高校の先輩後輩が再会した「日本エコハウス大賞」
番組は、山梨で家を造り続ける天野保建築の大工・天野洋平さんが、家づくりや暮らしの本音を語るポッドキャストです。冒頭で天野さんが番組を紹介し、聞き手の高橋かずえさんを迎えます。
天野さん、いい家ってなんですか。
この番組は山梨で家を造り続ける大工、天野保建築の天野洋平が、図面や性能だけでは語りきれない家づくりの暮らしの本音を語るポッドキャストです。
いい家とは何か、暮らしとは何か、そして大工という仕事は今の時代にどんな意味を持つのか。
現場で培った経験、施主との対話、そして日々の暮らしの中で感じていることを、肩肘張らずに言葉にしていきます。
この収録にあたって、まあ一人で喋っててもしょうがないので、聞き手となる方を紹介したいと思います。高橋かずえさんです。
初めまして、聞き手を務めさせていただきます。高橋かずえです。
天野さんとはすごいご縁があって、なんと高校の先輩後輩という間柄になってます。滅多にないですよね、地元の先輩後輩の間柄って。
そうですね。まさかこんなところで繋がるとは思ってなかったんで。
私が住宅会社さん向けの編集ライターのようなお仕事をしてるんですけれども、日本エコハウス大賞っていう住宅コンテストのお手伝いもしてまして。
そこに現れたのが天野さんだったっていう。何十年ぶりかの再会をしてね、「えー」みたいな。「あの先輩がここに来てる」っていうので。
また再びご縁ができて、いろいろお仕事にも関わらせていただくようになりました。
第1回ということで、「山梨で大工を続けるわけ」ということを、今日は思い切って聞いていこうかなと思います。
大工さん、建築会社さんのポッドキャストなんですけど、技術の話はしないので。今日は天野さんのお人柄に迫っていきたいと思います。
氷点下10度、結露で窓が開かなくなる富士吉田
最初の質問は、天野さんが家を建てている山梨の気候についてです。天野さんの主な活動地は、富士山のふもとの富士吉田市です。
天野さんが山梨という場所でお家づくりのお仕事をしてるんですけど、まず山梨ってどういう気候の場所なんですか?
私が特にメインで活動しているところは、日本一の富士山のある袂で、富士吉田市っていうところで建築をしているんですけれども。
ちょうど今収録してる今日1月、明日から最強寒波がやってくるって言ってて。(富士吉田は)大体標高が900メーターぐらいのところです。
一番寒い時で氷点下10度以下になることが、まあ1週間ぐらいあったりもするようなところで、本当に寒い地域ですね。
で、夏は逆に本当に避暑地に近いので。最近は暑いけど、昔ですと観光客の方が民宿とか旅館に泊まると、窓を開けてるだけで。
ホテルの方に「寒いからエアコン切ってください」って(言われる)。ただ窓を開けてるだけっていう、そのぐらい寒い地域です。
ただ日中とか、非常に涼しく過ごしやすいところです。
ただ、そこから離れて、県庁所在地のある甲府市ですね。武田信玄の像とかあるところに行くと、本当に。
最近はないんですけれども、日本一の最高気温をたたき出したりするようなところで、(山梨には)暑いところと寒いところがあるっていうところですね。
私も地元がここなんで、育った頃の気温を思い出すと、冬とかもうめちゃくちゃ寒くて、耳の感覚がなくなったりね。
風が突き刺さるような寒さで。
寒いっていうのが、山梨だと特に特徴かなっていうのがありますね。
こたつとか全家にあるし、今天野さんのお家にはこたつの影もみじんもないんですけど。
(昔の家には)絶対こたつもあるし、石油ストーブもあるし、それを毎日稼働させるための石油タンクが各お家についてるような寒さで。
で、必ず窓は毎朝結露がすごかったっていうのが、山梨の富士吉田の家のイメージで。
結露でいうと、本当に開かなくなりますね、窓が。結露で。
そんなにですか?
開かなくなりますよ、本当に。
え、どういうことですか?結露が。
結露になった水が、まず凍るんですよ。
特に石油ストーブとかファンヒーターとか使ってるところだと、石油から常に水分出てるんで、それが夜間に凍結して(窓が)開かなくなる。
特に出窓の家の方とかは、そういったことが多かったかなとは思うんですけど。
うちもそういえば出窓でした。確かFIXだったから、そもそも開かない窓だったんだけど。だけどカビがすごかったなっていう印象があります。
でも一方で、富士吉田の家ってすごい素敵なカルチャーがあって、どこの家からも富士山が見える自慢の窓があるっていう。
新しいお家に遊びに行くと、「うちの富士山これです」みたいな感じで、みんな富士山自慢をするっていう素敵なカルチャーがあるなって思ってます。
高校時代は日本一の力持ち。卒業後に銅像が建つ
話題は天野さん自身の自己紹介へ。高校時代、ウエイトリフティングで日本一になった経歴が語られます。
今は大工さんっていうことで、富士吉田に温かい家を建てようと一棟一棟丁寧に建てていらっしゃる方でお間違いないでしょうか。自己紹介をお願いしてもいいですか?
私は地元のこの富士吉田市で工務店業をしている、大工工務店としてやってます。
家族は今4人家族で、男の子2人ですね。今度3年生と5年生になる男の子2人と、地元が一緒の同郷の妻と、結婚してやっています。
天野さんは、高校時代は日本一の力持ちっていうことで。
そう。高校時代スポーツをやっていたので、ウエイトリフティング、重量挙げっていう競技を高校時代からさせてもらって。
そこでいろいろ切磋琢磨することも学びながら、一応地元の高校で銅像なるものを作っていただいて、本当にありがたい話なんですけれども。
え、それって在学中に銅像が建ってました?
卒業してから。2年生の時にできたと思う。
もう一回見に行きたいなと思ってます。
ウエイトリフティングがむちゃくちゃ強かったんですけど、いつも練習してましたよね、ウェイト部の人。朝も練習してたし。
朝昼晩と練習してたんで。今はちょっと違うみたいですけど、当時はその3回とも、三ブレっていうんですが、朝昼晩と練習をするのがメイン。
そうそう、お弁当を食べた後も、みんなすぐ部室に行って、カッチャンカッチャンね、やってましたよね。
日本一になるだけの努力を、自然と重ねてた感じはありますよね。振り返ると。
教えてくださった先生が、そもそも全日本クラスの先生だったんですよ。僕の時はタケシ先生っていう先生とコミヤマ先生って。
お二人がもともと選手としても日本の中でトップをいってたので、地元に帰ってきて、ご自身も競技してる中で。
日本一の高校を作ろうっていうことで、奔走をして。
え、一番の記録としたら何キロ上げたんですか?
スナッチとクリーンアンドジャークっていう2つの種目があって、スナッチっていうのは、足元にあるのを一気に頭上まで引き上げるので。
それが、僕の記録が142.5キロかな。
すごい。
で、クリーンアンドジャークっていうのは、170キロ近くまで。
え、今は趣味としてることあるんですか?
本当によくありがちな趣味ですけど、仕事って言っても、その建築に関することが楽しいって言えば楽しく、そこをやらさせてもらってますね。
出会った時のエコハウス大賞の頃から、本当に仕事が面白いっていうか、夢中になって、今もそれ夢中になって走り続けてるっていう感じですけど。
自分も趣味をもう一個別なものを持ちたいなとは思ってるんですけど、なかなかないんですよね。
強いて言うと、食べ歩きとかは大好きなんで。ラーメンとか、地方に行ったり東京に行ってたりすると、今日はあの店に行こうかなって。
そういったのを調べて楽しみにしてますね。
あとでちょっと地元のお店紹介コーナーも作ってるので、あとで教えてください。
「お前の親父はすごい腕がいいんだぞ」二代目大工の原点
天野さんが大工を始めた一番のきっかけは、父親が大工だったことでした。屋号「天野保建築」の由来も明かされます。
天野さんはどういうご家庭で大きくなったんですか?
もともと僕が大工を始めた一番のきっかけは、うちの父親が大工だったんで、言うと二代目。
じゃあお父さんがタモツさんなんですか?
そうです。天野ってこの地域だと結構いるので、当初は(屋号の)名前を変えようかなとも思ってたんですけど。
天野保建築で名が通り始めちゃったので、今更名前を変えてもなっていうのがあって、そのまんま。これ本当に個人名で。
父はそのまんま、本当に丸保建築ってやってて。で、途中でその丸保を消したんですよね。
消したんですけど、今度取引する関連の業者さんから、「どの天野さん?」って。めんどくさいなと思って。
で、僕の時にそのまんまもう一度(父の)名前を復活させて。フルネームで「天野保建築の天野です」って電話すると、大体わかってもらえるんで。
振り返って、お父さんの働き方とかで思い出すことありますか?
周りの同業の大工さんとかにはすごい評価されてたのは覚えてるんで。「お前の親父はすごい腕がいいんだぞ」って言われてた。
そこはすごい印象にあるし、昔の方は特にそうだと思うんですけど、月に大体2回か1回ぐらいしか休まなくて。
大体、盆暮れ正月ぐらいしか休まないよって。だから僕がこの仕事をやり始めた頃、ゴールデンウィークもほとんど休んでなかったんですよね。
でも2、3年したら、別荘地で住宅を作ってばっかりいたんで、別荘地にそもそも海外の方も来ると、その「休みでよ」って言って。
今だともう(休みの日は別荘地に)入れないんで、休まざるを得なかったんですけど、当時はまだ別荘地の中で普通に休みでも仕事ができたんで。
鳴沢とか山中とか。
山中湖とか、河口湖とか、そっちの方でずっと(父は)建築やってたんで。
そういう意味だと、一般住宅の建築っていうよりも変わったようなデザインの、箱を積み立てたような変わった(家の)話も聞きましたし。
有名な方の家もやったことあるような話も聞いたことあるし。そんなとこですね。
腕が良くても、仕事がない時はない
父の時代とは違い、天野さんが戻ってきた頃は仕事が少なく、下請けとして苦労した時期がありました。そこから「別の方法」を考え始めます。
その育った環境って、今のお仕事にどう影響してますか?
父の時代は、多分それで良かったんですよね。それで十分やっていけた、食べれてきたっていう時代背景があるんですけど。
僕の時になると、僕が絵画まで行かさせてもらって戻ってきた時には、仕事もなくって、大変だった時だったんですよね。
今も大変な時代に突入してますけど、(当時は)工務店さんが良くないと仕事が回ってこないっていう時代だったんで、すごい苦労したなっていうか。
1年あると、1ヶ月か2ヶ月遊んでる期間があったりとか。最初の頃はそんなことなかったんですけど、就職して1年、2年目ぐらいは、そういう時が何年か。
冬になると、パタッと仕事がなくなってみたいな。
ドキドキしますね。
その時はまだ若かったんで、バイトしたりとか、そんなことしてましたけど、そういった意味で大変で、このままじゃちょっと困るなっていうところはあったっていうですね。
今の仕事を振り返った時に、安定して仕事があるといいなとか、そういうことを思うようになったってことですかね。
ですね。親の仕事を引き継いでやっていくにしても、何かしらのことを考えていかないと将来的に困るし。
下請けでやるって言っても、工務店さんとかメーカーの仕事もしてたんで、メーカーが良くないと結局自分が困っちゃうんで。
そこにあんまり依存するのは良くないなみたいな。
父が腕が良くても、やっぱり仕事がない時はないんで、どんなに良くても。
だから、別の方法を考えなくっちゃみたいなことは、ずっともうモヤモヤしながら考えてましたね。
すごい野心を抱く傭兵青年がいたんですね。
いろんな大工さんの話を聞きに行ったりすると、その彼らに比べたら、理想と現実のギャップっていうのはなかったっていうか。
本当にバイトの延長線上に、そのまま就職したって感じなんで、感覚的にはあんまりそういったのはないですね。
しかもお父さんがお仕事してるとこ、ずっと見てたわけですもんね。
みんなが、手に職を持ってていいよねって。大工さんっていいよねって言われたけど、そういった意味でのギャップはありましたね。
おっ、というのは?
さっきの話につながるところで、結局父は腕のいい大工として、お客さんからも指名を受けたりとか、そういうことができる大工であったんですけど。
時代の流れでいうと、工務店さんとかメーカーさんの影響を受けちゃうんで、腕がどんなに良くても稼げなかったりとか。
大工さんってみんな喋らないんですよね。
そうですね。
寡黙っていうか、喋るのが苦手っていうか。仲間の大工には「お前はよく喋るな」って言われるんですよ。だからこんなこと(ポッドキャスト)もやってるかもしれないですけど。
(大工は)営業は下手なんだろうなって。腕一本あればできるっていうのは、やっぱり何かしらのアピールしていかないと。
いい意味でも悪い意味でも、父がその反面教師っていうか。いいことも多かったんですけど、父は本当に喋らないので。
それを見てると、営業的に言うと良くないよなみたいのはありましたね。
秋田の西方先生から学んだ高気密高断熱
大工の技術は父の背中から学んだ一方、天野保建築の売りである高気密高断熱は、父の代にはなかった世界でした。天野さんはその技術を、秋田の西方設計・西方先生から多く学んだと話します。
天野さんがそういった技術を学んだのは、どうやって学んでたんですか?
技術は、よくある話ですけど、父の背中を見てっていうところと。
うちでも売りである「高気密高断熱」っていうところの技術的なところは、逆に言うと父の代はそういった世界ではなかったので。
断熱材って何?でも入れてあればいいんでしょ?っていうところは、どちらかっていうと本であったりとか、僕の場合は秋田の西方設計の西方先生から学んだことが多いですね。
技術的なところも理屈があるので、そういったところを教わって、今ある形になってるのかな。
あと、いろんな経験値の方とか、本を見て独自に勉強したっていうところが多いですね。
高橋さんは、西方先生が温熱環境が話題になる前から取り組んできた人物だと紹介します。
西方設計の西方先生は、こんなに温熱環境について話題になる前から取り組まれている方で、日射の少ない秋田県の家がどれだけ暖かく過ごせるかっていうのを研究された方です。
その西方先生を設計者に招いて、富士吉田でお家を作ったりしてましたね。じゃあ、その中でもたくさん学びがあったんですか?
そうですね、結構知らないことであったりとか、結局新しい分野に取り組むので、何も置かずに見よう見まねにやるのが怖かったので。
ちょっとご縁があって、西方先生に設計を依頼して、その中から学んでいこうという、とりあえず最初はそこから入って。
今は設計の仕事をお願いしたりとか、山梨県周辺での仕事があった時に、西方先生の方から「あの地域行けないかな」みたいな形で仕事をいただいたりとか。
一緒に飲みに行ったりとか、楽しそうな写真をたくさんSNSでアップされてます。
先生が今いくつだと、72か74ぐらいになったのかな。ですけど、僕より飲むんで。
え、そうなんですか。
僕、身長が177センチ、体重が今117、8ぐらいあるかな。ガッツリ硬い系してるんで、飲むのは飲むんですよ。そんな僕より全然飲むんで。
大工さんをしながらも、建築士の方とタッグを組む経験っていうのは、お仕事のどういうところに生きているんですか?
特に建築家、設計士さんとの仕事だと、設計のノウハウ的なところはやっぱり僕より秀でているので。
細部の収まりであったりとか、見た目の意匠的なところとかはすごい勉強になって、自社の取り組みにも反映することができるので。
できる部分とできない部分があるんですけど、できる部分が多いので、自社にもプラスになるし。設計の方と仕事するときは、いつも何か学びを得てやってますね。
賞を取るより嬉しかった、近所からのひとこと
収録の場所は、天野さんのご自宅兼モデルルームです。山梨で工務店を続けてきて良かったことを尋ねると、天野さんは社員が地域から評価されたエピソードを挙げます。
天野さんの今ご自宅兼モデルルームで収録してるんですけど、この仕様が天野さんの標準仕様というところですもんね。皆さんにぜひ来て、この空間を体感していただきたいなと思います。
じゃあ今日の質問でもう一つ。山梨でこの大工さん工務店を続けてきて良かったことは、どのようなことでしょうか。
今仕事をして一番は、やっぱり地域に根差した家づくりをしているので、それを見ていただいて、評価されるのはすごい嬉しいし。
今社員2人いてやってるんですけど、それが近所の方に、すごい高く評価してもらった時に。
明るいし、挨拶してくれるし、現場の声も朗らかで楽しくやってるし。
「いい家作ってますね」って僕が評価されるより、うちでやってる大工がそういうふうに楽しく家を作っててっていうところが、やっぱりやっててよかったなって。
(それが)非常に最近の一番嬉しかったことですよね。
お客さんから評価されないとどうしようもないですけど、お客さん以外のところで周りの人がそういう目で見ていてくれるっていうのは、すごいちょっと嬉しくって。
逆に大工さんって、ギスギスしている印象なんだろうなっていうのはあったんですけど、そこがギスギスしてなくて。怒鳴り声でも聞こえる印象なんですかね。
そういったのがなくて、楽しくやってて、かつチームワークよくやってて、「すごいいい会社さんですね」っていう話をいただいて。
それが本当に、ここ最近、賞を取るよりは一番嬉しかったからですかね。
寒い実家と、こたつが教えてくれる居場所
話は寒い家の記憶へ。高橋さんは、隙間風で家族がギスギスした山梨の家を振り返ります。
天野さんの建築したものは、賞もたくさんね、取ってますからね、あちこちで。
今このご自宅モデルルームは吹き抜けもあって、すごく空間的には広いんですけど、私が住んでたお家を振り返ってみると、本当に冬は。
お父さんが「隙間風が入るから襖を閉めなさい」みたいな。山梨の家あるあるだと思うんですけど、本当に隙間風がピューピュー入ってきて。
誰かちょっと大きい声出して、家族がギスギスするみたいな。多分ね、結構頷く人いると思う。寒くないだけで、そういう家族の喧嘩が起きないですよね。
自分の実家に、お正月とかになると、あんまり行きたくないですよね。寒いから。
高気密高断熱に住んでる人だと、よく実家に帰省したくないって。夏であれば暑いし、冬は寒くて、風邪引いてきちゃうからっていうので。
ただ、面白いのは子供とか行くと、こたつ生活してるんですけど、こたつはこたつで子供はすごい喜ぶんですよね。
好きですよね。
いいです。遠赤外線っていうか、エネルギー的にはちょっと無駄が多いですけど、足元から入ってぬくぬくするっていう、あれが子供も嬉しいし。
僕自身もこんな家作ってて言うけど、こたつに入るとやっぱり昔を思い出すっていうか、何とも言えない。
だから、そういったところも自分の家造りに何か工夫して取り入れることできないかなっていう。
うちの奥さんも、やっぱりこたつ欲しいなって言うんですね。それはやっぱり正直な本音だなって思うんで。
そういったところがうまく取り入れられると、お客さんの方に返すことができるんでいいかなっていうのはありますね。
伊礼さんかな、言ってたんですけど、家づくりは居場所をたくさん作ることだみたいなお話するじゃないですか。
こたつって、居場所の最たるものですよね。家族がそこに集まるから。確かにそういうこたつの良さはあるなと思いました。
大工の寄り道。30年通う吉田のうどん「麺許皆伝」
最後はグルメコーナー「大工の寄り道」です。モデルルームを見に来た人に寄ってほしい店として、天野さんは富士吉田名物吉田のうどん ── 山梨県富士吉田市周辺の郷土料理。強いコシと硬さが特徴の太い麺に、ゆでキャベツなどをのせて食べるのが定番ですの名店を挙げます。
じゃあ次のグルメコーナー行きたいと思います。大工の寄り道。天野さんのこのモデルルームに来た後に寄ってほしい山梨の名店っていうことで、今日はどのお店を紹介しましょう。
富士吉田はB級グルメで吉田のうどんが有名なので。市内だけでどのくらいあるんだろう、50店舗ぐらいあるのかな。そのぐらい多いですね。
うちに来ていただく方には、必ず「あそこいいですよ」って紹介するところがあるんで、そこを紹介したいと思います。
教えてください。
富士吉田市の麺許皆伝っていううどん屋さんですね。僕がそれこそ高校生の、ウエイトリフティングをやってる時から通ってる馴染みの店で。美味しいです。
味以外で何で好きなんですか?
吉田のうどんは特徴がありまして、別名顎砕きうどんみたいな。高校生がそういう名称をつけたんですね。
顎を砕くほど、痛めるほど美味しいうどんっていう、まあ硬いんですよね。
吉田のうどんは讃岐うどんとかに比べたら、硬さがちょっと別なんですよね。コシがあるっていうより、本当に硬い。
冷やしたぬきとか、締めたりするとより一層硬い。で、今回紹介する麺許皆伝さんは、その中でも比較的柔らかめ。
あ、そうなんですね。
ちょうど程よい硬さと、吉田のうどんは大体味噌ベースのスープが多いんですけど、その出汁も僕は一番好きな味。高校生時代から食べ慣れ親しんでるからかな。
すり種っていう、七味に代わる薬味も、やっぱり好きなんだよな。
行って頼んでもらいたいのは、欲張りうどん。各トッピングがほとんど全部乗っかってるようなうどんがあって、それが美味しいんですよね。
え、でもさ、欲張りでも、今ホームページ見てるんですけど、550円ですよ。安い。
まあ助かるんですけど、本当は頑張ってもう少し値上げしてもらいたいなと。地域のためにも。
家族4人で行っても2000円じゃないですか。安い。
あと吉田のうどんの特徴は、どこの店行ってもゆでキャベツが入っていると。もともと標高高いのもあって、キャベツとか高原野菜が取れることが多かったので。
で、ここのお店は違うんですけど、肉うどんを頼むと馬肉が乗ってるっていうところですね。それが非常に甘辛く煮付けてあるんですけど、美味しくて。
そんなとこですかね、麺許皆伝さんを推す理由は。30年通ってますね。
テレビの取材も多く来たりしてるので非常に混み合ってて。職人さんは基本はお弁当の方が多いんですけど、食べること好きなので行くんですけど、並んでるんですよね。
あ、行列ができてるんですか?えー。
行列を見ると、やっぱりお昼休みもしたいしっていうところで、葛藤が始まって、空いてるところに行こうかっていう。
じゃあ開店直後がおすすめかもしれないですね。
か、お昼時を外した時間帯がおすすめですね。
ありがとうございました。いろんなお話を初回から聞いてしまいましたね。生い立ちの話ね。西方先生も登場しましたね。楽しかった。
次回は「正直やめようと思った話」っていう、あるかどうかわからないけど、こういうテーマでお話を聞いていこうと思います。天野さん、今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
まとめ
初回では、標高900メートル・氷点下10度の富士吉田で家を建てる天野洋平さんの原点が語られました。腕のいい大工だった父の背中を見ながらも、仕事がない時期を経験し、下請けに依存しない道を模索してきたことがうかがえます。高気密高断熱の技術は西方設計の西方先生から学び、今は社員が地域から評価されることを何より喜んでいると話されています。こたつのぬくもりを家づくりに生かしたいという本音も印象的でした。
- 富士吉田は結露が凍って窓が開かなくなるほどの寒冷地で、温かい家づくりが求められる
- 父は腕のいい大工だったが、腕が良くても仕事がない時はないという現実が独立への模索につながった
- 高気密高断熱の技術は、秋田の西方先生に設計を依頼して学ぶところから始まった
- 賞を取るより、社員が近所から「いい会社」と評価されたことが一番嬉しかった
- 地元の推し店は、高校時代から30年通う吉田のうどん「麺許皆伝」




