世界規模の話を、個人の暮らしに引き寄せると?
Earth Vision Radioのシーズン1は、ビジョンをテーマに深掘りするシリーズです。第2回の冒頭で、武藤さんは前回の内容を振り返ります。
武藤さんのまとめでは、ビジョンは夢や欲求とは違い、社会や個人など多角的な面で掲げられ、他者と共有される未来の理想像です。しかも固定されたものではなく、状況によって変わっていくものだと整理されました。
前回は、世界中で危機感が共有されている今だからこそ、ビジョンと教育の両面からアプローチする必要がある、という話でした。伊藤さんはこのまとめに「完璧です」と答えています。
ただ、武藤さんは前回の話について、世界規模すぎて個人の生活に落ちてこない、と感じていたそうです。そこで今回は「自分たちもビジョンを持ったほうがいいのか」という問いに絞って話を進めます。
個人個人がそれぞれビジョンを自分で考えて、それを持つ必要があるのか、それとも共感をしてそこに入っていくみたいなことなのか。
「持てるなら持ったほうがいい」ビジョンはどう育つ?
武藤さんの問いに対する伊藤さんの答えは、「持てるなら持ったほうがおすすめ」というものでした。ただし、ビジョンを持つのが得意な人と苦手な人がいる、とも付け加えます。
いやー確かに。僕は結構苦手です。
じゃあ本当にわかる。その気持ちもわかるし、(ビジョンは)持たなきゃいけないとか、持ったほうがいいよってものじゃないと思っている。
伊藤さんによれば、最初から世界規模のビジョンを作ろうとする必要はありません。出発点は「自分がこうしたい」「こんなふうにいたい」で十分で、全てのビジョンはどこかでつながっていると話されています。
伊藤さんが描くビジョンの育ち方は、欲張るほど範囲が広がっていくイメージです。自分だけが得するビジョンから始まっても、家族も幸せにしたい、友達も幸せにしたい、と広がっていくといいます。
その幅が広がれば広がるほど難易度が上がって、それを達成するために必要な能力も上がっていって。
能力が上がったり知見が広がったりすると、ビジョンはより具体的になり、規模が大きくても達成できそうなものへと変わっていきます。伊藤さんは、子どもから大人になる過程でもビジョンの質は確実に上がると言います。
自分
こうしたい、こんなふうにいたいという身近な願いから始める
家族・友達
欲張るほど、幸せにしたい相手の範囲が広がる
地域・国
範囲が広がるにつれ、必要な能力や知見も上がる
世界
育っていった先に、自然と世界規模のビジョンになる
伊藤さんは、この順番で育たずに最初から世界規模のビジョンを持とうとするのは不自然だと話しています。武藤さんも、出発点が本当にやりたいことでないと持続せず、折れてしまうのではと応じました。
正義感だけのビジョンが危ういのはなぜ?
上から押し付けるビジョンではなく、個人の欲求に沿ったものがいいのか、という武藤さんの確認に、伊藤さんは一歩踏み込んだ言葉を返します。
自然と自分が欲するものを、要は言葉難しいけど、愛情に基づいてないといけないと思う。
伊藤さんによれば、世界をよくしたいと考えるときには、思い描く世界の人々への愛情が欠かせません。「世界がまずいから、理論的にちゃんとしなければならない」という発想だけでは、ずれていくといいます。
正義感に駆られて、なんかちょっと猟奇的なことやっちゃうみたいなことも。
伊藤さんは、過去の戦争で正義だと思って殺戮が行われた例も挙げ、それを不自然な形でビジョンが増大した結果だと捉えています。
自分の欲求を広げ、本当に欲するところで人や社会のためになる
「しなければならない」から始まり、正義感が暴走してずれていく
伊藤さんはここで、仏教の大欲 ── 仏教の言葉で、自分だけでなく他者や社会の幸福まで願う大きな欲のこと。自分のためだけの小さな欲と対比して語られることがありますという考え方を紹介します。自分以外のものも得をしてほしいという欲であり、ビジョンはこの方向に自然に広げていくものだ、という話です。
ビジョンと目標は何が違う?
伊藤さんは、自分のできる範囲でいいので、ビジョンは絶対持っていたほうがお得だと言います。その理由は、行動の精度が上がるからです。
たとえば家族を幸せにするビジョンがあれば、自分の受けた教育やスキル、できそうな仕事、家族への貢献の仕方を複合的に考えて、仕事や生活を選ぶはずです。そのぶん、目指すものを達成できる可能性が高い行動がとれる、と伊藤さんは話されています。
ここで武藤さんが、ビジョンと目標の違いを尋ねます。武藤さんのイメージでは、目標は短期的で具体的、ビジョンは長期的で抽象的なものでした。
伊藤さんは、明確な定義があるわけではないとしたうえで、そのイメージに近いと答えます。さらに個人的な基準として、「複合的かどうか」を加えました。
仕事で売り上げこれだけ上げるとか、営業して契約件数何個取るみたいな。この数字自体はビジョンとは言えない。目標だと思う。
1つの物事について達成するもの。売上額や契約件数などの数字
複数の事象を含んだ目標。だからこそ長期的で抽象的になりやすい
一方で伊藤さんは、昨今の「ビジョンを持つべきだ」という風潮には注意を促します。立てなければと焦ってストレスになり、かえって幸福が妨げられるなら本末転倒で、伊藤さんの言葉では「ビジョンに負ける」状態です。
雷に打たれる瞬間が、ビジョンに近いのはなぜ?
伊藤さんは、ビジョンは気をつけて扱う必要があるとしつつ、「これだ」と雷に打たれるような感覚は本当にあると話します。武藤さんは、伊藤さんと出会ったときがまさにそんな感じだったと笑いを交えて返しました。
自分の中にいろんなその変数が散在していたものたちが、この一点で大部分が解決されちゃうじゃんみたいな瞬間だと思うんだよね。
武藤さんはこれを「点と点が全部つながる」と言い換えます。伊藤さんによれば、その瞬間に生まれる熱量が、人を動かすきっかけになります。
熱量
雷に打たれるような瞬間に、ある方向へ熱が出る
行動と成果
熱を持って動くと成果が出て、達成感とモチベーションが生まれる
成長
本気で行動したからこそ、自分が成長する
ビジョンの成長
成長に合わせてビジョンも育ち、より多くの人を幸せにできる
伊藤さんは、このサイクルを起動するきっかけになるのがビジョンだと話します。最初は目標に近いものでも、その人なりのビジョンであり、本気で取り組めばビジョン自体も育っていくといいます。
武藤さんがまとめたように、自分の感情から出た、熱量を持てるビジョンであれば、自分の成長とビジョンの発展が回り始める、というのがこの話の核です。
なぜ生きることは「燃える」ことなのか?
ビジョンは持ったほうがいいのか、という問いに、伊藤さんは「持っていたほうが楽しいんじゃないかな」と答えます。そのうえで、幸福とは何か、頑張るべきなのか、という哲学的な問いにも触れました。
伊藤さんの考えでは、生物の本質は動くこと、変化することです。そこから「命は火に近い」という話が始まります。
生きるっていうことはなんか火に近い。燃えるものだと思う。
伊藤さんは、ミトコンドリア ── 細胞の中にある小器官で、栄養と酸素からエネルギーを取り出す役割を担っています。生き物の「燃焼」を支える存在として例えられますがエネルギーを燃やしているという体の仕組みだけでなく、心情的にも命は火に近いと話します。熱やぬくもりを持ち、本気で何かに向かう瞬間を、人は「燃える」と表現するからです。
やりたいことがわからない人は、どうすればいい?
武藤さんは、ビジョンを持てない人の悩みに話を移します。やりたいことがわからない、熱量を持てる部分が見えない、愛情をどう持てばいいかわからない、という人は多いのでは、という問いかけです。
伊藤さんは、すごく難しい問題だと前置きしたうえで、「やっぱ楽しんでほしい」と答えます。やりたいことがないのは、やりたいと思えるほど楽しい経験をしていないからかもしれない、という見立てです。
さらに伊藤さんは、愛情を基にできるのは、愛情をもらった経験があるからでもあると話します。本人が愛情をもらっていないと感じていると、人に愛情をあげるのは難易度が高いといいます。
人から愛されている感覚を得られるかどうかは運に近い、と伊藤さんは認めます。ただ、先住民の方々がよく言うように、人は自然から恵みをいただき続けている、とも話されています。
生きてる限り、空気も水も光もね、星を見上げた瞬間にも、そよ風が吹いた瞬間にもなんかいただいてんだよね。
武藤さんが「気づくということなのかな」と返すと、伊藤さんは、すでにある恵みに気づいて感謝できるかどうかも1つのポイントだと答えました。
幼少期に甘やかし、十代で大人扱いする教育とは?
伊藤さんは、日本の昔の教育に理にかなうと感じる部分があると話します。幼児のころは甘やかし、愛情を感じさせ続け、十代のある年代に来たら、一瞬で大人扱いするという育て方です。
幼児のころは甘やかし、とにかく愛情を感じさせ続ける
十代の一定の年代で「ここから大人」とバシッと切り替える
武藤さんは、ルソー ── 18世紀の思想家。教育論『エミール』で、子どもの成長段階に合わせた教育を説いたことで知られますも似たことを言っていたのでは、と連想し、伊藤さんも同意します。
伊藤さんによれば、子どものころに得た愛されている実感が、志やビジョンの元になり、自分以外のものにも利する行動につながっていきます。
外から与えられる愛情は運次第でも、それにどれだけ気づけるかは自分で左右できる、と伊藤さんは話します。愛されていることに気づく力が、ビジョンを持つ鍵の1つというわけです。
武藤さんは、愛情を感じるかどうかは事実より受け取る側の解釈で分かれると共感します。同じ愛情でもお節介だと感じる人もいるので、受け取るセンサーを育てる体験を、教育や旅に組み込めたらいいと感想を述べました。
内省で気づく「実は愛されていた」という実感
伊藤さんから、今の話につながる実感はあるかと聞かれた武藤さんは、内省の習慣について語ります。自分を振り返ってノートに書きまくるのが好きだそうです。
実は恵まれてたというか、愛されて育ったんだなみたいな。なんか全然気づけてなかったなみたいな。
武藤さんは最近気分が落ち込んでいたときも、何が自分を落としているのかを振り返るうちに、いいサインを悪く受け取っていたことに気づけたといいます。
伊藤さんは、子どものころの親への反抗を例に出します。後から振り返ると、どれだけご飯をおごってもらった上で暴言を吐いていたんだろう、と愕然とするのでは、という話です。
どれだけあの愛されてることを気づかずにいられるのかっていうのが、人間のすごいポテンシャルだなと思ってね。
武藤さんは、愛情や楽しいと思えることに気づくところから、ビジョンづくりは始まっていくのかもしれない、とこの話をまとめました。
ビジョンを持たないほうがいい場面はある?
ここで武藤さんは、角度を変えた問いを投げかけます。創造的に何かを生み出す場面などでは、ビジョンを持たないほうがいいこともあるのでは、という問いです。
伊藤さんは「全くその通り」と同意します。複合的に考えるのが苦手な人もいるうえ、アートのように内面を表現する場面では、ビジョンがあると気が散ってしまうことがあるといいます。
一言で言うとその瞬間に全身全霊を込めるっていう行動を取るんだったら、ビジョンとかない方がいいかもしれない。
伊藤さんは、バスケ経験のある武藤さんに向けて、試合の例も出します。本当に勝ちたいなら、勝つかどうかすら忘れるほど今に没頭してゾーンに入るのが一番強い、という話です。
武藤さんは、集中する場面を選ぶうえでは、ビジョンがあるからこそ何にコミットすべきかが見える、と受け止めました。
伊藤さんはこれを、国家の戦略と戦術 ── 戦略は全体の目的を達成するための大きな方針、戦術は個々の局面で勝つための具体的なやり方を指しますにたとえます。
全体として向かう大きな方向性
急場をしのぐため、全体戦略を一旦かなぐり捨ててリソースを割く
武藤さんは、一見ビジョンと矛盾する行動も、実は遠くでつながっていると整理しています。
結局ビジョンは「楽しいパズルゲーム」
締めくくりに伊藤さんは、堅苦しい話ばかりになったことを気にしつつ、感覚的にもビジョンは楽しいものだと強調します。ロジックだけで「持つべき」と受け取られると本末転倒になりかねない、と二人は話しました。
伊藤さんは、ビジョンをパズルゲームにたとえます。自分にとってもよく、周りの人も喜び、事業家としては収益にもなる、という針の穴を通すようなゲームです。
超面白いかつ達成した時の報酬がデカすぎる面白パズルゲームみたいな状態だからね。
武藤さんも、このラジオがそうした形の一助になると感じていて、今すごく楽しいと話します。自分の一番楽しい瞬間を考えると、みんなハッピーなほうがいいというところに行き着く感覚がある、と語りました。
伊藤さんの最後の言葉は「気軽に楽しみながらやれたらいい」。次回は、アースビジョンをどうやって作っていくかを語る予定です。
まとめ
ビジョンは「持たなければいけないもの」ではなく、身近な願いから始まり、愛情と楽しさに支えられて自然に育っていくもの。伊藤さんと武藤さんの対話からは、そんな肩の力の抜けたビジョン観が見えてきます。
- ビジョンは持てるなら持ったほうが楽しいものの、焦って持とうとすると本末転倒になる
- 自分の願いから家族、地域、世界へと、愛情に基づいて自然に広げていくのが大切
- 目標は1つの物事の数字、ビジョンは複数の事象を含んだ複合的なもの
- やりたいことが見えないときは、楽しい経験や「すでに愛されている」ことに気づくのが鍵
- 全身全霊を込める場面では、ビジョンを一旦手放して目の前に没頭することも必要




