現役合格を救った、答えを先に読む勉強法
まず、私が今までで自分で発明したなかで一番画期的だった勉強法の話をさせてください。
これを思いつけていなかったら、私は現役で大学に合格できていなかったと思います。
高3の夏、全国模試で第一志望がD判定だったんですよね。国立は一箇所しか受けられないので、D判定で突っ込むのはかなりリスキーです。
特に数学がやばかった。得意科目のはずだったんですが、大学受験レベルの難しい問題には根本的に数学力が足りないと、その頃に気づいたんです。
残り期間と、こなすべき参考書の量を計算すると、数学だけはどう考えても間に合わない。
数学は「まず自分で解いて、考えきってから答えを見る」のが常識ですよね。でもそれだと1問に1時間以上かかってしまう。
そこで私が見出したのが、大学受験の数学の解法はそんなに何百パターンもないという気づきでした。
これは頭の良さじゃなくて、どういう解法パターンがあるかを知っているかどうかの、知識芸なんじゃないかと思ったんです。
だったら、最初に答えを見てもいいはずだ、と。
自分で解けば1時間ちょいかかるところが、解説を読むだけなら1問10分、下手したら5分で消化できる。6倍くらいのペースになるわけですよね。
どうせこのままでは現役合格は無理そうだし、うまくいくかわからないけどこれに賭けよう、と。残りの期間はほとんど、自分で解くのをやめて参考書の解説を読みまくりました。
これが功を奏して、数学の問題が解けるようになったんです。問題を見た瞬間「あ、これはこのパターンだな」とわかるようになった。
本番でも数学が結構良かったおかげで合格できた感じでした。この時に、やっぱり勉強法って大事だなと強く思ったんですよね。
クリエイターとして消費する、という状態
さて、「生きているだけで勉強になる方法」というタイトルにここまで釣られて読んでくださっているわけですが。
社会人になっても、スキルを身につけたり経験を蓄えたりという広い意味での勉強は続きますよね。そこでも勉強法は大事なんじゃないかと思っています。
今日話したいのは、クリエイターとして消費するという状態に持っていきたいな、という話です。割と最近気づいて、大事だなと思ったことなんです。
消費するというのは何でもよくて、映画を見る、漫画を読む、料理を食べる、アプリを使う。誰かが作ったものをユーザーとして楽しむことですね。
これがね、一回作る側になると、消費するときにいろいろ勉強になるんですよ。
ここはこういう工夫がされているんだな、とか。逆に自分が作るときはこうしないようにしよう、とか。そういう知見が自然に溜まっていくんです。
でも一度も作ったことがないものに関しては、何がすごいかもわからないし、細かい工夫にも気づけない。
良くないな、使いにくいな、という感想を抱くくらいはできても、ここが素晴らしい、と言語化して知見を蓄えるところまでは至れないんですよね。
うまくいかないところまでやると、見え方が変わる
たとえばエンジニアや個人開発者の人なら、ウェブサービスを見るだけで「ここのUIはいいな」「これは使いにくいからやめておこう」というのが自然と蓄積されていきますよね。
なるべくこれをいろんな分野でできるようにしておいた方がいいなと。もう40歳なんで本当はもっと若い時からやればよかったんですが、今からでも間に合うことはやっていきたいんです。
私はショート動画をやっていた時期があるんですが、あれもやらないとわからない大変さがあるんですよね。
照明をどうするか、マイクは何を使うか、編集、構成、効果音。いろいろ考えて作るんですけど、なんかダサい仕上がりになってしまう。
面白くないな、でも何が足りないのかわからない。まずはそういう状態になるわけです。
ところが一回その状態になっておけば、その後にいろんなショート動画を見たときに、すごく勉強になるんですよね。
この効果音はこのタイミングで使うと自然だな、とか。人が考え込むシーンではちょっとゆったりめに編集しているんだな、とか。
一回自分で作って「うまくいかねえな」というところまでいくと、プロ級の人が作ったものを見たときにものすごく勉強になる。これがまさに、生きているだけで勉強になる状態ですよね。
結婚式なんかもそうだと思うんです。自分でやる側になると、決めることや予算との兼ね合いが山ほどある。
一度自分で経験してから参加すると、これはお金をかけずに満足度を高めているな、といったことが見えてくる。でも自分でやる前は、手紙が感動的だったな、くらいの感想でしかなかったりするんですよね。
AIの時代だからこそ、審美眼のために作ってみる
この話、特に今の時代に必要なんじゃないかと思っています。
今、審美眼が大事だとよく言われますよね。私も大事だと思っているんですが、これはAIに作らせることと直結しているんです。
AIに作らせて出てきたものに対して、ここはこう修正してくれ、とフィードバックできるかどうか。これがさっきの話とそのまま繋がっているんですよね。
動画を作らせるとして、ここの効果音はこのシーンには使わない方がいい、と生きながら学んでいれば、AIが出してきたものに対して「ここはやめてくれ」と言える。
でも審美眼って、一週間や一ヶ月で養うのは多分無理なんです。何年もいいものと悪いものを見て、いいものはこういう工夫がされていて、と言語化できる状態が審美眼だと思うので。
だからまず、二流三流でもいいのでクリエイターになってみる。その状態までいってからいろんなコンテンツを消費する。これが結構大事なんだろうなと思うわけです。
全部は無理だから、私はまず映画を撮ってみたい
とはいえ、あらゆる分野で一度クリエイターになるのは現実的じゃないので、何がいいのかなと考えるんですよね。
私は、映画を撮るのは一度やってみたいし、これはすごくいいだろうなと思っています。
映像系のものは映画が一番洗練されていて、お金もかかっていて、かっこいいシーンが詰め込まれている。動画関係の原点みたいなものなんじゃないかと。
漫画についても、すごい漫画家は映画からインスピレーションを受けているんですよね。大友克洋もそうだし、井上雄彦もそうだったんじゃないかな。
構図や、どの角度でどのタイミングで人物を写し取るか、といったことは映画が一番進んでいるんだと思うんです。
だから一度映画を撮ってみて、いろんな映画を見れば、動画や漫画ですら「ここの表現はすごいな」「これは自分でも使えるかも」という感覚が養われていきそうな気がするんですよね。
子供にもやらせてみたいですね。十代後半くらいがいいのかな。いろんなものを作る経験を、早めにさせてあげたいなと思います。
まとめ
結局、私がいま一番いいと思っているのは、下手でもいいから一度作る側に回ってみることです。全部の答えが出たわけではないですが、まずは映画あたりから始めてみたいなと考えています。
- 受験の数学は「解法パターンの知識芸」だと捉え、解説を先に読む勉強法で現役合格をつかんだ
- 一度作る側になると、消費するときに工夫や良し悪しが見えて、生きているだけで勉強になる
- 「うまくいかない」ところまで自分で作ると、プロの作品を見たときの学びが段違いになる
- AIに的確なフィードバックをする審美眼のためにも、まず二流三流でいいから作ってみるのが大事





