その場にいるだけで心が整う
うまく言えないんですけど、その場にいるだけでなんか心が静まるとか、キリッとした気持ちになるとか、心が整うような感じになる。
そういう価値がお寺にはあるよなと思っていて、それをやっぱり大事にしたいんです。
それは境内であったり、外の空間だったり、本堂やお堂の中の空間であったりします。
今は宗教を信じるとか信じないとか、そういうことを改めて強く問う時代じゃないような気がしていて。
だけどその場に来ると何かあるな、気持ちがすっきりするな、みたいなことが、一つの入り口として大事なのかなと思っています。
お寺が持ついくつもの装置
お寺には、心も体も整うような雰囲気があります。
それだけじゃなくて、お墓がありますから、死者や先祖を感じる。古いものもありますから、時間的な感覚がいつもと少し違う感じにもなります。
今はあんまりないですけど、昔はコミュニティ機能もあったので、共同体の流れみたいなものを感じることもある。
そして仏像みたいなものを通して、言語化できないような宗教性というか、神聖さを感じる。そういう装置があるんじゃないかと思うんです。
だからこそ、聖と俗を分けるようなしつらえが大事だなと思っています。
生活空間との線引きが曖昧になる難しさ
そこで難しいのは、日本のお寺は住職家族の住居にもなっているということです。
生活空間と宗教的な空間の境界が、すごく曖昧になってしまうんですね。
うちで言うと、門を入って右に、親の平屋の家があります。父が介護が必要になった時に、介護しやすいように建てたものです。
ただ本当に急なことで、僕も住職になったばかりでそこまで考えが至っていなくて、勢いで建ててしまったんですね。
見た目には配慮してもらったんですけど、それでももうちょっと何かできたな、という思いはあったりします。
あとは子供の自転車が止まっていたりとか、どうしても拭い切れない生活感があるんです。
あるものはしょうがないので、見せ方としてどう区別できるか。物が多くなってしまう分を、うまく隠す仕掛けをどう作るか。
そういうことを、少しずつ片付けをしながらやっていきたいなと、今ちょうど思っているところです。
まず本堂から、古い空間を残す
仏具屋さんとも相談しながら、まずは本堂からやっていこうかなと思っています。
やっぱり空間的な価値を高めていくことは必要かなと。市井の普通のお寺だからこそ、必要なのかなと思うんです。
最近は仏教建築のコストも上がっていて、普通の住宅以上に上がっている感じがあります。話を聞くと、なんとなくですけど。
だから普通の住宅みたいな作り方をする、という選択肢もこれから増えていくのかもしれません。
うちの本堂は築120年、130年くらいの古い本堂です。こういう古い雰囲気を残すことが、逆に価値になってくる部分もあるなと思っていて。
どっちが正解というわけではないんですけど、残せるところは残した方がいいと僕は思っています。
たまたまうちはそれができそうな境内なので、お金もかかるんですけど、少しずつやっていこうかなと。
住んでいるからこそ見えなくなるもの
この空間装置としてのお寺は、実は僕らみたいな坊さんの方が感じていないかもしれません。
でもお参りに来る人にとって、非日常的な空間であるというのは、やっぱり大事だなと思うんです。
僕らは住んじゃってますからね。住んでしまうと当たり前になって、わからなくなってしまう。
だからもう一回、自分のところを見直して、いろんなお寺を見てみることも大事かなと思っています。
まとめ
部屋のことまで手が回ればいいんですけど、なかなか難しいですね。まずはお寺の空間を整えるところから、少しずつやっていこうと思っています。
- その場にいるだけで心が整う、空間装置としてのお寺の価値を大事にしたい
- 日本のお寺は住居も兼ねるため、生活空間と宗教的空間の線引きが曖昧になりやすい
- まずは本堂から、古い雰囲気を残す形で少しずつ整えていきたい
- 住んでいると当たり前になって見えなくなるので、来る人の目線で見直すことが大事




