初の外部ゲスト、BIOTOPEはどんな会社か
番組は京都と鹿児島の老舗企業を継ぐ後継ぎ経営者、柳本頌大さんと小平勘太さんが、事業承継と経営の現実を語る番組です。
今回は初めて外部ゲストを招き、「Claude時代の組織論」をテーマに全3回で話を進めます。ゲストは、この記事を書いて多くの人に読まれた金安さんです。
金安さんはまず、BIOTOPEのミッションから紹介します。掲げているのは「意思ある道を描き、希望の物語を巡らせる」という言葉です。
地方の中小企業から大企業の中にも、一人の主体者として強いビジョンやミッションを持って事業に取り組まれている方がたくさんいらっしゃいます。こういう方々に寄り添って、ビジョン経営の伴走者として実装するところまで支援させていただいています。
この支援を金安さんは「戦略デザイン」と呼びます。一緒に戦略を描き、それをビジョン経営として組織変革や事業開発、そして仲間を増やす文化づくりまでを対象にしています。
金安さん自身はBIOTOPEに入って約10年、会社自体は今年で11年目です。マネージングパートナーとして、大企業を中心に事業開発に取り組んでいます。
個人的な関心テーマは、この回の本題にもつながります。それは、長い歴史を持つ企業の中に眠る「掘り起こされていない資産」への注目です。
会社の中でまだ自分たちも認識できていない無形資産とか、従業員の行動の中に潜んでいる価値とか、こういうまだ掘り起こされていない資産がたくさんあるんじゃないかと思っています。
金安さんはこうした資産を競争力にして、競合とのコスト競争ではなく、自分たちにしか実現できない社会の変革を目指す伴走をしていると話します。
さらに個人的なテーマとして、BIOTOPE入社前に自ら会社を創業し、ブロックチェーン技術の探索や開発を続けてきた経歴も明かします。
一過性のトレンドで言われるトークン万歳とか、一攫千金狙うことではなくて、根本的に技術の仕組みを理解した上で、どう社会システムを変容していけるかにすごく関心があります。
BIOTOPEは誰を相手にする会社なのか
小平さんは、BIOTOPEの創業者である佐宗さんとのつながりから仕事が始まったと振り返ります。鹿児島でのインパクト戦略づくりなどでの縁でした。
現在は自社「コビラ編集部」の広報や、会社がどう社会的インパクトを作るかという戦略づくりに、BIOTOPEのメンバーが関わっているといいます。
柳本さんは、BIOTOPEが主にどんな企業を相手にするのかを尋ねます。中小企業なのか、大企業なのか、という問いです。
BIOTOPEは企業の規模感でセグメントを切っていなくて、どちらかというと一人の意思を持った経営者や事業のリーダーを対象にしている会社です。
オーナーシップの強い会社ほど強いビジョンを持つ一方で、それを社員にどう伝え実装するか悩む経営者が多い。だからそうした人との縁が自然と多くなると金安さんは説明します。
金安さん自身の仕事は経営戦略の領域にあります。会社の見えない資産を一つずつ探し、それを「戦略システムマップ」に可視化していく作業です。
この可視化の過程で、思わぬ気づきが生まれることがあると金安さんは指摘します。
自分たちが強みだと思ってた部分が、実は現場レベルで本当に価値だと思ってたものを毀損しているんじゃないか。安易にAIやDXに乗っかることで、長年築き上げてきた資産や外からの見られ方が変わってしまうんじゃないか。そういうこともあります。
だからこそ金安さんの支援は「あれもこれもやりましょう」ではなく、やらないことを決めていく方向に向かうと話します。
社会の中で安易に潮流に乗らないで、変化が激しい中で自分たちがスタンスを持って発揮していく強みを明らかにしていくような支援が多いです。
その狙いは、コスト競争に陥らず、独創的な社会を実現することで会社がより豊かになる道を探ることにあります。金太郎飴的に成功角度を上げたい経営者よりも、成熟した時代で10年20年先の打ち手が見えなくなった経営者との仕事が多いといいます。
回転寿司・銚子丸に見る「文化資本」の再発見
小平さんは、BIOTOPEの公表事例の中でも回転寿司の銚子丸のプロジェクトに感銘を受けたと語ります。
安くてタッチパネル化が進む回転寿司業界の中で、銚子丸は逆にホスピタリティを伝える人を店舗に置き、歴史を深掘りした上でビジョンを作り直したといいます。
金安さんも、このプロジェクトは自分たちのアプローチを象徴的に語れる仕事だったと応じます。
飲食業界は人材不足やコスト競争が激しく、一皿100円の寿司を出す技術開発やグローバル展開がメインストリームになっていました。
一方で銚子丸には、50年前の創業時から受け継がれてきた理念があります。創業者の堀地速夫さんが標榜した「理念経営」です。
お寿司を売ることは、理念を売ってこそ成り立つものだという考え方を、この50年間、本当に従業員に浸透されてきたんですね。
その浸透ぶりは驚くほどで、入社数年の20歳ほどの男性が「僕はこれを世界に広めるんです」と宣言する例もあると金安さんは紹介します。
しかし業態としては、都心店舗を中心に無人レジを置き、誰でも回せるオペレーション設計へ向かう圧力が強かったといいます。
ここで銚子丸は壁に直面します。50年築いたおもてなしの精神を、マニュアル化して効率を追うか、再確認して強みにするかという選択です。
経営陣の皆さんが口を揃えて一致した意見は、時代のトレンドになっている経営のムーブに乗りすぎないと。必要なものは取りつつも、自分たちが大事にすべきものを発見して価値として提供すべきだ、ということでした。
とはいえ、いざ蓋を開けると「何が価値だったのか」が言葉になっていませんでした。そこで数十店舗を回り、勤続1年から数十年の従業員一人ひとりにインタビューを重ねたといいます。
その声を一つのシステムマップにまとめ、そこから銚子丸が作るべきビジョンを描き、今も一つずつ実装している段階だと金安さんは説明します。
現場インタビュー
数十店舗を回り、勤続年数の異なる従業員一人ひとりから価値を聞き取る
システムマップ化
聞き取った声を一つのマップに可視化し、隠れた資産を整理する
ビジョン策定
マップをもとに、自分たちが作るべき銚子丸の姿を描く
現場での実装
描いたビジョンを店舗の行動や商品として一つずつ形にする
ブックが変える「自律的に動ける組織」
このプロジェクトの一つのアウトプットが「キャンパスブック」でした。柳本さんが最終的な成果物かと尋ねます。
金安さんは、会社としての価値判断基準を持つことがアウトプットの核だと答えます。ただし昭和的な社訓の読み上げとは異なると強調します。
会社がこういう社会を作ります、どんな価値判断基準を評価していますと従業員に明らかにすることで、一人ひとりに対話を促して考える機会を作る。自律的に行動しやすくするために、やるべきこととやらないことをはっきりさせるためのブックです。
このブックは全従業員に配布されました。小平さんも、自社で同様のものを作っていると応じます。
小平さんが銚子丸のブックで良いと感じたのは、店を舞台、従業員を劇団と呼ぶ「劇場コンセプト」でした。活気ある接客やパフォーマンス自体を、従業員が自律的に判断できるようになる点です。
DXも、この劇場コンセプトにより多くのリソースを割くための手段として位置づけられます。女性店長を増やしておもてなしを強化するといった判断も、一つのミッションから戦略的アクションへつながっていくといいます。
一個のミッションを作ったことが全ての戦略的なアクションにつながっていく。採用にも強くなるし、DXを始める理由も理解してもらえるようになる。これを伴走して作り上げてもらえることにすごく価値があります。
小平さんは自社の例も挙げます。太陽ガスという会社では、DXをなぜやるかという質問に対し、理念から説明していると話します。
顧客の生活全てを支えることに価値があると、安心と希望という理念から説明して、その時間を確保するためにDXをやってお客さんに触れ合う時間を増やすんだと言った瞬間に、すごい理解が進んだんですね。
理念と戦略が接続されているからこそ、納得感や腹落ちが生まれる。すぐ見返せるブックも有効な手段だと小平さんは締めくくります。
理念経営が生んだ3つの変化
柳本さんは、こうした取り組みにどれくらいの年月がかかるのかを尋ねます。
金安さんは、理念経営に終わりはないと前置きしつつ、結果として表れた3つの変化を挙げます。
理念経営には終わりはないかなと思っているんですけど、やっていく中で結果として表れているものはたくさん出ています。
1つ目は、従業員の自律性の高まりです。価値判断基準を得たことで、雇われている意識よりも、店を通じて人を幸せにしている感覚が生まれたといいます。
その結果、業界課題である人手不足とは逆の現象が起きました。隙間バイトアプリで職を探す人の中から「銚子丸で働きたい」と応募が集まるようになったのです。
2つ目は顧客への提供価値です。首都圏の100店舗で同時刻に解体ショーを復活させ、昨年はギネス記録も取得したといいます。食べるだけではない、店舗に来る喜びを届ける取り組みです。
3つ目は卸や流通への波及で、金安さんはチリ産ウニの空輸への挑戦を紹介します。
チリ産ウニは通常、船便で運ぶため3か月ほどの保存に耐えるようミョウバン漬けにされます。しかし生で食べるとおいしく、海流の速い海で育つため生育が良いといいます。
一方で、ウニ漁は危険な仕事でもあります。海女が素潜りで一つずつ取るため、量を取ろうとすると悪循環に陥ると金安さんは説明します。
船便で単価下落
船で輸出するため単価が下がる
量を取る労働
収入確保のため大量に長時間働く
機材が買えない
人件費に消え、設備投資ができない
担い手不足
死亡者が増え、若い人が定職に就かなくなる
そこで銚子丸の経営陣はチリへ赴き、世界と同じスタンダードの価格で空輸買い取りを提案しました。ミョウバンに漬けないウニを全店舗で提供したのです。
結果として利益が現地に還り、船や設備、人件費に回せるようになり、感謝状が届いたといいます。金安さんは、理念経営はサプライチェーンにも影響を与えていくべきだと語ります。
団地育ちの少年が寿司職人からテクノロジーへ
ここで柳本さんが「銚子丸の人になってしまう」と話を切り替え、金安さん自身の来歴に踏み込みます。
金安さんは東京の団地街で生まれ育ちました。冬も半袖短パンで過ごすような元気な少年だったといいます。
高校時代には会社を起業していますが、そのきっかけは高校1年まで続けた寿司職人のバイトにありました。朝は市場に買い出し、学校の後にまた魚をさばく生活です。
時給600円台から700円ほどで働いていた背景には、家庭の事情がありました。教科書代や積立金を自分で払う必要があったのです。
公立の中高一貫校だったので授業料はかからなかったんですけど、海外の修学旅行に行きたいと。中学の時も高校1年の時も、お金がなくて私だけ修学旅行に行けなかったんですね。
バイトを何時間やっても月7、8万ほどにしかならず、食べるだけで精一杯でした。そこで高校1年後半に共同で会社を立ち上げます。
最初に買ったパソコンで夜な夜なXcodeを触り、iPhoneアプリを作ってはリリースしましたが、鳴かず飛ばずでした。
そこから発想を転換し、制服姿でホームページビルダーの会社に頭を下げ、アカウントを1万個もらって業界最安値のウェブ制作会社を作ったといいます。
さらにプログラミングでデータ分析に進み、企業や政治家のデータを勝手に分析して戦略を提案する活動を数年続けます。当時はそうしたツールがなく、自分で作って提案していました。
大学の先生の縁で「病床数最適化計算」という医療統計学の研究にも関わります。ただ現場では、数学以前にまだ紙で記入している病院も多く、タブレット導入から手がけたといいます。
一人勝ちへの違和感から公共のデザインへ
一通りやりたいことを実現し、貯金も貯まった頃、金安さんはある違和感を抱えるようになります。
自分の生い立ちってすごく貧しかったので、なんか自分だけ一人勝ちしちゃっていいのかなみたいな悩みがあったんです。
そこで金安さんは、より公共的な方向へ関心を移します。団地育ちの子たちが社会で新しいチャンスをつかめる社会を作りたいと考えたのです。
プロダクトをどう売るかではなく、それを通じた課題解決や公共のデザインへ。そのタイミングで佐宗さんと出会い、BIOTOPEという世界を知ります。
企業の売上偏重で考えるだけじゃなくて、その会社の事業活動を通じた理想的な社会を考えている。こんなことを大人が真剣に考えているのが素晴らしいなと思って入りました。
入社は約10年前、BIOTOPE設立から半年から1年ほど経った頃でした。金安さんは業務委託という形で、一人の専門家枠として参加します。
正社員である必要はないと考えつつも、自分の意思を持ち、売上より社会の変化を先に考える経営者と仕事を続けたい。そう思っていたら、気づけば10年が経っていたと金安さんは振り返ります。
柳本さんは、このBIOTOPEでの学びが今回のテーマ「Claude時代の組織論」の基になったのではないかとまとめ、次回への橋渡しをします。
まとめ
初回はBIOTOPEの戦略デザインと金安塁生さんの来歴を軸に、見えない資産を価値へ変える理念経営の実像が語られました。銚子丸の事例と金安さん自身の歩みが、次回以降の組織論の土台になります。
- BIOTOPEは企業規模ではなく、意思を持つ経営者やリーダーを対象に、やらないことを決める戦略デザインを行う
- 銚子丸は50年の理念を現場インタビューから掘り起こし、価値判断基準をブックにして自律的な組織へ変えた
- 理念と戦略が接続されることで、採用やDX、顧客体験、サプライチェーンまで一貫した変化が生まれる
- 団地育ちで寿司職人からテクノロジーへ進んだ金安さんは、一人勝ちへの違和感から公共のデザインを志しBIOTOPEに参画した





