そもそも事業人はどんな仕事をしている会社なのか
第6回はスペシャル回として、MCの宇尾野彰大自身のキャリアストーリーを池原真佐子が掘り下げていきます。前回は採用広報の話で盛り上がりましたが、今回は宇尾野の来歴に焦点が当たります。
今日はこの20分は私のことをずっと喋るっていう。非常にこういうのは苦手で。
ただもうこれも一つの仕事だと思って頑張りたいと思いますが。
宇尾野はまず、現在の仕事の全体像を説明します。事業人は共同代表による複数人の代表チーム制で運営されている会社です。
宇尾野自身が担っているのは、大きく2つの領域です。1つは顧客企業に対して社外CHROCHRO ── Chief Human Resource Officerの略。人事・組織領域の責任者を指す役職。として、組織づくりを外部から総合的に支援する「伴走事業」です。
もう1つは、経営者向けに組織づくりのリテラシーをインプットし、自社で自律自走できるようにするスクール事業です。伴走事業は主に成長企業を対象にしていると話されています。
つまり、成長企業の人事・組織という面を、伴走とスクールの両輪で支援しているのが、いまの宇尾野の仕事の中心です。
「何屋ですか」と聞かれて答えに困った20代のキャリア
組織づくりのコンサルという今の姿から、宇尾野はずっと人事一筋だったと思われがちです。しかし本人によれば、20代のキャリアはかなり入り組んでいたと言います。
私のそれこそ20代は結構キャリアぐちゃぐちゃでして。多分履歴書見るとなんかいろんなことやってる人だなっていう感じに映ってました。
宇尾野が新卒で入ったのはリクルートで、最初の3年間は不動産のSUUMOで営業を担当していました。担当は大阪の地場の不動産会社から始まり、全国展開企業、大手へと少しずつ変わっていったと振り返ります。
その後は営業から事業企画・経営企画側へ移り、事業開発を担当します。担当領域もSUUMOからゼクシィ、スタディサプリへと移り、さらに別の会社では開発のマネジメントも経験しました。
いろんな仕事をいろんな立場で経験してきたため、「あなたは何屋ですか」と聞かれたときに答えづらかったと宇尾野は話します。当時は一本芯の通ったキャリアという感覚はなかったといいます。
「あなたは何屋ですか」と言われた時に、「いろんなことやってます」みたいなことを。
その後、組織づくりや人事系へキャリアをコンバートしたことで、少しずつ今の形ができあがってきたと宇尾野は語ります。
人事は「行かない方がいい」と思っていた宇尾野が人事を志した原点
営業や事業開発を経て人事にコンバートした理由を池原が尋ねます。宇尾野によれば、人事志望そのものは学生時代からありました。
元々でいうと、就職活動の時にいつかはやりたいっていうのは、当時の就活の自己分析ノートとかに書いてあったんですよね。
ただし宇尾野は、新卒ではあえて人事以外を希望して入社しています。結論として、最初から人事には行かない方がいいと考えていたためです。その原点は学生時代のスポーツにありました。
宇尾野が中学から大学まで続けていたのは、陸上競技の110メートルハードルです。個人競技として、0.01秒速くなるにはどうするかという世界を追求してきたと振り返ります。
自分が頑張った結果がそのまま数字に表れるし、ちょっとサボれば出ないみたいなことを追求してた。
転機は、個人の追求から「組織でどう勝つか」への関心の広がりでした。大学では大学対抗の戦いになり、宇尾野の種目はインカレインカレ ── インターカレッジの略。大学対抗の学生スポーツ大会を指す。に3名しか出場できない狭き門でした。
しかも宇尾野の前後の学年には、それぞれインターハイチャンピオンがいたといいます。上にも下にもトップ選手がいる中で、3人枠に入る難易度は非常に高い状況でした。
そうした環境で、個人の追求と並行してチームでどう勝つかを模索した結果、それが個人の成績にもつながる。宇尾野はこの原体験から、組織の面白さに気づいたと話します。
宇尾野の所属していたチームは、卒業後に箱根駅伝を連覇するほど強くなった時期がある一方、暗黒時代も経験しています。組織が盛り上がる過程も凋落する過程も、学生ながらに体感したといいます。
その視点で、組織をより良くして個人も幸せになっている会社はどこかと探した先で、たまたま出会ったのがリクルートでした。宇尾野が惹かれた理由の1つが、リクルートのあるポリシーです。
リクルートは最も優秀な人を人事部に置けっていうのも、すごく会社の大事なポリシーの一つになってたんで。
ここには何かあるはずだと考えながら入社したと宇尾野は振り返ります。人事は行かない方がいいと考えつつ、いつかは携わりたいという矢印を持ち続けていたことになります。
ユーザベースで学んだ「主体性を信じる」組織づくり
20代のさまざまな経験を経て、宇尾野は人事へコンバートします。ただし、これまでの経験をあえて生かさずに人事へ移ろうとすると、思い描くような機会やオファーは来にくいと宇尾野は指摘します。
結果として、証明できる経験で選ばれるジョブに就くしかなく、コンバートできずに悩む人の相談もよく聞くといいます。宇尾野自身はたまたま縁があり、リファラルリファラル ── 社員の紹介・推薦を通じた採用のこと。リファラル採用とも呼ばれる。でユーザベースに入りました。
ユーザベースでは、当時代表だった稲垣氏稲垣氏 ── 書き起こしで宇尾野が言及したユーザベースの当時の代表。から温かくも厳しく指導を受けたといいます。組織の根幹となる取り組み方やシステム、人に向き合う誠実さを教わったと宇尾野は語ります。
宇尾野が最も印象に残っている学びとして挙げたのが、個の才能をどう生かすかにエネルギーをかける組織文化でした。会社に熱狂し没頭する個人を大切にしていたといいます。
当時なんか魔法がかかったような組織っていうのを社内の人たちも言ってたくらい、すごい熱狂してたんですよね。
何をすれば社員がそこまで熱狂するのかと池原が問うと、宇尾野は「人の主体性を信じる」ことだと答えます。ただし主体性を信じるには、前提となる条件があるといいます。
宇尾野によれば、主体性の大元を本人が強く持っていなければならず、そもそもそれに気づいていなければ発揮もできません。だからこそ自己認識の高さが鍵になると話します。
この経験は宇尾野にとって、いい組織とは何かを考える土台になっています。企業として魅力的でありながら、組織づくりの学びを自社だけにとどめず外に広げたいという思いにつながっていきました。
自社にとどめず外へ、事業人を立ち上げた5年間
ユーザベースやニューズピックスで多くの会社や人への影響力を持つ立場を経験する中で、宇尾野の関心は徐々に外へと向かっていきます。組織づくりや人事の考え方を、自社だけにとどめたくないと感じるようになったといいます。
いろんな会社が難局を乗り越えるのを一緒に考える立場になりたい。その思いが高まった結果、宇尾野は飛び出して今の事業を始めました。会社としては5年前、在籍中に副業的に始めていた時期も含まれます。
この5年間を振り返り、宇尾野は関係者とともに成長させてもらったという手応えを語ります。事業人の支援先はおよそ200社にのぼるといいます。
宇尾野は、組織づくりへの意識や問題意識が社会的に醸成されてきたと指摘します。それは自分たちの力というより社会の変化であり、その中で自分たちの存在意義を強く感じながら仕事ができていると話します。
経営者の「ここだけの話」に伴走し、時に引っ張る仕事
5年間で心を動かされた事例について、宇尾野はスタートアップや成長企業の経営者が抱える孤独を挙げます。表に出る話ばかりではなく、影の苦労が多々あるといいます。
経営者本当に孤独だなって思う場面って本当多々あるんですけど、その人たちといやもうほんとここだけの話っていうその入り口から、一緒にその難局を乗り越えた。
経営者には株主や重要顧客、社員など多くの関係者がいますが、利害が強いため、こうした悩みを周囲に相談しづらいと宇尾野は説明します。事業人は同じ目的・目標を共有するからこそ、まず話してみようという相手になれると話します。
一方で宇尾野は、アドバイザーで終わってはいけないとも考えています。組織づくりは気持ちだけでは進まない部分があるためです。
一緒に動くとか、場合によってはもう引っ張ってあげるみたいなシチュエーションも同時に必要だなっていうふうには、今思いながら会社やってますね。
組織の悩みは人にまつわるものが多く、人のことは人にも相談しづらい。だからこそ、そうした難局を一緒に乗り越える場面が数多くあるのだろうと池原は受け止めます。
キャリアで一番つらかった時期を池原が尋ねると、宇尾野は意外な答えを返します。そもそもあまりつらいと思わないというのです。
モチベーショングラフって、これ僕偽りなくマイナスに行ったことほぼない、ほぼないっていうか大体書かないんですよね。
宇尾野は、他の人のつらい話をたくさん聞いているため、自分の感情が相対的に安定していると分析します。いろんな人の話と比較して、自分の位置を置いている感覚だといいます。
オリンピックを追う旅と、場を観察する癖
話題はプライベートに移ります。好きなことを問われた宇尾野は、料理と言いたいところだと前置きしつつ、旅行が好きだと答えます。
宇尾野が好むのは、お祭りのような非日常の旅です。象徴的なのがオリンピックで、4回分のうち3回ほど現地に足を運んでいるといいます。
あの瞬間の街ってすごいなんか熱気もあるし、ちょっと普段いない人がその場にいたりするんで、街もなんか変則的なんですよね。
宇尾野がその場を楽しむ内訳は、そこにいる人たちの動きや、楽しそうにしている様子を見ることだといいます。そしてこの感覚は、組織づくりへの関心と地続きだと本人も認めます。
組織って小さい村みたいなもんじゃないですか。そこで皆さんが笑顔になってるとか、談笑してる場を見繕うのはすごい楽しい。
宇尾野は、その場の空気を想像し、今ここにいる人たちが何を大事にしているのかを観察するのが好きだと話します。プライベートの話が、自然と仕事の話につながっていきます。
マイノリティ体験と家庭の調整役が育てた「関係性」への関心
場や人への関心はいつからかと池原が尋ねると、宇尾野はかなり小さい頃からだと答え、2つのエピソードを挙げます。1つ目は幼少期の海外経験です。
宇尾野は日本で生まれたあと、5歳ごろまでアメリカで過ごしました。ニューヨークの田舎で、アジア人も日本人もほとんどいない環境だったといいます。
その中で宇尾野は、自分がマイノリティである感覚や、その中でどう過ごすかという振る舞いを自然に身につけたと振り返ります。
2つ目は、日本に戻ってからの家庭での経験です。家庭でゴタゴタしたこともあり、家族や周囲の人との関係をどう調整するかを幼少期から考えていたといいます。
池原は、この2つを、圧倒的なマイノリティの場で他者と関係を築く経験と、家庭という組織の中でうまく立ち回る経験として整理します。それらが今の仕事につながっていると受け止めます。
ただし宇尾野は、単に人が好きというより、関心の中心は「関係性」にあると補足します。
この観察癖は日常でも発揮されるといいます。宇尾野は、街中で芸能人とすれ違うことにやたらと気づくと話し、その視野の広さを池原は面白がります。
集合してるとか、街中とかでは急に多分スイッチ入ってますね。
場への興味と、関係性や風土をデザインする視点。それが一本につながって今に続いていると池原はまとめます。宇尾野自身も、この道に携わるために生まれてきたのではないかと感じることがあると語ります。
人事の矢印は最終的に「子ども」へ向かっている
最後に池原が、この先やってみたいことを尋ねます。宇尾野はまず、組織づくりに十分な時間やコストを投資できなかった結果への問題意識を挙げます。
宇尾野は、やりたい事業を実現できなかった会社や、入社を後悔している社員の声を聞くことがあるといいます。こうした事態をゼロにしたいと語ります。
社会を良くするための事業やサービスを実現できる組織をたくさんつくりたい。そして、この会社で働いてよかったと自負できる人生を過ごす人を増やしたいというのが、宇尾野の目指す方向です。
その上で宇尾野は、今日話せなかった根幹として、人事をやる理由の最終的な矢印が「子ども」に向かっていると明かします。
大人が幸せだったら子供も幸せになると絶対思ってるんで。で、大人が幸せになるためには職場が良くないと。
大人が幸せになるための職場環境をつくり、大人も子どもも幸せになれば社会が発展する。それが宇尾野なりのロジックであり、この人生を歩む理由だと語られます。
職場環境を良くする
組織づくりを支援し、働く場を整える
大人が幸せになる
目的を達成でき、働いてよかったと思える
子どもも幸せになる
大人が幸せなら子どもも幸せになると考える
社会が発展する
その連鎖の先に社会全体の発展がある
収録を終え、宇尾野は次回は池原のキャリアを深掘りしたいと語ります。自身のストーリーが、聞き手にとって何か1つでも刺激になればと話し、この回を締めくくりました。
まとめ
第6回は、MC宇尾野彰大のキャリアヒストリーを掘り下げるスペシャル回でした。ぐちゃぐちゃだったという20代の職歴、陸上での組織との出会い、ユーザベースでの学び、そして矢印が子どもに向かう理由まで、宇尾野の原体験と現在の仕事が一本につながる回になりました。
- 宇尾野の仕事は、成長企業への社外CHROとしての伴走事業と、経営者向けスクール事業の2つが中心
- 20代は営業・事業開発・開発マネジメントと多職種を経験し、その後に組織づくりへコンバートした
- 陸上でのチームで勝つ原体験と、リクルートの「最も優秀な人を人事に置く」ポリシーが人事志望の背景にある
- ユーザベースでは「人の主体性を信じる」組織文化と、自己認識の高さがエネルギーを生む場面を学んだ
- 幼少期のマイノリティ体験と家庭での調整役が関係性への関心を育て、その矢印は最終的に子どもへ向かっている





