30社に応募して内定はセガだけ。決め手は「遊び」の話?
後編は、タツマキゲームズの畑佐雄大さんが大学を卒業し、新卒でセガに入社するところから始まります。前編で生い立ちの話が盛り上がったため、聞き手の森下明さんは後編を就職活動の話から再開しました。
畑佐さんは高校から大学に進む際に周囲からいろいろ言われながらも、ゲーム業界に行きたいという思いを捨てきれなかったといいます。学科的にプログラミングが専門ではなかったため、就職活動のときに知った「プランナー」という企画職を選びました。
とにかくゲーム業界に行くんだって言って、もう結構30社ぐらい、多分ゲーム会社枠にバーって出したっていう感じでしたけど。
規模の大小を問わずプランナー職に片っ端からエントリーした結果、内定が出たのはセガ1社だけでした。福井の大学に通っていた畑佐さんは、東京での面接には夜行バスで向かい、朝6時や7時に新宿駅に着いてマクドナルドで時間をつぶしてから面接に臨んでいたそうです。
畑佐さんは、遠方から来ていることが面接のつかみとしてポジティブに働いたのかもしれないと振り返ります。森下さんは「こいつ気合系やん」と思われたのでは、と笑いを交えて応じました。
僕を取ってもらった部署は、結構最終的にはやっぱ遊びについて、ゲーム以外の普段やってる遊びですね。
セガの面接で印象的だったのは、ゲーム以外にどんな遊びをしているかを掘り下げられたことでした。畑佐さんは大学時代によく遊んでいたため、釣りや麻雀、ダーツ、ビリヤード、ボウリングのスコアまで話し、それが好感触につながったといいます。
森下さんは、エンタメ全般を手触り感を持って理解している人を求めていたのでは、と推察します。畑佐さんは、配属先がコンソールではなくアーケードゲームの部署だったことも関係していたのかもしれないと話しました。
椅子で寝る先輩と文化祭のような毎日。セガのアーケード開発現場
森下さんは、当時のセガは「とんでもない働き方」をしていたという印象を持っていました。畑佐さんもそれを認めつつ、ゲーム業界とはそういうものだという前提で入社したため、特に驚きはなかったといいます。
僕は割とゲーム業界ってそういうもんだろうっていう前提で入ったんで、割と全然特に驚きとかはなくて。おお、みんな椅子で寝てんなみたいなぐらいの感じだったんです。
当時のセガは大鳥居にあり、畑佐さんは自転車でも通える東蒲田に住んでいました。終電を気にする必要もなく、夜中まで仕事をしたり、先輩と会社でゲームをしたりする日々だったそうです。
畑佐さんの1日は、エンジニアやデザイナーの作業がスケジュール通りに進んでいるかを確認し、朝会で進捗を共有するところから始まりました。プランナーでありながら、当時はまだPMという呼び方が一般的でなかったPM的な役割も担っていたといいます。
日中はゲームの細かい仕様書を書いてデザイナーに発注し、夜遅くに自分の時間ができると、自分のゲーム企画を書いたり、モンハンのような協力プレイのゲームを同僚と遊んだりしていました。
入社2〜3年目で通った自分の企画と、新規タイトルだけの5年間
セガ時代の畑佐さんは、自分の企画が一度社内で通り、「基礎研究」というフェーズまで進んだ経験があります。アーケードゲームではゲーム性だけでなく筐体を含めた仕組みに新規性があるかが問われるため、まずプロトタイプを作る段階が設けられていたそうです。
企画
自分のゲーム企画を書いて通す
基礎研究
筐体を含めた仕組みの新規性をプロトタイプで確かめる
アルファ
基礎研究の結果が良ければ次の開発段階へ進む
畑佐さんの企画は基礎研究から先には進めませんでしたが、入社2〜3年目でそこまで任されるのは当時でも珍しかったといいます。エンジニアとデザイナーを1人ずつ付けてもらい、ディレクターに近い立場でプロトタイプを作れたことを、畑佐さんは「めちゃくちゃありがたかった」と振り返ります。
もう1つ珍しかったのは、畑佐さんがアーケード部門の中で新規タイトルだけに携わってきたことです。シリーズものの運営が中心の部門で、新作2本のプランナーやPMを務めました。
新しいゲームをゼロイチで生み出されていく過程みたいなのを見れたのはめちゃくちゃ良かったなと思いましたけど。
なぜセガを離れ、カヤックを選んだのか?
畑佐さんがセガに在籍したのは2010年から2015年までの5年間です。楽しそうな話ばかりなのに、なぜ辞めたのかという森下さんの問いに、畑佐さんは2作目のタイトルがリリースを迎えた節目を挙げました。
自分の企画を実現するには、主導権を取れる立場に上がる必要があります。ただ、当時のアーケードゲームはストリートファイターやバーチャファイターが出た全盛期と比べて厳しい時代で、要職にはその全盛期を勝ち抜いてきた人たちが就いていました。
今いる上の人たちの背中を追うんじゃなくて、全然別のルートから、どうやって自分のゲームが作れるようになるかみたいなことを考えた時に、転職するかっていう選択肢が出てきたって感じですけどね。
転職先にカヤックを選んだ理由の1つは、社員ごとのページがあるなど、メンバー個人を前に押し出す社風でした。アーケードゲームにはスタッフロールもなく、畑佐さんはゲームクリエイターとして名前が世に出ることに一定の憧れを持っていたといいます。
もう1つの理由は、カヤックがゲーム以外にもさまざまな事業を手がけていたことです。畑佐さんは「ゲーム以外のこともやったことがあるゲームクリエイター」になることが、上を目指すのとは別のアプローチになると考えていました。
カヤックのクライアントワークで知った「世の中のお金の動き」
カヤック入社時、畑佐さんにはモバイルゲームの運営とクライアントワークの2択が示されました。運営は性に合わないと感じた畑佐さんは、クライアントワークを選びます。
クライアントワークでは、Webサイト制作や広告キャンペーンの企画、X(Twitter)キャンペーンの実施など、広告代理店に近い動きをしていました。見積もりを作って発注を受け、予算を達成するかどうかを追う、いわゆるビジネスの仕事です。
セガでは全然もう中しか見てなかった。
セガでは社内の開発しか見ていなかった畑佐さんにとって、外から予算を取りにいく経験は大きかったといいます。森下さんも調査会社と代理店で営業をしていた経験に触れ、営業の大切さに共感しました。
セガ時代は社内の開発だけを見ていた
見積もり、発注、予算達成という世の中のお金の流れを理解した
畑佐さんはやがてプロデューサーとしてチームと予算を持つ立場になりました。ある程度の満足感が出てきたころ、カヤックで新作ソーシャルゲームが作られていたこともあり、リリース直前のミッドコアゲームのPMリーダー的な立場でゲーム事業部に移りました。
夜の会議室で勝手に始めたハイパーカジュアルは、なぜ中核事業になったのか?
カヤックのハイパーカジュアル事業は、会社が立ち上げを決めたものではありませんでした。久しぶりにゲームが作れると意気込んでゲーム事業部に移った畑佐さんでしたが、リリース直前のチームは疲れ切っていて、自分だけテンションが違うと感じたそうです。
ゲームを作りたいっていう鬱屈が溜まってるメンバーはちらほら見かけたんで、なんか勝手に作っちゃおうぜって言って声かけ(て)。
夜の会議室でなんかどうするって言ったら、なんかハイパーカジュアルゲームっていうのがあるらしくて。あれだったら別に俺らでも作れんじゃね?みたいな話から始まったっていう感じですけど。
誰の指示でもないのに、なぜ動けたのか。森下さんの問いに、畑佐さんは3年ほどゲームそのものを作っていない期間があり、ゲームを作るために事業部へ移ったことが大きかったと答えます。
畑佐さんは、売れることももちろん望みつつ、ゲームを作っているプロセスそのものが好きだと話します。セガ時代の文化祭のような毎日が恋しかったのかもしれない、とも振り返りました。ゲームを作っている人を見るのも好きだといいます。
こうして始まったハイパーカジュアルは売れ、カヤックの中核事業になっていきます。ただ、ハイパーカジュアルは広告費を投じて売上を伸ばすモデルのため、会社との交渉が必要でした。
有志で制作
夜の会議室に有志が集まり、ハイパーカジュアルを作る
テストを交渉
作ったゲームを広告でテストさせてほしいと会社に交渉する
段階的に拡大
リリース後、結果を見ながら広告予算を段階的に上げる
給料、働く場所、投資先。自分で決めるための起業
ハイパーカジュアル事業がうまくいき、畑佐さんはチームと権限を任されるようになりました。不自由はなかったものの、そこまで行き着くと、自分では決められないことがいくつか見えてきたといいます。
| 項目 | 当時の状況 | 実現したかったこと |
|---|---|---|
| メンバーの給料 | 評価はつけられるが、給料を決める権限はない | ヒットを出したら大きく報われる仕組み |
| 働く場所 | チームだけでオフィスを変えることはできない | ゲーム作りに不自由しない環境 |
| 稼いだお金の使い道 | 会社全体で判断するため、チームでは決められない | 次に何へ投資するかを自分たちで決める |
これ以上やっぱ自由度を上げようと思ったら、もう自分で会社作るしかないなと思って作ったっていう。
給料について畑佐さんは、ゲームを作る以上は「一発当てて大儲け」という夢を見られるようにしたかったと話します。ゲーム以外の事業も抱える会社では、ヒットを出した人だけ給料を大きく上げるのは難しかったといいます。
働く環境についても、最新のゲームがいつでも遊べて、漫画などのコンテンツも自由に見られ、PCや機材も良いものがそろった場所を作りたかったそうです。
起業のリスクや精神的な負担を問われると、畑佐さんは「あまりなかった」と答え、それが最近はコンプレックスになりつつあると笑います。
ダメだったらなんかまたどっか就職すればいいやぐらいのことをずっと根っことしては思ってるんで、割となので気軽にできたというか。
森下さんも「全く私も同じです」と応じました。畑佐さんは最初しばらく1人で会社を運営していたこともあり、気は楽だったといいます。
ハイパーカジュアルは終わった?いまの市場とタツマキゲームズの収益源
2021年10月に創業したタツマキゲームズは決算書を公開しており、森下さんは順調な数字だと推察します。畑佐さんは「なんとか生きながらえてます」と控えめに応じました。
タツマキゲームズの収益の主体は、いまもハイパーカジュアルゲームです。それを基盤に、STEAMやコンソール向けのゲームにも挑戦しています。ハイブリッドカジュアルも試したものの、自分たちにはハイパーカジュアルが性に合っていて得意だと見えてきたといいます。
市場について畑佐さんは、現在のランキングの大半はパズルゲームが占め、CPIが多少高くても長く遊ばれるゲームが主流だと説明します。ただ、その隙間にハイパーカジュアルが入ってくることもあり、ニーズが消えたわけではないと見ています。
(ハイパーカジュアルは)割と人間の本能的な楽しさとかを刺激するタイプのゲームなんで、完全にそこの欲求がなくなっちゃうことはないのかなと思います。
タツマキゲームズは過去タイトルの運営に加え、自社での新規開発や他社タイトルのパブリッシングも手がけています。
ヒットを生む「ちょいずらし」とは?
企画の発案や情報収集の方法を尋ねられると、畑佐さんは「泥臭い」と答えます。競合を見て、ランキング上位のゲームをひたすら遊び、別軸でSTEAMで流行っているゲームも遊んでインプットを重ねているそうです。
誰も見たことのない全く新しいゲームは全然受けないんですよ。基本的にやっぱ。
畑佐さんによると、大事なのは「ちょっとあれとは違うな」と思わせるちょいずらしを見つけられるかどうかです。それが一番難しい一方で、見つかると結構うまくいくといいます。
森下さん自身も畑佐さんの助言を受け、プロトタイプを70〜80本ほど作った経験があり、いずれまた挑戦したいと話しました。
3人の会社と、自走できる仲間探し
タツマキゲームズの元々のコンセプトは、自分たちが面白おかしくゲームを作れる環境を作ることです。畑佐さんは、そのコンセプトを保ったまま少しずつ仲間を増やしたいと考えています。
現在のメンバーは畑佐さんを含めて3人で、業務委託もいません。共同開発をしている会社はあるものの、各メンバーが指示を待たずに、自分でいけると思うゲームを独立して作る環境だといいます。
割と合う合わないもちろんあると思いますし、なんかこう自走できるかどうかとかって、結構やっぱ人にもよるとは思うんで。
森下さんは「自走できたら自分でやっちゃいますからね」と、人材集めの難しさに触れました。
小さなチームこそ生成AIが使いやすい?ストア説明文の自動ローカライズ
一方で畑佐さんは、いまの時代は小規模チームに追い風が吹いていると見ています。受託開発をせずオリジナルのカジュアルゲームを作る小さな会社は、日本の会社で生成AIの壁になりがちな著作権などのしがらみが比較的少なく、使いやすいと考えているそうです。
そこで結構小規模だけど大規模並みのことができるっていう可能性はあるかもなと思ってますけどね。
畑佐さんがしっくりきているのは、やったほうがいいけれど面倒で手が回らない作業をAIに肩代わりしてもらう使い方です。具体例として、アプリストアの説明文やタイトルのローカライズを挙げました。
取り組みは収録の前週に始めたばかりで、効果はまだ出ていないといいます。ハイパーカジュアルは8〜9割が広告経由のインストールのため、オーガニックの変化を見るには1か月ほどかかりそうだと話しました。
なんとかしてAIを使ってやろうっていう、あんま躍起になるよりかは、自分が面倒くさくて手が回ってないことをやってもらうぐらいの方がいいのかなと思って。
「そういうノリでも会社として成立するんだ」と思われる組織へ
今後の展望として畑佐さんが挙げたのは、タツマキゲームズのコンセプトに共感し、そういう環境でゲームを作りたいという人と、どこまで仲間を増やせるかです。頭数を増やしたいわけではないといいます。
売上を拡大したい欲より楽しくゲームを作りたいのか、という森下さんの確認に、畑佐さんははっきりとうなずきました。
日々マネジメントに向き合う森下さんは「素晴らしい」と応じ、畑佐さんは「マネジメントも大事ですけどね」と返して、後編は締めくくられました。
まとめ
畑佐さんのキャリアは、セガでの新規タイトル開発、カヤックでのビジネス経験、夜の会議室から始まったハイパーカジュアル事業を経て、自分たちで決められる範囲を広げるための起業へとつながっています。その根底には、ゲームを作っている状態そのものが好きだという一貫した思いがあります。
- セガでは面接で「ゲーム以外の遊び」が評価され、新規タイトルだけに携わる5年間を過ごした
- カヤックのクライアントワークで、見積もりや予算達成といった世の中のお金の流れを学んだ
- 誰の指示でもなく有志で始めたハイパーカジュアルが、会社の中核事業に育った
- 給料、働く場所、投資先を自分で決めるためにタツマキゲームズを創業した
- ヒットの鍵は、既存ゲームの要素を掛け合わせる「ちょいずらし」と、手が回らない作業をAIに任せる発想


