そもそもなぜ佐賀に?きっかけは1杯のジン
乾杯の1杯は、佐賀県で作られたオリジナルのジンでした。嬉野温泉駅のすぐ近くのワインショップで買ったものだそうです。
選んだ理由は、妻が大好きなエルダーフラワーを使ったジンだったから。エルダーフラワー ── 西洋ニワトコの花。マスカットのような甘い香りが特徴で、ヨーロッパではコーディアルやリキュールによく使われます。珍しかったので買ってみたと話しています。
夏になるとね、エルダーフラワー系のリキュールがあるとめっちゃ飲みたくなる。
そして、このジンを買うために佐賀にいたこと自体が、今回のテーマである陶器市の話につながっていきます。
有田と波佐見、2日間の「陶器漬け」
今回訪れたのは、佐賀県の有田陶器市と、長崎県の波佐見陶器まつり。もともとは有田焼で有名な有田に行こうとしたものの、直前に決めすぎて宿が取れなかったそうです。
そこで嬉野温泉駅の目の前のホテルを取り、そこから有田と、すぐ近くの波佐見の2つに足を運んだといいます。2人とも陶器市は初めてでした。
有田陶器市の規模は、夫いわく1週間で100万人が訪れる大イベント。上有田駅と有田駅のあいだ、約3キロにわたって陶器の店が立ち並ぶそうです。
上有田駅と有田駅の大体3キロぐらいの駅の間をひたすら陶器の店が立ち並ぶという、そういう祭りで、それが有田陶器市。
一方の波佐見焼は、焼き物公園というところに約120店舗がぎゅっと集まる形式。有田は練り歩いて見るスタイルだったと振り返っています。
上有田駅〜有田駅の約3kmに店が立ち並び、練り歩いて見るスタイル。1週間で約100万人が訪れる大イベント。
焼き物公園に約120店舗がぎゅっと集まる形式。会場を回って見るスタイル。
「器に興味なかった」夫の正直な感想
妻はもともと陶器が大好きな人間。一方の夫は、器にあまりこだわりがないまま、今回ついてきた立場です。
夫は結婚するまで器にとんと興味がなかったと振り返ります。100均の器や、昔おばあちゃんの家で余っていた皿を、割れるまで何年も使い続けるタイプだったそうです。
この皿っていうので、ご飯も麺も丼も全部それ一人暮らしの時は使ってたから、料理に何か器を合わせるなんていうのはもうとんと興味がない人間だった。
そんな夫でも、行ってみたら楽しめたと話します。なぜこれだけ多くの人が陶器に魅了されるのか、どこで価値や値付けがされていくのか、そのイベントそのものに興味が持てたそうです。
なんでこんなに多くの人がこの陶器に魅了されるんだろうっていうとことか、どこにこう、価値とか値付けがされていくんだろうとか、そういうのに興味がある。
ただ、ベースとしては興味がある人間ではないとも。たとえばゴルフクラブやサッカーグッズのマーケットが2日間開かれても、絶対に行かないだろうと2人で笑い合っています。
妻が「陶器は一緒に使うから違う」と指摘すると、夫もそこに気づいたと話します。眺めたり買ったりするなかで、器が生活の一部であること、家族で一緒に使って年を重ねていく家庭のアイテムなんだと染みたそうです。
結婚記念日にネオ・ジャポニズムの器を一緒に作ったこともあるのに、当時は気づかなかった器の価値に、今回やっと気づいたといいます。
夫は、これまでは出されるものを愛でるだけで主体性がなかったと分析します。自分が選ぶ側に立ってやっと気づいたという感覚だったようです。
妻が器に魅了される理由とは?
今度は夫から妻へ、逆に質問が投げかけられます。器の何が好きなのか、という問いです。
妻が好きなのは、皿など何かを乗せるものだけではありません。フォークやスプーン、バターナイフといったカトラリーも含めて、食器にまつわるものは何でも好きだといいます。
旅行に行く度に買うもんね。また買ってるよ、スプーンとフォークみたいな。
何に魅了されているのかと問われると、妻はまず造形美を挙げます。工芸のアートのようなものを日常的に使う、好きなものに囲まれる、という点に価値を感じているようです。
さらに妻は、料理と器の組み合わせ全体を1つの作品として楽しんでいると話します。「何を食べたいか」と同じくらい「この器を使いたいか」で考えるところがあるそうです。
食べ物と同じぐらい、その器との組み合わせも含めて楽しんでる感じはある。
だからこそ、気に入らない器しかない場所だと、料理をした結果としての喜びが半減してしまうのだといいます。
研修医時代の寮で気づいた「完成しない感じ」
話していて妻が思い出したのが、医者になって1年目、研修医として一時期山形に行っていたときのことです。
病院の近くのアパートの一室が寮になっていて、研修医は入れ替わりでそこに住むため、最低限の食器だけが備え付けられていたそうです。
2ヶ月しかいないので、わざわざ器を持っていったり買ったりはしなかったといいます。その結果、料理へのテンションが上がらなかったと振り返ります。
もう本当に最低限の皿とスプーンとフォークがあって、なんかその料理によって器を変えられないのも悲しいし。なんか完成しない感じがある。
夫が「そういうところだと料理あんまりしなくない?」と聞くと、妻は合わせる器がないから料理をしたいという欲すら半減する、と答えています。
目的だけならプラスチックでいい。でも、それは嫌
夫は実家を思い出します。一軒家で食器棚も大きく、両親が食器をたくさん持っていたけれど、当時は無頓着な子供だったと振り返ります。
そして、今飲んでいるグラスを例に、器のこだわりについて考えます。目的だけに絞ればプラスチックでもいいはずで、むしろ割れなくて安全で安い。でも、それは嫌だと言い切ります。
目的だけに絞って言えばさ、プラスチックでもいいじゃない。なんなら割れない意味でプラスチックの方がいいじゃない。でもそれはやだよね。
乗ればいいわけではなく、変なキャラクターものや、食事に全く合わない柄は嫌。最低限の自分の中でのラインはあると気づいたそうです。
夫は、その観点がなかった人生と、観点ができてしまった人生の違いにも触れます。良くも悪くも、これからは他の店に行っても器が気になってしまう、というわけです。
特にグラスには酒飲みとしてこだわりがあると夫。紙コップで飲むビールは明らかにまずい、飲み口感が味に直結するのだと話しています。
明らかに紙コップで飲むビールはまずいわけよ。やっぱりなんかこの飲み口感は味に直結するから違うんだよね。
1日目が3〜4時間、2日目が5時間ほど。ひたすら陶器を眺め続けた時間が、生活の一部としての器の価値をより深く理解させてくれたと締めくくります。
陶器市で何度も見た「可愛い、でも何に使うの?」
そんな2日間でしたが、妻いわく、自分にヒットする器は今回あまりなかったそう。あれだけ見た割に、買ったのはほんの少しだけでした。
夫は、有田を5時間かけて歩いたと振り返ります。妻が右に左に店へ入っていき、似たような店だと思いながらも入っては違う、の繰り返し。炎天下でも最後の30分まで集中力を切らさなかった姿を「執念」と表現しています。
右に左になぎちゃんが店に入ってく。さっきと同じような店やんと思いながらもポコポコ入って、違うの繰り返し。
会場で何度も耳にした会話があったといいます。若いカップルや夫婦の、あのやり取りです。
若い女子が可愛いって。これめっちゃ可愛い。でも何に使うかわからんけどみたいな。
夫も、ほとんどの柄物は何の料理を盛るのかイメージできず、明確に想像できたのはラーメン器くらいだったと話します。妻は、器単体ではなく、何か乗っている図ありきで見ているのだと分析しています。
なぜ料理のサンプルがほとんどないのか
夫が不思議に思ったのは、あれだけの陶器を置くのに、料理のサンプルを展示している店がほとんどなかったことです。
夫は「固定観念に縛らせないため、あえてなのかな」と推測しますが、妻には「それは読みすぎ」と一蹴されます。
むしろ妻が見たのは、明らかに変な組み合わせのサンプルでした。お茶碗のようなやつにケーキがドンと乗っていて、無理やり乗せただけに見えたといいます。
なんかお茶碗みたいなやつにケーキがドンってやつあって。いや、これ明らかに違うだろみたいな。
妻は、サンプルを置くより、その皿に料理を乗せて写真に撮ってアルバムにするほうが、イメージが湧いて売れそうだと話します。イメージできない皿が多いからです。
伝統工芸と若手作家、「見せ方」の違い
妻は、売り方の違和感を作り手の特性から読み解きます。昔から家業として陶器を作ってきた人が、見せ方や売り方が上手いとは限らない、というわけです。
妻は医者を例に出します。医者だからといって大学の講義が得意とは限らない、そもそも習っていないから、という比喩です。
医者がじゃあ授業、大学の講義得意ですか?って言ったら習ってないし。
一方で、最近の若い作家さんは見せ方が上手いと妻。ブランドとしてやっていて、デザインやマーケティングをわかっている人が関わっているのだといいます。
使ってる風の写真を貼ってたりとか。サンプルとかじゃないの。だから写真だよね。
家に持ち帰った後のイメージを膨らませる、こんな使い方なら素敵だなと思わせる。そういう視点を持った専門職が入っているところは、伝統工芸としては少ないのではないか、というのが妻の見立てです。
夫も、有田焼のオーソドックスなデザインにどんな料理が合うかを入り口で見せれば、もっと買いやすくなると同意します。実際、泊まったホテルに飾ってあった器の使い方ガイドの本を読んで、強い納得感があったそうです。
このブルーのお皿にはこういう料理が合うよとか、立体的に見せるとこうなりますよとか。そんなのだけでも購買意欲というか、イメージはつきやすくなる気はする。
みんな「祭り感覚」で来ている?
そもそも料理好きな人ばかりが来ているわけではない、と妻。安く伝統工芸品が揃うお祭りとして来ている人も多いのでは、と話します。
夫は、そもそも各家庭で皿が足りないことはあまりないはず、と指摘します。2〜3年生きていれば、食事のレパートリーとそれに合う皿は揃うものだからです。
つまり必需品は持っている。それでも欲しくなる何かがあり、皿そのものは生活を少しリッチにしたい欲望の表れなのではないか、と夫は考えます。
より生活をリッチにしたいっていう欲望なんだなってちょっと思ったよ。
妻も、みんな大体揃っているはずなのに欲しくなる何かがある、と同意します。集めたい、持っておきたい、という気持ちです。
そして妻は、普段わざわざ器を選ぶきっかけがない人が多いからこそ、祭りに乗じてまとめて選びに来るのだと分析します。
どうせ安いし、いっぱい来るみたいだから一気に選べるし、ちょっと見に行ってみようぜみたいな。
夫は、4枚セットの1枚が割れたから買い直すようなニーズも多そうだと推測。妻は、そこまで必要か考えず、楽しそうだから来ている人が多い気がすると返しています。
可愛い、これも可愛い、あれも可愛いってなって、可愛いから買っちゃえ買っちゃえみたいな感じで買う。
それも十分いい楽しみ方だよね、と2人はうなずき合います。
後悔する夫と、縁だと割り切る妻
夫の一つの大きな後悔は、有田陶器市が一方通行で歩く形だったため、気になった店にもう一度戻れなかったことです。もう一回見て買いたかった器がいくつかあった、と悔やんでいます。
一つの店舗は一回しか行けなくて、もう一回また戻ってあの店ちょっともう一回見て買いたいとかじゃできなかった。本当に一期一会だった。
一方の妻に後悔はないそう。あれ買っておけばよかったと思うことはあっても、買わなかったのも縁だと割り切って、あまり引きずらないといいます。
買わなかったという、なんかそれがまた運命というか縁なのかなみたいな感じで終わっちゃうし、なんかあんまり引きずらない。
値段の落差にも驚いたようです。100円や300円のバラ売りがたくさんある一方で、突然8,000円や1万円、なかには1万5,000円や1万8,000円の器も。
妻は、惹かれるものは目的によって違うと整理します。揃えたいだけなら安くて汎用性の高いものでいい。実際、業務用販売の張り紙もあったそうです。
夫が惹かれたのは、日本酒の酒器。今は日本酒を飲まないのに、器そのものの造形美やフォルムに惹かれたといいます。ただ、用途が限られすぎていて置く場所もないため、結局買わなかったと明かしています。
陶器に興味のなかった夫が、深いところで感じたこと
妻は、自分が「可愛いから買う」楽しみ方をする一方で、夫はもっと深いところを感じてくれたようだ、と今回を振り返ります。
夫が惹かれたのは、揃えるためではありません。すべて充足したうえで、自分のお酒時間が豊かになるような、デザインが好きだと思える器。それは作家のオリジナリティがある一点物で、当然値段も高くなる、と妻は説明します。
最後は、器に興味のなかった夫と器好きの妻が初めて陶器市に行ったらどうなったか、という話でしたと締めくくります。全く興味がない人も、近くにあれば一度行ってみるといいのでは、と2人は勧めています。
まとめ
器に興味のなかった夫が有田・波佐見の陶器市に足を運び、器が家族で年を重ねていく生活の一部だと気づいた回でした。器好きの妻の視点や、陶器市の売り方への違和感も交えながら、器との向き合い方をゆるりと語り合っています。
- 有田陶器市は約3kmに店が並ぶ大イベント、波佐見は焼き物公園に約120店舗が集まる形式
- 夫は、器は家族で一緒に使い年を重ねていく家庭のアイテムだと気づいた
- 妻は料理と器の組み合わせ全体を1つの作品として楽しんでいる
- 伝統工芸の作り手は必ずしも「見せ方」が得意とは限らず、写真などで使うイメージを見せる若手作家は上手い
- 多くの人は必需品というより、生活を少しリッチにしたい気持ちや祭り感覚で陶器市に来ている



