なぜ肩書きを外して「和田智行さん」と呼ぶのか?
ポッドキャスト「思考旅行」は、経営者の願いや葛藤から企業や地域に眠る文化資本を掘り起こし、未来に残すべき価値を探る番組です。この回の対話相手は、福島県南相馬市小高区で事業を営む和田智行さんです。
聞き手の井上拓海さんは、ゲストを呼ぶときに肩書きを付けないというやり方をとっています。和田さんはふだん「小高」や「OWB」といった冠付きで紹介されることが多く、名前だけで呼ばれる機会はあまりないといいます。
(OWBや小高は)和田さんを示す大事なキーワードだとは思いつつ、和田さんの人生から見ると後からついてきたものとも言えるので。
井上さんは、和田さんという人そのものに迫ることで、結果的にOWBの事業や小高という町に自然とつながっていくはずだと考えています。この収録は全4回のシリーズで、今回がその1回目です。
住民ゼロの町に33の事業を生んだ起業家
和田さんの自己紹介によると、自身も原発事故で6年間の避難生活を送っていました。その最中、まだ避難指示が解除される前の小高で、2014年にOWBを創業しています。
掲げたミッションは「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」こと。食堂やスーパーづくりから始め、住民がゼロになった町にこれまで33の事業を生み出してきました。
現在は宿泊できるコワーキングスペース ── 異なる会社や個人が同じ空間を共有して働く仕事場。OWBの施設は宿泊もできる点が特徴として語られていますの運営や創業支援も手がけ、2050年までに100の事業をつくることを目指しています。
井上さんは仕事で和田さんと関わるようになって3か月ほど。それ以前から、テレビ東京系列の「ガイアの夜明け」で取り上げられた和田さんの姿を見ていたといいます。
順風満帆に見える人の「葛藤」を聞く理由
この回のテーマは「葛藤と動機の源泉」です。井上さんは、メディアで紹介される和田さんの姿から、多くの人は葛藤などせずにどんどん進む人だと受け取っているのではないかと考えています。
いかにも葛藤なんかせず、もうどんどんやっていくぜみたいな感じなんじゃないかっていうふうに見られていてもおかしくないのかなって思うんですよ。
そんなことないですけどね。
動機については他の場でも聞かれるはずなので、井上さんはあえて葛藤の側を掘り下げたいと切り出します。和田さんの答えは短いものでした。
地方から東京の会社を経営した2005年
和田さんの地元は小高です。大学入学をきっかけに東京へ出て、社会人時代も含めて10年間東京で暮らしていました。
2005年、和田さんは東京で仲間と会社を立ち上げたうえで、自分だけが東京を離れて小高に戻ります。生活拠点は小高、仕事は東京の会社という働き方です。
特にインターネットの世界では割とフリーランスのプログラマーとかデザイナーとかが、自宅で作業して必要な時に集まるみたいな。そんな珍しくはなかったんですけど。
地方にいながら東京の会社の仕事やってるみたいなケースはあんまなかったかもしれないですね。
エンジニアだった和田さんにとって、リモートワーク自体は身近なものでした。それから5年半ほどが経ったころ、東日本大震災と原発事故が起きます。
井上さんは、震災後に何を作ってきたかという話は多くの人から聞けるとしたうえで、和田さんに生まれてから今までの「3大葛藤」を挙げてほしいと頼みます。
最初の葛藤は高1、吹奏楽部を辞めるか
和田さんがまず挙げたのは、高校1年生のときの葛藤です。小学校からトランペットを吹き、中学・高校と吹奏楽部に打ち込んでいました。
和田さんによると、当時の南相馬市域は吹奏楽が盛んで、3つの中学校が全国大会に出場するほどレベルの高い地域だったといいます。
その吹奏楽を辞めるかどうか迷ったきっかけは、親の言葉でした。大学進学を目指していたものの、成績が悪かったのです。
お前は不器用なんだから、いくつものこと一緒にできないんだから。
部活辞めるか受験辞めるかどっちかにしろって言われたんですね、親に。
和田さんはその言葉を素直に受け止め、葛藤の末に部活を辞める決断をします。その代わりに、吹奏楽が大学日本一の大学へ行こうと決めました。
2年間のブランクは大学でもすっかり取り戻せたといいます。ところが話はここで終わりません。
念願の大学で吹奏楽部に入らなかった理由
希望どおり大学に入った和田さんですが、あれほど目指した吹奏楽部には入らず、隣の管弦楽部、つまりオーケストラに入りました。オーケストラはバイオリンやチェロなどの弦楽器を含み、吹奏楽は管楽器だけで編成されます。
(吹奏楽部の)部活の空気が自分に合わなかったっていう。
なんだろうな、宗教チックだったんです。
先輩後輩の関係性や様々な儀式が合わなかったといいます。和田さんはさらに、自分の中にある感覚を「傲慢」という言葉で説明しました。
行ってみたらそんなに日本一の吹奏楽部なのに、あれ?一人一人そんな別に上手いわけじゃないなと。
そんな上手いわけでもない先輩たちが、なんかやたらまだ大した関係性もできてないのに、先輩ぶってくるみたいなところにちょっと違和感感じたというか。
井上さんがこれを「態度と実体がちゃんと接続しているか」という視点に言い換えると、和田さんは「そこにすごく敏感かもしれない」と応じます。だからこそ自分自身も、言ったからにはやるという意識が強く働くといいます。
態度と実体がずれた人は「視界から消える」
柔らかい声と物腰の和田さんからは、怒りのイメージは浮かびにくいものです。井上さんは、態度と実体がずれた人を見たときにどんな感情になるのかを尋ねます。
すげえ嫌なやつみたいになっちゃいますけど、あの、完全に視界から消えますね。
和田さんによれば、意識して消すというより、気にならないようにしてしまう感覚です。イライラする面もありますが、それ以上に相手の言葉が入ってこなくなり、会話が辛くなるといいます。
なんかいろいろ言って、いいこと言ってるけど全然入ってこないみたいな。
井上さんがそれを良い状態を保つための方法ではないかと受け取ると、和田さんは「なんか防衛本能なんでしょうね」と答えました。
不器用なのに同時並行できるのはなぜか
井上さんは、親に「不器用」と言われた和田さんが、今は誰にも止められないまま大量の事業を同時に進めている点に着目します。和田さんも不器用さの自覚はありつつ、一方で「やりたがり」でもあると話します。
そこで井上さんが示したのが、複数の「こと」をやるのと、複数の「役割」を担うのは違うのではないかという仮説です。プロジェクトが複数あっても、担う役割を絞れていれば共存できるという考え方です。
言われてみればそうかもしれないですね。事業立ち上げるっていうことは、多分並行してできるというか、多分そこの役割をやるっていう意識は強いんだと思うんですけど。
和田さんは、事業のゼロイチ ── 何もないところから新しい事業やサービスを生み出す段階を指すビジネス用語。続く「一十(いちじゅう)」は、生まれた事業を育てて広げる段階を指しますはやれても、ゼロイチと一十のフェーズを並行するのは難しいと続けます。
事業の立ち上げ。いくつも並行してできる役割
立ち上げた事業を育てる段階。ゼロイチと並行するのは難しい
担い手やチームがそろわず和田さんが一十まで引き受けることになったとき、親の言った「どっちかに絞りなさい」が顔を出す。井上さんのこの見立てに、和田さんも「出てくるんだと思いますね」とうなずきました。
2つ目の葛藤、小高へ戻るかどうか
和田さんが2つ目に挙げた葛藤は、震災後の避難生活の中で、小高に戻るかどうかを迷ったことです。地元再生を固く決意して戻ったという印象を持たれがちですが、自分でぐっと決めたわけではないといいます。
そこに至るまで、至ってからはガッて切り替えられましたけど。
至るまでの葛藤がありました。
戻ると決まるまでには、いくつかの出来事が重なりました。
避難指示の緩和
2012年4月、日中の立ち入りが可能になり、いずれ解除される見通しが立つ
両親が戻る決断
家業の織物業の工場で復旧工事を始めると言い出す
妻の意思表示
解除されたら戻ると明確に伝える
自分も乗る
周りが固めていき、最終的に和田さんもそれに乗る
周りが固めていって、最終的に自分もそれに乗ったっていう感じです。
「やるしかない状況」を自分で作る起業家
井上さんは、和田さんの事業の生まれ方も同じ構造ではないかと指摘します。強い「やりたい」よりも、地域に足りないものを埋めるように、周りから必然性が生まれてくる形です。
やる意味があるとか、自分がやるしかないみたいな状況をあえて作ったり追い込んだりみたいなことは、割と意識的にやっちゃうかもしれないですね。
その背景として和田さんが語ったのが、子ども時代の環境です。
選択肢が多いっていいことのように語られがちですけど、僕はやっぱ元々田舎の長男で家業もあって、もう長男だから家を継げって言われて育ったんで。
その選択肢がない状態の中でいかにベストな選択をするかみたいなのは、すごく子供の頃から意識せざるを得なかったようなところもあったので。
和田さんは、そうした生き方をずっと続けてきたのかもしれないと振り返ります。
白紙から街をつくる?実現したい状態は1つ
井上さんはあえて別の角度から問いかけます。住民ゼロになった小高は、マインクラフトのように白紙から街をつくるフロンティアに見え、和田さんにはやりたいことが山ほどあるように映るというのです。
なんだろうな、実現したい状態みたいなのは一個揺るぎなくあるんですけど。
そこに必要なコンテンツとか事業みたいなのが明確にあるわけではないので。
和田さんは事業を進めながら、「こういう文脈の事業がこれだけ生まれてきたから次はこれだよね」と、自分の中で納得できるものを選んで作っていると説明します。
井上さん自身も、友人から「価値探索をし続けるから、やることが途切れないよね」と言われたことがあるそうです。和田さんにも終わるイメージはないといいます。
かつなんで自分がやんなきゃいけないのかみたいな。そこまで見つけちゃうんですよ。
で、追い込んじゃう。これやるしかないみたいな。
自分がやる必然性が見つからない事業は、他の起業家に任せるのがこれまでのやり方だといいます。
「自分がやる理由」は後付けでいい
井上さんは、和田さんのこの力と組織のメンバーとの間には大きな差があるのではないかと指摘し、和田さんもギャップがあると認めます。社会では「やりたいこと」を先に見つける人が多いのに、和田さんは順番が逆だというのです。
その深掘りの過程を言語化しているかと聞かれ、和田さんは「できていない」としつつ、1つだけ言えることを挙げました。
和田さんによれば、やりたい気持ちが先にあり、理由づけは後から重ねていく感覚です。具体例として挙がったのが、最近始めたラーメン屋でした。
ラーメン屋もっと前からやりたかったんですよ。
ただ、自分がやる理由やタイミングがはまらなかった。それが、一風堂の山田社長と知り合ったことをきっかけに動き出し、最初に小高で営んでいた食堂「小高の昼ご飯」の背景なども後付けで盛り込んでいったといいます。
井上さんはこれを、無理やりの理由づけではなく、パズルのピースを集めて必然性の解像度を上げていく作業だと言い換え、和田さんも「まさに」と応じました。
偶然を運命に変える「運命感じ力」
井上さんも同じタイプだと打ち明けます。意味も意義もまだないけれど、なんとなくやりたいことがたくさんあるかと聞かれ、和田さんは「無限とまでいかないですけど、結構ある」と答えます。
井上さんの例は、山に登った後のご飯がおいしいように、食べる前のアクティビティを工夫して食事をおいしくするという構想です。和田さんは「そんな感じです」と共感します。
いろいろやってるうちに、いろんなパズルのピースが積み上がってって。いつかパチッとはまるみたいな。
井上さんはこの姿勢を、偶然を必然にしてしまう「運命感じ力」と名づけました。ただし、ゼロイチが無限に増えるぶん、一十をどうするかという問題もずっと残り続けます。
これはだから本当に無限にゼロイチが増えるから、一十どうするか問題がずっと出続けるっすね。
そうなんです。そうなんです。
井上さんは、他人のことなら一十を考えられるのに、自分のことになるとゼロイチばかりになると笑い、和田さんとの対話を鏡のように感じていると話しました。
組織のOSにしたい「自分じゃなきゃ」の感覚
終盤、井上さんは和田さんが関わるNextCommonsLabやイリゼ、OPVといった取り組みに話を広げます。全員が和田さんのようになる必要はないとしつつ、その要素を組織に根づかせられないかと考えています。
でも要素として、この要素を、なんか、もっとその組織のOSにできると、一十を担えるチームも強くなっていくんじゃないか。
井上さんによれば、目の前のことを「自分じゃなきゃいけない」と感じられる力はゼロイチだけの能力ではなく、組織の強度を左右するものです。もう1つ、偶然を運命にする力は、小高の町やOWBの今後のプログラムのテーマにもなりうると話しました。
いや、ちょっと今までにない地点ですごく新鮮ですね。
和田さんの言葉を受け、井上さんは「これが思考旅行だという感じです」と締めくくり、初回の対話は終わりました。
まとめ
順風満帆に見える和田智行さんは、高1の部活、震災後の帰還と、節目ごとに葛藤してきました。その中で育ったのは、選択肢のない状況で最善を選び、偶然を集めて「自分がやる理由」に変えていく動機の作り方です。
- 和田さんは「ずっと葛藤してます」と語り、小高への帰還も周りが固めた末に乗った決断だった
- 態度と実体の一致に敏感で、自分も「言ったからにはやる」意識が強い
- ゼロイチは並行できても、一十まで担うと「不器用」さが顔を出す
- やりたい気持ちが先にあり、やる理由は後付けでピースを集めて固めていく
- 偶然を運命に変える力を組織のOSにできるかが、今後の課題として浮かんだ





