AI時代に、和紙の逆襲は来るのか
番組冒頭、大上博行さんは前回の議論が自分に刺さったと切り出します。AI時代だからこそ、脳みそや人間とは何かが問い直され、和紙の時代が来るのではないかという見立てです。
やっぱりAI時代回り回って脳みそとか人間ってなんぞや、やから、これ和紙の時代来るんちゃう?やっぱ次。
大上陽平さんは、これまでの文脈では和紙や手紙は時代遅れとされてきたと振り返ります。20代から40代の世代が手紙をどう使うのかと問われ続けた7〜8年を経て、ようやく逆襲のチャンスが来ているかもしれないと話します。
(手紙を)どうやって使うん?みたいなことをずっと虐げられてきた7年、8年間やった中で、ようやくそういった逆襲のチャンスがもしかしたら来てるんじゃないかって思うと、やっぱワクワクするなっていう。
大上博行さんは、かつて「手紙には温かみが乗る」と言っても「メール一本で終わりやん」と返されてきた経験を挙げます。一方で前回、AIの回答を伝えた自分の言葉が人に伝わらなかった体験から、AIを通すと自分という人間が伝わらないと感じたといいます。
そこから大上博行さんは、テーマは人間の温かみかもしれないと考えます。その温かみは、汚いかもしれない筆跡のようなところに表れる気がする、という見立てです。
大上陽平さんは、和紙はずっと「情緒以外の機能性はないのか」と言われ続けてきたと話します。トイレットペーパーなら水に溶ける、拭えるといった機能があるように、和紙にも付加価値を求められてきたというのです。
ところが、AIなどで何でも生み出せる世の中になると、機能そのものの意味は薄れていきます。大上陽平さんは、最後に残るのは情緒的なもので、和紙はそれをもともと備えているのだから、もう一度チャンスがあるかもしれないと語ります。
情緒的価値しかなく、機能や付加価値がないと言われ続けてきた
何でも生み出せるAI時代に、最後に残る情緒的価値を備えた素材として見直される可能性
大上博行さんは、恋愛リアリティ番組ラブ上等で手紙を書く場面に心を引かれたと話します。相手を思って時間を使ったことが見える点こそが価値だと感じ、今後のオオウエに期待していると伝えます。
大上陽平さんも、以前は真逆すぎて見当もつかなかった共感が、いまは得られそうだと感じています。多くの人がSNSやAIに侵され続けているのは自分だけの感覚ではなさそうだから、共感を呼ぶプロダクトやサービスになりうる、というのが大上陽平さんの実感です。
アトツギの成長を支える3つの言葉と「自立」
ここから本題です。大上博行さんは、ベンチャー型事業承継でアトツギを支えるサポーターを育てる講座を行っており、その中で「自立」「制約」「正当性」の3つの言葉をテーマに据えていると紹介します。
この枠組みは、静岡県立大学でファミリービジネスや後継者のアントレプレナーシップを研究する落合先生の議論を引用したものです。落合先生は、100年以上続く会社がどう事業承継してきたのかを研究する中で、この3つが絡まり合っていると指摘しているといいます。
1つ目の「自立」は、アトツギ自身が何をしたいのか、どんな経営者になれば自分の人生が良くなるのかという問いです。大上博行さんによると、アトツギは社長がいる会社に後から入るため、やりたいことを発露するきっかけがあまりありません。
後継ぎがやりたいことみたいなのって、あんまり実は後継ぎ時代に発露するきっかけがないんよね。
だからこそ、アトツギ甲子園 ── 中小企業の後継者が、家業の経営資源を生かした新規事業プランを発表するピッチイベント。中小企業庁が主催していますのような仕掛けを使い、まだ経営者でなくても自分のありたい姿を話してよいと伝えることが、自立を高めることにつながると大上博行さんは説明します。
大上陽平さんは、自分に置き換えるとアトツギ時代には自立をなかなか持てなかったと振り返ります。大上博行さんが、最近は自立が育まれてきたように見えるがきっかけはあったのかと尋ねると、大上陽平さんは海外での経験を挙げました。
インドから帰国した大上陽平さんは、海外と和紙を掛け合わせる取り組みをずっとやりたいと考えていました。縁があってフランスやオランダでマーケティングや販売をしたとき、会社と自分のやりたいことがちょうど交わる感覚があり、高揚感があったといいます。
会社と自分のやりたいことの接点みたいな、そのね、ちょうど交わるところみたいな感覚があって、すごいあの高揚感はあったけど
しかし、その高揚感がそのまま会社の成長につながったわけではありません。今月の資金繰りが厳しい、既存のお客さんとのいざこざが続いているといった日常に戻ると、海外出張は非日常として終わり、自分を省みる機会はあまりなかったと大上陽平さんは話します。
大上博行さんは、落合先生の考えとして、まず意識が変わり、次に能動的な行動をして初めて自立が高まると紹介します。海外に行きたいと思っている段階と、実際に行った後とではまるで違うため、大上陽平さんは行動によって自立性が高まったと言えるのではないか、という見立てです。
自立しすぎるとなぜ「一人相撲」になるのか
一方で、大上博行さんは自立ばかりに振ると会社との接点がなくなると指摘します。自立と制約は、とぐろを巻くようにスパイラル状に上がっていく関係だといいます。
大上博行さん自身がその例です。自分で和紙のブランドを作り、会社のことを顧みずにそちらばかり進めた結果、会社から離れていき、「お前一人相撲や」と見られるようになったと振り返ります。
貢献してることも、お前のやってることは会社潰すことやみたいな感じで周りの人から見られちゃうっていう。
ここで3つ目の「正当性」が登場します。大上博行さんは、正当性を「あなたが次の社長であることの信頼感」と定義します。自分勝手なアトツギは、父から見ても社員から見ても会社のためになっていないと映り、正当性が上がらないのです。
それでも大上博行さんは、自立はとても大事だと強調します。経営者は誰にも判断を委ねずに自分で決めなければならず、30年続けていく以上、本人が楽しくなければ続かないからです。
ただし、自立だけでは事業承継も会社経営もうまくいきません。そこで向き合う必要があるのが「制約」です。創業から70〜80年、和紙を売り続けてきたオオウエで「紙をやめましょう」と言えば、さすがに反対が出るはずだと大上博行さんは例を挙げます。
大上博行さんによると、制約はこれまで会社を作ってきてくれたものでもあります。そこから目を背けて逃げると正当性が上がらないため、制約と向き合うことが大切です。
制約にはレベル感もあります。オオウエにとって和紙や問屋・商社という立ち位置は根幹で、明日からメーカーになろうと言えば、そんなノウハウはどこにあるのかと止める人が大勢いるはずです。こうした中枢に近いものほど制約が大きいといいます。
制約に縛られるのは悪いことか
大上陽平さんは、自分は逆に制約にずっと縛られていたと話します。性格や、前の世代が自立に振っていた影響もあるかもしれないと前置きしつつ、無意識に制約に縛られていたといいます。
(先代や社員さんが)もっとなんか自由にやったらいいんちゃう?みたいな。そのやりたいことやったらついていきますよみたいな話をしてくれたりするぐらい、逆にその制約の方に結構縛られていて。
この経験から大上陽平さんは、どちらか一方に傾くのではなく両方が必要だと感じたといいます。自分が楽しんでいない、生き生きしていない状態では、会社も盛り上がらないからです。
大上博行さんは、制約を大事にしている状況自体は悪くないと応じます。制約は会社が積み上げてきた強みでもあり、それをうまく生かせることは、ゼロから会社を作る人に比べたアドバンテージになるからです。
会社との接点がなくなり、一人相撲と見られて正当性が上がらない。大上博行さんのケース
新しい発想がなくなり、本人も生き生きしない。大上陽平さんのケース
そのため支援の基本線は、制約が強すぎる人には自立側へ、自立が強すぎる人には制約をちゃんと見るよう促すことだと大上博行さんは説明します。
さらに大上博行さんは、制約を守ることも自立になりうると話します。ただ変えたくないから守るのではなく、意味があると思って守っているなら、それは能動的であり、自立的に制約を捉えていると言えるからです。
自立と制約を一つずつくぐっていくと、周囲の社員や先代に「あの人は会社の歴史と向き合っている」「自分の言葉で話している」と伝わり、正当性が少しずつ上がっていきます。大上博行さんは、「100年続く和紙の会社という制約を、あなたならどう料理しますか」と問いかけることが大事だと話します。
大上陽平さんが、制約の外でまったく違うことをやる発想もあるのではと尋ねると、大上博行さんはもちろんあると認めたうえで、それなら新しく会社を立てて公庫からお金を借りたほうが自由にできると答えます。
大上博行さんによると、制約は和紙だけではありません。お客さんや仕入れ先も制約になります。中国から仕入れたほうが安いのに国内のメーカーを使うのは制約ですが、そこには絆や和紙らしさが残っているかもしれないといいます。
冒頭の話もここにつながります。機能的価値がゼロとされた和紙を捨てずに、自律的に見続けてきたからこそ、本人は変わらなくても時代が変わったときに再び価値になる可能性がある。大上博行さんは、自分がどう捉えるかという自律性が大事だとまとめます。
信頼は時間をかけて積み、一瞬で失う
大上博行さんは改めて、正当性を「次の社長であることの信頼感」と説明し、信頼と信用の違いに触れます。信用はなんとなく任せるという感覚ですが、信頼は結果に関わらず「こいつとなら失敗してもいい」と思えるほどのものだといいます。
そうした信頼を築くには、とても時間がかかります。大上博行さんは、会社の制約と向き合いながら、ときには便所掃除やコピー取りのようなことまで一つずつ積み重ねる必要があるかもしれないと話します。
正当性がないまま無茶なチャレンジをしたり、従業員に何かを強いたりすると、一気に人が離れてしまう恐れがあります。だから夢は大きく描きつつも、社内の取り組みは一歩一歩進めることが大切だと大上博行さんは語ります。
大上博行さんは、コーチングでは大きな目標を描いてそこに自分を持っていくが、組織づくりでは人の心は少しずつしか良くならないと対比します。心を養いながらも、やることは一つずつ誠実に、という姿勢です。
その反面例として、大企業から鳴り物入りで来た人が「この会社は遅れているから一瞬でDXしよう」と言っても、ついていきたいとは思えないと大上博行さんは指摘します。エリートが帰ってきても滑るのは、正当性がないまま自律的な取り組みを進め、誰も動いてくれないからだといいます。
親族であることは正当性になるのか
大上陽平さんは、アトツギにとって親族であることは正当性につながるのかと質問します。大上博行さんは「最高にいい質問」と応じ、正当性には「生得的正当性」と「獲得的正当性」があると説明します。
大上博行さんは、マックス・ウェーバーだったかと記憶をたどりながら、人を統治する方法は3つしかないという考えを紹介します。法律に従わせる方法、ヒトラーやジョブズのようなカリスマに心酔させる方法、そして血筋による方法です。
アトツギは、この3つ目の血筋を生まれながらに持っています。ただし大上博行さんは、人はそれほど単純ではないため、生得的正当性だけでできる範囲は限られていると考えています。
たとえば便所掃除を飛ばして出張に行きまくる程度なら、生得的正当性でも通るかもしれません。しかし、30年やってきた古参社員の仕事のやり方を根本から変えるようなことは、生得的正当性だけでは反発が大きすぎると大上博行さんは話します。
親族であることで生まれながらに持つ正当性。スタート地点を高くする「下駄」だが、できる範囲は限られる
制約と向き合い、チャレンジを重ねる中で積み上げる正当性。DXや業態転換などの大きな決断に必要
大上博行さんは、生得的正当性という下駄を履きながら獲得的正当性を積んでいくのが基本だと話します。一般入社の人よりスタート地点が高いぶん、正当性を獲得するためのチャレンジがしやすいことは、親族アトツギのメリットだといいます。
下駄を履いてるっていうのは認識してるけど、それがどこまでの正当性なんかなと思って。
大上博行さんは、下駄があるという認識も、下駄だけでは何でもできないという認識も大事だと答えます。例としてビッグモーターを挙げ、下駄の高さだけですべてを断行しようとしたのではないかと話します。
大上博行さんは、会社が大きくなるほど下駄も高くなり、6000億円の会社のアトツギは2億円の会社のアトツギより万能感を持つかもしれないと述べます。それでも人の心を動かすには、チャレンジを重ねて会社と向き合い、正当性を積み上げる必要があります。
議論は途中ですが、話が長くなったため、この回は前後編の前半として締めくくられました。
まとめ
今回の家業兄弟では、AI時代に和紙の情緒的価値が見直される可能性から始まり、アトツギの成長を「自立」「制約」「正当性」の3つで整理しました。自立と制約を行き来しながら、自分なりに会社の歴史と向き合うことで、次の社長としての正当性が少しずつ積み上がっていくという考え方です。
- 何でも生み出せるAI時代には機能より情緒が残り、和紙に再びチャンスが来るかもしれない
- 自立に偏れば一人相撲になり、制約に偏れば新しい発想がなくなる。両者はスパイラル状に高め合う関係にある
- 制約も「意味があるから守る」と自分で選んでいるなら、それは自立的な向き合い方といえる
- 正当性(次の社長としての信頼感)は時間をかけて積み、失うのは一瞬なので、社内の取り組みは一歩一歩進める
- 親族という生得的正当性は下駄にすぎず、大きな決断には積み重ねた獲得的正当性が必要になる






