そもそも「人権」を、なぜ楽しく学ぶのか
『わ、わ、わ』は、曹洞宗人権擁護推進本部が届けるポッドキャストです。仏教教団である曹洞宗が、人権という大切なテーマをリスナーと一緒に考え、学んでいく番組として立ち上げられました。
ナビゲーターは、熊本県・海福山泰陽寺の副住職で、東京の曹洞宗人権擁護推進本部に所属する本多清寛さん。もう一人のパーソナリティは、福島市・長秀院の住職で、元曹洞宗人権啓発相談員の渡邊祥文さんです。
本多さんは、人権という言葉には重苦しい雰囲気があると感じていると話します。大切で重要な問題だからこそ、ずっと重苦しいままだと、自分のこととして学ぶのが難しくなるのではないか、という問題意識です。
この番組の中だけは、どうぞ楽しんで学んでいただけるといいなと思いまして、この感じで進めていただきたいなと思っております。
渡邊さんも、ふざけたり茶化したりするのではなく、暗い顔で根を詰めるだけでは大事なところが抜けてしまう、と応じます。
やはり本当に人と人として気軽に話すって、これが一番大事じゃないかなと思いますので、そういうふうに学べればと思います。
渡邊さんは69歳、本多さんは40歳。上下関係を前面に出すと大事なことが抜けてしまうという考えから、二人は肩書きにこだわらず対話を進めていきます。
そもそも宗派って何?曹洞宗は他と何が違うのか
初回にもかかわらず、リスナーから質問が届いていました。「仏教はおぼろげにイメージがあるが、そもそも宗派とは何か。曹洞宗は他と何が違うのか」という声が多かったといいます。
そもそも宗派って何?曹洞宗って他と何が違うの?
本多さんは、道元禅師や曹洞宗という単語レベルでは、教科書や高校の授業で触れたことがある人も多いのではないかと切り出します。道元禅師 ── 鎌倉時代の禅僧。中国から坐禅の教えを日本に伝え、日本曹洞宗の礎を築いた人物とされる。
渡邊さんは、その前にまず仏教の原点であるお釈迦様の話から始めます。お釈迦様がお悟りを開かなければ、おそらく仏教は存在しなかっただろう、という出発点です。釈尊 ── お釈迦様のこと。釈迦族の尊者という意味で釈尊と呼ばれる。仏教の開祖とされる。
渡邊さんによれば、お釈迦様は釈迦族の王子として生まれ、結婚し子どももいたにもかかわらず、29歳で出家しました。生きていくとは何か、幸せとは何かという切迫した苦悩があったからだと想像されると話します。
(お釈迦様の時代は)常に殺されたり、国が滅びたりとか、そういう切迫したこともいっぱいある。その中で、本当に幸せって何だろうっていうことは、一番求めていた部分じゃないのかなと思うんですよね。
当時のインドは大戦国時代でした。渡邊さんは、王子として国を背負えば戦争を始めなければならない、それが本当にいいことなのかという迷いも、お釈迦様の心にはあったのではないかと語ります。
悩んだ末に「伝える」と決めたお釈迦様
本多さんは、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたところが仏教の始まりだと整理します。釈尊という名前になる前のゴータマだったころの世界の見え方を踏まえて、菩提樹の下でハッと気づいていった、という流れです。
渡邊さんは、ここでお釈迦様がもう一度悩んだ点を強調します。自分は納得したが、それを他人に伝えるべきかどうかで、ひたすら悩んだというのです。
その悩みの答えは、悟った内容には全ての人に共通する普遍性がある、だから伝えたほうがみんな幸せになるだろう、というものでした。渡邊さんは、悟りの座を立ってみんなに伝えるようになったことが重要だと話します。
その悟った内容が全ての人に共通する普遍性がある。そこはやはり伝えた方がみんな幸せになるだろう。その結論に至って、その悟りの座を立った。
その教えは東へ東へと広がっていきました。渡邊さんは、土地や文化を巻き込みながら中国仏教となり、朝鮮半島を経て日本に至るまで、およそ1500年ほどかかったと説明します。
曹洞宗の根幹「坐禅」と「自己凝視」
渡邊さんは、中国で禅宗が主流になっていった背景に、仏教の根本にある「自己凝視」があると話します。坐禅を組んで、ひたすら心を静めることが大事だと認識されるようになった流れです。
もっとも、人はそれぞれ違うため、声を出して忘我の境地で悟りに至ろうとする人たちも出てきました。渡邊さんは、その中で曹洞宗の流れをあえて言うなら、坐禅が一番の基本の基になっていると語ります。
最初は禅定というところから、心を整えるというところから、それを毎日必ずやるっていう、お釈迦様の時代からのそういうものが、やがて中国仏教になったところで、非常に大事なことだと。
そうして坐禅を中心とした禅宗が起こり、達磨や老荘思想なども混じり合っていきます。ひたすらそれを求めていた道元禅師が中国に渡り、「これだ」と確信して日本に戻り、教えを広めていきました。
宗派の違いは、家や地域に「色合い」として染み出す
本多さんは、宗派の違いに興味があるのはお坊さんだけで、一般の人には関係ないと言われがちだと切り出します。曹洞宗は特に分かりにくく、何をやっているところなのかが伝わりにくいと感じているといいます。
本多さんの見立てでは、阿弥陀仏に手を合わせるか釈迦牟尼仏に手を合わせるかは、お坊さんからすると大きく違っても、突き詰めると大差ないともいえます。
その考えが変わったきっかけが、新宿二丁目で店に立っていたころに出会った葬儀社の男性の言葉でした。宗派ごとに「色合い」が違う、と言われたのです。
正直、お坊さんしか宗派にこだわってないと思ってたんで。でもその葬儀社のおっちゃんが言うには、結構違うんだよっていう風に言ってまして。
そこから本多さんは、お寺を通じて曹洞宗がどういう形で先祖供養する人たちに伝わり、色合いの違いになるのかを考えるようになったと話します。
東日本大震災で見えた、静かに助け合う「四摂法」
渡邊さんは、宗派による色合いの違いを、日本の東西で感じることがあると語ります。西では浄土真宗が文化的にも大きな影響を持ち、自己を見つめ、自分の正体を突き詰める世界を長い年月で作り上げてきたのではないかといいます。
一方、東北には曹洞宗の檀家が非常に多いと渡邊さんは言います。福島出身の自身の感覚として、静かで、あまり自己主張しない人が多いと語ります。
渡邊さんは、その静けさの背景に、坐禅の中で出てくる「自らを見つめよ」という姿勢が、長い時間をかけて浸透していたのではないかと考えています。東日本大震災のとき、それを強く感じさせられたといいます。
東日本大震災の時に、なぜあんな静かだったんですかとか、なぜあんなに周りの人たちを押しのけたりしないんですかとか。
渡邊さんは、その静かな助け合いを、曹洞宗が説いてきた「四摂法」に重ねます。布施・愛語・利行・同事という、人との関わり方の教えです。
みんなに分け与えること
優しい言葉をかけること
お互いに助け合うこと
みんな一緒なのだから、苦しい時は手を携えること
渡邊さんは、こうした教えが長い時間をかけて静かに浸透していたのではないかと語ります。九州出身の本多さんは、震災のとき「東北の人はなぜこんなに黙っているのか、もっと泣いてもわめいてもいいのに」と言われたと聞いても、そこに染み出したものがあったのではないかと受け止めます。
なぜ曹洞宗は「主張の少ない」名前なのか
本多さんは、日本曹洞宗を名乗ったのが道元禅師の四代後の瑩山禅師だと整理したうえで、「曹洞宗」という名前が好きだと語ります。理由は、主張が強くないからだといいます。
本多さんは、他宗派の名前と比べてその特徴を説明します。浄土真宗の「真」、日蓮宗の人名始まり、臨済宗の臨済という名など、それぞれに主張が感じられる中で、曹洞宗はなんと主張の少ない名前かと感じてきたというのです。
本多さんは、この主張の少なさが、東日本大震災のときに見えた静けさと、一つのものになっているのではないかと考えます。
そのうえで本多さんは、素朴な疑問を投げかけます。曹洞宗は日本で一番大きな宗教教団だといいます。なぜ主張の少ない宗派が、日本最大の教団になったのか、という問いです。
瑩山禅師の言葉「和合和睦」に込められた普遍性
渡邊さんは、瑩山禅師が大きな流れを作ったことは本当にすごいと語り、会ってみたいとまで話します。人はなぜ主張がぶつかるとダメになるのか、そのあり方を常に考えていたのではないか、という見方です。瑩山禅師 ── 道元禅師の四代後の禅僧。日本曹洞宗の教団としての基盤を広げた人物とされ、道元禅師とともに両祖とされる。
渡邊さんが引くのは、瑩山禅師が残した「たとえ難値難遇のことあっても、必ず和合和睦の心を起こすべし」という言葉です。
渡邊さんは、この言葉を、どんな大変なことが起きても、どんな人と出会っても、必ず和合和睦、つまり仲良くする心で生きなさい、という教えだと解説します。
仲良くするって難しいんだけども、こんな世の中で。本当に難しいと思うんですよ。同じ教団にいても、あいつ嫌いだって。
渡邊さんは、この教えに全ての人に通じる普遍性があると語ります。21世紀になって覇権主義や大帝国の時代になったのではないかという危機感を示しつつ、瑩山禅師はそうした人間の悪や煩悩を予想していたのではないかと話します。
なぜ僧侶は「鎌倉時代」に飛んでしまうのか
本多さんは、曹洞宗のお坊さんが自分たちの教えを語るとき、すぐ道元禅師を持ち出す人が多いことを不思議に思うといいます。道元禅師、瑩山禅師、そしてその弟子たちが現代の曹洞宗を形作っているにもかかわらず、いきなり鎌倉時代にタイムスリップして語り出してしまう、という指摘です。
その道元禅師様がおっしゃるにはみたいなところで、いきなり鎌倉時代にタイムスリップして、そのまま喋り出してしまう。
本多さんは、主張が強くない宗派だからこそ、積み重ねや、固定化されない主張、いわば人間力のようなものを大事にしてきた宗派なのではないかと、対話の中で思えてきたと語ります。
渡邊さんも、道元禅師が必ず「南無釈迦牟尼仏」と唱え、お釈迦様に帰れと説いたことに触れます。現代の私たちのほうがお釈迦様に関する情報は多いのに、道元禅師には「ここが大事だ」という確信があったのだろうと語ります。
本当に古い言葉ばっかり喋ってるから、だから通じないのかなって思ったり。もっと明るくお話をして、わかりやすくお話をすると、本当の大事なところが見えるんじゃないのか。
坐禅で見えてくる「暴れる我」という自分の正体
本多さんは、仏教はやればやるだけ効く「薬」のようだと語ります。ただし、薬がよく効くには健康でなければならないように、坐禅にも自分を整える意味があると話します。
本多さんの見立てでは、曹洞宗は坐禅の宗派というより、お釈迦様のほうを向いてやっている集まりです。坐るとは、お釈迦様の教えをそのまま飲み込めるようにするための、健康診断のような営みでもあると語ります。
渡邊さんは、ここで坐禅の核心に触れます。自分が坐禅をしてみないと、自分の正体に気づかないという点です。長く坐れば坐るほど、怠惰でサボりたがる自分がその都度見えてくるといいます。
怠惰でね、惰弱でね、サボりたくてね。
渡邊さんは、坐禅そのものがすごいと語ります。指一本でも動かせば脳は高速回転しているが、坐禅の形になるとそれを全部止められる。そのとき動いているのは、脳が作り出した意識だと気づける、という説明です。
私の私の私の我というものが暴れてますよってわからないわけでしょ。それがわかると、苦とは何だろう、不安って何だろうって言うと、実は自分が作り上げたものであるっていうことまでたどり着く。
何も書き残さなかったお釈迦様が示すもの
渡邊さんは、お釈迦様が何一つ書き残さなかったことに触れます。自身が古希を迎えようとする中で、「俺はこうだったんだ」と書き残したいという煩悩が渦巻くと率直に語ります。
俺はこうだったんだよみたいなことを書き残したいみたいな、すごい煩悩が渦巻くんですよ。
お釈迦様の教えは、後に弟子たちが集まって「お釈迦様はこのようにおっしゃった」とまとめる結集によって、後から全貌が分かってきました。渡邊さんは、ある年齢を生きると、何かを書き残したいという思いこそが煩悩なのだと語ります。
渡邊さんは、お釈迦様が何も残さなかったことを、それ自体が大きな煩悩だと見抜いていた証だと受け止めます。名誉欲や目立とうとする心が勝った瞬間かもしれない、と戒められているように感じるといいます。
何も残さないっていうことを徹底してできる人って何だろうなって。
渡邊さんは、苦悩や不安を解消する鍵は、自らの心の中で動く「我」に気づくことだと語ります。最後まで煩悩に負けて動くことをしなかったお釈迦様の姿が、今も自分の前に立ち上がってくるように見えると締めくくります。
まとめ
曹洞宗の僧侶二人が、宗派の違いという素朴な問いから始めて、お釈迦様の悩み、坐禅で見える「暴れる我」、そして和合和睦の教えまでを語り合った回でした。主張の少なさの中に、静かに助け合う精神や、自分を見つめ続ける姿勢が息づいていることが浮かび上がります。
- 曹洞宗は坐禅を根幹に置き、坐禅を通じて自分を見つめる「自己凝視」を大切にする
- お釈迦様は悟った内容に普遍性があると考え、悩んだ末に「伝える」と決めた
- 東日本大震災で見えた静かな助け合いは、布施・愛語・利行・同事の「四摂法」に重ねられる
- 瑩山禅師の「和合和睦」は、どんな相手や出来事に出会っても仲良くする心で生きる教え
- 坐禅で初めて「暴れる我」に気づけ、苦や不安が自分の作り上げたものだと分かってくる




