デザイン会社に9年、福岡で映画館。川崎陸さんとは何者か
この回の対話相手は、福岡在住の川崎陸さんです。川崎さんはデザイン会社Takramで、主にデジタルプロダクトを中心としたデザインの仕事をしています。
川崎さんのTakram在籍はおよそ9年になります。そのうえで、去年から福岡で映画館「YetCinemaClub」を立ち上げ、運営にも携わっています。
TAKRAM九年ぐらいいるんですけど、去年から(YetCinemaClubという)映画館を福岡に立ち上げまして、そこの運営もやってますっていう感じですね。
聞き手の井上さんは、今の会社を作ってまもなく10年になります。井上さんがTakramを知ったのは、出資を受けて経営していたIT企業を閉じ、今の会社を始めるまでの間だったといいます。
当時はITこそが最先端という空気がありました。その中で、開発会社ともデザイン会社とも言い切れないTakramのスタイルに、井上さんは強く憧れたそうです。
なんかTAKRAMにも九年所属してて、今福岡で映画館やってます。なんかかっこいいなと思って。
川崎さん自身には、そうした自覚はあまりないようです。ただ、Takramについては今でも「いい会社」だと感じていると話します。
川崎さんによれば、Takramはデザインエンジニアリング ── デザインと工学の両方を一人の作り手が横断し、構想から試作・実装までを一体で進めるものづくりの考え方。Takramの代表的なアプローチとして知られていますを掲げる、そもそもチャレンジングな会社です。代表の田川さんは、エンジニアでありながらデザインも手がけるという働き方を、30年ほど前から実践してきました。
振り子ってTAKRAMでは言うんですけど、複数の領域をまたがってやることで、新しい視点とか発想とか制作が可能になるという信念のもとやってるのがTAKRAMなので。
Takramの仕事は、世の中にあまり例のないプロジェクトが多く、川崎さんは「タフだけど楽しい」と表現します。最近はブランディングのようなわかりやすい案件もあり、メルカリのほか、ポケモンカードを手がけるクリーチャーズ ── ポケモン関連のゲームやカードなどの開発に携わる日本の企業。株式会社ポケモンの関連会社のひとつですのブランドリニューアルにも、川崎さんは3年ほどメイン寄りで関わっていました。
「Takramっぽくない」自分は、上品さという鎧をどう身につけたか
川崎さんは冒頭で、自分はTakramっぽくないので、Takramのポッドキャストにはあまり出ないと話していました。井上さんがその真意を尋ねると、川崎さんは個人的な見方だと断ったうえで、Takramは「上品」なのだと答えます。
オフィスだってさ、ジルサンダーの上にあるしさ。ルイヴィトンの横、ジルサンダーの上。
井上さんがTakramに「育ちの良さを感じる」と言うと、川崎さんも同意します。川崎さんは、その上品さがあるからこそ実現できている仕事も多いと見ています。
こういう複雑で先行きがわからない、着地も見えないプロジェクトを、タフにやり続けて、お客さんの信頼も勝ち取り続けてやっていくためには、
人間性っていうか、そのコミュニケーションによる信頼関係みたいなのが大事だから。
川崎さんの考えでは、大企業の経営者や中央の行政と仕事をするなら、なおさらその上品さが大事になります。一方で川崎さん自身には、その上品さは「ない」と言い切ります。
ただ、川崎さんは9年の間に、Takramらしい振る舞いを後から身につけたといいます。川崎さんはそれを「鎧」と呼びます。
(鎧は)後天的に。だからタクラムっぽく振る舞うこととかはできるし、別にいいお店だって入れる、もう。
タクラムに入るまで入れなかったお店に今は堂々と入れるし。そこのコードもわかるって感じ。
お行儀がよく美しい。表参道の高級ブランド店に並ぶオフィスで、経営者や行政との信頼関係を築く
本人いわく上品さは「ない」。入社後に振る舞いやコードを鎧として後天的に獲得した
入社当初のギャップについて、川崎さんは多少はあったものの「そういうもん」だと受け止めていました。そうした世界への憧れがあり、最初から自分をそちら側に寄せていったからです。
川崎さんの前職はGoodpatch ── UI/UXデザインを強みとする日本のデザイン会社。アプリやWebサービスのデザイン支援で知られていますで、入社して1年ほどでした。26歳のころ、プロジェクトが一段落したタイミングで、自分の経験を棚卸ししてポートフォリオにまとめ、腕試しのように人と話していたといいます。
っていう中でタクラムと話して、そう、内定って言われて。「あ、そうですか」みたいな。
コロナ禍で映画館を考え、福岡へ移った理由とは?
YetCinemaClubの構想を考え始めた時期は、コロナ禍のころ、つまり5〜6年前だと川崎さんは振り返ります。ただし、当初は映画館を「やりたい」と思っていたわけではありませんでした。
それこそコロナ禍で、あらゆる文化事業が逆境に立たされる中で、映画館の新しいモデルってなんかなくていいんだっけ?みたいなことを考え始めたのがそれぐらいかな。
同じころ、川崎さんは個人の体験から、福岡と東京の文化資本の格差も感じていました。東京一極集中への「飽き飽きした感じ」もあり、まずは引っ越そうと考えたのが3年前です。
引っ越しを後押ししたのは、フルリモートになったことでした。コロナ禍まではほぼ100%出社で、満員電車が本当に嫌いだった川崎さんは、表参道のオフィスに1本で通える下北沢の駅近に、高い家賃を払って住んでいたといいます。
出社義務がなくなり、家の更新のタイミングが来たとき、川崎さんは東京に住み続けることの意味を考え直します。
ここでまた東京に住んでたら、東京一極集中とか地方の文化資本格差とか、そういうことをまたこれからあと2年間東京から眺めることになるんだ俺はみたいなことを考えて。
自分がその課題だと思ってるとか、どうにかしなきゃいけないよねって言ってるくせに、自分は何もしないみたいな。この判断はしんどいなと思って。
こうして川崎さんは福岡に引っ越しました。井上さんがその行動を「熱い」と評すると、川崎さんは別の取材でディレクターから「熱量がないですよ」と言われたばかりだと笑います。
「東京に行けばいい」では済まない理由。運で得た恩恵を還元する
地方と都市の文化資本の格差には、「必要なら東京に行けばいい」という反論もあります。井上さんは、それでも川崎さんが「でもな」と思ったポイントを尋ねます。
川崎さんの答えは明確でした。Takramでの生活や仕事、報酬、経験値や人間関係が、自分の出発点からすると大きく「上振れた」という感覚があったといいます。
だって俺、小学校とかまともに行ってなかったし。中学校も結構なんかめっちゃ休んだなみたいな。
あの時点で結構人生、俺の人生は終わったというか、レールには乗れなかったんだなみたいな感覚があったんですよ。
川崎さんはその後、高校、大学に進み、就職もできました。必死に働いて転がった先がTakramで、「急に上等だぞ」「いい暮らしできちゃった」という感覚になったと振り返ります。
ただ、川崎さんはその幸せを、運が良かっただけのものだと捉えています。
自分の幸せのためだけに使うのはつまんないなと思って。この運で得た恩恵は何かしら還元せねばならんみたいな気持ちはありましたね。
井上さんが語る、抜けない貧しさのリアリティ
川崎さんの「恩恵を還元したい」という感覚に、井上さんは「めちゃくちゃわかる」と応じ、自身の生い立ちを語ります。井上さんは小学5年生のときに両親が離婚し、そこから初めて貧乏になったといいます。
井上さんの父親は会社員から自営業に転じ、飲食店などを営みましたが、うまくいかず借金も重なりました。子どもには感じさせないよう努めていたものの、母親がしんどくなって離婚に至ったそうです。
年末年始までに母親が、セールのタイミングで冷凍のお肉を溜め続けたやつを一気に食うみたいなのが、すごい1年間の楽しみみたいな感じになってた。
井上さんは高校卒業後に家を出て、飲食店を経てIT企業を起こしました。小樽近くの無人駅で店をやっていた生活から、六本木ヒルズ森タワーの38階にあるオフィスへ通う生活へと、景色が一変したといいます。
それでも井上さんには、地元や中高時代の感覚が「ずっと抜けない」のだそうです。MIMIGURI ── 組織開発や人材育成を手がける日本の企業。代表の一人である安斎勇樹さんは、学習やファシリテーションの研究者としても知られていますで働く友人とも、代表の安斎さんの育ちの良さを話題にしつつ、「地元に帰ると就職できていない人もいる」という現実をよく話すといいます。
そうじゃない生活やそうじゃない人たちの人生っていうのが、むしろそっちの方がたくさんあるかもしれない。
でもそうじゃない暮らしも間違いなくあるよねっていう前提を、なんか無視はできない感みたいな。
井上さんは、そうした暮らしが幸せかどうかはわからないとも付け加えています。そのうえで、存在を無視できないという感覚を、川崎さんの還元の話に重ねました。
文化資本は「ガチャ」なのか?自己責任論への違和感
川崎さんは、井上さんの「無視できない」という感覚に強くうなずきます。東京には映画館もライブハウスも美術館もあり、テレビの向こうの人がその辺にいる。川崎さんは東京の集中した資本から多くの恩恵を受けたと認めつつ、それが自分の地元にはなかったと振り返ります。
15年前の自分みたいな人はまた救われないまま、運がいいやつだけがそこから抜け出せていくみたいなのが、なんか、いいんすかそれでみたいな。
井上さんはこの状況を「勝ち取るゲーム」と表現します。勝ち取った人が良く、勝ち取れなかった人は仕方ないという空気に、井上さんは体質的になじめないといいます。
それは、そいつが頑張んなかったからじゃんとか、失敗した時に、「これ誰やったの?」とか俺すごい苦手なの。
川崎さんは、自分はどちらかといえば構造主義 ── 個人の意思よりも、社会や文化の背後にある構造が人の行動や考えを形づくると捉える思想の流れ。人類学者レヴィ=ストロースが代表的な論者ですに立ちがちだと話します。20代は社会学者ピエール・ブルデュー ── フランスの社会学者。家庭などから受け継がれる教養や趣味、振る舞いを「文化資本」と呼び、それが社会的な格差を再生産すると論じましたの著作に影響を受け、哲学者の国分功一郎さんの考えにも近いものを感じているといいます。
こうした立場から、川崎さんは自己責任には限界があると考えています。そして文化資本は、基本的に生まれで決まる「ガチャ」だと言います。
親がどれくらいお金があるとか、親がどういう趣味を持ってて、どういう教育方針で、教育にどれくらいお金をかけられる人で、かける意思があってとか、
親がどれくらいの経験を積んでて、どういう人間関係があってとかっていうところを受け継ぐのが基本だから。
川崎さんにとってYetCinemaClubは、このルールの外で救われない人のための試みです。家庭環境以外のところで文化資本を地域に埋め込むことが、映画館を運営する狙いだと語ります。
なぜ映画ではなく映画館なのか。「引力」と1通のDM
井上さんは、ストリーミングや図書館の普及で、本や映画といった作品に触れるだけならコストは限りなく下がっていると指摘します。そのうえで、川崎さんが「映画」ではなく「映画館」という場を選んだ理由を尋ねました。
川崎さんの答えは「引力」という一言でした。作品へのアクセスを広げるプラットフォームはビジネスとしても正しく、スケールもすると認めたうえで、それだけでは届かない人がいると話します。
映画見ない人って、その機会があっても映画見ないから。本読まない人って本あっても本読まないから、何も変わんないんだよね。
川崎さんによれば、プラットフォームの充実は、もともと本や映画に親しむ人をより楽しませるだけです。習慣がない人や最初の一歩を越えられない人には、あまり作用しないといいます。
作品へのアクセスのハードルを下げる。スケールするが、もともと見る人・読む人が多く楽しめるようになるだけ
通学路のチラシのように日常で目に入り、習慣がない人にも最初の一歩をつくる
井上さんは、子どもの頃から親に映画館へ連れて行かれる家庭や、家に本がたくさんある家庭で育つことが、その後の行動の出発点になっていると整理します。川崎さんも、通学路に映画館があるだけで、毎日チラシを目にしながら過ごすことになると応じました。
川崎さんは、作品とのすべての接点をYetCinemaClubで提供しようとは考えていません。最初の一歩さえ作れれば、その先は東京で映画を見てもいいし、配信で見てもいいといいます。
その「最初の一歩」が実際に起きた例として、川崎さんは前夜に届いたDMを紹介します。本を読むための店としてくず笛の営業をしていた日に、利用客から長文のメッセージが届いたのです。
DMには「私は活字が苦手で本が読めないんだと自分で思っていました」とありました。続けて「イェットシネマクラブさんでは眠くもならず飽きもせず集中して本を読むことができました」「今日1冊の本を読み終えることができました」とつづられていました。
人にね、本読まない人に本読ませるってすごいんだよね。こんなことが起きる。
井上さんは「鳥肌が立った」と反応し、川崎さんは「奇跡みたいなことがある」と喜びを語りました。
「マーケットになっていない人」に届けることは、なぜ面白いのか
DMの話を受けて、井上さんは自分の関心を説明します。YetCinemaClubの前の道を歩く人のうち、店に入らない人が「いつの間にか入ってしまう理由」を探すのが、井上さんの趣味だといいます。
そこに関心の眼鏡が生まれてしまってるっていう状態が生まれてるっていうのがすごく面白いと思ってて。
井上さんによれば、店に入らない人はビジネスの言葉でいえば「マーケット化していない」人です。自分たちが呼びたいターゲットではないため、通常は相手にされません。
だからこそ、本を読む場所が本を読まない人に向き合うことが面白いと井上さんは言います。それはビジネスとしては正しくなく、時間もかかりますが、限りなく必要なことだと考えています。
川崎さんはこの話に「わかった」と膝を打ちます。既存のマーケットで、関心がありお金を払える人にサービスを提供するのがビジネスの基本だと認めたうえで、川崎さんは別の考えを示しました。
俺はなんかそこを変えに来てるから。
関心がありお金を払える人に提供する。ビジネスとしては正しいが、世界は変わらない
時間がかかり、ビジネス的には正しくない。それでも関心が生まれる変化を起こせる
15席の映画館が、発信をInstagramだけに絞った理由
YetCinemaClubは最大でも15席ほどの小さな映画館です。ランニングコストを抑えているため、月に200人が来てくれれば成立する、というのが一つのラインだといいます。
川崎さんが考えたのは、その200人をどんな人で構成するかでした。ミニシアターは普通に運営すると、シニア層が多く集まります。
特に福岡は上の世代の人たちの方が映画の見方知ってるとか、ミニシアター的な場所で映画を見るっていうことに慣れてるし、お金と時間もあると。
2月にオープンし、2月と3月は普通に運営したところ、実際に上の世代が多く来たそうです。しかし文化資本や新しい映画の見方を広げるには、若い人に「自分たちの場所」だと思ってもらう必要があると川崎さんは考えました。
そこで川崎さんは4月ごろから大きく方針を変えます。本人が「劇薬」と呼ぶその手段は、発信をInstagramだけに絞ることでした。結果、若い人の割合は大きく増えたといいます。
この間ある人に言われた。「切り捨ててるよね」って言われた。否定はしない。
やっぱ未来のためにある場所だから、若い人の割合が増えて、若い人が自分の場所だって思えるような空気作りとかも含めて、コミュニティ作りも含めてやんなきゃいけないから。
川崎さんは、YetCinemaClubという名前も含めて、最初から「みんなのための場所」を目指してはいないと話します。
2月・3月は普通に運営し、映画の見方を知るシニア層が多く来場
4月ごろから発信をInstagramだけに絞り、若い人の割合が大きく増加
井上さんは、これを「順番」の問題としても捉えます。若い人が先に集まった土壌に後から入ってくるシニアは、思想として若い人たちだろうという見立てです。川崎さんも、場の純度を高めるための判断だったと応じます。
ただし、若い人だけでは十分なマーケットがないという現実もあります。川崎さんはこの取り組みを、土を耕して土壌を作っていくことだと説明します。
ミニシアターで映画見るのって面白いよね、かっこいいよねみたいな。あの場所にいる人たちってなんか気のいい感じがするよねみたいな、そういうムードを作っていく。
シネコン以外で映画を見る最初の体験を、この場で味わってもらう。そうしたムードづくりは時間がかかり、川崎さんは10年単位の取り組みになるだろうと見ています。
文化を育てることと市場を広げることは、なぜ一致するのか
井上さんは、川崎さんの取り組みを「スタイルを新しく作る」ことだと受け止めます。本や映画に関心のなかった人が、場を通じて「映画って実は面白い」と気づく価値観の変容は、既存のマーケットに何かを当てはめ続けるだけでは起きないと整理しました。
それこそ昨日DM送ってくれた人じゃないけど、「自分本読めないと思ってたけど読めるんじゃん」とか、「本読むのおもろ」とかっていう、その最初の体験をしてもらえる場所であり、
もちろん豊かな鑑賞体験を継続していける場所であれるのが理想かなと思ってる。
そのためには場を絞り、クラブ的な場所にしていく必要があると川崎さんは話します。井上さんは、稼ぐことだけを考える人には川崎さんの考えは理解しにくいだろうと言い、川崎さんも「映画館なんか儲かんないからね、まず」と応じます。
事業の継続と場の純度のあいだには、せめぎ合いがあるように見えます。それでも川崎さんは、YetCinemaClubにとってはむしろわかりやすい構図だと語ります。
若い新しい人に、本を読む楽しさとか、映画見るの面白いじゃんって思ってもらうっていう文化的なところと、その市場を少しずつ広げていくみたいなことっていうのは、一致してるから。
井上さんはこれを受けて、変化していく人たちがそのまま市場の広がりになると整理しました。歩み方が既存のやり方と違うだけで、足元を積み上げることと事業の成長はつながっているという見方です。
場をつくる
若い人が自分の場所だと思える映画館を絞り込んでつくる
最初の体験
本や映画に縁のなかった人が「読める」「面白い」と気づく
習慣になる
ミニシアターで映画を見ることがかっこいいというムードが育つ
市場が広がる
変化した人が増えること自体が、映画館の市場の広がりになる
収録の最後に、井上さんは「映画館の次に何を作るのか」を聞きたいと切り出しました。川崎さんは「明確にある」と答え、その話は次の機会に持ち越されています。
まとめ
川崎陸さんがYetCinemaClubで取り組んでいるのは、生まれで決まりがちな文化資本を、家庭環境以外の場所で地域に埋め込むことです。作品へのアクセスを増やすだけでは届かない人に向けて、場の引力で最初の一歩をつくり、それを10年単位で市場の広がりにつなげようとしています。
- 川崎さんは、Takramで得た経験や暮らしを「運で得た恩恵」と捉え、地域に還元したいと考えて福岡へ移り住んだ
- 文化資本は家庭環境や生まれた街でほぼ決まる「ガチャ」であり、自己責任には限界があるというのが川崎さんの立場
- 配信や図書館では、本や映画に触れる習慣のない人は変わらない。映画館という場の「引力」が最初の一歩をつくる
- 発信をInstagramだけに絞り、若い人が自分の場所と思える土壌を耕すことを優先している
- マーケットになっていない人の変化を積み上げることが、文化の醸成と市場の拡大を両立させるという見方で二人は一致した





