キャニオニングのガイド試験に合格、その裏側で
番組冒頭、ひとしさんが紀伊半島で受けてきたキャニオニングのガイド資格試験の話題から始まります。まずキャニオニングという競技そのものの説明がされました。
ひとしさんによれば、キャニオニングとは身一つで滝や谷を下っていくアウトドアスポーツです。天然のウォータースライダーを滑ったり、プールと呼ばれる深い水たまりに飛び込んだり、高い場所ではロープを使って下りたりと、山全体を楽しむアクティビティだといいます。
キャニオニングっていうのは、簡単に言いますと、身一つでね、滝を下っていくスポーツ。
その資格試験が紀伊半島で行われ、1週間ほど前に帰ってきたばかりだといいます。結果は無事合格でした。
しかもね、どうにか無事に合格できました。
試験を主催するのはICA ── International Canyoning Academyの略。キャニオニングガイドの資格を認定する国際的な団体。以前所属していたICという団体から発展した組織だと語られていますという団体です。以前所属していた団体が吸収され、この試験でようやくガイドになれたとひとしさんは話します。
不安もありました。コロナ禍でわさび農家の仕事にどっぷり浸かり、ガイド業を5年ほどやっていなかったため、現場感覚が薄れていたといいます。試験直前には腕が動かなくなり、受けるかどうか迷っていたことも明かされました。
試験は2週間にわたり、講師はポルトガルやドイツから来ていたといいます。費用は20万円以上かかったと語られました。
試験の場には、キャニオニングを始めた頃の仲間や、ニュージーランドで一緒に働いた日本人など、これまでの縁でつながった人たちが集まっていたそうです。ひとしさんは、思い出すだけで涙が出るほどドラマがあったと振り返ります。
農家と言いつつ2週間行かせてくれたたっちゃんと、道具を買い与えてくれたももさんが、やっぱりちょっと心強かったですね。
新庁舎と道路整備、費用高騰への不安
話題は最近気になったニュースへ移ります。ひとしさんが挙げたのは、奥多摩町の新庁舎に関する説明会でした。体調不良だったももさんに代わり、ひとしさんがわさびの代表として参加してきたといいます。
説明会に行ってみて、ひとしさんは参加者の多くが不安やモヤモヤを抱えている様子を感じたと話します。平日の夜、9時半を過ぎても人が残っており、関心の高さがうかがえたそうです。
やっぱ気持ちがないといないなって思った、そこに。
ひとしさんが特に気になったのは、物価高騰を見越したリスク管理の話が出てこなかった点でした。当初計画では約30億円だった費用が、今は約51億円ほどに膨らんでいるといいます。
(会社に置き換えると)潰れるかもしれないですね。
ひとしさんは、ハードを作るよりも人やテクノロジーに投資したほうがよいのではないかという個人的な考えを述べます。すでにある家や人といった資源を生かしたいという思いです。
建物っていうよりも人とか。あとはもうAI全振りとかね。
話は、わさび田の近くを通る南岸道路の整備にも及びました。数年前に約100億円と聞いた記憶があり、今はさらに上がっているだろうと3人は話します。わさび田の近くにいるからこそ、その規模感を知ることができたといいます。
ひとしさんは、全体で最適が一番いいという考えを繰り返し、長期的な視点の大切さを語ります。目先の一瞬だけでなく、前後の長いストーリーや文脈を見ていきたいという姿勢です。
自分だけのことじゃなくて、全体の最適を考えてね、これは絶対やるって言ってね、やっていくんだったらいいなと思うから。
いいも悪いもみんななんか頑張ってるから、ただ思いは乗っけてほしいですね。
わさび農家になるつもりはなかった、ツアーから始まった原点
ここから今回の本題、わさび農家になっていくまでの話に入ります。ひとしさんによれば、二人は最初からわさび農家になろうとしていたわけではありませんでした。
もともと考えていたのは、わさびを育てることでも食べることでもなく、ツアーができればいいという程度だったといいます。わさびを育てる知識もなく、そもそもわさびを食べたこともないところからのスタートでした。
最初はツアーできればいいなっていうのがね。
わさびという素材があることを知り、調べていくうちに魅力を感じたことがきっかけでした。これはツアーにできるかもしれないという発想から、ひとしさんがひっそりホームページやパンフレットを作り始めたといいます。
当時ひとしさんはキャニオニングの会社を運営しており、夜な夜なYouTubeを見ながら作業していたそうです。プログラミングを学ぶためにフィリピンへ2週間留学したものの、周りができる中で自分はタイピング練習をしているようなレベルだったと笑います。
フィリピン留学で唯一よかったのは、今も使っているロゴを描いてくれる人に出会えたことでした。そのロゴを描いた人は、現在は生ハムを作っているといいます。
フィリピンって唯一良かったなってものが、今使ってるロゴ。
台風19号とコロナ禍が生んだ、わさびの師匠との出会い
わさびツアーは、伊豆でキャニオニングガイドをするひとしさんに代わり、たっちゃんが奥多摩で担当する形で少しずつ動き出していきました。ポータルサイトに掲載するなど試行錯誤しながら進めていたといいます。
転機となったのがコロナ禍でした。アウトドアや観光の仕事が全て止まり、これはやばいと感じたひとしさんは、逆にチャンスだと考えます。わさびの先生のところへ勉強に行くことにしたのです。
あ、でもチャンスだから、わさびの勉強行こうっつって。
先生に頼むと快く受け入れてもらえ、たっちゃんも誘って二人で1か月間学びに行きました。ただし当時、たっちゃんはまだ奥多摩に定住するかどうか決めかねている状態でもありました。
ひとしさんは、たっちゃんが横須賀の実家から奥多摩まで歩いて帰ってきたことがあったと振り返ります。かかった時間は36時間ほどで、帰ってきたときは足がガクガクの小鹿のようだったといいます。
わさび農家になる背景には、2019年の台風19号 ── 2019年10月に日本を襲った大型台風。各地で河川の氾濫や土砂災害を引き起こしました。奥多摩でも多くのわさび田が被害を受けたと語られていますの被害がありました。奥多摩では数多くのわさび田が壊され、わさび作りをやめてしまった人もいたといいます。
もう本当にやめようと思った人たくさんいたよね。実際やめちゃった人もいると思うし。
台風で壊されたわさび田がなければ、そもそも畑を借りることは難しかったといいます。壊れておらず誰も使っていない場所だからこそ、新規で借りられる余地が生まれたのです。
借りれるとこって結局壊れてて誰も使ってないとことかだからね。
売上の半分を求められた、わさび田を借りる難しさ
わさび田を借りることの難しさも赤裸々に語られました。ツアーを始めようとした最初の頃、ある人から手数料として売上の半分ほどを求められたことがあったといいます。
なんか最初ツアーやろうとして、なんかすごい怖いなと思って。手数料として半分くださいって言われて。
相手はわさび田の所有者ではなく仲介する立場の人だったといいます。収入もない状態でしたが、ひとしさんはこの条件は払わないと伝えたそうです。
怖い業界だと感じつつも、コロナ禍では家賃を安くしてくれる人など、いろいろな考え方の人がいたともひとしさんは振り返ります。二人はまだ本業として成り立っておらず、わさび田を直す作業とツアーを同時に進めていく状態でした。
多くの人に話しても、わさびの畑はなかなか借りられないのが実情でした。最初は自分たちの畑ではない場所でツアーをしていたといいます。
ぶらり途中下車とコロナ禍が追い風に
どうにか話がまとまり、借りられたわさび田を直しながらツアーが始まっていきました。ひとしさん自身、あまりに壊れすぎていて、最初は直せるとも思っていなかったと明かします。
直せるとも思ってないけどね、最初俺とか。あまりに壊れすぎててね。
最初のメディア露出は、2020年8月15日に放送された「ぶらり途中下車の旅」でした。風間トオルさんが訪れた回で、当時ひとしさんは伊豆におり、たっちゃんが一人で案内したといいます。
この露出が実現したのも、コロナ禍という状況が背景にありました。緊急事態宣言で東京都民が都内にとどまるよう求められる中、関東圏の人が奥多摩に足を運んでくれたのです。ひとしさんは、当時のほうが奥多摩に人が来ていた印象だと話します。
奥多摩もその時の方が人来てたような印象だよね。
わさび農家は山の中で仕事をするため、コロナの影響を受けにくかったともいいます。もっとも、当時はまだ売り先もなく売上自体が立っていなかったため、影響が皆無だったと二人は笑います。
数千万円規模の工事、独学で学んだ石積み
借りたわさび田を直す作業では、石積みにも挑戦していきました。ひとしさんは、石積みの教科書を買い、図書館で文献を集めるなど独学で勉強を始めたといいます。
石積みの教科書買ったからね。
紹介してもらった別の場所も直し始め、わさび田を直せるかもしれないという手応えを得ていきます。土木業者に頼めば数千万円規模になりそうな工事も、自分たちの手で進めていきました。
工事の内容も本格的なものでした。直径20センチほどのパイプを100メートル、200メートルと引いたり、太いワイヤーを張ったりと、それまでやったことのない作業だったといいます。
わさびの師匠のもとで学びつつ、自分たちで実践しながら直していきました。1か月学んだだけでは細かいところまではわからず、基本は師匠の背中を見て覚える形だったといいます。
資金面では、コロナ禍の補助金が支えになりました。ひとしさんは、本当にギリギリだったと振り返ります。台風被害を受けたわさび田を直した分だけ受けられる補助を得ながら、わさび組合にも入れてもらい、どうにか食いつないでいったといいます。
キッチンカーとかき氷、収入をつなぐ試行錯誤
収入のない中で自分たちの食い扶持をどう確保するかも大きな課題でした。そこで登場したのが、それ以前から所有していたキッチンカーです。まずかき氷を売ろうと考えたといいます。
たっちゃんがこだわり、エスプーマ ── 液体を泡状にする調理器具。専用のガスを使い、ふわふわした食感やムースを作れます。ここではふわふわのかき氷を作る機械として語られていますという機械を導入したそうです。20万円ほどの高級かき氷マシンで、雪のようにふわふわに削れる一方、屋外では出した瞬間に溶けてしまう弱点がありました。
出した瞬間に溶けるみたいな。
屋外で強いのは、いわゆるペンギンの機械に入っているシャリシャリのかき氷だと、ひとしさんは今になって痛感したといいます。当時はそこまで分かっていませんでした。
キッチンカーの営業許可は、実は伊豆で最初に取得していました。下田まで行って静岡で営業許可を取り、2017年か2018年には一度キッチンカーに挑戦していたといいます。
牽引の運転には二人とも苦労したそうです。ハイエースよりさらに長く、全長10メートルほどになるため、ひたすら引っ張る練習をしていたと振り返ります。
運転めちゃくちゃ怖いんだもん。
ツアーとメディアが生んだ、人とのつながり
自分たちのわさびがまだ収穫できない時期は、農家と名乗ってもいなかったといいます。最初のキッチンカーやマルシェ、交通会館への出店で扱ったのも、自分たちのわさびではありませんでした。
ひとしさんが自慢に思っているのは、わさび農家としてだけでなく、キャニオニングガイドとしてもテレビに出られたことでした。アシスタントとして撮影についていけたことが嬉しい出来事の一つだったと語ります。
わさび農家と、あとキャニオニングガイドとして両方テレビに出れたことが。
借りたわさび田を直し、補助金を得ながら、どうにかわさびが食べられるようになっていきました。出荷もできるようになり、その多くは知り合いのつながりを通じたものだったといいます。
つながりを生んだのは、メディアとツアーでした。ひとしさんは、大事なことの一つとして「つながり」を挙げます。コロナ禍で店を開けられないシェフが勉強のため生産者を訪ねてくれるなど、ツアーが縁を運んできたといいます。
なんかシェフの方がツアーに来てくれるみたいな感じだよね。
今も応援してくれる人たちとの出会いも、ツアーがきっかけでした。ひとしさんは、全体的に相乗効果を考えながら、全体の図で協力していくという姿勢を語ります。
農業でも林業でもない、わさび作りの特殊さ
わさび作りは、一般的な農業とは大きく異なるとひとしさんは話します。畑まで遠く、壊れた場所を直すところから始めるため、感覚としてはむしろ林業や土木に近いといいます。
農業でもないし、林業でもないみたいな。なんか中途半端な場所にいるというか。
そのため、ちょうど合う補助金がないという難しさもあります。河川はみんなのものであり、土地の所有者はいても川の所有者はいないという事情も語られました。
わさび田が国立公園の中にあることも特殊な点です。国立公園でありながら、わさび田ごとに個人のオーナーがいるという構造は、海外の人と話すと驚かれるとももさんはいいます。
国立公園なのに個人のオーナーがいるっていうのが。
昔から続いてきた場所であり、詳しい経緯がわかりにくいために、行政も手を出しにくい面があるといいます。それでも新規参入しやすい状況を作っていきたいと、ひとしさんは話しました。
急な返却要請と、町の人たちに支えられたリスタート
順調に見えた矢先、大きな出来事がありました。去年、自分たちで直したわさび田を急に返してほしいと言われたのです。契約書も一度もらい、継続の話まで進んでいた中での要請でした。
衝撃的だったよ、かなり。
わさびを植えて半年ほど、返却まで1か月半から2か月ほどしかない急な話でした。植えたわさびを全て抜き、綺麗にして返却したといいます。ひとしさんは、これはあくまで自分たちの見方であり、相手方にも事情があるとことわりつつ、世の中の厳しさを感じたと語ります。
やっぱりなかなか世の中厳しいんやなって思うよね。
この一部始終は西多摩新聞に掲載されました。新聞で呼びかけたことで、町の人30人以上が力を貸してくれ、別のわさび田への移植作業を手伝ってくれたといいます。もっとも、そのわさびもうまく育っているかはわからないと二人は正直に話します。
手伝ってくれた人たちへ、後日お礼のバーベキューを開くことができたそうです。ひとしさんは、一緒に作業すること自体が初めてで、新たなコミュニティやつながりのきっかけになったと前向きに受け止めています。
いい、なんかきっかけのコミュニティっていうか、一つのまたつながりにはなったのかなっていう。
一次産業と飲食の大変さ、奥多摩のわさびを世界へ
わさびを普通に出荷するだけでは、今も三人で暮らしていくのは難しいといいます。キッチンカーで加工品を出していたからこそ成り立っており、出荷物をそのまま卸している農家の大変さを実感すると語られました。
いまだに俺らも普通に出荷してるだけじゃ全然食べられない。
ひとしさんは、一次産業は日本の基幹産業でありながら、好きでやっている人がほとんどで本当に大変だと話します。さらに、食は日本らしさの原質であり、国のアイデンティティを表すものだと語りました。
その原材料がなくなったらね、大事だと思うから。
それを扱う飲食店も今は大変だとして、奥多摩の飲食店を応援したいという思いが語られました。ひとしさんは、実際に動きたいという気持ちがあるといいます。
去年は移住も頭をよぎるほどの状況でしたが、一つ畑が残り、直すチャンスをもらえたことで、今年は生きていける見通しが立ったと振り返ります。ひとしさんは、いい時も悪い時もあるけれど、目標と目的を見失わずにやっていきたいと語りました。
いい時悪い時あるけど、しっかり力もつけて、喧嘩もしながら。
番組の最後には、一次産業や飲食に携わる人へのエールが送られました。番組では収入のことも赤裸々に語っていくとして、みんなでより良い方向を目指したいという思いが述べられます。
みんなで、より良い方向にというか、心地いい状態をね、作っていければいいかなと思うんでね。
なお、タイトルにある石積みの話は本編ではほとんど触れられず、次回以降に持ち越しとなりました。次回はわさび作りに欠かせない「水」がテーマになるといいます。
まとめ
この回は、キャニオニングガイド試験の合格報告から始まり、台風19号とコロナ禍を逆境に、ゼロからわさび農家になっていった3人の泥臭い歩みが語られました。畑を借りる難しさ、独学の石積み、急な返却要請といった困難を、町の人や訪れる人とのつながりに支えられて乗り越えてきた姿が浮かびます。
- 二人はもともとわさび農家を目指しておらず、ツアーができればという発想が原点だった
- 2019年の台風19号でわさび田が壊れたことが、逆に畑を借りるきっかけになった
- コロナ禍で観光業が止まった時期に、わさびの師匠のもとで学び、石積みを独学で身につけた
- わさび作りは農業でも林業でもない特殊な営みで、合う補助金もなく借りるのが難しい
- 去年は畑の急な返却要請という衝撃もあったが、町の人30人以上に支えられてリスタートできた




