模擬内閣で「日本必敗」が出た映画『開戦前夜』とは
この回は、映画『開戦前夜』を観たふたりの感想会です。酒井さんと島田さんは、それぞれ別々に映画館へ足を運んでいました。
『開戦前夜』は、もともとNHKで放送されたドキュメンタリーとドラマがあり、そのドラマ部分を再編集して2026年7月末ごろから上映された作品だと紹介されています。
映画の舞台は1941年、12月8日の日米開戦の前です。アメリカと戦うために日本が置かれている現状や、考えられるシナリオを分析するため、各分野のエリートが集められます。
集められたのは平均年齢が30前半ほどの30数人。当時の近衛文麿内閣を模した模擬内閣を組み、内閣総理大臣直轄の研究所で研究を進めた、という設定です。
映画の中では、この若きエリートたちが「こんな戦争は勝てるわけがない」と言い続けます。彼らは当時の軍人たち、そして陸軍大臣の東條英機と近衛文麿の前でプレゼンを行いました。
プレゼンの中身は、アメリカと日本の国力差を定量的に分析し、このままでは絶対に負けるという内容を滔々と語るものでした。しかし結果はご存じのとおりです。
1941年12月8日に真珠湾攻撃とマレー半島への侵攻が始まり、日米開戦へと突入します。そして1945年8月15日に終戦。開戦から約3年8か月で、とんでもない結果に終わったと酒井さんは振り返ります。
この回は、その映画を観たふたりが、気になったポイントを先攻・後攻で一つずつ出し合う「ちいかわ方式」の感想会として進みます。
大和魂とヤンキー魂、目に見えない「無形資産」
酒井さんが最初に挙げたのは、映画の中のあるセリフです。若きエリートの一人が「日本には大和魂がある」と言ったのに対し、別の登場人物が返した言葉が印象に残ったと言います。
「日本には大和魂があるんです」みたいなこと言った後に、「アメリカだってヤンキー魂があるんだ」って言って。
酒井さんはここから、仕事の話に引きつけて考えます。軍事力は目に見えますが、魂やモチベーション、意志といった部分は目に見えません。
そうした指揮官のモチベーションや意志を、酒井さんは目に見えない無形資産として捉え、評価しづらいものだと指摘します。
全部定量的に、(アメリカが)一対二十、二十倍の国力を持ってますって話もあるけど、そこに魂が乗っかると、どうなんだろうな。
国力差を数字で表しても、そこに士気や魂という無形の要素が乗ると、単純な計算どおりにはいかないのではないか、という問いです。島田さんも、士気の問題はどんな分野でも出てくる論点だと応じました。
地図の左右が混在?細部から見える「檻の中の自由」
島田さんが最初に挙げたのは、かなり細かい点でした。映画で地図を広げる場面の、文字の表記の向きが気になったと言います。
ソビエトとかオーストラリアは右から左だったんだけど、(仏印などの)南方、インドシナは普通に左から右だったんだよね。
一枚の地図の中で右書きと左書きが混在していたことが気になり、島田さんは調べたそうです。その結果、当時は混在していても問題はなかったらしい、という結論だったと話します。
島田さんは、こうした細部が気になる理由を、混在していると読みづらさが際立つからだと説明します。酒井さんは、途中で描く人が変わったのかもしれないと冗談まじりに受け止めました。
続いて島田さんが挙げたのは、総力戦研究所に集められたメンバーの偏りです。部屋に入るときの名札に、所属・名前・出身校が書かれていた点に注目します。
軍人は置いといて、他は全部東京帝国大学しかいなかったのが、なんかすごい偏りが気になる。
島田さんは、当時すでに京都帝国大学もあったのだから、そこから人材を呼んでもよかったはずだと指摘します。ただし、これが史実どおりの構成なのかは分からないとも断っています。
ここから話は組織の多様性へと広がります。ただし酒井さんは、映画で描かれた顔ぶれ自体は、日本郵船や新日鉄、農業関連の金融機関など、当時としては多様な方だったのではないかとも見ています。
一方で酒井さんが引っかかったのは、その研究所の「自由さ」でした。上のお偉い方がずっと見ている中で意見を出すという状況を、酒井さんは矛盾したものだと感じます。
すでに「開戦するしかない」という空気がある中で、「でもできません」という結論を出させる。酒井さんは、これを檻の中の自由と表現しました。
一瞬自由に見える空間も全く自由がないっていう、檻の中の自由っていう。
酒井さんは、これを会社の場面にも重ねます。「自由にやっていい」「新しい事業を考えていい」と言われても、少しはみ出すと「そこまでは言っていない」と上から潰される、という経験です。
その面接、服装自由みたいなやつだよね。
島田さんは、面接の「服装自由」や飲み会の「無礼講」を例に挙げ、そういうときこそ一段と警戒して空気を読まなければならない、というややこしさを指摘しました。
酒井さんは、この同調圧力を日本的なものと思いたい一方で、海外の外資系でも同じような空気を読む必要があるのではないか、とも話しています。
「きっとこう思っている」の連鎖が生む意思決定
続いて酒井さんが挙げたのは、空気の正体についての考えです。映画そのものがそうだと言い切るわけではないと前置きしつつ、会社でよく見る光景に重ねます。
酒井さんが問題視するのは、誰かがこう思っているだろうと勝手に想像し、自分で考えていない人が集まったときに起きることです。
「あの人はああ考えてるんじゃないかな。言ってないけど、きっとそうだろう」ってAさんが思った時に、Bさんも別の人のことを考えて、「Aさんってこう思ってるんだろうな」っていうのが蔓延して。
こうした憶測の連鎖が広がると、まともな事実や客観的な判断ができなくなるのではないか、というのが酒井さんの見立てです。
もう一つ酒井さんが思い出したのは、映画の中で石油や船舶数、国力差といった要素をすべて数字で計算していた点です。今でこそ数字での分析は当たり前ですが、当時はそれすら難しかったのではないかと考えます。
ネットも公的な情報もない時代に、正確な情報を集めること自体が大変だったはずだ、と酒井さんは指摘します。国力の差といった初歩的な把握すら、簡単ではなかったのではないか、という視点です。
島田さんは、これに関連して軍人の教育の話を持ち出します。陸軍士官学校などの図上演習では、あらかじめ状況が与えられた形からシミュレーションを始めるのが基本だったと聞いた記憶があると言います。
その手前の段階の情報収集とかを少し軽視するというか、そういうような話をどこかで耳に挟んだような。
ゼロから情報を取ってきて判断するのではなく、ある程度与えられた状況から演習を始める習慣があったのではないか、という推測です。ただし島田さんは、細かい点で不確かだとも断っています。
ふたりは、正確な情報が組織内で共有されていなかった可能性にも触れます。特に石油の備蓄量は機密情報だったはずで、映画でその数字が簡単に持ち出される場面には驚いたと話しました。
忖度が一番上まで届くと、出口がなくなる
島田さんが「盛り切れない」と話すほど話題は尽きませんが、酒井さんが空気と忖度の話をさらに掘り下げます。手がかりは、映画で描かれた東條英機の姿でした。
映画では、みんなが最初は東條英機を怖がっていましたが、その東條英機自身もプレッシャーを感じている場面が描かれていたと酒井さんは振り返ります。
ここから酒井さんは、忖度が行き着く先を考えます。下の人が上の顔色をうかがう。ではその忖度が一番上まで届いたら、どうなるのか、という問いです。
今度一番上まで来たら、今度世論、民衆を気遣うようになって無限ループになるのかなとか。
一番上まで来ると、今度は世論という「一番下」を気にするようになる。こうしてループが完成してしまい、出口がなくなるのではないか、と酒井さんは考えます。
では突破口はどこにあるのか。酒井さんは、上に立つ人が勇気を身につけるしかないと述べます。お金やメンツ、ポジションが危うくなっても、決定権のある人がどこかでやめる判断をするしかない、という話です。
ここで島田さんは、企業とは決定的に違う点を指摘します。それが、過去に払ったコストをめぐる問題です。
島田さんは、お金なら究極的には割り切れるとしても、戦争ではすでに人が死んでいる点が重いと話します。
酒井さんも、映画で東條英機が満州で亡くなった何十万もの同胞、英霊たちに何と言うのかと語っていた場面を挙げ、これが企業とは違うところだと同意しました。
島田さんは、当時はメンツでしか生きていなかっただろうとも述べます。過去に積み上げた犠牲とメンツが、引き返す判断を一層難しくしていたのではないか、という見方です。
空気に屈しないために必要なのは「勇気」と「教養」
上に立つ人が勇気を持つとして、では民衆の側は何ができるのか。酒井さんは、角度を変えてこの問いに答えます。
酒井さんは、大衆が扇動されることが問題だと捉えます。だからこそ、自分の頭で考える力を身につけていくしかない、という結論です。
島田さんも、マスメディアのコントロールに抗うことや、他の人と違う意見を言うことの難しさを認めます。そのうえで、空気の正体を同調圧力と結びつけました。
空気の正体、同調圧力だって話もね、あの、実験のやつあったと思うけど。
島田さんは、そうした同調圧力に屈しないよう、「なんかおかしいんじゃないの」と考える力を身につけていかなければならないと話します。
一方で酒井さんは、なぜ人は明らかな負けを受け止められないのか、という点にひっかかりを覚えます。何を事実とするかは難しいものの、ほぼ9割以上負けると分かった状況ですら、それを受け止められないのはなぜかという問いです。
酒井さんは、これを楽観的とも事実誤認とも違うと感じ、うまく言葉にできないと言います。仕事でも、明らかに無理だと分かっていても見て見ぬふりをしてやり続ける場面があるからです。
この問いに、精神科医の島田さんが応じます。極限の精神状態では、通常なら考えられることが考えられなくなるのではないか、という視点です。
抑うつ状態の時って、通常で考えれるようなことが、ちょっとうまく考えれなく、頭回んなくなっちゃう、思考停止ってなってくるのもある。
島田さんは、プレッシャーで追い詰められると、他に助けを求めるとか、いったん中断するというオプションが取れなくなり、ひたすらやるしかない状態になると説明します。
酒井さんも、中断しようとすればまた文句を言ってくる人たちがいると応じます。阻害要因が多く、一気には解決できない問題だと、ふたりは受け止めました。
「戦うべき時に戦ったか」東條英機のもう一つの理屈
島田さんは、映画の東條英機について、もう一つ気になったセリフを挙げます。全体としては悪く描かれていると感じつつ、唯一引っかかった言葉があったと言います。
「戦うべき時に戦ったかどうかっていうのは大事」みたいなことを、主旨として言ってた。
島田さんは、これを踏まえ、開戦は単に空気に押されただけではなかったのかもしれないと考えます。破滅が見えていてもなお戦う理由の一つに、こうした意識があったのではないか、という見方です。
島田さんの解釈では、それは戦後処理の問題にとどまらず、後世や民族としての扱いにまで関わる話です。「戦うべき時に逃げた」と、その世代が死んだ後もずっと言われ続けることを避けようとした可能性、という推測でした。
酒井さんは、これを起業の話に重ねます。「起業しなかった後悔の方が大きいから起業しろ」という言い回しに近いかもしれない、と例えつつ、自分はそうは思わないとも付け加えました。
ただしふたりは、こうした「一撃講和」の発想には慎重です。それが正しかったかもしれないとしても、さすがに厳しいだろうし、後知恵かもしれないと確認し合いました。
最後に酒井さんは、この映画で仲野親子の共演が好きだったと語ります。中野英雄さんと、新聞記者役を演じた仲野太賀さんの親子共演に注目していたと話し、感想会を締めくくりました。
なお、悪についての話とも関連するため、続きはパート2で扱う予定だと酒井さんは述べています。
まとめ
映画『開戦前夜』を入口に、負けが見えていても引き返せない組織の空気を、ふたりは現代の会社や組織に重ねて語り合いました。忖度の連鎖、檻の中の自由、サンクコストといったキーワードから、空気に屈しないためには何が必要かへと話は着地します。
- 総力戦研究所の「日本必敗」の結論は、時代の空気に飲み込まれて開戦へと至った
- 軍事力は数字で見えても、士気や魂といった無形の要素は評価しづらいという視点が示された
- 「自由にやっていい」と言われても潰される「檻の中の自由」や、憶測の連鎖が意思決定を歪める
- すでに人が死んでいるというサンクコストとメンツが、引き返す判断を一層難しくした
- 空気に屈しないためには、上には引き返す勇気が、民衆には自分の頭で考える教養が必要だと語られた




