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「主体的に学習に取り組む態度」は、次の学習指導要領で評定(点数)の対象から外れ、個人内評価の対象になると言われています。では、その評価はもう考えなくてよいのでしょうか。
今回のエピソードは、7月30日にLibryが開催したオンラインセミナー「これからの"主体的に学習に取り組む態度"の評価について」の振り返りです。EduOpus研究所、IGS、すららネットの皆さんと、教育データを使った評価の現場で何が起きているのかを語り合いました。後藤が特に共感した3つの論点を紹介します。
1つ目は「教育データとは何か」。後藤の答えは「包丁のようなもの」です。包丁を使いたい人はいません。美味しい料理を作りたい人がいるだけです。データ活用そのものを目的に掲げると、教育は本来あるべき姿から離れてしまう。先生が実現したいことを証明し、補強する道具としてのデータを考えます。
2つ目は「主体性の定義は学校によって違う」こと。間違えた問題に取り組み直す、すぐに答えを見ずに悩み続ける。そうした行動を主体性の要素と捉える学校もあれば、そうでない学校もあります。主体的な学習者の姿は誰かに与えられるものではなく、先生が自分の言葉で言語化し、子どもたちに伝えるなかで形作られていくものではないでしょうか。
3つ目は「何のための評価か」。参加した企業に共通していたのは、教育データを総括的評価ではなく、学びの途中で子どもの状況を確かめる形成的評価の道具として使うという考え方でした。
データは使い方を間違えると、監視的で冷たいものになります。先生と生徒のコミュニケーションのきっかけになる、暖かい教育データの使い方を考えます。
# 7月30日開催セミナーについて
「これからの"主体的に学習に取り組む態度"の評価について」全編の視聴はこちら
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