コンビニも電車もない、人口2000人の村
森下さんと畑佐さんの付き合いは、森下さんが2022年3月にブシロードインターナショナルへ赴任し、シンガポールでモバイル事業を担当していた頃から続いています。畑佐さんがタツマキゲームズを立ち上げたのは2021年の後半で、創業初年度にあたる時期でした。
畑佐さんはハイパーカジュアルゲーム ── ルールが単純で、数秒で遊び方がわかるスマートフォン向けの軽いゲームのジャンル。広告収益を主なビジネスモデルにすることが多いですやハイブリッドカジュアルゲームを得意分野にしています。番組としてこの分野を扱うのは初めてで、前編では畑佐さんの生い立ちを聞いていきます。
畑佐さんの出身は岐阜県の山奥にあった村です。当時の人口は2000人いたかいなかったか程度で、その村は市町村合併によって今はなくなっています。
すごい田舎で、まだ僕以上に田舎の人に出会ったことがないぐらい田舎の出身で。
畑佐さんの村には保育園も小学校も中学校も1つずつしかなく、保育園から中学まで同じメンバーで過ごしました。いろいろな人にインタビューしてきた森下さんも、「一番田舎」と認めます。
畑佐さんの村の風景は、山と田んぼと畑です。ゲームセンターもコンビニもイオンもなく、電車も走っていません。
バスが1日に3本ぐらい来るか来ないかぐらい。
三重県四日市市出身の森下さんも、郡に近い地域で育ちました。村よりは大きいものの、似たような環境だったと振り返っています。
山で秘密基地、川で魚突き、家では1日1時間のゲーム
畑佐さんの村では習い事にも選択肢がなく、通えたのは家の近くの書道教室だけでした。畑佐さんは小学生から中学生くらいまで、その書道教室に通い続けています。
川潜って銛で突いて取って焼いて食べるみたいな、そういう野生児的なことをするか、家でゲームするかのもう二択しかなかったんですけど、選択肢。
畑佐さんの遊びは、山で秘密基地を作ること、川で魚を捕ること、そして家でのゲームでした。今では自分の子どもにはやらせられないと笑いつつ、「めちゃめちゃ」遊んでいたといいます。
森下さんが「グローバルどころかドローカル」と言うと、畑佐さんもうなずきます。高校生くらいまでは、早くこんなところを出てやるという鬱屈した気持ちを抱えていたそうです。
畑佐さんの家では、ゲームは1日1時間までと決まっていました。やりたくてもやれない中で「狭く濃く」遊び、特にRPGに夢中になります。当時はスーパーファミコンやファイナルファンタジーの全盛期でした。
1987年生まれの畑佐さんと1988年生まれの森下さんは、ほぼ同じ世代です。二人は友達の家に集まってロックマンを遊んだことや、ゲームボーイのポケモンの通信ケーブルを持っている子が重宝されたことを懐かしみます。
もうそういう遊びがやっぱコアにあるんで、なんか結構自然とゲームだなみたいな感じはありましたけどね。
畑佐さんは小学校で少年野球をしていました。中学は部活が強制でしたが、選べるのは野球部とバスケ部の2つだけです。人数が少ないためサッカー部はなく、畑佐さんはバスケ部に3年間所属しました。
寄せ集めの高校で自然に覚えた「初対面からのコミュニティづくり」
畑佐さんの高校選びにも、選択肢はほとんどありませんでした。家から通える公立高校は2校だけで、畑佐さんは偏差値が普通のほうの高校へ進みます。
森下さんが、高校時代に英語や留学などグローバルとの接点はあったかを尋ねると、畑佐さんの答えは「全くない」でした。そのうえで、今の仕事に生きている経験として、高校の人間関係を挙げます。
(高校では)もう8割9割方みんな初対面みたいな感じになったんで、初対面の人に対してどうやってコミュニケーション取って、自分のコミュニティを作っていくかみたいなムーブは自然とやってたのかもなと思いますけど。
畑佐さんの話では、小中学校なら放っておいても友達になれますが、高校生くらいだとお互いに距離感を測りかねるといいます。森下さんも、ばらばらの地域から来た人たちと折り合いをつける状況だったと、言われて初めて気づいたそうです。
畑佐さんは高校時代、冬休みの間はスキー場でアルバイトをしていました。正月も休まず働きましたが、稼いだお金は春に使い切り、なぜこれを買ったのかと思うこともあったと笑います。
畑佐さんは高校でもゲームが好きなままでした。ゲームは子どもっぽい、オタクっぽいという風潮があった中でも、恥ずかしいとは思わなかったといいます。
基本的にはやっぱゲーム作る人になりたいなみたいなことを自然と思ってはいたって感じですけどね。
ゲーム専門学校志望から、AO入試で福井大学へ
畑佐さんはもともとゲームの専門学校に進みたいと考えていました。けれど、担任の先生や親から、ゲームを作る人になれるのはひと握りなので可能性を狭めるべきではないと、こんこんと説得されます。
学費の問題や国公立大学のほうがよいという考えも重なり、畑佐さんは大学進学を選びました。最初は近場の岐阜大学を目指し、高3の春から夏ごろまで勉強を頑張っていたそうです。
途中でなんか勉強やだってなって。爆発して。
そこで畑佐さんが調べたのが、勉強以外で大学に行く方法です。たどり着いたのはAO入試 ── 学力試験の点数よりも、面接や書類などで志望者の意欲や適性を評価する入試方式。一般入試より早い時期に合否が出ることが多いですで、実施している大学の中で一番近かったのが福井大学でした。
専門学校志望
ゲームを作りたくて、ゲームの専門学校を希望する
大学進学へ
先生や親の説得、学費、国公立の利点から大学を選ぶ
岐阜大学を目指す
高3の春から夏ごろまで受験勉強に励む
AO入試に切り替え
勉強が嫌になり、秋に合否が出るAO入試を見つける
福井大学に合格
高3の10〜11月ごろに合格し、センター試験は受けずに済む
畑佐さんが進んだのは工学部の知能システム工学科で、平たく言えばロボットを作る学科です。電子工学、機械、プログラミング、さらに細胞などの化学寄りの知識まで、工学部の分野を広く浅く学べる点が性に合っていたといいます。
畑佐さんの大学生活は、ほとんど遊んでいたといいます。10数万キロ走った中古車を買って出かけ、東尋坊 ── 福井県坂井市にある、日本海の荒波に削られた断崖が続く景勝地。県を代表する観光名所ですのある日本海で泳いだり釣りをしたりしていました。
まあまあ田舎は田舎ですけど。ただ僕にとってはめちゃめちゃ、うわ福井でも都会だと思いましたけど。
受験から逃げた人が、なぜ英語の勉強は続けられたのか
畑佐さんは、大学までグローバルとの接点は全くなかったと話します。本人も「超後天的」と言うように、海外への憧れはうっすらあったものの、そのために本腰を入れて行動するほどではありませんでした。英語力も受験レベルだったそうです。
森下さんはここに逆説を見ます。受験勉強が嫌で逃げた畑佐さんが、仕事で必要になった英語は、使いこなせるまで勉強し続けられました。その理由を尋ねると、畑佐さんの答えは習慣づくりの話でした。
畑佐さんは、自分はこういうタイプで、これはできないから、こうすればできるかもしれない、と試行錯誤を重ねてきたといいます。英語の勉強も、その積み重ねで習慣化できたものです。
畑佐さんは、仕事から帰ってから勉強するといった意思に頼るやり方や、スキマ時間に勉強するやり方は続かないタイプです。「基本サボりたいし、楽したい」と自分を見ています。
平日の間に1時間会議室を自分で押さえて、要は1日のスケジュールの中にもう組み込んじゃうんですよ。勉強の時間を強引に。
畑佐さんは会議室に1人でこもって1時間勉強し、何事もなかったように仕事に戻る生活を、ほぼ毎日続けていました。森下さんは、ランチ時間や朝の時間をブロックすれば誰でもまねできると感心します。ただ畑佐さん自身は、朝早く来るのは自分には無理だと話しています。
タスクリストと「進捗の見える教材」で続けた2年間
畑佐さんは新人時代から、自分でタスクリストを作り、それを消していく仕事のやり方を続けてきました。人から頼まれた仕事にも自分で期日と重要度を振り、リストに入れていきます。
今日やるタスクリストをバッてあったら、それを結構潰さないと気持ち悪いっていう感じになるんですよ、自分の中で。
畑佐さんの英語学習の仕組みは、このタスクリストに「英語を勉強する」を入れ、いつやるかはスケジュールで決めてしまうというものでした。
畑佐さんは、ゲーム好きだからかもしれないと前置きしつつ、自分は進捗が見えないと続かないタイプだと話します。全体の何%まで進んだかが見えないと、モチベーションが湧かないそうです。
畑佐さんの1時間の内訳は上の図のとおりです。単発のレッスンを毎日だらだら続ける形が嫌で、教材全体のどこまで進んだかがわかるオンライン英会話を選び、約2年かけて教材をやり切りました。
畑佐さんは、途中でだれてきた時期に自分の英語力を確かめるため、TOEICを受けました。区切りやマイルストーンとして試験を挟むのは、結構面白かったといいます。
きっかけは「周りがかっこよかった」。10年スパンで考える英語
畑佐さんが英語の勉強を始めたのは、セガ時代ではなく、前職のカヤックでハイパーカジュアルゲーム事業に関わり始めた2019〜2020年ごろです。必要に迫られていたわけではなかったといいます。
周りがかっこよかったからっていうのが多分一番自分の中でしっくりきてて。
畑佐さんは仕事で、METAやGoogleなど外資系企業の日本人と関わるようになりました。その人たちのほとんどが英語を話すのを見て、かっこいい、自分も話せるようになりたいと思ったのが原点です。
森下さんは、多くの人は「かっこいい」まではいっても、そこから2年でビジネスに通用する英語力を身につけるのは1000人に1人だと言います。畑佐さんの答えは、最初から長期戦で考えていたというものでした。
畑佐さんは、1日15分でも30分でも10年続ければ話せるようになると考えました。そこから逆算して、10年続けるための手段として、先ほどの会議室とタスクリストのやり方を見つけたのです。
話を聞くと8〜9割が「大学時代に2年間留学していた」人だった
留学せずに英語ができるようになった人。1日30分〜1時間でも継続することを共通して挙げていた
畑佐さんは、無理をしていたら継続できないとも考えていました。そのため勉強は平日だけで、土日はしていません。無理せずルーティンとして消化できるやり方を探した結果、今の形に落ち着いたといいます。
三日坊主が15年続けた「1日一言」の日記
森下さんが、自分に合う仕組みに落とし込む力をどこで身につけたのかを尋ねると、畑佐さんは「多分内発的なもの」と答えます。前提として、畑佐さんはとても飽き性で三日坊主なのだそうです。
畑佐さんは、続かないくせにいろいろ手を出すタイプです。日記もその1つで、手帳を買ったり、机の上に日記帳を置いたりと試しましたが、どれも続きませんでした。
手帳を買う、夜に机の日記帳に書くなど、いろいろ試したが続かない
スマホのホーム画面に日記アプリを置き、前日の晩ごはんなどを1日一言だけ書く
畑佐さんの日記の続け方は上の図のように変わりました。その背景にあるのは、すでに外せない習慣の流れに、新しいことをはめ込むという考え方です。
絶対外せないフローの中に新しいことをどうやってはめていくかっていうことを僕は割と意識してて。
畑佐さんの例では、朝起きて歯を磨き、朝ごはんを食べ、電車に乗ったらスマホを見る、という流れがあります。電車でスマホのホーム画面を開いたとき、真ん中に日記アプリのアイコンがあれば、とりあえず書くわけです。
森下さんは、普通は何度か失敗したらやめてしまうのに、なぜルーティン化まで粘れるのかと聞きます。畑佐さんの答えは、タスクリストを消さないと気が済まない性格と、もう1つの感覚でした。
3日続けたとか1週間続いたとかってなってくると、なんかやめたらせっかく1週間もやったのにもったいないなみたいなことがずっと続いて。
畑佐さんの一言日記は、そうして15年ほど続いています。
15年分の日記をAIに読ませたら。続いたこと、続かなかったこと
森下さんは、日記を文字データにしてAIに読み込ませれば、その人らしいものが再現できると話します。畑佐さんは実際に試していて、「めちゃくちゃ面白かった」と答えました。
森下さん自身も、自分の本のPDFや記事を読み込ませたところ、自分っぽいものが出てきたそうです。森下さんは、自分の言語情報をどれだけ残しておくかが勝負になると考えています。畑佐さんの一言日記は、AIによると10万文字以上あったといいます。
次に森下さんは、やることを足していくだけではパンクするはずだとして、やめる判断について尋ねました。畑佐さんは、やめたというより続かなかったこととして、コロナ前に通っていたジムを挙げます。
すでにある1日の流れや仕事のやり方に組み込んだ
目標がなく「行くこと」が目的化。着替えを持って車で5分移動する手間もあった
畑佐さんは、日常に新しい行動を足すのは続かないタイプだと自己分析しています。きちんと組み込めたのは、英語、タスクリストの管理、日記の3つくらいだといいます。
英語を10年続けようと考えた当時、畑佐さんはまだ30代前半から半ばでした。40代半ばで話せていれば十分だと考えたそうです。
日記を始めたきっかけは、新卒2年目のころに先輩から、振り返れるからいいよと勧められたことでした。そこから日記のつけ方を試行錯誤し、アプリに一言だけ書くやり方が残りました。
言葉を残せば「自分っぽさ」が残る。Obsidianと後編への予告
森下さんは、自分が取り組み始めた方法としてObsidian ── テキストをメモとして蓄積し、メモ同士をリンクでつないで管理できるノートアプリ。「第二の脳」づくりの道具として使われることが多いですを紹介します。畑佐さんはこのアプリを知りませんでした。
森下さんのObsidianの使い方は、モバイルとPCで同期されるメモ帳に、毎日音声やテキストでデータを残すというものです。音声は文字起こしされ、それをAIに読ませることで、自分の人格のようなものを形づくれるといいます。
肉体的に没しても、なんか僕っぽい(ものが残る)。
森下さんは、文字情報がなければ自分らしさは復元できないと考えており、それがObsidianを続けるモチベーションになっているそうです。何年分もの日記をすでに持つ畑佐さんは、「結果、できちゃいましたけど」と応じます。
生い立ちの話から脱線が長くなったため、前編はここで終了です。後編では、大学卒業後の新卒入社から仕事の話を聞いていくと予告されました。
まとめ
岐阜の人口約2000人の村で、山と川とゲームの二択の少年時代を過ごした畑佐さんは、大学までグローバルとの接点を持たないまま育ちました。それでも英語を身につけられた背景には、三日坊主の自分を前提にして、続く仕組みを作る「自分をハックする」考え方がありました。
- 畑佐さんは、保育園から中学まで同じメンバーの山村で育ち、1日1時間のゲームでRPGに夢中になった
- ゲームの専門学校を志望したが、説得を受けて大学進学を選び、AO入試で福井大学のロボット系学科に進んだ
- 英語学習のきっかけは、外資系企業の人たちが「かっこよかった」こと。10年続ける前提で逆算した
- 会議室を押さえて勉強時間をスケジュールに組み込み、進捗が見える教材と1日一言の日記で、続く仕組みを作った
- 続かなかったジムとの比較から、新しい行動は足すのではなく、既存のルーティンに組み込むことが鍵だとわかる


