フェンネルの香りが効いた「ギークチェッロ」で乾杯
この回の晩酌ドリンクは、福岡県うきは市のSHINDO酒造が手がけるSHINDO LABのチェッロ「geek cello」です。二人はうきはのSHINDO LAB STANDで、日向夏のものとあわせて2種類を買ってきたそうです。
今回飲んでいるgeek celloは、フェンネルの野生種である「ピノキエット」の葉を使ったもので、独特のスパイシーな香りが特徴です。
このスパイシーな香りがフェンネルなんだね。
何かの料理で食べたことがあるような感じがするけど。全然思い出せない。
度数は26度と、40度前後が多いチェッロのなかでは高すぎず、水などで一対八や一対九ほどに割っても香りがしっかり残るそうです。低アルコールにして食中酒にもでき、原液で食後酒として飲んでもいいとのこと。
なんか程よい癖だね。
4月から夫婦で職場復帰、更新は隔週へ
オープニングでは番組の近況が語られます。4月から二人とも職場復帰したため、これまでの毎週更新から隔週更新に切り替えるとのことです。
一応隔週金曜朝7時にしてみようかなという感じです。
二人は「長めに喋りすぎている」ため収録が溜まってきている、と話します。隔週にすることで、聞く側もちょうどよいペースになるのでは、という考えです。
2週間ぐらいかけてちょっとずつ聞いていただければ嬉しいかなと思います。
今回のテーマ「らしさ」はどこから来たのか
今回のトークテーマは「らしさ」です。二人が愛読するフリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』の新刊の特集が「らしさ」だったことがきっかけになっています。
この号の前に扱われていた「傷つけ傷つけられ」というテーマは、番組の第6回で取り上げたそうです。今回は現物ではなく、無料でダウンロードできるPDFを印刷して手元に置いて話しています。
ごくありふれた言葉である「らしさ」。一方で、この「らしさ」によって囚われてしまうとか、押し潰されてしまうとか。
ゆうちゃんは、他者からの期待や自分自身が「らしさ」に囚われて逆に辛くなることもある、と切り出します。真面目すぎるテーマだけれど、こういう話は好きだと言います。
決めつけには「押し潰される」より「幻滅する」
妻は、自分は「らしさ」に押し潰される感覚はあまりないと話します。ただ、「あなたってこういう人じゃないの?」という決めつけには引っかかりがあるそうです。
そういう決めつけによって、(相手に)幻滅するっていうか。何を知ったこと言ってるんだろう?みたいな感じで、こう、そういう経験は結構あったね。
一方で「らしさ」は本来、他人からいい意味で言われることが多いのでは、という整理もします。妻自身は「あなたらしいね」といった言葉に、これまであまり引っかかったことがないと言います。
(あなたらしいねと)言われてるのかもしれないけど、あんま引っかかったことが今までないかな。
盛り上げ役を「演じちゃう」五十嵐らしさ
続いてゆうちゃんが自分の「らしさ」を語ります。頭に浮かぶのは、道化やピエロのように場を盛り上げる役割を、周りから暗に期待されて演じてしまう感覚だそうです。
その場を盛り上げるというか、空気読まないキャラとか、茶化すみたいなところの方が、暗に期待されてることも含めてやっちゃう、演じちゃう部分は結構あるかな。
妻は、その役割が期待されているからこそ、期待どおりに振る舞わないと「らしくない」と言われるのでは、と問いかけます。
(黙っていると)なんであの時何も言わなかったの?五十嵐らしくないね、みたいな。
意外と真面目だね、みたいなこと言われて。変な方向に期待されたりするっていうのはあるかな。
ゆうちゃんは、家庭での自分と外での自分、コミュニティごとに少しずつキャラクターが変わると話します。ある学会でははしゃぐのに、別の学会では端で静かにしている、というように場面ごとに姿が違うのだそうです。
本当に場面場面で「自分らしさって何だろう」とかってのは本当に思うよね。
「らしさ」は周りが都合よく使う言葉なのか
妻は、ゆうちゃんの話を聞いて、「らしさ」とは結局、周りが相手を都合よく解釈するために使っている言葉に過ぎないのでは、と感じたと言います。
たとえば、はしゃぐキャラをよく思っていない相手は「五十嵐らしいな」とは言わない、と妻は指摘します。相手が期待に応えてくれなかったときには「らしくないぞ」と言い、逆にやらかしたことを励ますときには「五十嵐らしいじゃん」と言う、という使い分けです。
都合よくこの「らしさ」「らしい」に括ることで、場を収めるじゃないけど。ある種逃げだし、都合いい言葉だなとは思ってる。
妻はさらに、自分は昔から「人は自分のことを全然わかってくれない」と思ってひねくれて生きてきた、と打ち明けます。人は表面的に、自分の一部分しか見ていないものだと考えているそうです。
相手の枠組みにはめられようとしても、どうせわかってないから。この人はそう思うんだなとか、まあそれでいいんじゃないって思うし。
自分の軸があれば「らしさ」に振り回されない
ゆうちゃんは、妻には自分の軸があり、自分をわかっているから「らしさ」に惑わされないのではないか、と投げかけます。
自分の軸を持っていると、「らしさ」という言葉にあまり囚われずにいられるのでは?
妻は、それはそうだと答えます。自分が何をいいと思うか、何が好きで何が嫌かは、事前に決まっているわけでも常に考えているわけでもないけれど、昔から結構明確にあるかもしれない、という感覚です。
自分が何がいいと思うかとか、何が好きでとか、何が嫌でとか、そういうのは結構明確にあるかも。
他者によって自分が変えられることは少なそうだ、というゆうちゃんの見立てに、妻もうなずきます。だから「らしさ」を言われても、あまり引っかからず印象に残らないのだそうです。
高校生で訪れた「わかってくれない」と諦めた瞬間
ゆうちゃん自身は、キャラが変わることには迷わないものの、30代前半までは自分探しをして、周りの評価に動揺していた時期があったと振り返ります。
変わってるねとか、そういう風に言われた時に、動揺してた自分がいたりとか。まだ軸がなかったなって、自分をまだわかってなかったなっていう時期は結構30前半ぐらいまであった気がするね。
一方で妻がその感覚を経験したのは高校生の頃だったと言います。小中学校では悩みが多く、一人で泣いたり抱え込んだりしていたのに、周りにはそう見えていなかったのだそうです。
妻は、高校の塾にいた明るい受付の女性に言われた言葉を今でも覚えていると話します。
ナギってなんか全然悩みなさそうだよね、みたいな。ずっと幸せそうだよね、みたいな。
(悩み多いと伝えたら)「えー、意外」みたいな感じで言われて。え、この人全然私のことを分かってないんだなと思って。
妻にとって、これが「らしさ」や「っぽさ」に引っかかった最後の出来事だったと言います。人が言ってくる「この人らしさ」は当てにならないと諦めがつき、それ以降は同じような場面が記憶に残っていないそうです。
「へこまないキャラ」に感じるがっかり
ゆうちゃんも、わかってもらえずがっかりする瞬間は何度も経験していると続けます。最近でも「何を言ってもへこまないキャラ」だと思われているそうです。
いや、へこむしこっちは、みたいな。全然へこむのに答えないもんね、とか。
ゆうちゃんは、他者が考える「五十嵐らしさ」と、自分が考える「俺らしさ」には結構な乖離があると話します。昔はその期待側に無理やり自分を取り繕っていたそうです。
他者はそういうもんだけど、俺は俺でいいみたいなのは、35超えてぐらいからゆっくり、それに振り回されなくなってきてるかなって感じかな。
同時にゆうちゃんは、「らしさ」がすべて悪いわけではないとも言います。「そういう人間だ」と思われているからこそ、声をかけてもらえたりフィードバックや仕事をもらえたりする、と受け止めています。
ある種その他者からの役割期待でもあると思うから、それに応えていくということも必要だなとは思ってる。
期待は「乗りたいなら乗る」くらいでいい
妻は、人の期待をそれほど過剰には受け取らないと言います。相手の期待をうまく利用したい、乗りたいと思えば乗ればいいし、そうでなければダイレクトには受け取らない、という距離の取り方です。
期待に自分が乗りたいんだったら乗ればいいと思うし、(相手が)わかってなくてこの言葉使ってんなみたいな時は乗りたくないから、それはそんなに私ダイレクトには取らないかも。
さらに妻は、フリーペーパーに書かれていた指摘として、人は思っているより他人に期待していない、という話を紹介します。
仏教を「押し付けない」フリーペーパーの魅力
話はフリーペーパーそのものの魅力に移ります。妻が面白いと感じたのは、後半にある音楽紹介コーナー「ミュージック僧オン」です。「現代を生きる僧侶や仏教好きが音楽について語るコーナー」というサブタイトルが付いています。
妻は、このフリーペーパーには「仏教徒」という言葉が一度も出てこないことに気づいたと言います。登場するのは全国の僧侶と、仏教が好きな人たちです。
キリスト教徒みたいな感じで、ヒンズー教徒みたいな感じで出てこないのよ。あくまでも全国の僧侶たちと、その仏教が好きな人たちみたいな。
ゆうちゃんは、このペーパーには「仏教には様々な生き方のヒントがある」という方向性があると受け止めています。仏教徒になれと迫るのではなく、みんなが少し仏教に親しもう、というトーンです。
みんなちょっと仏教に親しもうぐらいの、そのトーンがこのペーパーのすごくいい感じだと思います。
二人は、毎回デザイナーが入ったと思われる統一感のあるデザインと、真面目すぎず押し付けがましくないトーンを気に入っていると話します。
なんかフラットに読める。押し付け感が全然こないから。
女性僧侶と女医、浴びていた「らしさ」の決めつけ
この号ではジェンダーの話も出てきます。「らしさ」といえば、男性らしさ・女性らしさで苦しむ話が定番だからこそ、全国の女性僧侶へのインタビューが載っていたそうです。
別に尼さんでもないっていうのが結構衝撃的なね。
妻は、女医にも似た側面があると言います。研修医の頃、まだ威厳がない時期に患者から「ちょっと看護師さん」と呼ばれ、「私が医者です」と伝えることがよくあったそうです。
ちょっと看護師さん、みたいな感じで患者さんに言われる。あ、すいません、私が医者です、みたいな。
妻は、一般の人が思う「医者らしさ」があり、そこにおどおどした女性が現れると医者だと思われにくいのだろう、と分析します。そして、自分も過去にそういう決めつけを浴びていたことに、話しながら気づいたと言います。
確かにそういうらしさの決めつけによって、自分も確かに浴びてる部分はあるな。今気づいたけど。
「らしさ」と「っぽさ」は同じじゃない
最後に妻は、「らしさ」と「っぽさ」はニュアンスが違うのでは、と言い出します。「医者っぽくないね」はいい悪いが入らないフラットな言い方で、「医者らしくないね」は本人の中の医者像から外れているという意味だ、という整理です。
ゆうちゃんは最初「言い方の問題では」と受け取りますが、妻は「女性っぽくないね」と「女性らしくないね」では全然違う、と押し返します。
らしさはあくまで他者から見た何かしらの決めつけが入ってると思う。ぽくないはなんか割とフラットな気がする。
妻は、序盤で「らしい」を「っぽい」に安易に置き換えてしまったけれど、今思うとかなり違うと振り返ります。ゆうちゃんも、みんな無意識にこの2つを使い分けているのかもしれない、と納得します。
まあでも無意識にその使い分けはしてるかもね、みんなね。
まとめ
「らしさ」は他者から向けられる言葉ですが、その受け取り方は人それぞれです。この回では、押し潰されるのではなく幻滅する妻と、期待を演じつつ振り回されてきたゆうちゃんの対比を通じて、期待との距離の取り方が語られました。
- 「らしさ」は、周りが相手を都合よく解釈したり場を収めたりするために使われることもある
- 自分の好き嫌いや軸が明確だと、他者の「らしさ」に振り回されにくくなる
- 人は思っているより他人に期待していない。期待を過剰に受け取り、勝手に苦しんでいることがある
- 期待は「乗りたいなら乗る」くらいの距離感で受け止めればよい
- 決めつけが入る「らしさ」と、フラットな「っぽさ」はニュアンスが異なる




