ハシエンダで、ロックとクラブミュージックはどう出会ったのか
この回は、以前の回で登場したマンチェスターのクラブ「ハシエンダ」の復習から始まります。福の神さんは、イギリスの工業地帯マンチェスターを「絶対に試験に出る」重要拠点だと念を押します。
加藤和さんは、ハシエンダを「お酒が出なくて潰れかけたクラブ」として覚えていましたが、背景にあったバンドは思い出せません。福の神さんによると、ボーカルの死をきっかけにジョイ・ディヴィジョン ── 1970年代後半にマンチェスターで活動したポストパンクバンド。1980年にボーカルのイアン・カーティスが亡くなり、残るメンバーがニュー・オーダーを結成しましたがニュー・オーダーとして再出発し、テクノロジーを取り入れたポップな音楽で売れ、そのお金で作ったのがハシエンダです。
(ハシエンダが今回また出てくるのは)90年代に非常に色濃く影響を残すからですね。
安藤さんは、ハシエンダがイギリス音楽の震源地になったと説明します。そこで鳴っていたのが、キックの低音が心臓の鼓動のように小節の頭で鳴り続ける「4つ打ち」と呼ばれるクラブミュージックのリズムです。
スタジオでは加藤和さんが初めてドラムのペダルを踏み、4つ打ちを体験する場面もありました。この4つ打ちにギターが交わるなかで、Stone RosesやPrimal Screamのように、ロックとクラブミュージックがくっつく段階が訪れます。
福の神さんは、それまでのクラブミュージックを、リズムマシンを使った単調なリズムがずっと続き、Aメロ・Bメロ・サビのような構成を持たずに体を揺らす音楽だと整理します。そのダンス音楽のテクニックとロックが融合し始めたのが、この時期です。
安藤さんが強調する違いは、主役の位置です。クラブではDJが1人いて、暗がりで人々が思い思いに踊るため、全員がバンドという1点を見つめる従来のライブとは文脈がまったく異なります。
やっぱり大きいのが、主役がバンドじゃなくてオーディエンスが主役だよねっていう発想なんですよね。
福の神さんも、アイドルを見てキャーキャー言うのではなく、自分たちが主役になれるのがダンスミュージックだったと話します。そこにロックバンドが入ってきたことを、福の神さんは「化学反応」と表現しています。
ミュージシャンを見に行く。観客は同じ方向を向き、ステージ上のスターに歓声を上げる
DJがいて、観客は暗がりで思い思いに踊る。音の中で体を揺らすことそのものに価値がある
レイヴ規制法に、ミュージシャンはどう対抗したのか
安藤さんは、90年代前半から半ばにかけて登場したバンドとして、福の神さんも大好きなHappy Mondaysを挙げます。そこから話は、レイヴ文化とセカンド・サマー・オブ・ラブへ移ります。
セカンド・サマー・オブ・ラブと言われても、福の神さんと加藤和さんは「きょとんとした顔」です。そこで福の神さんは、最初のサマー・オブ・ラブがベトナム戦争の頃のヒッピー世代の話だったことから説明します。国が戦争をしているなかで、ラブ・アンド・ピースを求め、薬をやりながら音楽を聴いた世代でした。
福の神さんによると、90年代のセカンド・サマー・オブ・ラブにも同じ構造がありました。冷戦が終わり、資本主義が正解なのか、豊かさとは何かがわからないなかで、湾岸戦争も起きていました。
ある種の現実逃避ではあるんですよね。言い換えちゃうと。
音楽とクスリに身を任せるっていう構造がすごく似ている。ヒッピー世代と。
一方で安藤さんは、オルタナティブロックが内省的になったのとは違う形で、一緒に踊り、同じ空気感を共有する共同体の文化が生まれたと指摘します。これがレイヴカルチャーで、野外や廃屋、潰れた工場でいきなりクラブミュージックを流すゲリラ的なパーティーでした。
1994年、薬物文化でもあるレイヴに治安上の不安を感じたイギリス当局は、取り締まりの法律を作ります。それがCriminal Justice and Public Order Act ── 1994年にイギリスで成立した刑事司法・公共秩序法。野外レイヴの規制を含み、「反復するビート」を特徴とする音楽に言及した条文で知られていますです。
安藤さんの説明では、「野外で音楽を流すな」という法律だと、廃屋ならよいという逃げ道ができてしまいます。そこで、場所ではなく「反復するビートを流す音楽」そのものを対象にしたといいます。福の神さんは、この法律の作り方を「ちょっとイカれてんな」と面白がります。
ミュージシャン側も黙っていませんでした。Autechreというグループは、同じ小節を繰り返さないクラブミュージック『Flutter』をすぐに発表します。音の構造が1小節ごとに違うのに、めちゃくちゃ踊れる曲だったといいます。
これ取り締まるんだったら法律家連れて来いみたいな張り紙をクラブに貼るんですよ。
福の神さんは「かっこいいね」と即答します。レイヴカルチャー自体はその後下火になりますが、安藤さんは、共同体として踊り、同じイメージを共有する空気感が、今のクラブカルチャーまで脈々と続いていると話します。
レイヴの広がり
野外や廃屋、潰れた工場でゲリラ的にクラブミュージックが流される
1994年の法律
場所の規制では逃げ道ができるため、「反復するビート」の音楽を対象にする
Autechreの『Flutter』
同じ小節を繰り返さないのに踊れるクラブミュージックを発表
クラブの張り紙
「取り締まるなら法律家を連れて来い」と掲示して対抗
聴く・見るから「踊る」へ。ディスコとクラブは何が違う?
福の神さんは、80年代までスターを見に行くことが主体だったライブやコンサートに、みんなで共有して踊る要素が入ってきたことで、音楽が「肉体性」を得たと振り返ります。
見るだけじゃない、聞く見るから今度は踊るっていう要素にフォーカスが当たった時代でもあったかなと思う。
加藤和さんは、クラブに行かずCDで聴いていた人も、体が揺れるような音楽を楽しんでいたのかと尋ねます。安藤さんは、その文脈に加えて、クラブミュージックを家でじっくり聴くムーブメントも同時に生まれたと答えます。
それが、のちにIDM ── Intelligent Dance Musicの略。踊ることより聴くことを重視した、実験的で緻密な電子音楽を指す呼び名ですと呼ばれるジャンルです。安藤さんは、Aphex TwinやAutechre、Orbitalなどの名前を挙げ、踊るより静かに美しい音を聴くクラブミュージックだと説明します。
安藤さんは、この時期を、音楽の身体的な楽しみ方が多様化していく転換点だと位置づけます。加藤和さんは、ここまでの話がクラブミュージックの特性の変化だったのだと整理します。
福の神さんは、ディスコからクラブへの変化を考えるとイメージしやすいと補います。安藤さんと福の神さんは、ディスコを「筋肉質」「マッチョ」な文化だと口をそろえます。
流行な感じはするじゃないですか、ディスコって。けどクラブは。だから流行というよりカルチャーな感じがするよね。
ブリストルからMassive Attack、そしてバンクシーへ
次に安藤さんが取り上げるのは、イギリスの港町ブリストルから登場したMassive Attackです。ブリストルには、社会批判の手段としてわざわざ音楽を選んだザ・ポップ・グループという先輩がいた土壌がありました。
Massive Attackは、ジャマイカのダウナーなダブ ── レゲエから派生した、エコーやリバーブで音を加工し、低音を強調する音楽の手法・ジャンル。のちの多くのクラブミュージックに影響を与えました、ヒップホップ、クラブカルチャーを結びつけ、パンクロックのエッセンスも加えます。そこから生まれたのがトリップホップで、本人たちはこの呼び方を嫌っているといいます。
安藤さんによると、Massive Attackは特に政治性の高い音楽性で、濃淡はありつつも政治批判が通底しています。とくに2000年代以降は政治色が強くなったと話します。
ここで福の神さんがクイズを出します。同じブリストルから、オークションで何億円にもなる作品を作る、今も生きている世界的アーティストが出ているというのです。ヒントは、小池百合子さんが嬉しそうにしていたネズミの絵でした。
加藤和さんが答えにたどり着いたのは、「街にスプレーで絵を描く」というヒントのあとでした。正解はバンクシーです。
え、そうなの?
福の神さんは、バンクシーも政治やアート界への風刺を描くアーティストだと話します。一時期は、Massive Attackのライブ会場の近くでバンクシーの作品が次々に見つかり、「バンクシーの正体はMassive Attackではないか」という説まで出ました。
(バンクシーとMassive Attackは)結果先輩後輩なだけっていうね。
安藤さんによると、疑われたのはMassive Attackのロバート・デル・ナジャで、彼自身も絵やアート作品を作るアーティストだったため、「絶対あの人でしょ」という空気ができていたといいます。福の神さんは、ゴールディというアーティストがバンクシーの名前を口にしたことで、Massive Attackとの紐付けが強まった面もあったと補足します。
安藤さんは、このトリップホップの周辺からThe ProdigyやTrickyなどの新しいムーブメントが生まれたと話します。都会的で暗い音の中に、すごく美しい音が流れていくジャンルだと表現しています。
インディーレーベルの台頭は「スタートアップ新時代」だった
福の神さんは、90年代を、いろいろな音楽ジャンルがメジャーに出てきて、一辺倒ではなくなった多様性の時代だと振り返ります。ニルヴァーナのような曲もあれば、イギリスの伝統に回帰するポップ色の強いブリットポップも、ダンスミュージックも、それをバンドで解釈した音もありました。
福の神さんは、その背景にインディーレーベルの存在があったと指摘します。ソニーやコロンビアのようなメジャーではないレーベルが、自分たちのいいと思う音をどんどん出していったといいます。
だからレコード会社のレーベル名を知ってるのは(90)年代のレコード会社しかないかもしれない。
福の神さんが例に挙げるのは、サブ・ポップ、ファクトリー・レコード、クリエイション・レコードです。安藤さんは、レーベル自体がブランド化していったと応じ、80年代にアンダーグラウンドで変なことをやっていた人たちが、90年代に一気に表へ出てきたイメージだと話します。
福の神さんは、この状況をビジネスに置き換えます。90年代の音楽シーンは「スタートアップ新時代」のようだったというのです。
新しいビジネスがポンポンポンポン生まれて、それおもろいね、それおもろいねっつって、どんどん大企業たちが青ざめていくみたいな。
もしくはなんか大企業たちがそいつらを取り込んでM&A仕掛けてくるみたいな。
ストレートエッジ、メロコア、ポストロック。ロックはどこまで枝分かれしたか
安藤さんは、細分化の一例としてハードコアを取り上げます。スピードが非常に速いジャンルですが、緩くいこうというレイヴの空気とは逆に、自分自身を律するストイックな方向へ向かった人たちがいました。
そのルールは、お酒を飲まない、ドラッグを使わない、好きな人以外と性交渉しない、というものです。福の神さんは、こうした修行僧のようなハードコアの人たちを「ストレートエッジ」と呼ぶと説明します。
ハードコアの一般的なイメージってさ、なんかもっと荒くれた無法者たちが自分たちの好きなことやってるっていうイメージだろうけど、本当のハードコアは真逆なのよ。
故に速く、故に激しく。
安藤さんは、ハードコアの速さそのものが自分を律する修行のようなものだと続け、福の神さんは「どこまでこのスピードについていけるか」というアスリート感があると応じます。
別の文脈では、スケート文化と結びついたパンクも登場します。安藤さんは、The OffspringやGreen Dayのように、疾走感と爽快感のある音楽が流行したと話し、日本でいえばモンゴル800などのメロコアにあたると説明します。福の神さんはハイスタも挙げています。
福の神さんは、グランジから続く内向的な面を残しつつ、音はわかりやすく爽やかになったのがGreen DayやThe Offspringだと見ています。商業主義になることを自分たちの中で消化しきった音楽だから、わかりやすいのだといいます。
ニルヴァーナの音楽とかはもうちょっとやっぱり人間の本質的なところ突いてたから懐かしいにならないんだよね。
上の発言は1419秒付近の流れで語られたものです。福の神さんは、Green Dayなどが「高校生の時に聴いていた」と懐かしむ音楽になるのに対し、ニルヴァーナは今聴いてもかっこいいと感じると話します。
一方で、そもそもロックは歌が中心だったという前提を解体する流れも生まれます。安藤さんによると、メンバーが極端に多い、ジャズや現代音楽、実験音楽と結びつくなど、ロックの構成そのものを変えるポストロックがこの時代に現れました。
| 流れ | 特徴 | 番組で挙がった例 |
|---|---|---|
| ストレートエッジ | 酒もドラッグもやらず自分を律する、速く激しいハードコア | ストレートエッジのハードコア勢 |
| スケート・パンク | 疾走感と爽快感があるわかりやすい音 | Green Day、The Offspring、日本のメロコア |
| ポストロック | 歌中心のロックの構成を解体し、ジャズや実験音楽と結びつく | サウンドシステムの例など |
ダンス勢がフェスのトリに。第1回フジロックの台風体験
福の神さんが多様化を強く感じたのは、ロックフェスのトリをダンスミュージックのアーティストが務めるようになったことでした。The Prodigy、ケミカル・ブラザーズ、Fatboy Slimがロックバンドと肩を並べ、ダンスミュージックが市民権を得ていたといいます。
その一方で、ロックを解体するポストロックのバンドや、Massive Attackのような政治的なスタンスのアーティストもトリを取っていました。安藤さんは、トリの順番の決まりごとまで解体されていったと話します。
福の神さんは、フェスでいろいろな音楽を楽しむスタイルが一般化したのも90年代だったと続けます。日本では、海外バンドも出る大型フェスとしてフジロックが1997年に始まりました。
福の神さんはその前年の1996年ごろ、フェスに行きたくてイギリスへ渡り、レディング・フェスティバルに参加しています。「フェスってとんでもなく素晴らしい」と感動し、1997年の第1回フジロックにも足を運びましたが、そこはひどい目に遭った場所でもありました。
台風直撃しましたよね。
福の神さんはレディングの経験から、雨が降ることも、夏でも夜は寒くなることも知っていました。しかし日本初の大型フェスで多くの観客はそれを知らず、みんなTシャツ1枚で来ていたといいます。
もうなんかブルブル唇青くなって震えてる人が何万人もいるような状態。
雨を避けられる場所も少なく、福の神さんは日本で見た景色の中で一番凄まじい光景だったかもしれないと振り返ります。そこで観客を救ったのが、Rage Against the Machineでした。
一つ目音を鳴らした瞬間に、みんな寒くてブルブル震えてたのに、体が勝手にうわーって動き出して。
福の神さんは、人の熱で白い蒸気が立ちのぼり、ステージが見えなくなったのを初めて体験したといいます。安藤さんも、YouTubeで検索すると本当に霧になっている様子が見られると勧めます。
台風直撃
何万人もの観客が集まった会場を台風が襲う
装備不足
多くの観客がTシャツ1枚で、雨を避ける場所も少なかった
寒さで震える会場
唇を青くして震える人が何万人もいる状態になる
最初の一音
Rage Against the Machineの演奏で観客の体が一斉に動き出す
白い蒸気
人の熱気と汗が蒸気になり、ステージが見えなくなる
Rage Against the Machineは、なぜ「ずっと怒っている」のか
安藤さんは、Rage Against the Machineを、ヒップホップとハードロックの喧嘩をライブステージでやるバンドだと一言で表します。リリックはきわめて政治的で、ボーカルのザック・デ・ラ・ロッチャはずっと怒っているといいます。
ドレッドヘアを、長いドレッドヘアを振り乱しながらずっと怒ってる。
福の神さんによると、対照的にギターのトム・モレロはずっと冷静です。安藤さんは、トム・モレロがハーバード大学を出て上院議員の秘書を半年間務め、政治では変わらないと感じてバンドを始めたと紹介します。
安藤さんは、トム・モレロの両親についても、父が独立運動の組織マウマウ団の幹部で、母が人権活動家だったと説明します。地名などは記憶が曖昧な様子でしたが、福の神さんは「生粋のそういうタイプ」「サラブレッド」だと受け止めます。
安藤さんは、政治を音楽でやると決めたトム・モレロとザック・デ・ラ・ロッチャが、ステージ上でぶつかり合うのだと話します。
福の神さんは、トム・モレロのギタープレーを「ちょっと変態」と評します。CDで聴いたときはターンテーブルの音だと思っていたものを、ライブではギターで鳴らしていたからです。
安藤さんは、1992年のファーストアルバムに「シンセサイザーは一切使われていません」と書かれていたことを紹介します。4人編成で音はすかすかでも、福の神さんは、ライブでは一音一音の厚さと説得力が違うと話します。
一音一音の音の厚さが違うというか、こればっかしはライブ見ないとわかんないところかな。
ファーストアルバムのジャケットには、ベトナム戦争に抗議して焼身した僧侶の写真が使われていると安藤さんは説明します。そのうえで、Rage Against the Machineは間違いなく一番好きなバンドの1つだと明かします。
福の神さんは加藤和さんに、マディソン・スクエア・ガーデンのライブ映像を勧めます。安藤さんは、マイケル・ムーアが監督した、ウォール街のど真ん中で演奏し警官隊が止めに入る映像も挙げています。
安藤さんは、ロックとヒップホップのマッシュアップや、黒人がロックを演奏するブラックロックの始まりなど、音と音が混ざり合って新しく進化したことも90年代の特徴だとまとめます。
ファクトリー・レコードの棺桶にまで振られた番号
最後に福の神さんは、広告の観点から、90年代はジャケットデザインのレベルも非常に高かったと話します。例に挙げたのは、ハシエンダを中心に活動したファクトリー・レコードです。
ファクトリー・レコードは、アートディレクターのピーター・サヴィルにジャケットやポスターを一任し、アーティスト名もアルバムタイトルもないジャケットを出していました。福の神さんによると、それらは今もTシャツになっています。
安藤さんは、90年代はバンドTシャツのアイコンになりやすい時代だと応じます。福の神さんも、今バンドTと呼ばれるものには90年代のものが多いと話します。
福の神さんが特に面白いと語るのは、ファクトリー・レコードが自分たちの出すものすべてに番号を振っていたことです。作品は「FAC 1」「FAC 20」のように、ハシエンダは「FAC 51」として番号が与えられました。
最終的には、レーベル主宰者の棺桶にまで番号が振られていたといいます。福の神さんは「FAC 501だったかな」と記憶をたどりつつ、自分たちで作るスタンスを最後までやりきった姿を「インディーズの鏡」と表現します。
安藤さんは、70年代のパンクロックで生まれたDIY精神 ── Do It Yourselfの略。大手に頼らず、録音・流通・デザインなどを自分たちの手で行う考え方で、パンク以降のインディー文化の土台になりましたが種をまき続けてきたと指摘します。一度アンダーグラウンドに潜ったものが、もう一度メジャーに表出するダイナミズムが90年代にはあったのではないか、と話します。
情報量の多さに加藤和さんは「溺れた」と漏らし、「満腹中枢にだいぶ来た」と訴えます。福の神さんは、コース料理でいえば終盤に差し掛かってはいるものの、まだデザートではなく「エビチリ」が残っていると笑います。次回は90年代のヒップホップと、90年代の振り返りが予告されています。
まとめ
この回では、ハシエンダから広がったレイヴ文化を起点に、規制と反骨、ブリストルの政治性、インディーレーベルの台頭、ロックの細分化、フェス文化の広がりが語られました。80年代まで地下にあったものが一斉に地上へ出た90年代は、音楽を「見る」から「体験する」へ変えた時代だったと考えられます。
- クラブでは観客自身が主役になり、ロックとダンスミュージックの融合が音楽に肉体性をもたらした
- 1994年のイギリスの法律が「反復するビート」を規制し、Autechreは同じ小節を繰り返さない曲で対抗した
- ブリストルではMassive Attackが政治性の高い音楽を鳴らし、同じ土地からバンクシーも登場した
- インディーレーベルの台頭とジャンルの細分化で、ストレートエッジからポストロックまで音楽が枝分かれした
- 第1回フジロックでは、台風で凍える観客がRage Against the Machineの一音で動き出し、熱気が白い蒸気になった







