マップの再構築だけで一万円分元を取った気になる
まず何よりも、FF7リメイクに続いてFF7リバースと、スタッフの方々には本当にお疲れ様でしたと言いたいです。
ストーリーでいうと原作の半分くらいのところなんですけど、ボリュームでいえば原作の20倍くらいあるんじゃないかってくらい盛りだくさんで。
今回まず語りたいのは、街やダンジョンの場所の再構築についてです。
原作では大きい一枚絵を背景にして、そこを3Dポリゴンのキャラクターが動く、という表現がされていました。あの背景の一枚絵がとても魅力的で、FF7世界の印象を決める屋台骨になっていたんですね。
それをリメイクでは、完全に3Dで再現した上に、元々なかった要素まで加えている。しかもプレイヤーの視点が主人公クラウド君の背中側になったことで、上を向いたら上が見れるんです。これが最高で。
原作プレイ済みの方向けに言うと、ミッドガルのスラムから上を見上げると、上層の都市を支える巨大なプレートが空を覆っているのが、ついに確認できるようになったってことなんです。
驚いたのは、序盤に訪れる『ミスリルマイン』という洞窟です。原作ではただの通り道で、20分ぐらいで通り過ぎる場所なんですけど、リバースでは通り抜けるのに3時間程度かかりました。
原作信者の僕でさえ忘れられててもしょうがないなってくらいの場所を、ボスあり新規イベントありの盛りだくさんで仕上げてくる。正直ちょっと笑っちゃいましたね。
ニブルヘイムからニブル山へ、僕にとっての最適なリメイク
もう一箇所、リバースで気に入ったイベントを挙げるとすれば、『ニブル山』は外せません。
本編で初めてスタッフの名前が表示される、ニブルヘイム村を出発してニブル山へ向かうまでのシーケンス。これがすごかったんです。
最初は青々とした草木に囲まれた道を歩いていくんですね。すると唐突に「クリエイティブディレクター テツヤノムラ」って文字が出てきて、えっ、ここでオープニングなの?っていう驚きが一つ。
歩いていくと、徐々に木の葉が少なくなって、木が痩せ細っていく。左右の草も減って、ゴツゴツした岩肌が目立ってくる。
気づいた時には、原作でも印象的だった、人を寄せ付けない不毛で寒々しいニブル山に着いている。このニブルヘイムからニブル山へのグラデーションが丁寧に描写されていて、素晴らしかったんです。
ここで、僕にとってのリメイクの最適バランスが達成されていました。第一に、原作で表現していたものを今の技術でちゃんと表現し直すこと。第二に、原作で描ききれてなかった部分を、原作再現と喧嘩しないように補完すること。
この2つが揃えばリメイクとしては十分すぎると思ったんですけど、ここではさらに、スタッフロールが流れる驚きと、いいBGMだなというサプライズまで入れてくる。この3要素が揃ったら、もうリメイクとしては満点でしょと。
戦闘やシステム面も高品質だと思います。仲間を頻繁に切り替えて戦うのは、みんなで戦ってる感があってワチャワチャ楽しかったし、キャラクターへの思い入れも強まりました。
フィーラーという舞台装置が、物語をうまくない方向へ引っ張る
ここからは、うるさい原作狂信者としての顔を出していこうと思います。話したいのはストーリーと演出についてで、ポイントは2つ。1つは、ぶっちゃけうまくないということ。もう1つは、原作とは別のものを描いているということです。
まずこのシリーズのシンボルと言ってもいい存在、『フィーラー』について。原作もリメイクもやったことがない人向けに説明すると、主人公たちが原作と異なる展開に動こうとすると、それを修正しようとする類のものらしいんです。
後に仲間になるレッドサーティーン曰く、「運命の番人という理解が適切だ」とのことでした。
制作側の意図はなんとなくわかるんです。これは原作のリメイクではなくてリブートですよ、ということなんでしょう。僕も原作通りやれとは全く思っていませんでした。
ただ、原作通りに進むか否かの鍵を握る存在を、新キャラとしてあからさまに出すのってどうなんでしょう。あまつさえ登場人物に「運命の番人だ」なんて直接的なセリフで言及させるのは、うまくないなって思っちゃうんですよね。
リメイク1作目の最後では、主人公たちの目的が「運命を打ち破る」というリメイク独自のものに成り代わります。でも、そのシフトの仕方がすごく強引で意味不明なんです。
「なんとなく」があまりに積み重なりすぎるんですよね。エアリスの予感めいたものと、それに乗せられる仲間たち。人気キャラだから出しとけって感じで脈絡なく敵対するセフィロス。
運命を打ち破るというストーリー自体に文句を言ってるわけじゃなくて、これは見せ方の問題だと思っています。物事を一つ一つ積み上げてクライマックスを作れる人が、ライターにいなかったのかなって。上から目線で申し訳ないですけど。
リバースでもフィーラーを柱にする、その安易さに落胆した
運命とやらを打ち破ったんだから、原作リメイクという要素はチャラになったんじゃないの、と思いつつリバースを進めました。
ところが後半、雲行きが怪しくなってくる。その起点が、前回倒したはずのフィーラーがまた現れるところです。
お仲間のレッドサーティーンが「あの日の運命からは逃れたが、新たな運命に飲み込まれたのかもな」と言うわけです。このセリフを聞いて、ちょっとムカついたんですよ。結局リバースでもそれをやるんだ、と。
フィーラーがどういうものかを定義しているのが、レッドサーティーンやエアリスが口で言っていることだけなんです。イベント自体でその存在を説得できているかというと、そうではない。シナリオの都合で現れて主人公を助けたり邪魔したりする、ライターに奉仕する便利屋になっているんですね。
その上、星の中で良いフィーラーと悪いフィーラーが戦っているみたいな幼稚な設定も加わる。そこから導き出されるのが、手垢のついた平行世界ものの設定です。
平行世界という設定自体が悪いわけじゃないんです。でも、そこに至る過程が適当すぎるから、「はいはい、結局平行世界ものね」って冷めた見方になっちゃうんですよ。
原作で丁寧に描かれていた「星の命」というテーマを、わざわざ運命や平行世界に刷り替えた上に、その表現がすごく雑。原作信者としては発狂ものです。
ライフストリームに未来や別の世界の知識まで漂っているという設定自体は、原作からの拡張としていい感じになりそうなんですよ。『FF8』の時間圧縮とか『FF9』の記憶の場所みたいに、壮大なものもちゃんと表現できてたじゃないっていう。なのにめっちゃ雑。
結局最後は、原作の通りになるの、ならないの、というのがムービーですごい間隔で挟まれて、パチスロのリーチ演出かと思いましたよ。もう笑うしかないですよね。
新キャラを出すなら、よく考えたほうがいい
新しい要素を出したいわりに扱いが雑、というのはフィーラー以外にもあります。たとえば『ローチェ』という敵側の傭兵です。
重度のスピード狂という設定で、クラウドをマイフレンドと呼びながら付きまとうライバル兼ストーカーみたいなキャラです。
でも謎なのが、ライバルキャラなら原作のセフィロスやタークスで事足りているんですよ。役者はもう揃っている。そこに元気よく登場したローチェにどう役目を与えるかというと、スピード狂、戦闘狂、声がでかい、登場シーンが派手。以上、なんです。一切工夫がない。
ぶっちゃけ中身がないんですよね。リバースでひとまずの役目を終えるんですけど、その顛末も演出も適当で、こいつが物語の中で生まれた意味を逆に考えちゃいましたよ。かわいそすぎるだろって。
もちろん新キャラ全員がそうだとは言いません。アニアンやマム、ジュノンで出てきた女軍曹は結構好きです。まあ言いたいのは、リメイク作品にわざわざ新キャラを出すなら、よく考えたほうがいいってことです。
素筋は同じでも、演出で印象は真逆になる
最後のポイントは、一見原作をなぞっている風に見えて、演出の違いで全然違う印象を受けることが多々ある、という話です。
別の作品でいうと、映画版とドラマ版の『シャイニング』が近いかもしれません。ホテルに越してきた父親が悪霊に絆されて家族を皆殺しにしかける話ですが、映画版は恐怖が十割、ドラマ版は家族愛を描いた感動作になっているんですね。素筋は同じでも印象が全く違う。
FF7リメイクで特に感じたのは、拠点の街が破壊されるイベントです。塔を上がる道中で仲間が次々と倒れていく展開なんですけど、原作は一刻も早く破壊装置に向かわなきゃという緊張感が持続するテンポになっている。
一方リメイクでは、仲間がやられるたびにいちいち長尺のムービーが入るんです。悲しいのはわかるんですけど、ちんたらしすぎていて、街が破壊されちまうだろ、巻きでお願いします、って言いたくなってしまう。
リバースでは、遊園地『ゴールドソーサー』での事件が改変されていて、ここは褒めポイントでもあります。原作では問答無用で監獄に投獄されるんですけど、リバースでは主人公たちが園長を説得する流れになっている。園長が話のわかる筋の通ったキャラになって、これは結構良かったです。
ただ、その一連の事件の最後で文句を言いたくなる。真犯人はバレットの親友だったダインという男で、最終的に2人が決闘してダインが死ぬんですが、そのテイストがかなり違うんです。
原作のダインは、実の娘を案じて「マリンを泣かせるなよ」と残し、潔く自決する。渋くて切ないんですよ。
対してリバースでは、そこに神羅兵という第三者が現れて、ダインが暴れる。しかもダイン一人に何十人も襲いかかっているのに、ダインの弾だけがどんどん当たって、神羅兵が単なる部隊装置感になっている。これがすごいノイズなんですよね。
そのくせダインには「俺の分まで生きて苦しめ」と言わせて、長い尺で感動的に見せる。神羅兵も何人か死んでるんですけど、って思っちゃうんですよ。とりあえず尺が長ければ感動が増すと思って作っているのが透けて見えて、巻きでお願いします、ってなっちゃうんですよね。
『コスモキャニオン』の星送りの儀も同じでした。目的も説明されないまま、エアリスが儀式の主役みたいな顔でスピーチをするんですけど、その内容が「我慢してきてよかった」「だから大丈夫、報われました」みたいな言葉選びで、聞いてて恥ずかしくなるくらい幼稚なんです。
しかも、その場にいるコスモキャニオンの住民まで感動系の雰囲気になっている。何に感動するかという価値観が、リバースのスタッフと僕とで根本的にかけ離れているって感じたイベントになっちゃいました。
こうして、ストーリーや演出に関しては、リメイクシリーズは僕の好みと正反対の方向を向いているって改めて感じたんです。ゲームを始めた時は再現度に期待値が上がるんですけど、締まりのない演出とセンスに合わないシナリオでだんだん疲弊していって、終わりよければすべてよしの正反対の感想になってしまう。それがちょっと嫌だったなあ、と。
ただ、それを抜きにすれば、リメイクからリバースへのボリュームの増え方は本当に尋常じゃないし、手を抜いた感じは全くしない。スタッフの皆さんには本当にお疲れ様でしたと言いたいです。こんなに文句を言いつつ、僕は200時間きっちり楽しみましたからね。
リメイク最終作の3作目が出た終わりには、また1万円以上お布施をさせていただきますので、スタッフの皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。
僕が散々ブーブー言ったストーリーや演出については、割と気にしていない人が多い気もするんですよね。原作をやってないとしたら、むしろあのシナリオは意味不明だと思うんだけど、実際どうなんでしょう。
全然違う意見でも、僕への文句でも大歓迎なので、もしよければご意見をいただけたらと思っています。ゲームについて喋りたい方はゲストも常に募集しています。読んでいただきありがとうございました。
まとめ
FF7リバースは、街やダンジョンの再構築とボリュームは尋常じゃない一方で、僕にとってはフィーラーを柱にしたストーリーと演出過多な長尺ムービーが最後まで引っかかりました。それでも200時間きっちり楽しんだ、というのが原作狂信者としての正直な結論です。
- マップの3D再構築とニブル山のグラデーションは、原作再現+補完+サプライズが揃った満点のリメイクだった
- フィーラーは口頭説明頼りの「便利屋」で、運命や平行世界への刷り替えが雑なのが物語最大の難点
- 素筋が同じでも、長尺ムービーや幼稚なセリフ回しの演出でリバースは原作と真逆の印象になる
- 新キャラのローチェのように、扱いを考えずに追加された要素が物足りなさを生んでいる





