マンジャロとはそもそも何なのか
今回のエピソードは、2人が「みんな大好きなマンジャロ」というテーマを掲げるところから始まります。マンジャロという単語の発音を何度か確かめ合いながら、まずは薬そのものを調べ直します。
あれっすよね、糖尿病患者に使う薬のことですよね、マンジャロって。
しもちゃんがその場で調べたところ、マンジャロは主に2型の糖尿病の治療薬として開発され、世界中で注目されている薬だと説明されます。血糖値を下げる作用と、大幅な体重減少効果があるとされています。
話は糖尿病の1型と2型の違いへと進みます。しもちゃんは、血糖値を下げるインスリンというホルモンが体で作られているかどうかが違いだと整理しました。
1型はそのインスリンがもう壊れちゃう、免疫の異常とかで。2型は生活習慣とか遺伝で、このホルモンのインスリンが出にくくなったり効きにくくなったりする症状です。
いなけんは、インスリンが完全にシャットダウンされているのが1型、薄まっているのが2型だと自分の言葉で言い直し、「詳しくなったわ」と反応します。
マンジャロが効くのはその2型で、摂取するとインスリンの分泌が促されて血糖値が下がり、さらに脳の満腹中枢に働きかけて食欲を抑えるため、結果的に食べなくなって痩せる、というロジックだと説明されました。
痩せ薬に「対岸の火事」と返すいなけん
ここまでの説明を受けて、しもちゃんがマンジャロについての所感を尋ねます。事業として医師監修をうたって展開され、少し炎上していた件にも触れつつ、いなけんの反応を促しました。
いなけんの答えは、当事者性のなさから来るものでした。糖尿病の当事者でもなく、周りに患者がいるわけでもないため、強い思い入れが持てないと語ります。
ぶっちゃけ対岸の火事というか、自分に関係ねえなとはすごく(思う)。
(使ってる人がいても)お互いの人生だよね、ぐらいに思ってる。
おもんないコメントやな、お前。
しもちゃんもマンジャロ自体は健康を害さない範囲で使うなら勝手にすればいい、というスタンスです。ただし、使う人たちには整形も選択肢に入れるような層が多いのではないか、というイメージを持っていると打ち明けます。
ここでいなけんが、渋谷のシーシャ屋で収録した過去回のことを思い出します。近くの席にいた女子大生らしき2人組が「マンジャロがどうのこうの」と話していたという記憶で、2人はその光景を確かめ合いました。
だからまあ、はびこってるんですよ、多分もう。
黄金比を目指すほど「同じ顔」になる矛盾
しもちゃんが抱く疑問の核心は、美意識をめぐる矛盾にありました。綺麗になりたいという層は、他人に認められたい、特別な存在になりたいという欲求を持っているはずだ、と整理します。
しもちゃんによれば、綺麗になりたいとは大衆(マス)から抜け出したいという意識のはずです。ところが実際には、誰かが作った美の基準へ向かって全員が突っ走っている状態になっている、としもちゃんは指摘します。
どう考えても自分の持って生まれた顔でいる方がパンピーから抜け出してるのに、誰かが作った美の意識にめがけて突っ走ってる。これすごい矛盾してるなと思うんすよ。
いなけんはこれを黄金比のたとえで受け止めます。全員が黄金比を目指してラットレースをすると、結果として全員が「黄金比という同じ生産物」になってしまう、という言い換えです。
しもちゃんは、お金をかければ誰もが同じ系統の顔になれる世界では、その顔でいること自体が美しさの証明というより、整形に使えるキャッシュを稼ぐ能力の証明にしかならないのではないか、と踏み込みます。
鏡の自分と写真の自分、どちらが本当の顔なのか
話題は、以前お蔵入りにした回で話したという「自意識と外見」の議論へと移ります。いなけんは、自分の容姿を良いとも思っていないし、むしろ普通以下だと思っているが、そこに何の感情もない、と語ります。
その理由としていなけんが挙げるのが、自己認識と他者からの認識のズレです。まず出発点として、鏡に映る自分と写真に映る自分が、同じ自分なのに違って見える現象がある、と切り出します。
自分が自己認識する鏡に映る自分と、写真に映る自分って、同じ自分を見てるのに、何か脳の作用で違う自分に見えることってありますよね。
脳の作用で違いが生まれるということは、他人から見た自分ともズレるはずだ、といなけんは続けます。自分が思う自分、しもちゃんから見た自分、別の人から見た自分は、それぞれ差分があるという理屈です。
ここからいなけんは、極端な言い方だと断りつつ、認識論的には「自分の顔面は存在しない」という結論へ至ります。だとすれば容姿に固執するのはナンセンスすぎないか、というのが自意識の話の一部だったと振り返りました。
究極これって、自分の顔面って、認識論的にはないはずで。
しもちゃんもこの論理に強く同意します。いなけんは机上の空論感もあると認めつつ、マインドとしては、人が見ている自分と自分が見ている自分は違うのだから、ありたい自分であればいいのではないか、とまとめました。
しもちゃんは「理解できないのではなく、疑問に思っているだけ」と自分の立場を補足します。気持ちはわかるとしつつ、同じように疑問を持つ人が増えてもいいのではないか、と話しました。
痩せていることが「魅力」になる進化的な理由
いなけんは、容姿や恋愛への関心は雑にくくると女性のほうが強いのではないか、と話を進めます。それを踏まえて、なぜ女性が痩せたいのかについて、ひとつの仮説を提示します。
いなけんの仮説は、妊娠と体型の関係に着目したものです。妊娠するとお腹が大きくなり、そのフォルムが太っている状態と似ている、という出発点から始まります。
妊娠している状態は、すでに別のパートナーと子をなしているシグナルになる。だとすれば、痩せている状態は妊娠している可能性が低く、自分の子種をなす余地があるサインとして、男性から魅力に映りやすいのではないか、というのがいなけんの進化的な説明です。
痩せてるっていうことは妊娠してる可能性が低いから、自分の子種を成す可能性がある。つまり男性から魅力に思われやすい。
これに対してしもちゃんは、物事は一つの軸では決まらないと切り返します。もう一つの重要な軸として、自然か不自然か、そして総合して健康的かどうかを人は測っているのではないか、と加えました。
そこで大事なんが自然か不自然かっていう軸やと思ってて。総合して健康的かどうかを測ってると思うんすよ。子孫繁栄において健康体を残したいから。
いなけんはこの結論を先に言われたと悔しがりつつ、同じ方向へ話を詰めます。痩せているという魅力があっても、不健康な個体は、健康で痩せている人と比べれば選ばれる順位(番手)が下がるはずだ、という論です。
この2軸を重ねると、マンジャロを使う側は一見すると性的魅力や美を得ているように見えるが、オスの本能からすると健康というシグナルを欠いてしまい、かえって忌避される対象になりうる、という皮肉な結論に2人はそろって行き着きます。
なんでだかなって。何が本心かなって。
「なりたい顔ランキング」は誰に聞いたデータなのか
いなけんは、魅力の判断は異性からの視線だけではないのではないか、と視点を広げます。夜職の女性がショーケースに登場し、批判の対象にもなる一方で、アイドル的に消費され憧れられている点に注目します。
つまり魅力は男性からだけでなく同性からの支持も得ており、むしろその文脈のほうが強くなっているのではないか、といなけんは指摘します。しもちゃんも「同性からどう見られたいか」という軸があるだろうと同意しました。
例として挙がったのが「なりたい顔ランキング」です。かつて特定の人物が上位を占めていたという話から、しもちゃんはランキングの読み方そのものに注意を促します。
なりたい顔ランキングって、それ誰に取ってるんですかって、ちゃんと細かく見ていったら、「え、こんなもんなんや」ってなる人もおると思うんすよ。
しもちゃんは、データ数、対象者、年代、価値観といった前提まで仮説を持って見れば、ランキングをそこまで絶対視する必要はないと語ります。こうした見方こそ学校教育で扱えるといい、とも付け加えました。
男に生まれたから言える「ハードゲーム」という自覚
ここでいなけんが、自分たちの立ち位置を省みます。男に生まれたからこそ、こうして平然と語れている側面があるのではないか、と気づきを口にします。
いなけんいわく、男性は容姿が劣っていても、仕事や収入といった別のパラメーターで戦う道があり、変数も調整しやすい。一方で女性は、頭が良い・お金を稼いでいることがかえって不利に働くと言われる場面すらある、と対比します。
もうパラメーターが美とか容姿一択みたいな、その世界はなんかハードゲームすぎるよなっていう。
しもちゃんも、それはめちゃくちゃハードなゲームだと同意します。そのハードゲームを全うに戦っている相手に、自分たちが「不健康が云々」と外から言うのも違うのではないか、といなけんは自省しました。
そのうえでしもちゃんは、男側にも見た目でしか判断しない者がいると釘を刺します。自分たちにできるのは、そういう男に「内面も見ろよ」と説教すること、そして何より自分のあり方から変えていくことだ、と話しました。
メッシとガリンシャ、不利な条件が強みに変わる話
話は容姿の受容から、不利な条件を強みに変える生き方へと展開します。しもちゃんは、自然淘汰の論理を使うなら、小柄な女性も子孫を残してきたから今存在しているのであり、別の魅力を持っているはずだ、と述べます。
結局、自分のありようを受け入れて、そっから改善していくしかないと思うんすよね。
この発想にいなけんが強く反応し、サッカー選手を例に挙げます。容姿が良いことが生存戦略に有利なシグナルだとしても、不利に生まれた人には、逆にどこか強いパラメーターがあるはずだという話です。
その象徴として語られるのがメッシです。いなけんによれば、メッシは幼い頃に成長ホルモンの異常で「背が伸びない」と言われていた。体が大きいほうが有利な世界で、小さいという不利を受け入れ、足の速さや小回りといった別の強みで世界一のスーパースターになった、と説明します。
本来的には不利なハンディキャップを背負ったはずなのに、なんか結果的に世界一のプレイヤーになってる。
いなけんはもう一人、昔のブラジルの選手ガリンシャも挙げます。片方の足が短く左右のバランスが違ったため、ドリブルのリズムが他の選手と異なり、そのハンディキャップを逆に生かしてスーパースターになった、というエピソードです。
黄金比や理想像に自分を合わせに行く。誰かが作った基準へ全員が近づき、同じ方向に収斂していく
小柄さや脚の差など不利をそのまま受け入れ、別の強みに変える。結果として観測者に美しさとして感じられる
美しさは「出す」ものではなく「観測される」もの
ここでしもちゃんが、美についての中心的な考えを示します。美しさは、出そうと思って出すものではなく、観測者が勝手に感じるものだ、という捉え方です。
しもちゃんいわく、「これ美しいやろ」と狙って作るものは、結局は自分のエゴの押し付けにすぎません。対して刀は殺傷能力を高めた結果、後から見る者が勝手に美しいと感じ、鑑賞の対象になった、と例を挙げます。
メッシやガリンシャの話も同じだ、としもちゃんはつなげます。自然に淘汰され試行錯誤(PDCA)が回った結果、ある均衡点に達したものを、観測する側が勝手に美しいと感じている。だから整形でたどり着ける道ではない、と語ります。
いなけんは、最初に整形を黄金比にたとえた自分の話に立ち返ります。美しいとされるものを集めていくと黄金比っぽくなる、というのは分かるが、そこへ自分の容姿を当てはめに行くのは、「美しいやろ」と狙って作るのと同じロジックになってしまう、と気づきます。
具体的にしもちゃんが「綺麗だな」と感じるのは、弱さを受け入れて均衡点に達している人だといいます。身長が低ければ幼く見えないようロングコートを選ぶ、一重なら一重を生かしてメイクをする、といった工夫に強く惹かれると語りました。
自分の弱さも受け入れた上で、均衡点に達してるような状態を見たら、「あ、この人めっちゃ綺麗やな」とか。
いなけんも「俺もそっち派だな」と同意します。ただし2人とも、これはあくまで一意見にすぎず、これだけで美が決まるものではない、と繰り返し念を押しました。
プロテイン高騰から「生かされている」という話へ
締めに入る前に、いなけんがマンジャロの潮流に一つだけムカついていることがあると切り出します。「風が吹けば桶屋が儲かる」のように、世界的なブームが思わぬところに影響しているというのです。
ホエイプロテイン(が値上がりしてるの知ってる)。
理屈はこうです。マンジャロを打つと食欲がなくなるが、生命維持には栄養が必要になる。そこでカジュアルにタンパク質を摂れるプロテインの需要が高まり、需給バランスからプロテイン価格が高騰している、といなけんは説明します。
いなけんは、円安や物価高が続く中で、自分が知らないブームの煽りを受けるのは許せない、と文句を漏らします。これにしもちゃんは「視点が自分寄りすぎる」と切り返しました。
しもちゃんは、物事はすべてつながっていると諭します。日本の存在によって最低賃金以下で働かされ搾取されていると感じる海外の人もいるかもしれず、その視点からは日本こそ敵になりうる、と例を挙げます。
視点自分寄りすぎでしょ。全部つながってんねんから。
この流れから、いなけんは「自分が生きているということは、他者から生かされているということでもある」と受け止め直します。しもちゃんも、最近は執着を手放す変化があり、家で眼鏡をなくしたときも「新しいものに行くタイミングだ」と解釈して買い替えた、と自分の実感を添えました。
最後はいなけんが「プロテインのない人生を選択的に受け入れて」と冗談めかして応じ、2人は「お後がよろしい」と回を締めくくります。
まとめ
マンジャロという痩せ薬を入り口に、2人は容姿と美をめぐって思考を往復させました。全員が理想を目指すほど同じ顔に収斂する矛盾、鏡と写真で違って見える「自分の顔」の不確かさ、痩せが魅力になる進化的な理由を経て、最終的にたどり着いたのは、弱さを受け入れた均衡点に観測者が勝手に美しさを感じる、という捉え方でした。
- マンジャロは2型糖尿病の治療薬で、食欲抑制による体重減少効果から美容目的で広がっている
- 黄金比のような理想像を全員が目指すほど、皆が同じ顔に近づくという矛盾がある
- 鏡・写真・他者で見え方が違い、認識論的には固定した「自分の顔」はないという見方が示された
- メッシやガリンシャのように、不利な条件を受け入れて生かした人が別の強みで頂点に立つことがある
- 美しさは狙って出すものではなく、弱さを受け入れた均衡点を観測者が勝手に感じるものだと結論づけられた




