僧侶は「仕事」か「生き方」か
番組冒頭、本多清寛さんが投げかけたのは「曹洞宗の僧侶は仕事なのか」という問いです。「どうやって暮らしているんですか」といったリスナーの疑問も紹介されました。
この問いに対し、渡邊祥文さんは職業と生き方のあいだに線を引けるかどうかから考え始めます。
お坊さん、僧侶って言われた時に、線を引けるのか引けないのか、職業なのか生き方なのかというところがあって。おそらく線は引けないんだろうと思うんですよね。
本多さんは、僧侶に明確な資格はないものの、戸籍のような僧籍はあると補足します。ただ僧籍があるからといって、僧侶とは何かがはっきりするわけではないと話します。
そのうえで本多さんは、比較的はっきり引ける線として、住職になれる僧侶かどうか、弟子を取れる僧侶かどうかという区別を挙げました。
自称では名乗れない「僧侶のライセンス」
線引きの難しさを認めつつ、渡邊さんは僧侶にはライセンスが必要だと強調します。自分で勝手に名乗れるものではない、という点です。
ライセンスってあるんだから。それがなかったらばめちゃくちゃになりますよね。自称ではできない。
渡邊さんによれば、どの宗派に属するかを選び、そこからきちんとライセンスを受けることが僧侶の前提になります。自称では成り立たないという理解です。
一方で、外から見たときにどう映るかは難しいと渡邊さんは付け加えます。本多さんも、僧侶として生ききれているかは自称の世界だが、他者から「あなたは僧侶だ」と呼ばれることに意味があると受けます。
本多さんは、職人や消防士、自衛隊のように、それぞれの職には矜持があると語り、では僧侶にとっての矜持は何かと渡邊さんに問いかけました。
都会よりも田舎で「お坊さんはお坊さん」
僧侶の矜持を問われた渡邊さんは、まず全国的な日常の風景から答えます。お寺があり、そこには必ずお坊さんがいる、というものです。
お寺があって、お寺には必ずお坊さんがいる。その地域という形で考えると、お坊さんはお坊さんだよねって。
渡邊さんは、むしろ大都会のほうが僧侶の存在が見えにくいのではないかと話します。日本中の田舎では、お坊さんが地域の仕事も担い、生活に密着しているというのです。
人口減少で地域社会そのものが危うくなるなか、檀信徒の役員が担う多くの役を、住職や副住職も一緒に引き受けている実情も語られました。
職業としてのお坊さんという感覚さえわからない。地域社会の中のお寺、地域社会の中の住職という形の方が、むしろ全国レベルでは普通かもしれませんね。
「坊主丸儲け」の誤解とお布施に込められた願い
本多さんは、お布施が手渡しであることから生まれる「坊主丸儲け」というイメージを話題にします。お坊さんがそのまま懐に入れているような誤解です。
これに対し渡邊さんは、生涯忘れられないという檀信徒の言葉を紹介しました。
お寺にあげるお布施っていうのは、このお寺が100年でも200年でも300年でも、これからずっと続いてもらうための金だよねって言われたんです。
渡邊さんは、その言葉に感動したと振り返ります。お寺を、地域のために永久に残っていくべき法人として理解してくれる人がいる、と受け止めたのです。
渡邊さんは「坊主丸儲け」は差別語でもあるとしつつ、今はそのような仕組みではないと明言します。本多さんも「さすがに無理よね」と応じました。
名もなき労働と、油断できない24時間
本多さんは住職の一日を具体的に描きます。朝課でお経を読み、一息ついてニュースを見ながら、今日の法事は誰の家かを確認するところから始まります。
予定の法事を終えても、お盆前の塔婆書きに取りかかれば電話が鳴り、通夜が入る。本多さんは、これを家事労働に通じる「名もなき労働」が多い仕事だと表現します。
住職の仕事っていうのが、スケジュールがあるようでないし、ないようであるし。世間の時間軸とはこう外れて生きている。
渡邊さんは、コロナ以降、来客は減ったものの電話は変わらず来ると話します。寺の固定電話に加えて携帯もあり、油断できないと言います。
どんな住職もほとんど油断できてないっていうのは、おまけに携帯でしょ。私、本当にしょっちゅう携帯捨てようかなと思って。
数えで70歳、古希を迎えた渡邊さんは、昔の教育を受けたと語ります。住職とはこうあるべき、という感覚が身についているのです。
住職というのは、365日24時間僧侶だからなって言われて。
渡邊さんによれば、以前は夜中に「亡くなったので枕元をお願いします」と言われれば出向いていました。コロナ以降はその形も地域も変わったといいます。
さらに、地域の仕事もそれぞれが分担して担っているため、かえって時間がないと渡邊さんは付け加えました。
震災の極限で聞いた「お寺にいてくれてよかった」
本多さんは、僧侶であって、住職であってよかったと思えた瞬間を尋ねます。渡邊さんが語り出したのは、東日本大震災の記憶でした。
渡邊さんは、生きるか死ぬかのときには本音が出ると振り返ります。福島では原発事故もあり、多くの人が避難していきました。
避難勧告が出なかったら、寺の住職がどこ行っても行っちゃいけないと思ってたし、避難勧告が出たらば一緒に避難しなきゃなんないと思った。だからずっといたんですけど。
周囲が避難していくなか、渡邊さんの寺には一人で暮らす80代半ばの女性がいました。息子も連れ合いも先に亡くし、天涯孤独に近い状況だったといいます。
ある日、その女性が遠慮がちに寺の玄関を開けました。渡邊さんは客間でテレビを横目にいたところでした。
「あー、おっさんいた。よかった」って言った次の瞬間に、泣き出しちゃったの。
背中をなでながら事情を聞くと、女性はみんな避難していなくなったと語りました。誰もいなければお墓で、とまで口にし、また泣き出したといいます。渡邊さんは、命を絶とうとしていたのかもしれないと受け止めました。
お寺のおっさんいてくれてよかったって、何回も何回も言ってくださって。
渡邊さんは、このとき住職という言葉の意味が本当に分かったと語ります。
渡邊さんはこの言葉を生涯の宝物だと話します。手を抜きたくなることも、やめたくなることもある。もともと人と話すのが苦手で、こもっていた方が楽な人間だとも打ち明けました。
それでも、こうした一つ一つの出来事が自分を励ますと渡邊さんは言います。地域の人や檀家と話すことで、好き嫌いを超えて何かが生まれる。そこに根本的な喜びがあるのではないか、と語りました。
300年の信用を、自分の代で裏切らない
渡邊さんは、震災でもう一つ心に残った出来事を語ります。震度6を超える揺れで寺の中はぐちゃぐちゃになりました。
そのとき、地域の檀家の年配の人たちが、役員を中心に集まって片付けてくれたといいます。渡邊さんは、それを自分の人徳のおかげだとは考えませんでした。
これは俺の人間性とか人徳とかではねえなって思ったんです。これは300年、400年っていう、その地域で育て上げてきた信用があるから。
渡邊さんは、それまでの住職や寺に関わった人たちが積み上げてきた信用があるからこそ、人々が動いてくれたのだと受け止めます。だから自分の代でも裏切ってはいけないと語りました。
働きすぎだという思いはある。それでも渡邊さんは、そうした在り方こそが僧侶としての人生だと話します。職業的な部分と生き方の部分が重なっているというのです。
本多さんも「重なっちゃってるんですよね」「分離できるかっていうと、そんなことじゃない」と応じ、二人の理解が重なりました。渡邊さんは、そうした在り方が根本的な喜びになっているのではないかと締めくくります。
70歳の老師がYouTubeで見るもの
話題は住職の素顔に移ります。渡邊さんは、暇な時間が2時間、3時間できると、今なら見られるかとYouTubeを開くことがあると話します。
本多さんが何を見るのか尋ねると、渡邊さんは歴史問題から流行りものまで、何でも見ると答えます。70歳には分からないことがたくさんあり、それが面白いといいます。
70歳、わかんないこといっぱいあるわけですよ。それがね、面白いなとかね。
本多さんは「40歳でも全然わかんないですからね」と応じ、渡邊さんは、そのふとした時間もまた嬉しいものだと語りました。番組はお便りの募集で締めくくられます。
まとめ
僧侶は仕事か生き方か。この問いに、渡邊祥文さんは資格やお布施、24時間の待機、そして震災の記憶を通して、地域に「いる」こと自体が住職の仕事だと語りました。職業と生き方が重なるところに、その矜持が浮かび上がります。
- 僧侶はライセンスが必要で、自称では名乗れない。都会より田舎ほど「お坊さんはお坊さん」として地域に密着している
- お布施は「お寺が続いてもらうための金」という檀信徒の言葉に、渡邊さんは法人としての寺を支える願いを見た
- 住職の仕事は名もなき労働が多く、電話一本で予定が変わる。古希の渡邊さんは「365日24時間僧侶」という感覚を持つ
- 震災の極限で独居女性が放った「いてくれてよかった」の言葉が、住むこと・いることが仕事だという意味を渡邊さんに教えた
- 壊れた寺を片付けてくれた檀家の行動を、渡邊さんは自分の人徳ではなく300年続く信用のおかげと受け止め、その信用を次代へ繋ぐ責任を語った




