大人になっても「好きな漫画を語りたい」のはなぜ?
本題の前に、中里さんは最近考えていることとして、Branchの中で漫画の話をする配信番組をやりたいという計画を話しています。
中里さんがこう考えたきっかけは、Branchのコミュニティで映画について一人で語る配信を定期的に続けている子の存在です。中里さんはその子を「ある意味師匠」として、漫画版をオマージュしたいと話しています。
僕漫画めっちゃ読んでるんですけど、喋れてるうちの多分30倍ぐらい読んでる漫画を喋れてないやつが28か29ぐらいあって、いつもちょっと喋りたいなって。
桜林さんが「映画の子を見て何がいいと思ったのか」と尋ねると、中里さんは、好きなことを40回以上と続けている点に敬意を持っていると答えます。
めっちゃ面白い漫画あったって思った時に、この衝撃を誰にも伝えられてないみたいな。
『ワンピース』や『ハンターハンター』の最新巻ならみんなと話せるものの、自分が見つけたような作品のほうがむしろ多いと中里さんはいいます。「こんなおじさんになっても話したい欲求があるんだな」という気づきも語られました。
「公に向けて感想を言う」ことへの温度差
一方の桜林さんは、一人喋りができる気がせず、読んだ感想や見た感想を言いたい気持ちもあまりないと話します。
相手がいて、この人だからこの話っていうのはできるけど、公に向けてみたいなことあんまりしたいって思ってないのかもしれない。
中里さんは仮説として、自分は友達に話せていないうえ、Branchの中で話すことを公だと思っておらず「めっちゃ内輪で話してるぐらいの気持ち」なのかもしれないと分析します。桜林さんもそれを「ちょうどいいかもしれない」と受け止めました。
中里さんにはもう一つのきっかけがあります。漫画大好き芸人の吉川きっちょむさんのYouTubeを見て、楽しそうに漫画を紹介する姿に触れたこと、さらに漫画家がXで「ああいう方がいるおかげで本当に助かってます」と書いているのを見たことです。
表現することが漫画家にとってもよいことだと知った中里さんに、桜林さんも自身の経験から共感します。
感想、私も出した本の感想を上げてくれてるやつも全て等しく嬉しいもん。
桜林さんは「叩くために書いたりとかしてなければ」と付け加えつつ、中里さんが刺激を受けていることを喜んでいました。
母が抱える「かわいい」への怖さとは
ここからが今回の「のろい」です。二人姉妹を育てる主婦のリスナーから、女の子が「かわいい」に飲み込まれてしまう怖さについての相談が届きました。
私が解いてほしい呪いは、女の子はかわいいに飲み込まれてしまうという怖さを強く持ちすぎていることです。SNS全盛期の現代、可愛い、モテる、選ばれるといった価値観って増している気がして、私はそれに少し過敏になってしまうところがあります。
例えば、保育園でお化粧をしている子がいると聞くだけで少しゾッとしてしまうし、プリキュアのような女の子がキラキラ可愛いが前提の作品も、娘が見る分にはいいのですが、私自身はあまり見たいと思えません。
もちろん可愛いものが好きなこと自体は悪いことじゃないし、自分自身も若い頃可愛いと言われて嬉しかった記憶はあります。でもその一方で、外見や女の子らしさに価値が集中する世界に違和感を感じてきた部分もあって、娘たちにはそこだけに飲み込まれずに育ってほしい気持ちがあります。
娘たちが大きくなって可愛くなりたい、綺麗になりたいという気持ちと、性や承認欲求が結びつき始める年頃になった時、私はどう伝えていけばいいんだろうと今から怖くなってしまいます。敏感になりすぎるのも違う気がするし、でも無防備にもなりたくありません。お二人は子供にどんな価値観を渡したいですか?また、自分が苦手だった価値観とどう距離をとっていますか?
相談の中でミシンさんは、可愛いが時に消費されたり搾取につながったりする怖さも感じていると書いています。
「好きにしていい」のはずが動揺してしまう、今っぽいジレンマ
桜林さんがミシンさんの相談を聞いてまず口にしたのは「でもこれ今っぽい」という感想でした。
桜林さんの整理では、少し前は「女の子はピンク、男の子はブルー」のような決めつけは良くないから、それぞれ好きにしようという考え方が広がった段階でした。その後に来ているのが、好きにさせていたはずなのに、娘が超女の子っぽいものを好きになっていくのを見て親が動揺するという状況です。
親世代の刷り込み
女の子は可愛くてモテモテが良い
第一波
女の子らしさ・男の子らしさの決めつけは良くない、みんな好きにしよう
その後
好きにさせたのに、女の子っぽいものを選ぶ娘を見て動揺する
女の子らしいとか男の子っぽいのはダメだみたいな変な価値観を刷り込むのもまた良くない。
好きなら好きでそれはいいじゃん、別に。何でも好きに選んでいいよってなった時に、女の子がピンク選ぶのは全然いいじゃん、好きなら。
桜林さんは、親世代が刷り込まれた価値観を変だと感じる気持ちはよくわかるとしつつ、それを否定するだけでは新たな正しさを刷り込むだけになってしまうと指摘します。
中里さんも、ミシンさん自身に思想の変遷があったはずで、これからもあるかもしれないと応じました。桜林さんは、子どもたちも大人になるにつれて変わり、いろんなことを考えるようになると話しています。
ピンクを排除しても、子どもはどこかで好きになる
桜林さんは、自分自身はピンクやフリフリが子どもの頃から好きではなく、娘のあーちんさんも中性的な好みだったため、ミシンさんのようなもやもやを感じずに来られたと振り返ります。
そんな桜林さんが初めて間近で見たのが、小学4年生の姪です。姪は化粧やネックレス、イヤリング、おしゃれをしたがるタイプですが、姉夫婦はとても中性的で、親の真似をしているわけではありません。
(家で)例えばピンクを排除したとしても、どっかで見て素敵って思ったらちゃんと好きになるから、この子が。親の影響だけじゃないんだよなって思う。
桜林さんの姉も、プリンセスのようなものは家で見せていないのにどこで見てくるのだろう、保育園ではないか、と以前から話していたそうです。
「ピンクが好き」を突き抜けた表現に見たもの
中里さんは脱線と断りつつ、武蔵野美術大学など美大の卒展で見た作品の話をします。卒展は無料で入れて多様な作品が見られるため、子どもにもぜひ連れて行ってほしいと考えているそうです。
2〜3年前の武蔵野美術大学の卒展では、「私はピンク可愛いが大好きです」という展示をしていた人がいて、中里さんは今もInstagramをフォローしています。プリクラやデコ文化が大好きで、それをよりわかりやすくした作品を作る人もいたといいます。
その時代に私はピンクが好きですみたいなことを逆に言ってるみたいなのがすごいなって思ったんですよ。
中里さんによれば、コロナ禍は女性の性が搾取されていると盛んに言われた時代でした。その中で真逆を言って突き抜ける表現は、行き過ぎたら行き過ぎたでユニークに見え、アーティストや海外の多様な価値観に触れると「これもアリなのね」となることもあると話します。
子どもの「かわいい」は誰かに媚びていない
桜林さんは姪を見ていて、誰かに媚びているとは思わないといいます。爪をキラキラにしてみたいといった気持ちは、他人の目をほとんど感じていない純粋な「かっこいい、面白い、可愛い」だからです。
それがいつまで続くかもわかんないしね。飽きたりするかもしれないし、周りの大人とか友達の影響で全然違うもの好きになったりもするかもしれないから、そこはある意味泳がせておくっていうか。
ただし桜林さんは、自分が苦手なものを「ああいうのあんま好きじゃないんだよね」と子どもに言ってしまうことはあったと認めます。その結果、子どもがあえて選ばないこともあったかもしれないそうです。
家に大きな滑り台を置きたくない、といった家庭の事情と同じように、子どもが「うちはこういうの嫌がるしな」と気を使うこともありうると桜林さんは話します。
親の好みは隠さなくていい、でも眉間にしわを寄せない
桜林さんは、大人の価値観も何かの刷り込みや、それを上書きする新しい刷り込みでできていると考えています。だからこそ、子どもがその背中を全部見ていると自覚することが大切だといいます。
自分が嫌なものは嫌だとか、こういうのはかっこ悪いと思うとか、こういうのはあまり好きじゃないっていうのは別に隠すことじゃない。
だけど好きなことしてるのを眉間にしわ寄せてなんか嫌だみたいなのはされたら多分悲しい。
中里さんは、ミシンさんも娘を自分の価値観でコントロールできるとは思っていないだろうと推測します。そのうえで心配しているのは、自分と明らかに違う価値観に育ったとき、動揺して顔が引きつったり、「可愛いでしょ?」と聞かれて取り繕った返事をしてしまったりすることではないか、と話しました。
大人になって「可愛い」と言われた娘への声かけ
桜林さんと娘のあーちんさんは、子どものうちは服や髪型の好みがほとんど同じでした。ところが、大学に行くなどして自分で好きなものにアクセスできるようになると、趣味は全然違うものになり、今は共有するものがほとんどないそうです。
子どものうちは服や髪型の好みがほとんど変わらなかった
自分で好きなものを選べるようになり、共有するものがないほど趣味が違う
あーちんさんは流行や周りに合わせて服を選ぶタイプではなく、桜林さんは見た目に興味がないのかと思っていました。しかし自分の好きな服や化粧をするようになると、褒められるのが嬉しいようだといいます。
「可愛いって言われちゃった」みたいなこととかを言ってくんの。今までもずっと言われてたじゃんみたいな。
中里さんは、自分で選び取ったものを見てもらって可愛いと言われるのは、子どもの頃とはまた違う嬉しさなのだろうと受け止めます。
そうなると桜林さんも、ミシンさんと同じように「気をつけてね」と声をかけるそうです。可愛いという言葉でコントロールしようとする人もいなくはないからです。
可愛いのは確かだけど、そういう風にホイホイ言ってくる方があなたをコントロールしようとしているかもしれないから、その辺は気をつけてね。
桜林さんは、大人なのでわかっているとは思いつつ、言われ慣れていなさすぎるのもそれはそれで心配なのだと気づいたと話します。子どものうちは本能でいいと思うものを好きと言い、大きくなって「黒歴史」と思ったとしても構わない、というのが桜林さんの考えです。
「どんな価値観を渡したいか」に二人はどう答えた?
ミシンさんの最後の質問「子どもにどんな価値観を渡したいか、苦手だった価値観とどう距離を取っているか」について、中里さんは意外と難しく、とても広い質問だと受け止めます。
中里さんは、自分は過去の価値観を常に否定してきた人間だと話します。真面目だった中学時代も、成長が大事で立身出世を目指していた社会人前半の価値観も、今は否定しているといいます。
もう子供になんか伝えたい価値観とかあんまないなって思ってしまった。
中里さんは後から、否定しているのは自分に対してであって、成長を目指す他者を否定しているわけではないと補足しています。
桜林さんも価値観を渡したいとはあまり思っていません。それでも、もし渡すとしたら、価値観というより「自分で考える」ことだと話します。
自分がどうしたいか分かった上で、自分で決めるんだよって自分で考えるんだよみたいなことは言い続けてて。それも1つの価値観ではあるけど。
大人も誰といるかで影響されるから、価値観は固定しない。この考えに中里さんも「アグリー」と応じました。
価値観は日々揺らぐもの。だから子どもも親も変わる
桜林さんは、昔かっこいいと思われていたことが今はダサかったりするように、価値観は変わるものだといいます。だからこそ子どもも変わるので、そんなに危惧しなくてもいいと話します。
中里さんは、ミシンさん自身も「めっちゃ変わる」だろうと続けます。桜林さんも、少し前までいいと思っていたものがあまり好きでなくなることがあり、価値観は体調やコンディションによって日々揺らぐぐらいのものだと語りました。
最後に中里さんは漫画好きらしく、漫画も時代とともに恋愛の価値観などが大きく変わり、社会に合わせてテーマが変わってきたと話します。
お子さんが本を読む方かわかんないけど、本とか漫画とかをたくさん読むと、そういうのって勝手にね、いろんな価値観あるんだなって学んだりはするよね。
中里さんも、映画、本、漫画のどれでも現代的な価値観に触れられると応じて、相談への回答を締めくくりました。次回のテーマは「真面目ではないことは良くない」という呪いです。
まとめ
「かわいい」に娘が飲み込まれる怖さという相談に対し、二人は女の子らしさを否定することもまた新たな刷り込みになりうると指摘しました。親の好みは隠さず、子どもの好きを嫌な顔で止めず、価値観は変わるものとして葛藤を続けることが大切だと語られています。
- 「らしさ」を否定して好きにさせたのに動揺する、というジレンマは今っぽい悩みとして語られた
- ピンクを排除しても、子どもはどこかで見て好きになるもので、親の影響だけではない
- 親の好き嫌いは隠さなくていいが、子どもの好きを眉間にしわを寄せて嫌がると悲しませる
- 渡すなら固定の価値観より「自分で考えて自分で決める」こと
- 価値観は大人も子どもも日々揺らぎ、変わっていくもの






