『不安の世代』という本を枕に始める
この回は、いなけんさんが読みかけの本を題材に話を進める形で始まります。テーマは、前回予告していた「不安との向き合い方」の続きです。
題材にするのは『不安の世代』というタイトルの本で、海外で出版されたものの邦訳だと説明されます。帯によれば、アメリカなど海外でバズり、何万部も売れている本だといいます。
あの、きっかけは、その俺が読んだ本、まだ読み切ってないんだけど。
いなけんさん自身、この本をまだ読み切れておらず、帯と、前日の帰りの電車でざっと見た内容から大枠をつかんだ段階だと正直に話します。
え、もうもはや帯しか読んでないぐらい?
「こういう主張したいんだろうな、この本は」っていう、大枠はつかめてるからOKとしてます。
「不安の世代」とはZ世代のことだった
本の主張を単純化すると、不安の世代とはZ世代を指すという話だといなけんさんは紹介します。この世代だけ、鬱の症状や自殺率が顕著に上がっているといいます。
本をさらに抽象化すると、この世代から思春期を通過する過程にスマートフォンやSNSが登場した、という点が要点です。
それ以前の世代は外で遊ぶ割合がほぼ100%だったのが、徐々にその割合が縮まり、コミュニティが肉体的な社会関係からソーシャルへと移っていった世代だと説明されます。この傾向が特定の地域だけでなく全世界的に見られる、という点が本のポイントとして挙げられます。
本の中で印象的だった比喩として、いなけんさんは「子供を火星に行かせますか」という例えを挙げます。
「火星にあなたの子供たちを行かせますか?」って言った時、それって100パーセントノーじゃないですか。でもそれと同じことを、スマホを子供に与えるっていうことは、同じことをしてますよっていう。
火星行きが死に直結するのと同じくらい、若年層にスマホを与えることはメンタルヘルスに悪影響を及ぼす、という主張の比喩だと紹介されます。
iPhone登場と、二人の思春期がドンピシャだった
本によれば、iPhoneが登場したのは2007年頃で、影響を強く受けたのは2010年代前半にティーンエイジャーでスマホを持ち始めた世代だといいます。この話を見て、いなけんさんは「我々の話じゃないか」とぞっとしたと語ります。
二人がスマホを持ち始めたのは、ともに高校生の頃でした。いなけんさんは正確には中三の終わり、高校に上がる直前ぐらいだったと振り返ります。
この本では「高一までスマホを持たせるな」というのが主張の一つで、中学生までに与えるのは早すぎるとされている、といなけんさんは紹介します。
一方で、いなけんさんが中学生だった2011〜2013年頃には、スマホが少しずつ世に普及し始めていました。同世代でも中一からスマホを持っているクラスメイトがいたといいます。
そいつに、そいつにこっそり、その、エロサイトを見させてもらうとか。
なんの話やねん、ほんまびっくりした。序章長すぎやろ、ほんま。
前段が長くなったことを二人で笑いつつ、SNSが盛り上がってきた2010年代前半から中盤が、ちょうど自分たちの思春期と重なっていたのではないか、といなけんさんはまとめます。
結論が抜けた話に、しもちゃんがツッコミを入れる
現状説明はわかったとして、しもちゃんは「じゃあどうしていこう、という結論はないのか」と尋ねます。本の処方箋こそ聞きたい、というツッコミです。
そっちを聞きたい。そっちをメインで聞きたいでしょ、聞いてる人も全員。
いなけんさんは処方箋も本に書かれているとしつつ、そこまで読めていないと認めます。言葉数が多かったのは内容をあまりわかっていないからでは、としもちゃんに見抜かれます。
俺も浅いまだ読めてないところを、薄めたものを拡大解釈してるんだけど。
不安の正体は「他者との比較」だった
しもちゃんは、この本云々よりも、聞きながらずっと自分に当てはめて考えていたと話します。そのうえで、自分たち世代に不安が多い根底には他者との比較があるのではないか、と切り出します。
この僕ら世代が不安な人が多い、不安に潰されて自分の命を絶ってしまう人が多いのは、その根底には他者との比較っていうのがあるからなんかなって思ってた。
正解。
いなけんさんによれば、これはまさに本のコアにあたる話です。以前の世代の比較対象はクラスメイトなど物理的にわかる範囲の人で、テレビのスターは憧れの存在ではあっても、自分と近い存在とは見ていなかったといいます。
一方でこの世代からは、その壁がSNSによって突破されてしまった、と説明されます。同世代でキラキラしている人が可視化され、相対的に自分が劣っていると思いやすい環境になったことが、不安の大きな要因だといいます。
他者との比較をめぐる、二人の現在と過去
一方で、しもちゃんは自分自身について「今は他者との比較が入っているかな、という感じ」だと話します。今はもう自分の身体感覚しか見ていない気もする、といいます。
いなけんさんが「ティーンエイジャーの頃はどうだったか」と尋ねると、しもちゃんはその頃は比較していたと答えます。
それティーンエイジャーは比較するでしょ。比較中毒ですから、ティーンエイジャーなんか。
逆にいなけんさんは、その頃は他人なんて知らないと思っていた、と振り返ります。同じ世代でも、比較への向き合い方には差があったことがうかがえます。
二人は、比較そのものはポジティブに変換できればよいのでは、と話します。すごい人を見て悔しさに転換できたり、メンタルのどん底を経験すること自体に意味があったり、という見方が出てきます。
谷、谷を見るからこその、その深さが、人としての深さ、そのダブルミーニングというかさ、谷の深さ、深い谷、底に落ちた経験があるからこそ、人としての深みもある。
いなけんさんは物理的な谷と心理的な深みをかけたダブルミーニングを披露しますが、「そらそうなるでしょ」とあっさり流され、悔しがる一幕もありました。
反射で開くInstagramと、使いづらくなるLINE
比較の話の流れで、しもちゃんは最近Instagramを一度消そうかと考えていると打ち明けます。反射神経で開いてしまう自分がいるからです。
いや、そうやな。ドーパミンだよな。
さらにしもちゃんは、Instagramもなくても困らないし、LINE ── 日本で広く使われているメッセージアプリ。連絡手段としてだけでなく、ニュースや決済など多くの機能を取り込んだ「スーパーアプリ」化が進んでいる。もなくても困らないと感じてきた、と話します。
いなけんさんも、公式アカウントのお知らせで埋まるLINEにイライラすると同調します。特定の誰かに連絡したいだけなら、ショートメールでよいと最近思っていたといいます。
LINEは多分スーパーアプリ化したいんだろうけどさ、もうなんか動線とか機能が多すぎてさ、もうイライラする。
ユーザー視点では使いづらくても、運営会社にとっては滞在時間を伸ばすことが指標になっているのだろう、と二人は整理します。使いやすさと事業側の狙いが食い違っている構図です。
喜怒哀楽のフィルターにゴミが積もっている
話題は、しもちゃん自身のダウナーな状態へ移ります。最近は自分の身体感覚に強く着目していて、動画を見漁ったり、うつ病の治し方をAIに聞いたりしているといいます。軽度の傾向はあると自覚しつつ、うつ病だとは思っていない、と補足されます。
しもちゃんは今の状態を、喜怒哀楽のフィルターの質が悪くなってきている、と表現します。
ほんまやったら、こう、レベル90の喜びやのに、なんか65、50しかないなみたいな。
本来レベル90の喜びのはずが、フィルターにゴミが積もったせいで実感が下がっている、という説明です。そこで、ゴミをゴミとして認知する指標として、内臓の感覚に注目していると話します。
あれ、お腹今リラックスしてないなとか、あれなんかちょっとキューってなってるなとか、なんか緊張してるなとか、もう、今最近それしか考えてないんですよ。
身体感覚と数字を合わせに行くという方法
いなけんさんは、この身体感覚の話を、前段で出ていたHRV ── 心拍のゆらぎを示す指標。心拍間隔のばらつきから自律神経の状態を推し量るもので、Apple Watchなどのウェアラブル端末でも計測できる。の話につなげます。自分の身体感覚と定量的な数字を合わせに行くのが手っ取り早い、という提案です。
お腹が張っている、体が強張っている、といった自己スキャンの感覚と、Apple Watchでモニタリングした数字を照らし合わせる。この作業を繰り返すことで、感覚の精度が上がるのではないか、といなけんさんは話します。
ただしHRVは単一指標なので、それだけを鵜呑みにするより自分の感覚を信じたほうがよい、と留保も加えられます。感覚と数字の差分から新たな仮説が生まれ、その繰り返しがパフォーマンス向上の近道になる、という考え方です。
なんか面白くなさそう、でもそれ。いや、なんか修行っぽくすぎて。もっと楽しくしたい。
しもちゃんが「修行っぽすぎる」と反応すると、いなけんさんは「自分ならこれを楽しいと思う」と返します。身体感覚とその原因を結びつけて考えること自体が、いなけんさんにはワクワクするのだといいます。
俺はこれ楽しいと思っちゃうな。
「テストの点数が返ってこないと気持ち悪い」感覚
いなけんさんは自分の性質を、テストを解いたのに丸つけや点数が返ってこないと気持ち悪い、という感覚に例えます。フィードバックがないと落ち着かないのです。
俺あれだな、テスト解かされたのに、丸つけて点数返ってこないと気持ち悪いみたいな感覚が近いかも。「え、これ何の時間だった?」みたいな。
当て勘で正解した問題は、自信を持って正解した時より本質的な精度が低い。だから答え合わせがほしい、という話が続きます。この感覚を生活レベルでやりたい、という説明にしもちゃんも一定の理解を示します。
「自分じゃなくてもいい仕事」に興味を持てない
ダウナーになった原因について、しもちゃんは、フィルターに入れてはいけないものを入れ続けたからだ、と例えます。自分にとってNGな物質がわかっていなかったため、とりあえず何でも入れてしまった、という説明です。
闇鍋状態やったね。
より具体的には、一度やってやり方がわかったものに興味を持てない、という性質が語られます。いなけんさんは「100点取れるとわかりきったゲームは面白くない」と言い換えます。
しもちゃんにとって重要なのは、100点までの道筋が見えた上で、自分の手札で「100点のさらに上」を出せるかどうかです。それが出せそうにないと、興味を失ってしまうといいます。
自分がやる理由、それは見出せなくなるから。あーそれやったら別に俺じゃなくてもいいんじゃないかなって。101点を出せないなと思っちゃうから。
テレアポを例に、既存のやり方を超える手札がなければ「自分がやる意義がない」と感じてしまう、と説明されます。逆に、好きな人とポッドキャストで話すような場では、テンションの高さという「プラスアルファの手札」を持ち込めるからやる意義を見出せる、と対比されます。
わかっていても続けなければならない現実の中で、自分ごと化できない仕事を続けたことが、目詰まりを進めてしまった。しもちゃんは今、それを手放す方向へ向かっていると話します。
「なんかわからんけどしんどい」から始まった
この整理にたどり着くまでには時間がかかった、としもちゃんは振り返ります。最初は頭の中に「なんかわからんけどしんどい」しかなかったといいます。
その状態から、最初はすごく方法論にこだわっていた、としもちゃんは続けます。「どうしたら解決できるのか」というHowを追い続けたのです。
HowではなくBeing、「気持ちよく在りたい」へ
YouTubeやAIとの対話を重ねた結果、しもちゃんが行き着いたのは「在り方しかない」という考えでした。方法論は状況によって前提が変わるが、在り方は求めるものの中心に残る、という整理です。
いろんなこうYouTubeとか動画とか、それこそGPTで話したりした結果、もう在り方しかないなと思って。どう自分が在りたいか。
しもちゃんにとっての在り方は、「気持ちよく在りたい」の一点に集約されます。胃がキューっとなって気持ち悪いなら対処を考えるし、同じこわばりでも走っている時の筋肉のように気持ちよい場合もある、と説明されます。
同じ物理刺激でも、事象によって解釈というか、受けてる方が違う。
いなけんさんは、この話をリスナーにも伝わるよう言い換えます。Howは、原因に対する解決策を列挙し上から潰していくやり方だが、そこに解決はなかった。一方で在り方は、「結局自分は何をしたいのか」という原点に立ち戻る道だ、という整理です。
自分がどう在りたいかの輪郭が改めて見えたことで、Howを潰し続けるのではなく、そちらへ自分を寄せていく。それによって目詰まりがいくらか解消された、といなけんさんはまとめ、しもちゃんも「まさにそういうこと」と応じます。
皆さんBeingでいきましょうという話でした。
なんかわからんけどしんどい
言語化できない不調だけが頭にある状態
Howにこだわる
どうしたら解決できるかという方法論を追い続ける
方法論は前提次第だと気づく
マニュアルや手順は状況で変わると実感する
Beingへ向かう
どう自分が在りたいかに意識を向ける
気持ちよく在りたい
在り方の中心に一点を見出し、目詰まりが解消され始める
まとめ
『不安の世代』を入口に始まった雑談は、Z世代の不安とスマホ・SNSの関係から、他者との比較、そしてしもちゃん自身の不調へと展開しました。最終的にたどり着いたのは、Howではなく「どう在りたいか」という在り方の話でした。
- 『不安の世代』は、思春期にスマホ・SNSが登場した世代のメンタルヘルスへの影響を論じた本として紹介される
- 以前の世代と違い、SNSで同世代の「キラキラ」が可視化されたことが、比較と不安の大きな要因として語られる
- 反射で開くInstagramや使いづらくなるLINEなど、身近なアプリとの距離を見直す話も出た
- しもちゃんは、身体感覚を手がかりに「喜怒哀楽のフィルターのゴミ」を取り除こうとしている
- 最初は方法論(How)にこだわっていたが、最終的に「気持ちよく在りたい」という在り方(Being)に着地した





