なぜ他人ではなく弟だったのか
この回でひとしさんが最初に掘り下げたのは、ビジネスパートナーになぜ他人ではなく弟のたっちゃんを選んだのか、という問いです。
ひとしさんの答えは意外なほどシンプルで、弟だから遠慮なく声をかけやすかった、というものでした。
弟だったから、やっぱりちょっと頼みやすかったのかもしれない。遠慮なくね。
もともと計画にあったのは農業ではなくツアーでした。ひとしさんは何か一緒にやりたいと考えていて、そこにわさびをやりたいという思いも重なっていたといいます。
ただ、農業をやろうと誘っても、簡単に来てくれる人はいません。だからこそ、身近な弟が候補になったという流れです。
わさびやりたいって言っても、いきなり農業とか、なかなか来てくれないし、やりたがらないと思うんだよね。
ひとしさんがたっちゃんに感じていたのは、看板を作れる手先の器用さや、発信する力でした。自分は表に出すのが苦手だからこそ、そこを補ってくれる存在に見えたようです。
流木を拾い集めた看板づくりと、動き出した2020年
たっちゃんの器用さの象徴として語られたのが、看板づくりのエピソードです。
ペンキを塗るのがさ、すごく上手だよね。
ひとしさんの構想で、キャニオニング中に流木を毎回拾ってきます。ワンちゃんかのように。
キャニオニングのツアーが終わるたびに流木を手に持って帰ってくる。そんな光景が、二人で何かを作り始めていた時期の空気を伝えます。
話は、本格的に動き出した時期の確認へと移ります。たっちゃんは2019年から2020年にかけて直島にいて、コロナ禍のなかで京都へ戻ってきたといいます。
11月ぐらいにももさんが奥多摩に来て、そのタイミングでひとしさんも戻ってきて。
ももさんが2020年11月に帰国したことで、3人がようやく揃います。そこから本格的にプロジェクトが動き出したと3人は振り返ります。
もっとも、看板やパンフレットづくりはそれ以前から少しずつ進めていました。ひとしさんはパンフレットを2017年ごろには作っていたといいます。
ハイエース車中泊から始まった、奥多摩の拠点探し
動き出した当初、たっちゃんは家が決まるまでハイエースで寝泊まりしていました。
ハイエースにひのきのベンチを買って、そこで寝てましたね。
硬いな。ベッド硬いな。
観光名所の駐車場などを転々としながら、夏の7月中旬ごろまで車での生活が続いたといいます。ここが、奥多摩での拠点探しの出発点でした。
家探しは難航しました。川井、御岳、青梅と内見を重ねても見つからず、畑の場所も考えた結果、たどり着いたのが奥多摩駅近くの氷川でした。
その時、奥多摩の奥深さまで知らなかったし、こんなに東京って広いんだなって。
ひとしさんも、長く御岳や古里あたりまでは行き来していたものの、奥多摩湖や小河内ダムのほうまではあまり行ったことがなかったといいます。地元に近くても知らない場所は多い、という気づきでした。
たった数か月で地域に馴染んだ、たっちゃんの人柄
家を借りて戻ってくると、たっちゃんはすでに周りの人たちとすっかり仲良くなっていました。ひとしさんはその馴染みの速さに驚いたと話します。
俺、こんな短期間で仲良くなれるかなって。こんなになれるんだと思って、すぐ。
この人間関係が、その後にもつながっていきます。周りの人が別の家を紹介してくれたことで、最初に住んだ「さんま」からご近所へと引っ越すことができたといいます。
そのおかげで、周りの人が周りの家を紹介してくれて、さんまからご近所にお引っ越し。
ひとしさんがたっちゃんと一緒に働きたいと感じた理由には、その人柄に加えて、圧倒的な働きぶりへの信頼もありました。
月500時間労働。牛丼屋を「家」にしていた過去
ひとしさんが心強さを感じたエピソードとして挙げたのが、たっちゃんが大手チェーンの牛丼屋で働いていた時期の話です。
その働き方は規格外でした。月の労働時間を尋ねられたたっちゃんは、さらりと答えます。
多分512時間ぐらい。24時間カメラの中で。
やばい働き方だよね。
平日は21時間ほど、日曜でも十数時間。時間がもったいないからタクシーで帰ることもあった、というほどの働きぶりでした。もはや店舗が自宅のようになっていたといいます。
感覚が違うから、友達が遊びに来てるぐらいの感覚です。
こうした体力と働きぶりを間近で見ていたからこそ、ひとしさんは一緒にやるなら心強いと感じたのだと振り返ります。
弟だから、ではなく「たっちゃんだから」続けられた理由
一方でひとしさんは、弟であることはあくまで入り口にすぎなかったとも語ります。それだけでは、一緒に仕事を続けるのは難しいからです。
価値観とか、考え方とか、やりたいことがある程度重なってこないと、なかなか難しいかなと思った。
重なりの象徴として語られたのが、たっちゃんの引っ越しを手伝ったときのエピソードです。大阪から東京へ、家財道具を丸ごと運ぶことになりました。
もう引っ越しだから、ちょっとかなと思ったら、丸ごと全部その家財道具を持ってってほしいみたいな感じで。
しかも、たっちゃん自身がどこへ行くのかもはっきりしない状態でした。ひとしさんはそこに衝撃を受けたと笑います。
二人が共有していたのは、モノやお金への感覚でした。特に金銭感覚が近いことは、一緒にやるうえで欠かせなかったといいます。
==金銭感覚はすごい大事だと思う。==みんなお金にうるさかったら、多分やれないよね。
自由に使えるお金をそれほど必要としない者同士だからこそ、この形が成り立っている。家族がいたら難しかったとひとしさんは率直に話します。
櫛から鍬へ。美容師時代とタンクトップの美学
後半のテーマは、たっちゃん自身の来歴です。もともと美容業界にいたきっかけを尋ねられると、答えは軽やかでした。
モテるかなとか、涼しそうだなとか、そんな感じですね。
実際にモテたのか、涼しかったのかという問いには、チラシ配りなどで外に出れば暑いと、現実的な答えが返ってきます。
それでも、美容師時代の感覚は今にもつながっているといいます。たっちゃんが挙げたのは、フォルムやバランスへの意識でした。
フォルムとか、そういうのはありますよね。見た目じゃないけど。
綺麗なものが好きという感覚は子どもの頃からで、買ったばかりの靴を汚したくないタイプだったといいます。こだわりがあるようで、汚れると急に興味を失う面もある、と二人で笑い合いました。
ひとしさんは、最近見た漫画原作のドラマ『チ。』を引き合いに、好奇心や本質、美しさを追求する姿勢が自分たちの原動力にも通じると語ります。
そんな好奇心の延長で、たっちゃんは美容の後にさまざまな一次産業の現場を回ります。わさびにつながるものを学ぶためでした。
わさびの話が出たから、それにつながるものをちょっと勉強しに、一次産業をちろちろさせてもらいました。
そのトレードマークがタンクトップです。北海道でも直島の海の上でも、12月までタンクトップで通していたといいます。
タンクトップに美学は特にはないですけど、覚えてもらえる手段だなと思って、結構やり続けてますよ。
ただ、ひとしさんは、周囲が受け入れてくれる理由はタンクトップだけではないと見ています。どこでも一生懸命に働くからこそ歓迎されるのだ、というのが本質だと語ります。
稼げる一次産業へ。奥多摩を誇れる場所にするために
話は、たっちゃんが各地の現場で見てきた一次産業や美容業界の現実へと広がります。美容師時代は朝8時前から終電まで働き、手も荒れ、給料もアルバイトのほうが稼げるほどだったといいます。
一個上の先輩を見るから、それが来年の自分かって当てはめちゃう。未来が見えづらい業界だなって思っちゃいました。
農業も同じ課題を抱えています。北海道で回った現場では、通勤に片道1時間かけても最低賃金ということもあり、今に一生懸命でも未来が見えにくいと感じたといいます。
この構造をどうにか変えたい、というのが3人の共通する思いです。わさび業界に参入したからこそ、新しいビジネスモデルを作りたいと語ります。
稼げる農家のモデルケースを生み出していけたらいいですよね。
一次産業だけでは厳しいため、フードトラックや料理人とのつながりなど、できる形を模索しながら進んできたと振り返ります。応援したいのは一次産業と飲食の両方だといいます。
最終的に3人が見据えるのは、奥多摩そのものの価値です。ここにいる人や子どもたちが、この土地を誇れて、好きでいられる状況をつくりたいと話します。
たっちゃんも、出会った場所が住み心地のいい場所になっていくと語り、この回は締めくくられます。次回は「なぜわさびを選んだのか」というテーマが予告されました。
まとめ
兄がビジネスパートナーに弟を選んだ理由は、頼みやすさという入り口から始まり、価値観や金銭感覚の重なりへとつながっていました。ハイエースでの車中泊から拠点探し、地域に馴染む人柄、規格外の働きぶりまで、奥多摩わさびの原点が語られた回です。
- パートナーに弟を選んだのは、遠慮なく頼める入り口があったから
- 入り口は弟でも、続けられたのは価値観と金銭感覚が近かったから
- 拠点探しはハイエースの車中泊から始まり、氷川に落ち着いた
- たっちゃんの人柄と圧倒的な働きぶりが、地域との縁を生んだ
- 目指すのは、稼げる一次産業と、奥多摩を誇れる場所にすること




