原体験から始まる仕事のかたち
番組の2回目は、前回テーマだった藤川真至の経歴から話が始まります。山川将弘は、バックパッカーやイタリアでの体験といったアナログな原体験が、今のCHEESE STANDにつながっている点に触れました。
頭で考えて「これは売れるだろう」「日本にないからいいだろう」みたいな感じよりも、やっぱり自分の原体験みたいなのがあって、そこから店ができてるっていうのはすごいいいなって思って。
藤川真至も、若い時に熱中できるものを見つけられたことを振り返り、それが幸運だったと話します。学生という時間だからこそできる体験があるという点で、2人の考えは重なりました。
俺その時がなければ、楽しい大学生活で終わってたと思う。一歩踏み出したことはすごい良かったなっていうのは、振り返ると思います。
中学生で芽生えた「田舎暮らし」への憧れ
ここから話し手は山川将弘に移ります。山川はもともと酪農を目指しており、東京農業大学の畜産学科の出身です。東京農業大学 ── 農学や畜産などを学べる私立大学。山川将弘は畜産学科に在籍していた。酪農をやりたいと思ったのは中学生の頃からだと明かします。
酪農をやりたいと思ったのは中学生のころからなんだけど、なんか田舎暮らしにすごい憧れてて。
大都会出身かと問われると、山川は埼玉の川越出身で、家は街中にあったと答えます。ただ少し行けば田んぼがあるような環境で、釣りが大好きな少年でした。
家は街中にはあったけど、なんか自然の中でなんか遊ぶとか、そういう風景とかすごい好きだったっていうのはすごい覚えてて。
親が休みのたびに山へ連れて行ってくれたことも重なり、田舎に暮らしたいという思いが自然と育っていったと山川は振り返ります。
北海道の搾乳体験が決めた進路
酪農との距離は遠いのではという藤川の問いに、山川は中学時代の北海道行きがきっかけだったと語ります。生徒会に入ると各校から2人が北海道に行ける制度があり、それを目当てに生徒会へ入ったといいます。
中学校の生徒会に入ると、各学校の生徒会から2人行けるみたいな項目があって、それを知ってたから、それ行きたくて生徒会に入ったの。
北海道で訪れた牧場での搾乳体験がとても良く、そこからずっと酪農をやりたいと思うようになったと山川は話します。その牧場は放牧を行っており、丘の中腹に牛が放牧され、反対側に海が見える風景でした。
そこで働いてる人がすごい憧れというか、いいなと思って。そこから放牧酪農とか酪農ってこういうもんだって思いながら、酪農をやりたいと思って。
どうすればなれるかもわからないまま、東京農大に入ればなれるのかなという気持ちで進学したと山川は当時を振り返りました。
中洞牧場で受けた「牛は草を食べる」という言葉
学生時代、山川は全国の牧場で研修を重ねます。北海道から九州までさまざまな牧場をめぐり、その中に岩手の中洞牧場もありました。中洞牧場 ── 岩手県にある放牧酪農の牧場。代表の中洞正は放牧酪農の実践者として知られる。
本当に牧場の現場に行くのがすごい楽しくて。本当に全国、北海道から九州までいろんな牧場で研修させてもらってて。
大学卒業時には中洞牧場から誘われます。当時の山川は海外に住むか酪農をやるかという気持ちで、就職するつもりもなかったといいます。それでも働くなら中洞牧場でと考え、半年待ってもらったと話しました。
酪農の何がそんなに魅力的なのかと藤川に問われ、山川は中洞正の講演で聞いた言葉を挙げます。それは「牛は草を食べるからすごいんだ」というものでした。
牛って俺らが食べれない草を食べてミルクにするっていうのがやっぱりすごいなと思って。そこに強烈に惹かれた感じがあって。
当たり前のことをちゃんと言ってくれたことに感銘を受け、それが今でも山川のベースになっていると語ります。自然の中に牛がいる風景そのものへの憧れも、中学時代の北海道の記憶とつながっていました。
森林ノ牧場を引き継いだ経緯
山川はその後、中洞牧場からアミタという会社に移ります。アミタは京都で森林ノ牧場を立ち上げ、2007年に京都、2009年に那須で立ち上げました。
立ち上げから社員として関わっていた山川ですが、2011年に会社の都合で牧場を手放すことになります。もともとそうしたことをやりたかった山川は、森林ノ牧場を引き継ぎ、そこから独立して事業を始めました。
震災を機にヨーグルトと無印との出会い
藤川が2人の出会った当時を振り返ると、森林ノ牧場はヨーグルトなどを作っていました。もともとは牛乳とソフトクリームがメインでしたが、2011年の震災で牛が飼えなくなり、放牧もできなくなったといいます。
牛乳はなんか放牧の象徴だみたいな感じで言ってたから、牛乳売るのやめてヨーグルトをかなり頑張ってやった。
一方で、ソフトクリームは当時からずっと続けており、今でも山川の会社の売上のメインとベースになっていると話します。当初は卸が売上の8割から9割を占めていました。
卸の中でも独立直後から支えてくれたのが無印良品でした。南青山にできた店舗でソフトクリームをやりたいと声をかけてくれたことから始まり、その担当者がいまだに付き合いを続けてくれているといいます。
無印さんは本当にうちにとっては、本当に何もなかった時代から支えてくれている方で。
放牧酪農なのに、なぜ「売ること」を突き詰めたのか
藤川は、放牧酪農が自分のしたいことを突き詰める世界に見える一方で、山川はマーケティングやデザインに力を入れる珍しいタイプだと指摘します。ヨーグルトをマヨネーズのような入れ物に入れたことなどが例に挙がりました。
どちらかというと、ちゃんとマーケティングの文脈で、パッケージやったりとか、デザインに力入れたりとか、なかなか類を見ないタイプだと思うんだけど。
山川は特別に勉強したわけではなく直感でやってきたとしつつ、その背景に中洞牧場での経験があると語ります。当時の中洞牧場は、良いことを言い、ビジョンも夢もあって多くの人が集まったものの、うまくいっていなかったといいます。
いくらそれがあっても、やっぱ続かなかったら意味ないなって思って。乳製品を売るってビジネスモデルをやる以上は、それをしっかり売るってことが大事だなって思って。
最終的にやりたいのは牧場やその風景であっても、そのためには乳製品を作り、きちんと届けることが必要だと山川は考えています。自分のエゴになっていては事業として続かないという思いが、ちゃんと売れるものを作るという姿勢につながっていました。
那須の仲間が面白がってくれた牧場
藤川は、那須のグッドニュースの宮本豪一やチャウスとのつながりに触れ、その環境にいたことも大きいと話します。グッドニュース ── 那須でバターなどを手掛ける宮本豪一が関わる取り組み。山川将弘の牧場とも縁がある。山川も、周りの人と前身のアミタという会社に恵まれたと振り返ります。
アミタは本当にすごくビジョンをちゃんと掲げていて、何のために森林ノ牧場やるかってのは本当に明確だったし。
何を面白いと思ってもらえたのかという問いに、山川は震災で牛が飼えなくなった苦労からでもやろうとしたことや、多くの酪農家がいる那須の中で放牧という変わったことをしていた点を挙げます。その面白さの根源はアミタが作ってくれていたと語ります。
周りの人に価値をたくさん作ってもらってる感じはすごい当時からあるんだよね。
藤川はこれを「点と線」の話として強引にまとめます。本当に頑張っていたからこそ点になり、いろんな人が見つけてくれて、それが後々線になったという整理です。
頑張ってると人は助けてくれるよね。頑張ってる人は助けたいって思うしさ、頑張ってる人とは一緒に仕事をしたいとも思うし。
効率やタイパ、コスパが重視される時代でも、がむしゃらにやる時間や経験は大事だと山川は話します。当時はそれがみんなに見てもらえていたのではないかと振り返りました。
チーズ工房那須の森を事業承継する
その後、山川はチーズ工房那須の森を引き継ぎます。現在は株式会社のもりとして、2011年から独立して続けてきた森林ノ牧場に加え、2021年にチーズ工房那須の森を事業承継しました。
那須の森はもともと落合さんという人が2008年から続けてきたチーズ工房でした。落合さんが高齢だったこともあり、事業承継というかたちで山川が引き継いだといいます。
落合さんとの縁は古く、学生時代にさかのぼります。落合さんは放牧酪農の研究家で、山川はその著書で放牧を学んでいました。
『放牧のススメ』ってすごくコンパクトにまとまってる本があって、それすごい読んで。
那須に引っ越してきた際にも挨拶に行き、さまざまな縁が重なって2021年の事業承継に至ります。ただ、当時の山川はチーズのことを全然知らなかったと明かします。
作れないからこそ勉強し続けるチーズ
チーズ業界で事業承継をした人は珍しく、山川は最近いろんな賞を取っています。良いチーム作りができているのだろうと藤川は見ています。
俺は全く今でも全くチーズは作れなくて。でももう必死よ、チーズの知識を入れようと。
スタッフの前では知っている風でいなければと強がってしまう面もあり、だからこそ勉強しなければならないと山川は話します。それでもチーズは面白いと感じており、酪農をやっているとチーズに行き着くという実感を語りました。
酪農をやるからこそわかるチーズの価値
藤川はチーズの旨味や、牛乳が伸びるといった面白さに触れ、その可能性をまた話したいと語ります。山川は、酪農をやっていると牛乳の在庫調整が本当に大変だからこそ、チーズの価値を強く感じると応じます。
チーズってやっぱり保存しながら時間経つと価値が上がっていくっていう、その素晴らしさを、酪農やってるからこそすごい思ってる。
山川の会社は牛乳を全量自分たちで消費しています。冬はソフトクリームが売れない一方で牛乳は常に出続けるため、在庫調整の難しさがチーズの価値をより実感させるといいます。
現在は牧場とチーズの両方をやりながら、酪農に関わることを幅広く手掛ける会社として、去年合併して「のもり」に名前を変えました。チーム作りなどは、また別の回で話すことになりそうです。
まとめ
川越で釣りに親しんだ少年が、北海道の搾乳体験から放牧酪農に憧れ、中洞牧場やアミタを経て森林ノ牧場を独立で引き継ぎ、さらにチーズ工房那須の森を承継するまでの半生が語られました。原体験と「売ること」への意識、そして周りの人との縁が、のもり誕生の背景にありました。
- 山川将弘の酪農への憧れは、中学時代の北海道での搾乳体験が原点になっている
- 「牛は草を食べるからすごい」という中洞正の言葉が、今も山川の仕事のベースにある
- 震災で牛が飼えなくなったことを機に、ヨーグルトや無印良品との卸取引が広がった
- 放牧酪農でありながら、事業として続けるために「売れるものを作る」ことを重視してきた
- 2021年にチーズ工房那須の森を事業承継し、牧場とチーズの両方を手掛ける「のもり」となった


