪さんは、水を差したい根底には「全部思い込みだぞ」という感覚があると語ります。好きで思い込むのはいいが、人生を棒に振るような思い込みはないという伝え方です。
好きで思い込んでるならいいけど、人生棒に振るような思い込みないぞと。だから適当に生きりゃいいんだよっていうことを常に言いたい。
箕輪さんは、ラーメンやサウナの活動を、自己啓発本を作ってきたことへの「贖罪」だと語ります。「こう生きるべきだ」と言いすぎたことへの反動として、人生を楽しく生きればいいという娯楽を届けたいという思いです。
(一番嬉しい感想は)楽しかったけど、何の役にも立たなかったですっていうのが一番嬉しい。
大学時代に見た「意味ない雑談」の原風景
高木新平さんは、なぜ「意味なかった」という感想が嬉しいのか、その原点を問いかけます。箕輪さんは、自分が一番楽しかった時間を思い出します。
サッカー部の練習の後の教室とか、大学のサークルの後の飲み会とか、無意味な時。何の生産性もない話をしてる時、あれを再現したいだけだと思う。
箕輪さんは、大学時代にひろゆきとホリエモンが2人で仲良かった頃、酒を飲みながら延々と意味のない対談をしていたのをずっと見ていたと語ります。
(ひろゆきとホリエモンが)ずっとケラケラ笑いながら。あれが本当に好きすぎて。なんだこれ、意味ねえと思って。
高木さんは、意味ないと言うほど箕輪さんが「意味」にこだわっていることを指摘します。箕輪さんは、くだらないことが一番嬉しく、くだらないと思われたいのだと答えます。
男子校のサブカルと、尾崎豊に憧れた小学生
高木新平さんは、箕輪さんのくだらなさの原点をさらに掘り下げます。箕輪さんは、両親は足立区で不動産業を営む家庭で、特別煌びやかな環境ではなかったと語ります。原点は男子校6年間にあると言います。
男子校6年間っていかにくだらないことやるかだから。シュール笑いが流行ってたのよ。いかにシュールかをみんなで競ってた。
箕輪さんは、サッカー部に所属しながら、サブカル寄りのワンダーフォーゲル部に入り浸っていたと明かします。深夜ラジオやお笑い番組が好きなサブカル集団の中で、一番の陽キャだったといいます。
サッカー部的な薄い笑いを常に釘刺してた存在だよね。一発芸とかクソつまんないよとかってずっと言ってた。
高木さんは、箕輪さんが長文のコラムを書いていたことに驚き、その文才の由来を問います。箕輪さんは、小学5年生の頃に武蔵中学の記述問題を解いていた時、塾の先生に才能を認められた経験を語ります。
塾の先生が「お前ほんと才能あるよ」って言ってくれたの。「お前は尾崎豊か」って言われて。
箕輪さんは、尾崎豊を知って「俺と同じことを言ってる」と感じ、小学6年生の卒業の時期に、みんながSPEEDを歌う中で一人だけ尾崎豊の『卒業』を歌っていたと振り返ります。誰にも支配されていなかったのに、支配からの卒業を書き続けていたという矛盾を、自ら笑いました。
箕輪さんは、この文才の源泉を『こち亀』の両津勘吉に求めます。「こんな常識に縛られて生きてたまるか」という価値観を、自分の言葉として憑依して書き切れるのだと語ります。
自分の境遇はそんな縛られてないのに書き切れんだよね。今でもそれだと思うよ。
AとBが戦う場所で、Cを言いたい
箕輪厚介さんは、自分の本質を「みんながはたと気づくこと」が好きだったと語ります。AとBが対立している時に、両方くだらなくてCじゃないか、と外したい欲求です。
みんながAって言ってんのに、AとBが戦ってる時に、いや両方くだらなくてCじゃない?っていうのが。
箕輪さんは、斎藤幸平さんのような、みんなが突っ込めない高尚な思想を言う人に「脱成長ってなんなん?」と突っ込むのが好きだと語ります。究極の自由人でありたいという願望です。
なんか究極の自由人でありたいな。思想的にも。だから逆にリベラルになりたいもん、最近。
箕輪さんは、国家やナショナリズム、思想はすべてフィクションであり、それをフィクションだと言いたいのだと語ります。それは東京生まれ東京育ちの恵まれた人間だからできることかもしれない、とも付け加えました。
みんなが命をかけて守ろうとしてるもの、全部フィクションじゃん。フィクションをフィクションって言いたいのかも。
箕輪さんは、自分にはコンプレックスもビジョンも思いもなく、あるのは発信力だけだと語ります。だからこそ狂信的なものに水を差せるのだという、この回の核心的な自己分析が示されました。
三浦純に救われた就活生
箕輪厚介さんは、自分と近い立ち位置の人物として、三浦純さんを挙げます。常に質問をずらす姿勢に、就活がうまくいかず悩んでいた時期に救われたといいます。
三浦純さんの(インタビューを見て)、就活生の相談みたいなのを常にずらし続けてたのよ。本筋じゃないことを答え続けるっていうか。
箕輪さんは、「株ブームですけどどう思いますか?」と聞かれて、植物の株の話をして30分終える、というずらし方を例に挙げます。的確なアドバイスではなく、ずっとくだらないことを言う姿に「こういう人になりたい」と思ったのです。
三浦純のインタビュー見て、「この人ほんとくだらねえな」「ずっとふざけてんじゃん」って思った時に救われたわけよ。
高木新平さんは、くだらない返答によって、相談者が一瞬悩みを忘れ、相対化される効果を指摘します。ダジャレで終わってしまうことで、自分が何に悩んでいたのかを見失う――その心地よさが、箕輪さんの「ありたい姿」に重なっているという整理です。
成長という宗教から、本来ありたい自分へ
高木新平さんは、幻冬舎でNewsPicks Bookをまっすぐ作っていた時代について、無理をしていたのかと問います。箕輪さんは、あの時期は完全に自分だったと即答します。
あの時はビジネスにハマってた。自分をアップデートしないやつクソだと思ってたし。若者の力で世界を変えるべきだと思ってた。
箕輪さんは、その気持ちが変わった理由を「あれが宗教だったと気づいた」と表現します。成長という宗教です。ただし、それを情弱ビジネスだとは全く思わず、自分の財産だと語ります。
ある意味成長という宗教だったなって思う。(でも)あの時代においていいことをやったと思って、自分の財産だと思う。
箕輪さんは、今くだらないふざけをやれるのは、金も時間もある道楽人だからであり、社会人の最初は成長ビジネスに入ったほうがいいと補足します。3年ほど鬼のように働き、経済的な自由を手に入れて初めて、道楽人間になればいいという考えです。
(自分は)頑張って本来ありたかった自分になってるって感じ。
高木さんは、今の「水を差す」芸風が、もともと箕輪さんが救われた形に戻っているのだと整理します。ただし箕輪さんは、それを「やりたかったこと」と言うと違うと注意します。嫌々やっているぐらいがちょうどいい、という感覚です。
金がないと左翼思想になる、という見立て
箕輪厚介さんは、月の半分を旅行に費やす今の生活が「本当の半身(はんみ)」だと語ります。ただし、それは一時期に鬼のように頑張ったからできることだと繰り返します。
その流れで箕輪さんは、自分のような緩いキャラクターが普段言わないことを、あえて口にします。
金が全てなんです。金がないと左翼思想になるんです。金があるから中立でいられるんですよ。
箕輪さんは、この見立ての由来を、実際に左派やリベラルの人々と対談してきた経験に求めます。手弁当で配信し、再生も回らない現場を見て、単純にビジネスが下手なだけだと感じたといいます。
これって、右と左の思想って上と下の問題だなって気づいた。(経済的に)上と下の。
高木新平さんは、左派を支えているのが労働組合であることを挙げ、箕輪さんの見立てに一定の理解を示します。箕輪さんは、彼らがビジネスの稼ぎ方が下手だからこそリベラルでいられるのであり、自分が助言して変えてしまうのは違う、と語ります。
戦争になっても水を差したい
高木新平さんは、右派と左派の二極が強いほど、箕輪さんは第三極として活躍できると指摘します。箕輪さんは、戦争に突入するような局面でこそ水を差したいと語ります。
要は戦争にこの、突入するとするじゃん。俺は水を差したいよね。(戦争を)した時に全部茶化したい。究極のいわゆるコメディアン的な立場。
箕輪さんは、爆笑問題の太田光さんもそれを目指しているのではないかと挙げます。2人は、日本が戦争に突き進んだのも「空気」であり、今また空気が作られていることへの危機感を共有します。
高木さんは、合理的な理由をつけて戦争に突き進む流れに対して「茶化し力」が大事だと語ります。
なんでそんなことすんの?って。くだらなくない?ダサくない?みたいな。それ大事だと思う。
箕輪さんは、溝口雄児が毎日誰かと喧嘩している場面でも、自分がちゃんと水を差してきたと語る高木さんの例に頷きます。本当に怒っている人が人間の顔に戻る瞬間が好きだ、という高木さんの原点が語られました。
部長だけど部署がない、という空白
高木新平さんは、自分に立場がないことを明かします。幻冬舎で自分だけ部署がなく、総務局預かりの状態だといいます。
部長なのに部署がないの。で、総務局預かりなの。
箕輪厚介さんは、それを「存在自体が空」だと表現します。高木さんは、その浮いた存在であり続けることが心地いいと語り、それが自分の本質だと明かします。
自由が全て。本当に自由が全て。俺、自由になるために生きてる。
箕輪さんは、これを国家レベルの話に広げます。国際状況が複雑化するなか、どの国も集まれる「巨大な空白地帯」として日本を捉える見立てです。
日本って巨大な空白地帯なの。(国旗の)白の意味ってのは余白だと思ってる。あんまり強制感がない。日本だったらいいよみたいな。
高木さんは、中学の卒業文集に「曖昧のままが一番気持ちいい」「曖昧こそが全て」と書いたことを振り返ります。曖昧、中立、空白、空虚を好むという一貫した自己像が、日本のポジションと重ねて語られました。
ファンという衣を振りほどけ
箕輪厚介さんは、田中圭さんを収録した際、偶像に苦しんでいたと語ります。上がり方が急で、イメージの速度が速すぎて追いつけないというのです。高木新平さんは、自分も一周目はそうだったと応じます。
高木さんは、こうした偶像への対処として「期待に応えないこと」を挙げます。何度も繰り返してきたからこそできる技術だといいます。
皆さんってこういう人だって勝手に虚像を作って、勝手に裏切るから、俺はこういう人間だよって裏切り続けるっていうのは大事。
高木さんは、この感覚をサウナの水風呂にたとえます。水風呂に耐えていると、寒くなくなる「衣(ころも)」をまとう。これがファンだというのです。
これがファンで。これは心地いいんだけど、振りほどかなきゃいけないの。振りほどいて、また冷たくなんなくちゃいけなくて。
高木さんは、ファンの期待に応えていると動けなくなるため、常に振りほどき続ける必要があると語ります。その瞬間は「こんなの箕輪さんじゃない」と言われるが、関係ないと言い切ります。
さらに高木さんは、清春さんとコラボした経験に触れつつ、アーティストや芸人が裏で「好きです」と言いながら表では距離を取ることを、コミュニティビジネスへの過剰な配慮として批判します。自分のほうが生身で生きているという自負が語られました。
メディアと人間の未来予想2026
番組の終盤、箕輪厚介さんが高木新平さんに、今後のYouTubeや世の中の流れを問います。高木さんは、社会が「平安時代」のようになると予想します。
生産性がないけど面白いみたいなことを一人一人が探求したり、めっちゃ探求が面白い人が人気者になったりするんじゃない?
高木さんは、AIで本を作る際の実感として、AIは「っぽい」ものを作るがゆえに、自分らしくない部分を見つけて直す作業に、ゼロから書くより時間がかかると語ります。
自分っぽくないことを見つけなきゃいけない作業が(時間かかる)。
高木さんは、AI疲れやAIウザさが広がるなかで、「この人でしかありえない」ものの価値が増すと語ります。本能のままに生きたり喋ったりしている人のほうが面白くなる時代だという見立てです。
2人は、これを「人間回帰とAI進化の両極」として整理します。人間回帰は身体的・精神的なものであり、機械が発達した時のオリンピック選手のように、記録では敵わなくても「人間として頑張るんだ」という姿勢に価値が出るという話です。
俺は俺のくだらなさで生きるんだ。
リハックの炎上を予言する行司として
高木新平さんは、リハックが現状まだ炎上せず人気なのは、ホモソーシャルなノリが本能優先の空気に合っているからだと分析します。しかし同時に、そのノリはいずれ炎上すると予言します。
あのリハックのノリは。ホモソーシャルすぎるし、人のことを笑いものにして。でも俺は良くないと思うけど、やっちゃうよと。だから炎上して謝るまでセット。
高木さんは、本能優先の空気が良くない理由を、逆側から論じます。コミュニケーション能力や「強さ」といった男的なものがすべてを支配してしまうからだといいます。
面白くて喋れる奴が、強い奴が勝つから良くないんだよ。
箕輪さんは、これを相撲の行司にたとえます。片方が強くなればもう片方に、というように、常にバランスを取って水を差す高木さんの姿勢を、この番組そのものの立ち位置として捉えました。
高木さんは、この収録の場を借りて、ホワイト化しすぎた空気にもホモソーシャル化しすぎた空気にも、行司として水を差したいという意思を示します。それが箕輪さんの言う「水を差す」姿勢と重なり合うことを、2人は確かめ合いました。
大殺界明けと、締めの告知
高木新平さんは、今後やりたいことは決めないと語ります。六星占術で3年続いた大殺界が今年で終わり、来年から新しい12年が始まるため、それまでは流れに身を任せているといいます。
高木さんは、大殺界が明けても具体的にやりたいことは思いついておらず、まず健康に気を付けるぐらいだと語ります。ただ「俺にしか作れない形」を試みているとも話しました。
番組の最後は、箕輪さんが締めの挨拶とコミュニティの告知を担います。手弁当で運営するこの番組を支えるサポーター「INSIDE INSIDE VISION」を、月額5万円から5〜10名限定で募集していることが案内されました。
まとめ
AIによってHowが陳腐化した時代に、言語化や考察、そして「意味ないもの」への欲求が高まっているという分析から、2人はそれぞれの原点――箕輪厚介さんの「水を差したい」欲求と、高木新平さんの「自由・空白でありたい」欲求――へと掘り下げていきました。
- AIがHowを陳腐化させたことで、教養や人文知、そして「どう見立てるか」に価値が移っている
- 完成品より過程を見せるプロセスエコノミー、そして選べなかった原体験こそが固有性を生む
- 箕輪さんの本質は、対立や思い込みに「水を差す」こと。ビジョンもコンプレックスもない自由さがその源泉
- 高木さんの本質は、曖昧・中立・空白を好むこと。ファンの期待を振りほどき続けることを重視する
- これからは、AIが真似できない「その人でしかありえない」本能や人間性が価値を持つと2人は予想する





