MIDNIGHT PIZZA CLUBの阿部さんは「Tシャツ屋さん」?
夫婦のPodcast「ここだけの話」のスペシャルゲスト回に、写真家の阿部裕介さんが登場しました。かっぴーさんは、この回が前編と後編の2回に分かれる予定だと冒頭で伝えています。
かっぴーさんとエリコさんは、阿部裕介さんを「世界の阿部」と呼んで迎えます。リスナーのコメントで阿部さんのゲスト出演を望む声が来ていたことも、エリコさんは喜んでいました。
エリコさんと阿部裕介さんの関係は、エリコさんが上京したての10代の頃にさかのぼります。阿部さんはエリコさんのお姉さんの友達で、3人で作品撮りをしたり遊んだりする仲でした。エリコさんの実家に阿部さんが一人で泊まったこともあるといいます。
阿部裕介さん本人は、こうした動画付きの収録はほぼ初めてだと話しています。ラジオや取材の経験はあっても、動画のことを「テレビ」と呼ぶあたりに、阿部さんの独特の感覚がにじんでいます。
こういうテレビ回ってるの初めてです。
阿部裕介さんがいまよく紹介されるのは、MIDNIGHT PIZZA CLUB ── 俳優の仲野太賀さん、テレビディレクターの上出遼平さん、写真家の阿部裕介さんの3人による旅サークル。ネパールの山を登る旅の記録が書籍にもなっていますの活動です。写真展などのイベントでは、ファン同士が阿部さん本人の横で「読みました?」と話していることがあるそうです。
この中の阿部さんっていう人めっちゃ面白いんで絶対読んだ方がいいですとか、結構あるんですけど、ありませんか?
阿部裕介さんは写真を撮る側なので、本の中に自分の写真はほとんどありません。名前を知ってもらえても、顔と結びついていない人が多いといいます。
阿部裕介さんの奥さんがイベントで「うちの旦那はMIDNIGHT PIZZA CLUBをやっている」と話したところ、「Tシャツ屋さんですか?」と聞かれたというエピソードも紹介されました。かっぴーさんは、NIRVANAのTシャツをブランドだと思われるようなものだとたとえています。
MIDNIGHT PIZZA CLUBの呼び方について、阿部裕介さんは「旅サークル」だと説明します。阿部さんと仲野太賀さん、上出遼平さんの3人でネパールの山を登りに行く旅行記を読んだ人たちが、実際にネパールへ行き、イベントに来て、服を買い、また山に登る。阿部さんはそれを冗談まじりに「宗教団体です」と表現しました。
七五三の写真は「死ぬ時に見たい」家宝になる
MIDNIGHT PIZZA CLUBの話は他の場所でも十分語られているとして、かっぴーさんとエリコさんは阿部裕介さんのプライベートを掘り下げにかかります。阿部さんが普段撮っているものとして挙げたのは、家族写真でした。
かっぴーさんとエリコさんは、子どもの七五三の写真を阿部裕介さんに撮ってもらっています。収録の直前に、額縁に入った写真を受け取ったばかりでした。
阿部裕介さんが撮る家族写真は、知り合いの紹介で頼まれるものがほとんどです。友達のものだけを引き受けていて、それでも年に10組ほどは撮っているといいます。
七五三の撮影を重ねるうちに、阿部裕介さんは明治神宮の構造をすべて覚えてしまいました。多くの人が狙う撮影場所とは違う、人がいなくて雨でも大丈夫な場所があるそうです。エリコさんたちの写真も、混雑した日なのに誰もいないように撮れていました。
仕事がどんどんどんどんこう、今のこういうピザやら広告とかがなくなったら、明治神宮がもう事務所になるかもしれない。
かっぴーさんの実家は写真館で、写真そのものには詳しくないものの、家族写真の良さは身近に感じてきたといいます。デジカメやスマホの登場で、家族写真を撮る風習が一時は危うかったのではないか、とかっぴーさんは振り返ります。
(家族の)スマホの写真はさ、なんかちょっと違うじゃん。
阿部裕介さんは、いま家族写真を撮っている人はカメラマンが身近にいる業界の人に偏っているかもしれないと話します。そのうえで、紙の写真の力を感じたエピソードを語りました。
阿部裕介さんの祖母が脳梗塞と脳卒中で入院した際、阿部さんは祖母がいつも散歩していた道の写真を撮っては、プリントして病院に届けていました。寝ていると天井しか見られない祖母に、「これどこかわかる?」と見せていたそうです。
家族写真を携帯に飛ばして終わることが多い。かっぴーさんは「ちょっと違う」と感じている
撮ってすぐ現像し、分厚いアルバムにしてそのまま置いておける。入院中の祖母にも手渡せた
阿部裕介さんは、携帯でも同じことはできるかもしれないとしつつ、紙ならすぐ現像してアルバムをどさっと置いておけると話しています。家族写真を「部屋に置いておきたい」というかっぴーさんの感覚とも重なる話です。
やんちゃな少年はなぜ「ギューッと」縮こまったのか
家族写真の話の流れで、エリコさんは阿部裕介さんの生い立ちを尋ねます。阿部さんは一人っ子で、主に祖父母に育てられ、高校を卒業して大学に進み、カメラマンになったと簡単に説明しました。
阿部裕介さんが最近感じているのは、性格が子どもの頃に戻ってきたということです。子どもの頃の阿部さんは、かっぴーさんが「野生」と表すほどのやんちゃな性格だったといいます。
小学校と中学校、高校が学校嫌いだったんですけど、かなりこうね、制限をかけられてて、性格がこうギューッとしちゃった気がするんですよ。
阿部裕介さんは、進学校でもないのに資格を取れ、勉強しないとダメだと言われ続けていたそうです。その結果、やっちゃいけないことばかりに感じて、あまり能動的に動けない人間になっていたと振り返ります。
カメラマンになってからも、阿部裕介さんは仕事のなかで縮こまりかけていたといいます。変化のきっかけは、MIDNIGHT PIZZA CLUBの本で自分の生態をすべて明かされたことでした。
ピザやってからもう本で阿部祐介の生態を全てもうバラされてるんで、なんか何でもいいやってなって。今、小学6年生ぐらいに戻ってます。
学校で資格や勉強を求められ続け、やんちゃな性格が縮こまった。カメラマンになってからも仕事で「あっはい」となりかけていた
MIDNIGHT PIZZA CLUBの本で素の姿が明かされ、「何でもいいや」と思えるようになり、小学6年生ぐらいの自分に戻りつつある
かっぴーさんは、写真家という表現者になった時点で自由になったのではないかと考えていました。けれど阿部裕介さんによれば、写真家はかなり制限のある仕事だといいます。
やっぱりこう真ん中に立つ仕事だと思うんですよね。クライアント、モデルさんの真ん中で、こう撮って、ここがいいって言われても、ここがいい。間をやっぱり常に探ってる仕事だと思うんで。
阿部裕介さんは話の矛先をエリコさんに向け、エリコさんは「ずっと16歳な感じがする」と言います。かっぴーさんもこれに同意しました。初めて出会った頃のエリコさんは17〜18歳ぐらいで、阿部さんはずっと年がかなり下だと思っていたものの、実はそれほど変わらないと最近知ったそうです。
エリコさんの母に「連れて行け」と言われたタイ旅行の始まり
かっぴーさんが二人の出会いを尋ねると、エリコさんは阿部裕介さんのことを「本当に変な人だった」と話します。そこから話題は、二人で行ったタイ旅行のきっかけに移りました。
阿部裕介さんは大学時代、旅サークルのようなものに参加しており、仲間がタイに集合することになっていました。一人で行くつもりだったところ、エリコさんの母親から「恵理子を連れてきてください」というメールが届いたといいます。
阿部裕介さんとエリコさんの家族がつながったのは、つぐみさんという女性がきっかけです。つぐみさんはエリコさんのお姉さんの幼なじみで、熊本の家も近く、小学校からずっと一緒だった人です。阿部さんはフランスでつぐみさんと知り合い、カメラを始める影響を受けました。
日本に帰ってきた阿部裕介さんは、つぐみさんに「一回八代 ── 熊本県南部の市。エリコさんの地元で、エリコさんは「やっちろ」と呼んでいますに来てみな」と誘われます。そこからエリコさんのお姉さん、さらにエリコさんを紹介される流れになりました。
フランス
エリコさんの姉の幼なじみ・つぐみさんと知り合い、カメラを始めるきっかけになる
八代へ
日本に帰ってから、つぐみさんに誘われて熊本の八代を訪れる
東京で紹介
つぐみさんにエリコさんの姉を紹介され、姉からエリコさんを紹介される
実家へ
再び熊本を訪れた際、姉に言われてエリコさんの実家に挨拶に行く
タイへ
エリコさんの母に、エリコさんをタイへ連れて行くよう頼まれる
エリコさんの実家を訪ねたとき、阿部裕介さんは挨拶だけのつもりでした。ところが玄関に出てきたエリコさんの母親に、すぐに「泊まれ」と言われたそうです。
エリコさんの実家は、遠くから通う高校生たちが暮らす下宿を営んでいます。かっぴーさんはエリコさんの母親を「寮母」と表現しました。阿部裕介さんは、その下宿にいる人たちに「あなたの人生をみんなに話せ」と言われたといいます。
(エリコさんの母には)行けって言われた気がする。連れてってもらえませんかじゃなかった気がする。
阿部裕介さんは本来、一人旅のほうが好きでした。当時はWi-Fiの接続も難しく、人に合わせるより一人のほうが楽だったからです。それでも大学の友達がもう一人いたため、2人なら手に負えるだろうと考えて、エリコさんを連れて行くことにしました。
空港のスタバで3時間待った合流劇
タイ行きの飛行機は、理由は覚えていないものの、阿部裕介さんとエリコさんで別々の便でした。到着したらスターバックスの前で待つ、という打ち合わせだけをしていたそうです。
エリコさんはWi-Fiを持って行っておらず、ネットがつながらない状況で「終わった」と思ったといいます。それでも、スタバにいれば阿部裕介さんが来ると信じて、飲み物を買ってのんびり座って待っていました。
待ってたら目の前通ったの。祐介さんが。あってなって。それで合流できたっていう。そしたら、あの、祐介さんは3時間待ったって言って。怒ってた。
阿部裕介さんは3時間待ったと怒っていた一方、エリコさんは「スタバと言われたからスタバで待っていただけ」という受け止めでした。タイ旅行は、この行き違いから始まったわけです。
タイ旅行の前から、阿部裕介さんとエリコさん、エリコさんのお姉さんの3人は何度も遊んでいました。当時、お姉さんは学生を卒業して何かを始めようとしていた時期で、渋谷のスタジオを借りて作品撮りをしたこともあったそうです。
その作品撮りでは、エリコさんのお姉さんがガラスや割った鏡をたくさん持ち込み、エリコさんの顔の周りに貼り付けて撮影したといいます。かっぴーさんは最近その写真を初めて見て、少女漫画が好きそうなセンスだと感じたそうです。
かっぴーさんとエリコさんは、エリコさんのお姉さんを家族のなかで一番ぶっ飛んでいる人だと話します。社交性が高いので常識人に見えるものの、阿部裕介さんともかっぴーさんとも、最初につながったのはお姉さんでした。
ほんといろんな人に出会うお姉ちゃんは。
八代育ちのエリコさんは何に動じなかったのか
タイ旅行の話に戻ると、阿部裕介さんは、エリコさんのお姉さんにも母親にもエリコさんを頼まれ、保護者のような立場だったと振り返ります。そのうえで、旅の途中で気づいたことがあったといいます。
阿部裕介さんは、ホテルの汚さや移動のバスなどに意外と敏感でした。一方のエリコさんは、宿やバスをまったく気にしていなかったそうです。
エリコさん本人も、当時は本当に気にしていなかったと認めています。いまは子どもがいるので汚いのは無理になったものの、当時は寝台列車に乗り、向かいの人にじっと見られて怖くても平気だったといいます。
阿部裕介さんは東京生まれ東京育ちです。田んぼの真ん中に実家があるエリコさんの何も気にしない様子に、すごいと感じていたそうです。
エリコさんにとって、このタイ旅行は初めての「遠い海外」でした。韓国には行ったことがあったものの、飛行機の乗り継ぎも含めて一人で行ったのはタイが初めてで、すべてが新しく楽しかったといいます。
あれなんだっけ?チェンマイ。なんか米手で食べるやつ。あれ超美味しかったんだよ。
エリコさんの言う料理の名前は、その場では誰にも思い出せませんでした。阿部裕介さんが「タイ米ってうまいよな」と返すと、エリコさんは「タイ米とかじゃない」と否定し、やり取りは笑いに包まれます。
チェンマイのスタバで受けた「敬語」の説教
タイ旅行の途中、チェンマイのスタバで涼んでいたときに、阿部裕介さんがエリコさんを本気で怒る出来事がありました。阿部さんにとっては、身内ではない知り合いを怒ったのは生まれて初めてだったそうです。
タイで合流した阿部裕介さんの大学の仲間は先輩たちで、初対面の人も大勢いました。一行はローイクラトン ── タイの伝統的な祭り。灯籠を水に流したり、ランタンを空に放ったりして祈りをささげますという祭りを見に行き、宿で世界中から集まった人たちと合流します。
その場でエリコさんは、初対面の先輩たちにも「えりこでーす」「よろしくー」とタメ口で握手して回っていたといいます。阿部裕介さんは最初は「まあいいか」と思っていたものの、世界一周をしているような30代の大人たちもいたことで、考えが変わりました。
これはもしかしたら一応言ってあげた方がいいかもって思って、ちょっと来いって。
エリコさんの敬語のなさには背景がありました。エリコさんの高校の吹奏楽部は完全な実力主義で、上手ければ1年生でもレギュラーになり、下手なら3年生でも落とされる環境だったため、上下関係がなく全員タメ語だったといいます。
エリコさんは、アパレルで働いていた頃にも敬語が話せず、「敬語じゃねえから」と怒られたことがあったそうです。本人は「これ敬語じゃないんですか?」と驚いていたといいます。
背景
高校の吹奏楽部は実力主義で上下関係がなく、全員タメ語だった
合流
タイの宿で、初対面の先輩や30代の旅行者にもタメ口で挨拶して回る
判断
阿部さんは、エリコさんの母や姉に託された立場も踏まえ、伝えたほうがいいと考える
説教
チェンマイのスタバで、初対面の目上の人には敬語で話すよう真剣に伝える
人っていうのは、まずは初対面の目上の人には敬語で(喋った方がいいよ)。
阿部裕介さんは、エリコさんの母や姉に「よろしく」と頼まれたことを重く受け止めていたといいます。エリコさんも、かなり真剣なトーンで言われたことをよく覚えていました。
当時19歳ぐらいだったエリコさんは、そこにまったくアンテナが立っておらず、みんな友達のような感覚だったと話します。お酒も飲まないしらふの状態でそうだったので、本当に悪気はゼロだったといいます。
だからこういうゆうすけさんとかいろんな大人に叱られ、マジでやっと人間になれた。
かっぴーさんは、このときに怒られていなかったら、いまごろ子どもの空くんのママ友とも「イエーイ」とやっていたかもしれないと冗談を言います。エリコさんも「やってると思う」と笑って認めました。
阿部裕介さんは、当時のエリコさんが多くの雑誌の表紙を飾るモデルだったため、もっと大人なのかと思っていたそうです。ただ、怒られた直後のエリコさんの本音は「なんこいつ」で、感謝ではなかったといいます。切り替えが早いので、怒られたことはすぐ忘れて旅を楽しんでいたそうです。
「あーね」は若者言葉ではなく八代の方言だった
説教のあと言葉遣いは改善されたのかと聞かれ、エリコさんは「全く」と答えます。かっぴーさんは、敬語には礼儀だけでなく、初対面の相手に対して自分の身を守るという意味もあると話しました。
エリコさんに先輩から怒られたことがあるかと聞かれたかっぴーさんは、自分を「ミスター怒られ」と呼ぶほど怒られてきたと答えます。阿部裕介さんは、男性のほうが小さい頃から上下関係に触れる機会が少しあると話しました。
僕はだからそれ(上下関係)がちょっと希薄だったんですけど、その代理店入っちゃったから、もうおしまい。代理店で叩き込まれた。
阿部裕介さんは、かっぴーさんが広告代理店の出身だとこの日初めて知ったそうです。かっぴーさんは、写真家ともモデルとも仕事をしてきた経歴の漫画家で、タメ語のモデルも普通にいると話します。
そこから阿部裕介さんが思い出したのが、エリコさんから覚えた「あーね」という言葉です。かっぴーさんも「あーね」はエリコさんから知ったといいます。
エリコさんによれば、「あーね」は「あー、そうなんだね」を略した八代の方言で、主に女性が使う言葉だそうです。かっぴーさんは若い子の言葉だと思い込み、自分の漫画にも取り入れていたと明かしました。
俺シンプルに若い子語だと思って漫画とかにたまに取り入れてるのね。「あーね」とか。
阿部裕介さんは「あーね」を言わないと否定しますが、エリコさんは言っていたと譲りません。かっぴーさんは、一緒にいると言葉がうつるのだろうと受け止めていました。
落ち込むとインドへ行く、阿部さんの意外な一面
エリコさんの話が続いたことを受けて、阿部裕介さんは「えりこの話で大体43分喋ってます」と指摘します。そこでかっぴーさんは、エリコさんから見た阿部さんの話をしてほしいと促しました。
えりこから見た祐介さんの話。いやもう祐介さんはもう本当にメンタルが弱い。
エリコさんは以前、お姉さんから「阿部さんは誰かに怒られて嫌になったから、いまインドにいるらしい」と聞いたことがあったそうです。阿部裕介さんは、その話をしてかまわないと了承しました。
阿部裕介さんがエリコさんと知り合った頃、すでに写真の仕事をそれなりにしており、代理店の人たちとも仕事をしていました。依頼されて撮った写真を出すと、「全然いいのなくないですか?」と言われることが少なくなかったといいます。
阿部裕介さんは、好きで呼んでくれた相手を自分も好きになって頑張って撮っているので、「いいのがない」と言われると大きなショックを受けたそうです。そこで、インドへ行っていたといいます。
エリコさんがインドに行くと心が癒されるのかと尋ねると、阿部裕介さんは「全く癒されない」と答えました。インドに行く理由は別のところにありました。
もう自分を知ってる人がそこにいないから。もうなんか何してもどんな顔しててもひとまずなんか気が楽。
ショック
依頼された撮影で「いいのがない」と言われ、落ち込む
インドへ
顔に出やすいので、病んだ姿を日本の友達に見られないよう日本を離れる
揉まれる
インドでもまれ、お腹を壊してトイレにこもる
帰国
気づけば何で悩んでいたのかわからなくなり、日本に帰る
阿部裕介さんは、落ち込みが顔に出てしまうタイプです。日本にいると病んでいる自分を見られて「こいつヤバそうだな」と思われたくなかったと話しています。インドでもまれているうちに、悩みを忘れて帰ってくるのがお決まりだったそうです。
エリコさんにとって当時の阿部裕介さんは「常にインドにいる人」でした。ところが気づけばアウトドアブランド「ノースフェイス」の広告を手がけるような、すごい人になっていたといいます。かっぴーさんも、付き合い始めた頃にエリコさんから「知り合いにすごいカメラマンがいる」と聞いていたそうです。
カフェでの再会は、なぜ4年の空白を生んだのか
阿部裕介さんによれば、エリコさんと知り合ったのはカメラを始めて数ヶ月後のことでした。何を撮っていいかわからない時期に、エリコさんのお姉さんから「妹を撮ってみな」と言われ、お茶の水でエリコさんを撮ったといいます。
その後、阿部裕介さんがカメラマンとして有名になるにつれ、エリコさんは手の届かないところに行ってしまったように感じていたそうです。そんな中、息子の空くんが赤ちゃんだった頃に、中目黒のカフェ「フレイムズ」で阿部さんと久しぶりに会いました。
フレイムズでめっちゃ久々に会ったの。祐介さん。わ、祐介さんだ!みたいな感じで言って。久しぶり!みたいな感じで言ったのね。そしたらもうドン引き。
エリコさんの目には、阿部裕介さんが「お前誰?」という有名人らしい対応をしたように映りました。ショックを受けたエリコさんはすぐにお姉さんに「祐介さん変わった」と連絡し、お姉さんも「有名になると人って変わるんだね」と応じたそうです。
エリコさんと阿部裕介さんの間は、この出来事から4年ほど空きました。再会のきっかけは、エリコさんのお姉さんが阿部さんに写真を撮ってもらうことになったことです。エリコさんたちも何も言わずに撮影を予約し、その場でカフェの件を伝えたといいます。
阿部裕介さんの側からの「ネタばらし」は、まったく違うものでした。そのとき阿部さんは、代理店やプロデューサーとの真剣な打ち合わせの最中で、熱弁を聞いていたところにエリコさんが現れたのだといいます。
久しぶりに会えてうれしかったのに、有名人のような冷たい対応をされ、阿部さんが変わってしまったと感じた
年上の編集長や先輩との真剣な打ち合わせ中で、余裕がなく、こちらから明るく応じられなかった
しかも当時はまだ若かったから、やっぱりもう全員編集長先輩だから、こっちからアイ(明るい挨拶)とはできなかった。
エリコさんも、書類やパソコンが出ていて明らかな打ち合わせだったことは振り返ればわかると認めます。かっぴーさんからも「あのカフェは打ち合わせの場所だよ」と言われたそうです。阿部裕介さん自身も、人が打ち合わせをしているときは透明になって消えるようにしていると話しました。
エリコさんは、久々の阿部裕介さんにテンションが上がって止められなかったと振り返ります。阿部さんは、エリコさんの反応をファン心理にたとえて説明しました。
よく言うじゃないですか。ファンの人って200好きで裏切られたら200恨むって。そういうことなんです。
エリコさんは、こんなに有名になった友達はほかにいなかったと話し、後でメッセージを送ればよかったと振り返ります。それでも、あのときの自分は止められなかったと笑っていました。すれ違いも笑い話にできるところに、二人の長い付き合いが表れています。
まとめ
前編では、写真家の阿部裕介さんとかっぴーさん夫婦が、家族写真への思いから、阿部さんの性格の変化、エリコさんとのタイ旅行やカフェでのすれ違いまでを語り合いました。15年来の友人だからこそ出てくるエピソードを通して、阿部さんの繊細さと、エリコさんの家族の人柄が浮かび上がる回です。
- MIDNIGHT PIZZA CLUBは、阿部さん・仲野太賀さん・上出遼平さんによる旅サークルで、読者がネパールへ追体験に行くほどの広がりを見せている
- 阿部さんは友人の家族写真を年に10組ほど撮り、入院した祖母にも紙のプリントを届けるなど、写真を手元に残す価値を大切にしている
- 学校で縮こまった阿部さんの性格は、MIDNIGHT PIZZA CLUBをきっかけに子どもの頃のやんちゃさを取り戻しつつある
- タイ旅行では、阿部さんが空港のスタバで3時間待ち、チェンマイのスタバで19歳のエリコさんに敬語の大切さを真剣に伝えた
- カフェでの冷たく見えた再会は、阿部さんが打ち合わせ中で余裕がなかっただけで、4年の空白を経て笑い話になった






