「人間DNS」の広告から電話交換手を連想する
冒頭でいわさきが取り上げたのは、ニュースで見かけた「人間DNS」という広告でした。DNSとは、インターネット上のドメイン名とIPアドレスを紐付けるシステムのことです。
いわさきは、このDNSの役割を人間が担うサービスが始まるらしいと知り、「電話交換手のやばい版」ではないかと面白がって調べたと話します。
言ったらこれって、ざっくり言うと電話交換手のやばい版なんで、これ本当にあんまり詳細見れてないんですけど。
広告によれば、NTTドコモの販売代理店として、どのドコモショップの運営につなぐかを人間が振り分けるという内容だったとのことです。いわさきは、電話交換手のような役割をインターネット規模で行うのかと想像し、一人で焦って調べていたと振り返ります。
この電話交換手の話題は、地元の民俗館の展示ともつながっています。番号を伝えると交換手が回線をつなぎ替えて通話ができるようにする、その仕組みが展示されているそうです。
愛媛新聞の掲載と、この回のテーマ紹介
この間、愛媛新聞に電話交換手の話と、電話が置いてあった電話ボックスの話が写真付きで掲載されたと、いわさきは感謝を伝えます。
そのうえで、今回の本題を紹介します。電話交換手がいた時代に、家で電話番もしていた頃、まだ小学生だった人の話が聞けたとのことです。
蔵に眠っていた「電話室」が民俗館へ
話は、ある建物の裏のトタン小屋に入れられていた「電話室」から始まります。知り合いが「もったいない、これは大事」と言って蔵に移し、それを飲み会で訪れた民俗館の職員が見つけたのがきっかけでした。
民俗館の職員の人が「これ何ですか?」って言ったら、「電話室」って言って、「貸してください」って言って。
その電話室には、レバーを回すタイプの黒電話もくっついていたそうです。いわさきが祖母(おばあちゃん)に使い方や時期を尋ねたところ、話が広がっていきます。
「交換手やった」――池田屋が担っていた電話番
電話室がいつまであったのかという問いに、ゲスト1は小学校の低学年ぐらいまではあった、結構長い間あったと答えます。
(いわさき)交換手ではなかったよね?
(ゲスト1)交換手よ。かが城さんとか、その上まで全部走って呼びに行かされる、と当時のことを語ります。
いわさきが「それが聞きたかった」と食いつくと、当時の電話番の仕組みが具体的に見えてきます。池田屋にかかってきた電話は、近所の人を呼びに行って取り次いでいたのです。
近所の人を呼びに行って、池田屋にかかってますよって言うて、はいはい言うて。
担当していた範囲は自宅の周辺だけではありませんでした。一本向こうの山見の醤油屋のあたりまで、すべて池田屋の担当だったといいます。だから祖母(おばあちゃん)も「時間がかかった」と話していたそうです。
そこのなんか一本向こうの、あの山見の醤油屋の辺りも全部うち担当やけん。
公民館レベルの規模だった池田屋の電話
いわさきは、映画「となりのトトロ」で、さつきが本家に電話をかけに行くシーンを引き合いに出します。当時は個人宅に電話がなく、電話のある家まで行くのが普通だったのです。
話を聞いていたゲスト2が、別の地域の例を持ち出します。井方のいこたんは、公民館にかかってきた電話を放送で呼び出していたというのです。
公民館にかかってきたやつを、なんか放送で呼び出しちゃったもんね。
これを聞いていわさきは、池田屋も公民館レベルの規模だったのかと驚きます。ゲスト1は「なんでお兄ちゃん(池田屋店主)知らんの?」と返し、6歳離れているから記憶の濃さが違うのだと説明しました。
池田屋が七区、八区の通りを担当していたのに対し、井方は中浦の公民館に電話があり、そこにかかってくると放送で呼び出していたそうです。放送が必要なほど広い範囲をまかなっていたことがうかがえます。
自宅の電話ボックスにかかってきた電話を、担当範囲の近所まで子供が走って呼びに行く
公民館にかかってきた電話を、遠くまで届くよう放送で呼び出す
子供の仕事だった「電話がかかってきたら走る」
電話がかかってくると、子供たちが呼びに行かされていたことが、やり取りの中で重ねて語られます。ゲスト1はゲスト2に、電話ボックスに電話がかかってきた時、兄さんを呼びに行っていなかったかと確認します。
電話ボックスで電話かかってる時、兄さん呼びに行きよらんかった?
行きよったよ。
ゲスト2は、商売をしているので電話がないと困る、だから電話を取っていたと説明します。かがりよや西脇といった近所へも取り次いでいたそうです。みっちゃんはその様子を「御用聞きじゃん」と表現しました。
呼びに行かされたのは一人だけではありませんでした。トモ兄ちゃんも与三男くんも、真ん中の子も走らされたのだろうと、みっちゃんとゲスト1は確かめ合います。
水に沈める「冷蔵庫」とビールのレッテル
電話番の話の流れで、もう一つ興味深い記憶が飛び出します。水を張った四角い箱にビール瓶などを沈めて冷やす、冷蔵庫のようなものがあったという話です。
いわさきは最初、水に電気を通して感電しないのかと戸惑いますが、実際は水槽のような容器で冷やす仕組みだったようです。ゲスト2はその冷え方の速さを説明します。
空気を冷やすのはなかなか冷えんけど、水につけとって、もう水循環して冷やしよるけん早いんよ。もうほんと30分ぐらい。
一方で、昔のビールにはある弱点がありました。水に沈けていると、瓶に貼られたレッテル(ラベル)が取れかけてしまったのです。
レッテルがもう取れかけになりよったんよ、昔のは。
銘柄がわからなくなりそうですが、瓶の蓋にも銘柄が書いてあったため見分けられたようです。当時の池田屋には、こうしたいろいろなものが揃っていたと二人は懐かしみます。
盆に集まる懐かしい人たちの記憶
収録を振り返り、いわさきは、やはり子供たちが走らされていたのだとまとめます。何丁目から何丁目までは自分の家の電話にかかってくるので、呼び出して声をかけに行くのが子供の仕事だったのです。
水に沈める「冷蔵庫」の話や、ビールのレッテルが剥がれる話も、面白い記憶として聞けたと話します。お盆の時期には、こうして懐かしい人が鵜野町を訪れ、当時の話を聞かせてくれるのがありがたいと語りました。
最後にいわさきは、番組への出演を呼びかけます。今は鵜野町に住んでいなくても、昔の通学路だった、友達の家に遊びに行っていたという人の、よそから見た鵜野町の話も聞いていきたいとのことです。
一緒に出演するパーソナリティも大募集中だと伝えます。今回の担当もいわさきがお送りしたと締めくくり、暑いので体調に気をつけて過ごすよう呼びかけて終わりました。
まとめ
電話交換手がいた時代、池田屋では家にかかってきた電話を、担当範囲の近所まで子供が走って呼びに行くのが仕事でした。井方では公民館の放送で呼び出すなど、地域ごとの工夫も見えてきます。お盆に集まった人たちの記憶から、電話や冷蔵庫をめぐる昔の暮らしが具体的によみがえった回でした。
- 池田屋では、かかってきた電話を担当範囲の近所まで子供が走って呼びに行っていた
- 担当は自宅周辺だけでなく、一本向こうの醤油屋のあたりまで及んでいた
- 井方の中浦では、公民館にかかってきた電話を放送で呼び出していた
- 水を張った箱にビール瓶などを沈めて冷やす「冷蔵庫」があり、30分ほどで冷えた
- お盆に訪れる懐かしい人たちの話が、昔の鵜野町の暮らしを伝える貴重な機会になっている




