大工が1月17日まで休む理由は「山の神」
番組の冒頭で天野さんは、昔の大工が小正月まで仕事を休み、各地の山の神 ── 山の恵みや山仕事の安全をつかさどる神。林業や大工など、山に関わる仕事の人々に古くから信仰されてきましたにお参りする習わしを紹介します。週休2日制にしたことで、天野さんは久しぶりに山の神へ参拝したそうです。
天野さん、いい家ってなんですか。
この番組は山梨で家を作り続ける大工、天野保建築の天野洋平が、図面や性能だけでは語りきれない家づくりの暮らしの本音を語るポッドキャストです。
いい家とは何か、暮らしとは何か、そして大工という仕事は今の時代にどんな意味を持つのか。現場で培った経験、施主との対話、日々の暮らしの中で感じていることを、肩肘張らずに言葉にしていきます。
こんにちは。天野保建築の天野洋平です。
昔の大工さんは、1月の17日、小正月までよく休むんですけれども。1月の17日まで休むっていうのが、各地元に山の神っていう神社があるんですけれども。
そこに、山に携わる仕事の人たちはお参り、参拝をしてやるっていうのが、この大工さんの世界であるあるなんですね。
最近はちょっと仕事の工期やら何やらが忙しくて、そこ(山の神)にお参り行ってなかったんですけども。
自分の代にもなって、最近会社では週休2日制にしてるんで、それも含めて時間が取れたんで、久しぶりにその山の神に行ってきました。
今日もですね、私の聞き手っていうか、相棒といいますか、紹介したいと思います。高橋かずえさんです。
相棒の高橋かずえです。住宅ライターをやってます。天野さん、今日もよろしくお願いします。
山の神と浅間さん、「浮気」はよくない?
天野さんは山の神様に行く時は、どこの神社にお参りするんですか?
この富士吉田市でも、1、2、3、4か所ぐらい(山の神が)あるのかな。
そんなにあるんですか。
僕の母校の吉田小学校の近くにも山の神があって、吉田の方にも山の神があって。で、3つか。
山ノ神っていうところがあって、最近ですとインスタとかTikTokとかのショート動画やリールでよく流れてくるんですけど、結構パワースポットとして有名なところですね。
行ってもらうと本当にいいとこですけど。鳥居が、いっぱい立ってまして。
天野さんは、地元の北口本宮冨士浅間神社 ── 富士吉田市にある神社で、富士山の吉田口登山道の起点。木花開耶姫命を祀り、夏の終わりの吉田の火祭りでも知られますで世話人を務めていることから、他の神社へのお参りには少し遠慮があると話します。
僕自身は、この神社の話になると、地元に北口本宮冨士浅間神社っていうのがあって。で、僕はそこの、地元の人はよく知ってる世話人っていう役をやらさせてもらって。
1年間その神社に奉仕をしてっていうところがあって。自分の中では一番のメインの神社は北口本宮浅間さんだよっていうところがあって。なんか浮気すると良くないかなみたいな。
あんまりあちこちにパンパンってしても良くないかなっていうのがあって、(山の神には)さらっとして。
でも、うちの奥さんにはグッズで、カードがあるんですね。金運の貯まる財布に忍ばしとけばいいんじゃないのって言って、うちの奥さんが今忍ばせてるカードがありますけど。
私(そのカード)持ってますよ。持ってます。
これを1500円の。自分も買えばよかったかなと思いながら。
すっごいあれですね、お金持ちになれそうなゴールドカードなんですよ。
でも神様が違いますよね。浅間さんはコノハナサクヤヒメで、山の神様は。何だろうな、あそこの神様。
大國さんだ。
なんか大黒天みたいなのいますよね。商売の神様が。浮気じゃない、浮気じゃない。八百万に拝みましょう。
仕事をしていると祟られる?山の神のお参り
昔から山に関わる方は、1月と、何月だっけ?もう行かなすぎて忘れてるんですけど、夏の時期にもう1回(お参りがある)。
その時に仕事してると、祟られるじゃないけど、ダメだよって。
そうなんですか。
(お参りの日は)どんなことあっても仕事を休んでお参り行くもんだよって言われてるんですよね。実際はそれ信じればなんとやらなんで、あんまりそんなことはないんですけど。
本当に日本全国から、お金持ちになりたい人が(山の神に来ますよね)。
いっぱいいますよ。昨日も県外の車が。
そうそう、みんなね、ナンバー見るんですよね。名古屋ナンバーとか、遠くから今日も来てるなみたいな感じで。
で、私は山神社で、いつも1000円札でお賽銭するんですけど、多分効くなと思ってるから。そう、多めに入れるんですけど。
下の天野さんのモデルルームの近くにお宮が1つあって、あと富士山の2合目に奥宮があって、そこはもうちょっと神聖な感じで。
そこにだから鳥居を奉納してる人も多いかな。でも昔あんなに鳥居いっぱいなかった。
なかったなかった。
稲荷神社、まではないけど、それに近い。
そうです、そうです。
浅間神社には毎年1万円、そして火祭りの大松明
でも僕が浅間神社で、毎年7月の、まあ初詣に行く時は、僕は1万円を握りしめて。
え、浅間神社1万円!え、1万円は出せないなぁ。
1万円を。
今年もお願いします。
もうそっから増えもしないし、減らしも。減らしたらなんかまた怖いじゃないですか。
あー、減らせないですね。
まあ別に、ぶれると良くないかなと思って。
じゃあ本命は、サクヤヒメ。
毎年毎年、8月に富士山の山じまいのお祭り、火祭りですね、があって、その時に御神輿も担ぎに行くんで。
ずっと(御神輿を)担いでるんですか?
ずっと担いでますね。もうかれこれ何年だろう。20年ぐらいかな。
天野さん、絶対来てほしいですもん。だって力持ちですよ。
御神輿が担ぎ出されるまで、地元の来る方は少ないじゃないですか。大体、屋台が出てから。
松明が大松明っていってですね、意味合い的には、山を登る人たちに、もう山のシーズン終わったからって合図を送ってるんですよね。富士山にいる方たちに。
あ、そういう合図なんですか。へー。
山じまいですよと。下りてきなさーいって。
えー、知らなかった。
知ってたらすいません。そういう意味合いで、上にいる売店とか山小屋の方たちがそれを見て、山じまいをしてくるっていう、それが一番かな。
あとは当然、神様が地元にあるってきてっていうのが、一番はそれだと思いますけどね。
で、山じまいが8月の26。
26ですよね。
の26、27にある、それが山じまい。
すごい。そうやって、あちこち2つの神様を。面白い。
浮気じゃないけど、浮気しないように。
仕事がない冬、コンビニや魚屋でアルバイト
ここから高橋さんは「それでも辞めなかった理由」をテーマに、天野さんの大工としての歩みを聞いていきます。
ちょっと今日は現実に戻って、少しリアルな話を聞いていきたいかなと思います。タイトルとしては「それでも辞めなかった理由」として、話を聞いていこうと思うんですけど。
今、天野さん、大工さんになって何年目なんですか?
大学卒業して、22で卒業して、そのまんま最初はアルバイト感覚で仕事をやってたんで、22だから今48なんで、24年?あ、違うわ、26年。
じゃあもう四半世紀。
今はありがたく、ご指名いただいたりしてもらってますけど、当初は本当に仕事が全然なかったので、ずっとしんどかった。
ずっとしんどかった。その中でも、しんどいなって思ってた時期っていつくらいなんですか?
仕事のあるなしでいうと、結局、親のもとで修業してまして。先代の父に仕事を教わりながらいろいろやってたんですけど、先代の父は下請け大工だったので。
周りの仕事仲間の大工さんからは、「そこの父親、腕いいよ、いいよ」「見習って頑張れ」みたいな感じで言ってもらってたんですけど。
実際の事業としては、就職氷河期とかそういったのも相まって、仕事が全然なかったんですよね。
最初やった時は年間通して(仕事が)あったんですけど、翌年からぐらいかな。本当に冬になると仕事がぱっつりなくなってしまうっていう。
その1ヶ月、2ヶ月ぐらい、僕の場合はバイトして食いつなぐとか。コンビニバイトしたり、週5で入ってやってたか。
バイトがない時は、石材屋さんで仕事したりとか、魚屋さんで、お正月の暮れにバイトさせてもらったり。
えー、どれも似合う気がしてきた。
お金的にしんどかったわけじゃないんですけど、このままどうしようかなって思った精神的な時で、そのしんどさが一番しんどかったかな。
でも、いろいろやったからこそ、大工さんの良さも見えてきてそうですよね。
そうですね。バイトさせてもらった方で、熱いものを持ってる方とかもいたんで、経営的な考え方とか、見習うべきところもあったりとか。
仕事の仲間のところに、お手伝いで仕事行かさせてもらったりもしてはいたんですけど、そういった面ではしんどかったですね。
ただ、今ある事業体でいうと、今は順調に、なんとかかんとかやらせてもらってるんですけど、今ある形になるまでが、別の意味でしんどかったですね。
お客さんが来ていただいてっていう、その流れを作るというか、そういった意味ではきつかったかな。事業的なところで。
元請けに必要なのは「全工事」の知識
どうやって思い切って、仕事の構造みたいなとこですよね。受注の構造をどうやって変えていったんですか?
一大工さんが仕事を一棟請け負えるかっていうと、請け負えなくはないんですけど、やっぱりある程度ハードルはあるんですよね。
住宅を作る上での全工事に対しての知識とか、当然なくちゃいけないし。何かあったら協力してくれる業者さんがいるんで、僕も頼むんですけど。
「こういった工事するとこういう事例で悪いところあるよ」みたいな、そこはちゃんと知っていないと対処方法もできないし。
知識的にいうと、本当に大工工事だけじゃなくて、その他の工事のことも全部知らなくちゃいけないし。
その他っていうのは設備とか。
電気とか屋根、屋根板金であったり、基礎工事であったりとか。家1軒作るのに必要な職能の、そういったところを知らないとできないし。
こういうやり方でやっていきたいよっていう思いがあっても言えないですよね。
任せるっていうのもいいんですけど、結局何か不備があった時にお客さんに対して「俺やってないから、あの業者さん連れてくるから」って、まあ信用の問題ですよね。
善し悪しの判別がつかないってことですね。
下請け業者さんの責任だよっていうつもりはないんですけど、そういうふうな感じにしちゃうと、お客さんが結局信用してくれないよねっていう。
当然、全部の取りまとめ(の責任)があるんで、そういったところをちゃんと理解しないと、工務店業ができないよっていうか。
確かに。
そういうところがあって、予備知識じゃないですけど、いろいろ勉強しながらですけど、当然やっぱり知らないことも多いんで。
ただ、大工さんは全工程を必ずしも見てるわけじゃないですけど、(見て)たりもするんで、そういったところは大工やっててよかったかなみたいなところはありますけどね。
「これだったら俺でも図面書けんじゃねーの?」
下請けから今、元請けでやってらっしゃるじゃないですか。それはどういう意識の変化があって。結構そこってハードル高いと思うんですよね。
ですね。一番は、こんなこと言うと怒られちゃうんですけど、かっこいい家とか、それがいいよなってみんな思ってるわけじゃないですか。
このデザイン程度だったら、俺自分もできるよなって思った。
で、結局は時代の背景に左右されがちなんで、仕事としてちゃんと生業にするには、腕一本じゃ。
安定は。
安定がなかったんで、安定するのには元請けした方がいいよなと。ただ元請けは、そういった意味でリスクがすごい高い。
ただ、そのためにいろいろ勉強して、自分の仕事に誇りを持ってこうやってるわけなんですけど。
一番のきっかけは多分そこかな。「これだったら俺でも図面書けんじゃねーの?」ぐらいの。
そういうノリだったんですか。
そういうノリですよ、本当に。ノリっていうか、「俺でもできるよね」みたいな。
前も話したかな、図工とか。図面っていうよりも、図工、工作、あと絵を描くの。
絵画?
絵画的な、小学校の授業で、好きだったんですよね。そういったのもあったのかなとは思うんですけど。
『ビルダーズ』と西方里見さん、伊礼智さんとの出会い
天野さんが元請けへ向かう原点になったのが、エクスナレッジ ── 建築・住宅分野の専門書や雑誌を多く出版している出版社ですの『ビルダーズ』でした。天野さんは創刊号からの愛読者で、建築家の西方里見さんや伊礼智さんの特集に影響を受けたと語ります。
一番最初に、本当に、エクスナレッジの『ビルダーズ』の本で勉強したのがきっかけなんですよね。
ビルダーズがあったから、西方先生特集もあったりとか。温熱的なところとかは、西方先生すげえなって。
当時は「こんなに300ミリも断熱材入れるなんて誰がやるんだよ」って思って、まあ今普通にやってますけど。
デザイン的なところは、本当に伊礼さんのとかを見て好きだったんで。
空間味わったことないけど、紙面でしか見たことないけど、こんな素敵な空間作れたらいいよなって。
その時ばかりは「俺にもできる」っては思わなかったですけど、見てていいな、見てみたいなっていうところと。
こういうのが紹介されてるんで、このビルダーズの本を読んでれば、何か勉強できるところあるかなみたいなところもあって。それが今に至るきっかけっていうきっかけ。
大体10年ぐらい前の話ですか。
ぐらい前ですね。10年ぐらい前に悶々としながら、ビルダーズは最初の方から愛読してたんで。
紀藤さんが編集長になって15、6年って言ってましたっけ。
多分そのぐらいになるのかな。初版第1号から見て。
あ、そうだったんですね。もう紀藤さん泣いちゃいますよ、きっと。
媒体として読みやすかったっていうのが。足りなかった法規であったりとか、そういったものも読みやすかったんですよね。こういったところ勉強してみたいなって。
デザインのことであったりとか、事例とかもわかりやすくあったんで、取り入れるものは自社に取り入れようみたいな感じで勉強してました。
実物を見て気づいた「無意味に大きい」家
で、どんどん目が肥えていったんですね、きっと。
目が肥えたところは、どちらかっていうと、西方先生のところ(秋田)に行って、実物を見せていただいたりとか。
草屋根の家ですか。
そう、アトリエですね。
素敵ですよね。
ホテルないからって相談したら、(西方先生の)ご自宅に泊まらせてもらったりとか。
そうだったんですね。
あと、もっと憧れてた伊礼さんの事例も、別のところで見せてもらったりとか。
そうすると、紙面で見るより、実物を見て体感するのだと、これ全然違うなっていうところですね。大きさとかスケール感もわからないですね。
ああ、確かに確かに。
見ると、その大きさがなんか可愛らしいっていうか。自分が今まで作ってるのは本当に大きいって。
規模も大きかったんですけど、なんか無意味に大きいんですよ。佇まいが悪いっていうか、本当にポツーン、ポツンとっていうか、表現が難しいですけど。
いい住宅っていうか、いいなっていうところがあって。そういうのは、自分の設計のルール的にはなかったんで。
建築家の先生たちは、街との兼ね合いとか、すごいよく見てるじゃないですか。
景観に馴染む家とか、そういう視点でお家のデザインするんだなっていうのは、本当に私もここ最近知った価値観でした。
見学で見るのは「納まり」から「窓の景色」へ
工務店の人たちって、よくお家を見学し合うじゃないですか。あれってどういうところを見に行くんですか?
僕の場合は、見てみたいなっていう工務店さんのところになるべく行こうっていうか。自分の作ってる家づくりに近い人のところを、今見に行ってることが多いかな。
同じ趣味嗜好っていうか。
行って何を見るんですか?納まりとか。
ああ、そうですね。納まりであったりとか。当時は見に行っても納まりしか見てなくて。納まりを見てる人って少ないんですよね。
細かいところ、大工さんの技術がどうなのみたいな。留めっていう納まりがあって、留めがぴったりくっついてるかなみたいな、そんな変なところ見てたんですけど。
今はそういうところはあんまり見てないですね。全体的に、窓からどういった景色が見えるのかとか、そういったところを見るように。
昔は、家の間取りで一部屋あったら、部屋の真ん中に窓を置いてみたいなところがあったんですけど。
いろんな現場に行くと、窓が間取りのど真ん中にあるっていう事例がほとんどないんですよね。
ああ、そうなんですね。
入り隅っていうところに対して壁があったりとか、そういう見せ方というか、そういうことをされてるんですよね。
家を作った時に、他人の家の壁を見るよりは景色を見ていたいっていう当然のあれがあるんですけど、これだけ田舎だと、そういったところ(視線の抜け)がある場合とない場合があるんで。
距離がね。
距離が十分あるので、庭木もよくやってるので、景色と、あと富士山を見てみたいなところがあるんですけど、僕の場合、予備知識が何にもなかったんで。
隣との距離感とか関係なく、デザイン的にかっこよければいいだろうぐらいの話でやってたんですけど、評価される軸ではなかったりとか。
もう少し根本的に考えることによって磨いてきた方、伊礼さんの仲間などのところに行っても、そういうところをどういった形にしてやってるのかなみたいのは(見ます)。
もちろん大工なんで、納まり的なところ、細かい技術的なところ、どういうふうにしてるんだろうみたいな。
そもそも「納まり」って何ですか?
リスナーの方は、納まりとは何なんだろうって、きっと思ってるかもしれないです。納まりって何ですか?
納まりは、どういうあれになるんですかね。人によってはディテールって言うんですか?
窓1つの収め方でもいろんな納まり、施工する形、図面って言った方がいいですかね。こういった形で綺麗に見せよう、すっきりさせようっていうところがあるんで、それを納まりと言うんですけれども。
天野さんは例として、自社で使うモイス ── 無機質の素材を主原料とする壁材。調湿性や防火性があり、耐力面材として住宅の壁に使われますを真壁で納める工夫を挙げます。
うちの場合、今やってる住宅になると、だいぶ納まりにもこだわってやってきたりとか。例えば、うちはモイスっていう建材を使って、高気密高断熱の新しい真壁の納まりとして収めているわけなんですね。
モイスを柱と柱の間に真壁で収めるので、通常塗り壁とかだと隙間なくぴったり収めるんですけど、それが施工者側からすると大変なんで。
隣に4ミリほどの隙間があるんですけれども、それをあえてデザイン的にも見せて、そういうふうに収めてるんですよね。そういったところ全般的に、納まりの良し悪しってよく言いますけど。
「富士吉田の住宅は富士山を汚してる」
納まりについては、細かいディテールなんですね。なるほど、わかりました。仕事観っていうところでいくと、今どういう観点を大事に家づくりをしてるんですか?
やっぱり建物はお客様のものでもあるんですけれども、最近自分の自宅を作った時もそうですけど、思うのは、やっぱり地域に対してのものでもある。
特に富士山が世界遺産、文化遺産になって、一番言われてショックっていうか、現実として受け止めたのが、ある方に言われたんですね。
「この富士吉田市の住宅は本当に富士山を汚してる」と。
えー。
って言われた時に、そういう思いが(自分の中にも)片隅にあったので。
地域の景観を守るためにも、富士吉田の場合は富士山に合う景観に沿ったものを建てていくっていうことは、建築をする上での使命としては必要だよなと。
でも建物は、結局もう1つお客さんのものでもあるんで、長く住み続けられるような、ちゃんと資産価値があるようなものを作っていかないといけないよなっていう。
そういった思いと価値観に合うお客さんが、今来ていただいてるっていうところはありますけど。
「パパが作った家だよ」と子どもが誇れる家
地域に合った家づくりっていう価値観、なかなか(広まるのに)時間かかりそうですね。
どちらかっていうと、お客さんは「うちの家づくりが好きだ」っていう方が来てくれてると思うんで、それはそれでいいのかなみたいな。
ただ工務店の生業をしてる身からすると、景観に合うっていろいろあるわけじゃないですか、十人十色なんで。他の方のことを僕がどうたらこうたら言う筋合いもないとは思うんですね。
ただ、万人がいいなみたいな、少しよりどころになるようなものを作れればいいのかなみたいな。
あと僕的に言うと、子供に「あの家、うちのパパが作った家だよ」って子供が誇れるような家を、ちゃんと作っていかないとよくないよなみたいな。
そういった意味で、ハウスメーカーさんとかとは違う家づくりを心がけて。
ハウスメーカーさんのものって、A社、B社、C社であって、どれも目で見比べてもわからないっていうところが実際あると思うんで、そうなっちゃいけないなと。それは会社の特徴にもなってはいると思うんですけど。
天野さんの作ったお家は、私も富士吉田に帰った時にすぐわかりますからね。「あそこと、あそこと」みたいな。後でまたドライブしがてら帰ろうと思います。
だいぶ神社に持ってかれましたね。
そう、神社に持ってかれたけど、今日の神社の話よかった。やっぱ大工さんと神社って、切っても切れないご縁ってあると思う。
じゃあ次回の予告としたら、ようやく家づくりの話を次回あたりから聞いていこうかなと思います。
お願いします。
じゃあ天野さん、今日もありがとうございました。
まとめ
今回は、大工と山の神・浅間神社との縁から始まり、天野さんが下請け時代の苦しさを経て元請けへ踏み出した経緯が語られました。『ビルダーズ』や西方里見さん、伊礼智さんの建築に触れ、実物を体感したことで、家のスケールや窓からの景色を見る目が変わったそうです。根底には、富士山の景観に合い、子どもが誇れる家をつくりたいという想いがあります。
- 大工の世界では、小正月まで休んで山の神にお参りする習わしがある
- 下請け時代は冬に仕事がなくなり、精神的なしんどさが一番大きかった
- 元請けには、設備・電気・板金・基礎まで全工事の知識と信用への責任が必要になる
- 実物を見て体感したことで、家のスケールや窓の配置への見方が変わった
- 建物はお客さんのものであると同時に、富士山の景観を担う地域のものでもある




