朝4時半のジムと5キロラン、それでも消えない不安
この回は、しもちゃんが「不安が消えない」という悩みを持ち込むところから始まります。今日は朝4時半に起きてジムに行き、5キロを走ったと話します。
ランニングは、ここ5日間ほどでハマったばかりだそうです。雑念が湧くとスピードを上げて無理やり消すという走り方をしていると言います。
雑念が湧いたらスピードを上げて、雑念を無理やり消すみたいな作業をしてるんですよね。
メンタルが不安定で変なことを考えてしまうから、という理由でした。それでも不安は解消されないと言います。
やることやってんのに。
何したらええねんって話、もう。わからへん。
いなけんがこのやり取りから「やることやってんのに不安が解消されない」という言葉を口にし、それがこの回のテーマになりました。
朝ランの気持ちよさは「人として」わかるのか
いなけんは以前しもちゃんに、朝ランの気持ちよさを説いたことがあったと切り出します。しんどさが気持ちよさに変換される感覚や、日の光を浴びると元気になる感覚を体感してほしいという話でした。
日の光を浴びると、なんか元気な気持ちになってくるというか。
いなけんが「ホモサピエンスとして」と表現したところ、しもちゃんは説明的すぎるとツッコミを入れます。
めっちゃ左脳や。「ホモサピエンスとして」とか。「人として」とかでいいっすよ。
いなけんが、サウナで言う「整った」ような快楽物質が出る感覚はまだ得ていないのかと尋ねると、しもちゃんは話をサウナそのものへと移していきます。
サウナが全然気持ちよくない、その違和感の中身
しもちゃんは、そもそもサウナが全然気持ちよくないと打ち明けます。何がいいのか本当にわからないと言います。
サウナ全然気持ちよくない。何がいいんすか?全然気持ちよくない。
しもちゃんは、サウナは自律神経を簡単に揺さぶって気持ちよさを得ているのではないかと指摘します。それを「努力してないのにお金をもらえる」ような感覚に例え、健康的ではなさすぎると話します。
(サウナは)健康的じゃなさすぎる。
いなけんはサウナ好きの立場から反論したさはあると言いつつも、言わんとしていることはわかると受け止めます。
しもちゃんが違和感の中身を具体的に語ります。まず、サラリーマンの20代後半から40代が密集して集まるあの空間自体が受け入れられないと言います。
いなけんが、スーパー銭湯や普通の銭湯でも裸の男が集まる点は同じはずだと問い返します。しもちゃんは、サウナ室という密閉空間に男性が集まる状況そのものが受け入れられないと答えます。
密閉空間に男がうわっているのが、なんかちょっとキモいというか、受け入れられないというか。
さらにしもちゃんは、水風呂に頭まで浸かるなど、ルールを守らない人が視界に入ることも嫌だと話します。
「書いてるルール守らんやつが施設使うなよ」って思っちゃうんで。それだったら、僕も関わらなくていいや。
自分が不快になるくらいなら、その場に行かなくていいと線を引いている、というのがしもちゃんのスタンスでした。だからサウナというコンテンツ自体に嫌悪感を抱いていると言います。
気持ちよさよりも、体のメンテナンスやルーティーンとして通っている
密閉空間や施設のマナー違反への違和感から、コンテンツ自体に嫌悪感がある
ジャーナリングとYouTubeで「自分を違う角度から見る」
話はしもちゃんが取り組んでいることに戻ります。noteやスマホに、自分が考えていることやモヤモヤをバーッと書き出すジャーナリングジャーナリング ── 頭に浮かんだ考えや感情を紙やメモに書き出して整理する手法。思考の客観視やストレス軽減に使われる。を、2日に1回ほど続けていると言います。
これは習慣になっている部分もあり、なんやかんやで1年ほど続いているそうです。
加えて、しもちゃんはYouTubeで不安との向き合い方などの動画も見ていると話します。いなけんが、それは対処法を学ぶためなのかと尋ねると、しもちゃんは「考え方を学ぶため」だと答えます。
より正確には、外側の事象への対処法ではなく、自分の内面をどう見るかという角度の話でした。いなけんはそれを哲学的・仏教的な考え方だと言い換えます。
具体例として、しもちゃんは「仕事を続けたい自分と辞めたい自分」というタイトルの動画を挙げます。自分の中に10人ほどの人格がいる、という中身の話だったそうです。
(会社を辞めたい自分も辞めたくない自分も)全部自分やから、抑圧するなよみたいな内容やった。
いろんな人格を作って、一つに執着できる点がないかを探していく、という考え方でした。しもちゃんにとっては、人格が複数いるという捉え方自体が新しい気づきだったと言います。
仕事を手放し、東京を出て関西へ——決めたこと
しもちゃんが取り組んでいることは運動や自己分析だけではありませんでした。まず仕事を手放すこと、そして住む場所を変えることに取り組んでいると話します。
住む場所については、東京を出て関西へ移すことをすでに決めたと言います。いなけんは「東京脱出」と表現しました。
(本拠地を移すのは)決まりましたよ。
ゴールデンウィークが終わったら本拠地を移す予定だと話します。一旦は実家を避難所的に使い、関西の根城が決まるまでそこに身を置くという段取りでした。
それでも、しもちゃんの結論は変わりません。ここまでやっているのに、まだ気持ちよくならないと言います。
ここまでやってんのに、まだ気持ちよくならない。
トンネル理論——「そういう時期」として受け入れる案
いなけんは、何をやってもうまくいかず気分が跳ねない時期は誰にでもあると受け止めます。そのうえで、自分ならどうするかを語り始めます。
いなけんの一つ目の提案は、「いつか突破できる」と思ってある種諦め、そういう時期なんだと受け入れることでした。女性が月のバイオリズムやホルモンバランスによる不調を受け入れている様子を例に挙げます。
「ある一定、人生においてこういう時期来るよな」みたいな。
いなけんはこれをトンネルに例えます。平坦だと面白くないし、トンネルにはいずれゴールがあるはずだから、一旦は前に進んでおけばいい、という考え方でした。
一方で、しもちゃんは「言われたらわかるけど」と反応します。1秒後にも気持ちよくなれる瞬間が、何かの条件で存在するはずだと考えているからです。
突破口はどこか——「そもそもバットじゃなかった」
いなけんは、トンネルを抜ける手段は一つではないと言い直します。ダッシュして抜けることも、ダイナマイトで爆発させて突破することもあるはずだ、という例えでした。やることはやっているのに突破できないなら、まだ他にやるべきことがあるのではないか、という問いです。
この問いかけを受けて、しもちゃんは話しながら一つの気づきにたどり着きます。仕事の量が多すぎたかもしれない、というものでした。
話してたら、でもやっぱあれですわ。ちょっと仕事の量、多すぎたかなって思ってきました。
いなけんは、これをシンプルなキャパ問題だと受け止めます。そして、自分に負荷をかけるためにあえてキャパオーバーにする時期も、20代の今後のキャリアを考えると大事ではないかと、「複利的な成長」という言葉を使って話します。
複利的な成長は本当にあるのか——キャリアへの懐疑
しもちゃんは、この「複利的な成長」に懐疑的だと切り返します。AIやそのサブサービスが次々に出てくる中で、未来はどんどん予測できなくなり、見通せる時間軸が短くなると考えているからです。
過去やったら1年後ぐらいまではざっくりわかったけど、これからは1日後しかわからへんみたいな時代が来ると思うんですよ。
しもちゃんの指摘の核心は、キャリアがそもそも積み重ねの考え方だという点にあります。積み重ねの発想が、変化の速い時代にどこまで通用するのかが気になると言います。
いなけんは解はないと前置きしつつ、素朴な反論を返します。やることをやっている人とやっていない人では、どちらが通用するかという話だ、と。
いなけんは野球に例えて説明を続けます。プロで活躍するには二軍で死ぬほど練習する時期が必要で、何も練習せずホームラン王を夢見るのはただの怠惰だ、というのです。この素振りの積み重ねが後の伸び率を左右する、というのが「複利」で言いたかったことでした。
若い時に素振りをする
二軍でバットを振り込み、基礎を鍛える時期
負荷をかける
あえてキャパいっぱいに追い込み、スキルを伸ばす
後で伸び率が変わる
若い時に振っていた分だけ、後々の成長カーブが大きくなる
そもそもバットじゃなかった——長距離打法という幻想
いなけんは、今のしもちゃんは「バットを振るのがしんどい」時期に来ていると解釈します。バットを振る回数を適正なラインに収めるか、あるいはバット以外の練習方法もある、というのがいなけんの見立てでした。
これに対してしもちゃんは、もう一歩踏み込んだ答えを返します。バットを振るのをやめようと思っている、そもそも自分にとってバットではなかった、というものでした。
そもそもバットじゃなかったなっていう。
いなけんも同じことが言いたかったと応じます。長距離砲を目指して素振りやフォームを最適化しても、「自分はそっちじゃない」「守備職人の方がいい」と気づくことがある。ただし、それはバットを振ってみないと気づけない、という点で二人は一致します。
さらにしもちゃんは、長距離打法がかっこいいという憧れ自体が、テレビやマスメディアなど他人が作ったキラキラした像だったと振り返ります。実際に挑戦して「全然楽しくない」と気づけたのが、ここ数ヶ月の収穫でした。
実際にそこを挑戦して、「うわ、これ全然楽しくないぞ」っていうのを、ここ数ヶ月で気づけた。
ニッチを掘る——バント職人が輝ける場所
いなけんは、ニッチを突き詰める生き方についても語ります。バント一本で生きる選手のように、自分のありたい像と一致していれば、それは負荷のない気持ちいい状態だと言います。
いなけんの見立てでは、ニッチを掘っていった先には、その人でしか輝けないゾーンがあります。ホームランやヒットを打てる選手は多くても、バントだけを極めた選手は競合が少なく、ここ一番の局面で価値が出るというのです。
できること同士を組み合わせて、できないことを解く
しもちゃんは、ここで自分にとってのワクワクの正体を言い当てます。フリーランスや小さな会社、前例のない挑戦をしている企業では、対処したことのない問題だらけだと言います。
この対処したことない問題だらけなんですよ。
そのうえで、しもちゃんは自分が心震える瞬間をはっきりと言葉にします。できることとできることを組み合わせて、できないことを解決する——これが楽しいのだと言います。
いなけんはこれを、点と点をつなぐコネクティングドットコネクティングドット ── スティーブ・ジョブズのスピーチで知られる考え方。バラバラに見える過去の経験や点が、後から一本の線としてつながるという発想。だと言い換えます。しもちゃんも、その偶然性や偶発性がとても楽しいと同意します。
AIでできる仕事の薄さと、「魂がこもらない」問題
いなけんは、自身が会社でAIに取り組んでいる立場から、しもちゃんの感覚に共感します。AIで駆動させて再現性を持たせるには、カチッとした業務フローのルールが必要になると言います。
いなけんの指摘は、再現性の裏返しにあります。再現性があるということは模倣もできるということで、つまり再現性のある仕事はAIでできる仕事でもある、というのです。
しもちゃんも、AIには最近気持ち悪さを感じると言います。それっぽいものはできるけれど、どこか心がこもっていない、という感覚でした。
AIって最近気持ち悪いんですよ。っぽいものはできるけど。
いなけんも、ドキュメンテーションなどでAIを使いつつ、心がこもっていない、側は綺麗だけど薄っぺらいと感じると言います。ただし魂を込めるには技術がいるので、AIを使う側のリテラシーの問題でもある、と両面を認めます。
不安の正体は「ワクワクの目減り」だったのか
しもちゃんは、自分が見つけたワクワクの正体を改めて口にします。できることを組み合わせてできないことを解決する——それをやれていないから、今は不安が解消できていないのではないか、という話につながります。
いなけんは、これを「コップの水かさ」に例えて整理します。1日でも1週間でも1年でも、100%ワクワクし続ける瞬間は訪れず、ワクワクの時間がどれくらいの比重を占めたかが問題だと言います。
ワクワクする時間が、ウェイトどれぐらい多かったですかって話だと俺は気がしてて。
いなけんの見立てでは、今のしもちゃんはコップの中で不安な状態が過半を占め、ワクワクの時間が相対的に目減りしています。だからこそ、ワクワクの水かさを上げていけば、結果的に今の状態は解決するのではないか、という結論でした。
この整理から、いなけんは一つの気づきを口にします。走ることはやるに越したことはないが、不安そのものへの直接のアプローチにはなっていないのではないか、というものでした。しもちゃんも「確かにそうですわ」と受け止め、この回は締めに向かいます。
まとめ
朝ランやサウナへの違和感から始まった雑談は、キャリアの積み重ねへの懐疑を経て、しもちゃんにとってのワクワクの正体へとたどり着きました。不安を消そうと運動や自己分析を重ねても効かなかったのは、それが不安への直接のアプローチではなかったから——というのが、二人が話しながら見つけた着地点でした。
- しもちゃんは朝ランや筋トレ、ジャーナリング、東京脱出まで実行しても不安が消えず、「やることやってるのに」という悩みを持ち込んだ
- いなけんは「そういう時期として受け入れるトンネル理論」を提案しつつ、突破口は一つではないと問いを重ねた
- しもちゃんは「そもそもバットじゃなかった」と気づき、長距離打法への憧れは他人が作ったキラキラ像だったと振り返った
- 再現性のある仕事はAIでもでき模倣もできる一方、二人は「魂がこもらない薄さ」に違和感を共有した
- しもちゃんのワクワクの正体は「できること同士を組み合わせて、できないことを解く」ことで、不安はその時間が目減りしている状態だと整理された



